紙芝居(私に出来る事)
「出来た!!」
お母さんのお手伝いとカオルさんのサポート、舞子さんの言葉が合って、思っていたより早くできた。
「後は……」
私はもう一つ決意をしていた。
「カオルさん!」
待ちきれず、ナースステーションまで出向いてカオルさんを呼ぶ。
「あ、あの……九月さん、一応ここでは苗字で呼んでくれないかな……」
カオルさんの声が震えていた。カオルさんと向き合って話しているのは、婦長さんだった。
「あ……」
カオルさん、ごめんなさい。
私はカオルさんにお願いして。舞子さんと川崎先生を集めてもらった。
「あの、これ……」
作った紙芝居を見せる。
「すごい! 良く出来ているじゃない」
舞子さんが絶賛の声を、あげる。絵だけ見て……。
「物語、読んで無いじゃない」
私が突っ込むと
「あら、それは本番の楽しみに取っておくわ」
そんな風に返されてしまった。本番までに他の人の評価を聞きたかったのに。
「えーと、それで私は何で呼ばれたのかしら?」
川崎先生が横から入り込んでくる。きっと忙しいのだろう。私もそれくらいわかる。紙芝居を見てもらうために呼んだんじゃない。
「みんなにお願いがあるんです」
私はカオルさんと舞子さん、川崎先生に決意を告げた。
「舞子さん!」
私は小児科病棟の遊戯施設の隣の部屋にいた。ここは今日開かれるイベントの控え室として使われていて朝から色々な人が出入りしていた。
「なあに? 美羽ちゃん? 私見ての通り忙しいんだけど」
沢山の小道具や大道具の配置、スピーカーやマイクのチェック等、いろんな看護師さんに指示を飛ばして、舞子さんはてんてこ舞いだった。
「なんで私の紙芝居が、プログラムの一番最後なの!?」
指示を仰ぎに来た看護師さんに、あれやこれや告げながら、私の問いにも答える。
「だってプロの方達はスケジュールとか、色々都合付けてくれているのだもの、ほぼ分単位で埋まっちゃっているの。だから美羽ちゃんの紙芝居が最後。良いじゃない、おおトリなんて大役、やりたくってもなかなか出来ないわよ」
「そ、そうかもしれないけど」
その大役に相応しくないから、こうして文句を言いに来たんだけど……。
「ふぅ……」
何だか落ち着き無い場所は苦手で、いつもの死神さんの所まで戻ってきてしまった。
「ねぇねぇ、死神さん」
「私の紙芝居大丈夫かな?」
二週間で書き上げた十枚程度の紙芝居。こんなのがトリなんて努められるわけが無い。舞子さんは一体何を考えているのだろう。
「はぁ、あんなお願いしなければ良かったかなぁ」
「認められません!」
川崎先生が声を荒げる。
「あら、私は良いと思うけどなぁ」
舞子さんが楽観的に言う。
「わ、私は、その、差し出がましいようですけど九月さんの体調次第では大丈夫かと」
カオルさんがおずおずと申し出る。私のお願いへの三者三様の意見だった。
「そんな、あなた達は責任が無いからそう言えるんです」
一人反対派の川崎先生が言う。
「責任なんて、川崎先生にも迷惑かけないようにします。お願いします!」
私は、すごく無責任だけど誠意だけで何とかしようと頭を下げる。
「私、自分でこの紙芝居を読みたいんです!」
私のお願いはこれだった。これを承諾してもらうために、川崎先生と舞子さん、カオルさんに集まってもらったのだ。
「私に迷惑かけないようにって……。あなたに何が出来るって言うんですか?」
川崎先生にもっともな事を言われる。確かに私は無力だ。何も出来ないし、責任の取り方もわからない。
だけど! だけど!
「良いわ、何かあったら、全部私の独断という事にしてください」
舞子さんが口を開く。
「これは、私が勝手に依頼して、私が勝手にやらせた事です。そして美羽ちゃんが舞台に立つのも……当日まで先生は何も知らなかったことにしてください。カオルもね」
どうしてこの人は、こうもカッコイイのだろう。そして私なんかのためにどうしてここまで出来るのだろう。今回だって無理そうなら私は諦める気で居たのに。
「そんな覚悟でやろうとしたのが、そもそも間違いだったのかもしれないね」
死神さんに話しかける。私はここに来て怖気付いている。覚悟したつもりだったのに、色々な事がプレッシャーに感じる。
「はぁ……。それで済むわけ無いでしょうに」
川崎先生があきれた様子で言う。この人は冷静だ。
「わかったわ、その代わり当日まで徹底的に体調を整える事! 前日には一応点滴も容易しておくからね! それと、体調が悪くなったら当日でも私は止めますからね!」
私と舞子さんの決意に川崎先生は応えてくれた。
「私も二人の思いに応えないとなのにね」
死神さんに語る声が、震えているのが自分でもわかる。
パチパチパチ
小さな拍手をしてくれる。カオルさんだ。
「どうでした?」
私は緊張した体をほぐすように大きく息を吐いて言う。
「良かったわよ。物語の方もすごく良く出来ているし、声も出ていたわ。でも……」
カオルさんが声のトーンを落として言う。
「でも?」
私は何かダメな所が無いか少しでも教えて欲しくて先を急かす。
「顔が強張っていて、面白かった」
と、笑い出す。
「むー、仕方ないじゃないですか。緊張するんだから」
私にとっては始めての体験。物語を読み聞かせるなんて。しかも自分が作ったものを。
「あら、本番はもっと緊張するわよ?」
カオルさんが私に追い討ちをかける。そうして、傍観者として率直な意見を言い。自分の休みの日まで、私の練習に付き合ってくれた。
「カオルさんにも感謝しないとね」
喉から声を出すので、いっぱい、いっぱいだ。死神さん。私は何て弱いのだろう。あの時は、もっとちゃんと決意していたはずなのに。今更、色々な事から逃げ出したくなる。体調が崩れてしまえば良いのにと、弱気になる。私は最低だ。自己嫌悪で潰れそうになる。そんな私にまた優しい風が吹いた。
「優……お姉ちゃん……」
私はあの、大好きだったお姉ちゃんの様に誇らしげに語れるだろうか。いくつも物語を聞かせてくれた、あの優しいお姉ちゃんの様に。優お姉ちゃんが、物語りを語ってくれた時の顔が頭に浮かぶ。私にあんな優しい顔が出来るだろうか。
「ねぇねぇ、死神さん」
私は死神さんに向かって最後の練習をした。
「あははは」
沢山の人の笑い声が聞こえる。今売れっ子の芸人さんらしいが、私は知らなかった。でも漫才は面白い。だけど声を出して笑うのは、何だか恥ずかしい気がして子供達の後ろで小さくなっていた。私の番までまだまだ時間があるのに既に緊張で手の平が汗ばむ。芸人さん達の漫才、パントマイムのすごい人、昔ここの小児病棟にお世話になったらしい歌手の人、そして私。そういう順番になっている。司会は舞子さんが努めていた。子供達も偉いもので、ちょっと位お話したり、野次を飛ばしたりはするものの、ちゃんと舞台の人達に見入っていた。
演目が進むにつれて自分のものがすごく分不相応に思えてくる。でも、あの人が背中を押してくれる。『諦めてしまったらもったいないでしょう?』そう、ここで諦めたらもったいない。舞子さんと川崎先生の覚悟。カオルさんやお母さんの優しさ。私は色々な人に背中を押してもらった。その人達の助けにならなくても、誰にも理解してもらえなくても。諦めないで最後まで伝えよう。私は自然と落ち着いてきていた。
「これなら大丈夫そうね」
川崎先生が私の体を診てくれる。わざわざこっちまで出向いて来てくれた。
「私は最後まで居られないけれど。がんばってね。あと、その紙芝居。今度私にも聞かせてね。あと、あと!本番中体調悪くなったら途中でも絶対止めるのよ?」
あぁ、川崎先生の事やっとわかった気がする。私はこの人が一番自分に近いように感じた。
「川崎先生。ありがとうございます」
川崎先生は「仕事があるから!」と顔を真っ赤にして出て行った。なるほど、これはクセになりそうだ。舞子さんとカオルさんの気持ちも少し理解できた。
しかし、本物達の策略はもっとすごかった。
「や、やっぱり恥ずかしいよ……」
私は今、全身真っ黒だ。冗談では無く本当に黒い。黒のヘッドドレスに何段にも重ねられたフリルのスカート、所々にあしらわれた黒いリボン、踵の太い黒の分厚い革靴。
「はぁ……素敵。前に会った時、絶対似合うと思っていたのよねぇ」
溜息を吐きながらうっとりしているこの人は、香坂由香さん。前に慌てて舞子さんを探していた時にいろいろ訪ねた大人しそうな看護師さんだ。
「いやー、まさか由香の趣味がこんな所で役立つとはねー。ばっちり似合っているわよ、九月さん」
カオルさんが意地悪な笑みを浮かべて言う。
「うう、でもこれは恥ずかしすぎますよー」
私は恥ずかしさで顔を真っ赤にして言う。
「あら、あなたのお話にぴったりの衣装だと思うけど?」
カオルさんは唯一、私の紙芝居の内容を全部知っている。確かに雰囲気的にはこういう方が良いのかもしれないけれど……。
「後は……じゃーん!」
得意気にお化粧セットを見せる。
「お化粧も私がやりたかったのにー」
香坂さんがむくれながら言う。
「あなたにやらせたら子供達が恐がるからダーメ」
一体どんな顔にされるのだろう………………。
「わぁ……」
テーブルの上に置かれた小さな鏡に映る顔が驚きに染まる。
ピンクのルージュに少し大人しめなアイシャドウ、睫毛は大きくカールされ、目が大きく強調されて、まるで自分で無くなってしまったみたいだ。
「ほら美羽ちゃんは元が良いのだから、そんな大げさにお化粧しなくても、ずいぶん良くなるでしょ?」
カオルさんが得意気に言う。
「私ならもっと血のように真っ赤な口紅にするのにー。それに三日月のタトゥーシールとか……」
何だか香坂さんがものすごい事を言っている。だけどこの人の見た目とのギャップが面白い。
「それじゃあ子供達に誤解されちゃうでしょうが」
今でも十分誤解されると思います。カオルさん。
ゆったりしたピアノのメロディと軽やかな歌声、アコースティックギターのアルペジオ。どうしてこんなに素敵な曲が売れないのだろう。私はお母さんが買ってきたガチャガチャとした賑やかな音楽よりこういう方がよっぽど好きだ。好みの差もあるのかもしれないけれど、こういう曲は心が落ち着く。私はこの人にも助けられているのかもしれない。よく夢や愛や恋を歌う歌があるけれど、全部私には無縁と思って嫌って来た。でも今はすごく良いと思える。これも舞子さんのおかげなのだろう。あの人は私の世界を塗り替えた。私の常識をどんどん壊していった。
「本ばかりじゃなくて、音楽も聴いてみようかな」
私はまだまだ色々な事を知らなければならない。自分で世界を閉じてしまっていたのだと気付いた。世界は広い。私の知らない世界への憧れが膨らんで、まるで夢を見るように色々な物が膨らんで弾けていく。もちろん想像だけれど、本を読んで得ただけの物だけど。すごく楽しい気持ちになっていく。夢を持って真っ直ぐに走っている人はきっとこんな気持ちなのだろう。恐いけど楽しい。矛盾しているけどきっとこれで合っている。
「美羽ちゃん。大丈夫?」
カオルさんが心配そうな顔で私を見る。
「なんとか……大丈夫そう」
私は笑ってみせる。心臓はバクバクと音を立てている。
「ありがとうございました」
さっきまで歌っていたお姉さんの呼吸とお礼の声が聞こえる。お礼を言いたいのは私の方だ。
「素敵な歌声をくれた優さんにみんなもう一度拍手~」
舞子さんの進行の声が聞こえる。そして拍手。ああ、私はなんて幸福なのだろう。色々な人の優しさに包まれている。沢山の奇跡に包まれている。優お姉ちゃんに出会った事もこの『優』さんの歌を聞いたことも。
「さぁ、みんな。最後の素敵を紹介しよう」
舞子さんが大げさな前振りをする。
「あなたが美羽さん?」
突然綺麗なお姉さんに話しかけられる。今まで舞台で歌っていた優さんだ。
「あ、はい」
私は慌てて答える。
「舞子さんがあなたに伝えて欲しい事があるって」
透き通る優しい声が思わぬ名前を告げる。
「舞子さんが?」
私は疑問の表情で問いかける。
「『美羽ちゃんなら大丈夫よ』ですって」
舞子さんは本当にずるい。
「あ、後、これは私から……」
そう言って私の手をぎゅっと包み込み、目を閉じて祈ってくれる。暖かい。私はそれ以外の事を考えられなかった。
「がんばってね!」
そうにっこり笑って送り出してくれる。まるで優お姉ちゃんに送り出された様な不思議な感じ。
「ありがとうございます!」
すごい勢いでお礼を言う。時間が迫っている。舞子さんの長い口上がそろそろ終わる。カオルさんが少し向こうから手を振ってくれている。私も小さく手を振る。
「いって来ます」
誰に言うでも無く呟く。
「いってらっしゃい」
そう言って優さんが手を振ってくれる。
「さあみんな最後の素敵が入ってくるよ! 拍手で迎えよう!」
大きく息を吸って吐く。これだけの動作がすごく長く感じる。不思議と体が軽い。拍手の音が波の様に聞こえる。ゆっくりその波に乗って歩きだす。舞台には、私の背の高さに合わせてくれたテーブルと、スタンドマイク、そこに私が綴った物語が置いてある。私はそこに行く前に、軽く観客にお辞儀をして辺りを見る。みんなが私を見ている。緊張感が高まる。その中に見知った顔があった。お父さんとお母さんだ。てっきり、来れ無いと思っていたのに……。きっと無理したんだろうな。でも素直に喜ぼう。私はテーブルの前に置かれた椅子に腰をかけ位置を整える。そしてもう一度お辞儀をしてゆっくり語り出す。みんながくれた私の物語を。
「これは、不思議な世界で迷子になった女の子のお話。それはそう、不思議の国のアリスの様に」
一枚の絵をめくる。
丸い月と、目覚めたばかりでほおけている女の子の絵。女の子の手には緑色の細い茎が持たされている。
「女の子は着ている服と細い茎以外何も持っていませんでした」
「食べ物も、お金も、記憶も」
「女の子は何をして良いかわかりません」
「そこに一匹の黒猫が通りかかります」
私は一枚画用紙をめくる。
黒猫と女の子の、後姿の絵。
「女の子は惹かれるように、黒猫を追いかけます」
「細い路地の裏。街灯だけが並ぶ大通り。レンガ造りの家や木で出来た家。色々な景色の中、黒い猫を追いかけました」
「しばらく行くと、一つの街灯に照らされた、白いベンチがありました。そこには一人の女の子が座っていました」
一枚画用紙をめくる。
女の子より少しだけ大人びた女の子と黒猫が白いベンチに座っている絵。
「『あらあら、そんなに息を切らしてどうしたの?』ベンチに座っている女の子が、突然の訪問者に問いかけます」
「『わからないの、ただその子を追いかけて来たら、ここに来て』」
「『まぁまぁ、じゃあこちらに座って、少し休んでいくといいわ』」
「女の子は勧められるまま、ベンチにちょこんと座ります」
「『あなたはどうしてこの子を追いかけていたの?』少し大人びた女の子が言います」
「『わからないの、目が覚めたらそこに、その子が居て。それ以外何もわからなくて、これだけ持っていて……困っていたの』女の子は言いました」
「『あらあら、あなたは迷子なのね。そうだ、あなたに名前をあげましょう』何を思ったのかベンチに座っていた女の子はそんな事を言います」
「『名前?』迷子の女の子が聞き返します」
「『そう、名前。名前は大事なものよ。失くさないようにね』」
「その瞬間、黒猫が走り出しました」
「『あ、私もう行かなくちゃ』迷子の女の子が言います」
「『はい、いってらっしゃい』ベンチに座った女の子が、優しく言います」
「迷子の女の子は走ります。黒い猫を追いかけて、闇の中を。今度は洞窟や、森や、草原を抜けて行きます」
「そうしてまた街灯に照らされた白いベンチが見えてきました。今度は迷子の女の子より十くらい年上のお姉さんが座っていました。また隣に黒猫が座ります」
画用紙をめくる。
少し大人な背の高い女の人と黒猫の絵。
「『あらあら、そんなに息を切らしてどうしたの?』お姉さんが問いかけます」
「『わからないの、ただその子を追いかけて来たらここに来て』」
「『まぁまぁ、じゃあこちらに座って少し休んでいくといいわ』」
「迷子の女の子は勧められるまま、ちょこんと腰掛けます」
「『あなたはどうしてこの子を追いかけて来たの?』」
「『わからないの、目が覚めたらそこにその子が居て。それ以外何もわからなくて、これだけ持っていて……困っていたの』迷子の女の子は言いました」
「スカートから緑の茎を取り出すとそこには一枚の葉が付いていました」
私は一枚画用紙をめくり葉の付いた茎の絵を見せる。
そしてまた前の絵を戻す。
「『あらあら、あなたは迷子なのね。でもあなたは素敵な名前を持っているみたいね』お姉さんは言います」
「『はい、美羽と言います。美しい羽を広げて飛んで行けるようにと、この名前をもらいました』女の子は自分の名前と意味を、何故か知っていました」
「『そう、ならあなたに苗字をあげましょう。苗字は大事よ。親から子へ受け継がれていく大切なモノ。だから、失くさないようにね』お姉さんは言います」
「その瞬間、黒猫が走り出しました」
「『あ、私もう行かなくちゃ』ミウは急いで立ち上がります」
「『はい、いってらっしゃい』ベンチに座ったお姉さんが優しく言います」
「迷子のミウは走ります。荒れた荒野、閑散としたビル街、砂漠に湖のほとり。いろいろな風景を駆けて行きます」
「しばらく行くと、また、あの白いベンチがありました。今度は二十から三十くらい年の離れた、お母さんの様な女性が座っています。いつものように黒猫が隣に座ります」
私は二枚の画用紙をめくる。
少しふっくらした大人の女の人と、黒猫の絵。
「『あらあら、そんなに息を切らしてどうしたの?』お母さんの様な女性が問いかけます」
「『わからないの、ただその子を追いかけて来たらここに来て』」
「『まぁまぁ、じゃあこちらに座って少し休んでいくといいわ』」
「迷子のミウは勧められるままちょこんと腰掛けます」
「『あなたはどうしてこの子を追いかけて来たの?』」
「『わからないの、目が覚めたらそこにその子が居て。それ以外何もわからなくて、これだけ持っていて……困っていたの』迷子のミウは言いました」
「スカートから緑の茎を取り出すとそこには二枚の葉が付いていました」
画用紙を一枚めくり二枚の葉の付いた茎の絵を見せる。
「『あらあら、あなたは迷子なのね。でもあなたは素敵な名前と苗字を持っているわね』」
「『はい、小鳥遊美羽と言います。小鳥のように小さくても鷹の居ない所で自由に美しい羽を広げられる様に。と、この苗字をもらいました』ミウは何故か自分の苗字と名前の意味を知っていました」
「『そう、ならあなたに希望をあげましょう。希望は大事よ。あなたの行く道を照らす大切なモノ。だから失くさないようにね』お母さんの様な女性は言います」
「その瞬間黒猫が走り出しました」
「『あ、私もう行かなくちゃ』ミウは慌てて駆け出します」
「『はい、いってらっしゃい』ベンチに座ったお母さんの様な女性が優しく言います」
「迷子のミウは走ります。中世のお城、砂浜、草原と渓谷いろいろな風景を駆けて行きます」
「しかしミウは黒猫を見失ってしまいます」
「あても無くミウは闇を走ります。ただただ真っ直ぐに」
「しばらく行くと今度は見慣れた街灯に照らされた黒いベンチと小さな白いドレスに包まれた少女が座っていました」
私は二枚の画用紙をめくり新しい絵を出す。今までと反転したような絵。
「『まぁまぁ、そんなに息を切らしてどうしたの?』少女がミウに問いかけます」
「『わからないの、ただ猫さんを追っていたのだけれど見失ってしまって』」
「『あらあら、じゃあここに座って休んで行くと良いわ』」
「迷子のミウは勧められるまま黒いベンチにちょこんと腰掛けます」
「『あなたはどうして猫なんて追いかけていたの?』」
「『わからないの、目が覚めたらそこにその子が居て。それ以外何もわからなくて、これだけ持っていて……困っていたの』迷子のミウは言いました」
「スカートから緑の茎を取り出すとそこには三枚の葉が付いていました」
画用紙を一枚めくり三枚の葉の絵を見せる。三つ葉のクローバーだ。そして元の絵に戻す。
「『まぁまぁ、あなたは素敵なモノを持っているのね』少女は言います」
「『ええ、取り出すたびに葉の増える素敵なモノなの』ミウは得意気に言います」
「『まぁまぁ、じゃあ私も素敵なモノをあげるからあなたのそれをくださらない?』少女は三つ葉のクローバーを指差して言います」
「ミウは少し悩みましたが少女の無邪気な笑顔に『良いよ』と言ってしまいます」
「すると、どうした事でしょう、なんと、大きな鷹が隣に降り立ち、三つ葉のクローバーを横から取って飛んで行ってしまいました」
「ミウが驚いて少女を見ると少女は相変わらず無邪気な笑顔でこう言いました」
「『ありがとう。お返しに絶望をあげるね』」
私は二枚の画用紙をめくり真っ黒に塗りつぶした紙を見せた。
「急に街灯の明かりが消え真っ暗になりました」
「ミウは急に恐くなって叫びました」
「『ここは何処!? 助けて! 恐いよ!』」
「しかし何の返事もありません。ミウは次第に考える事を止めてしまいます」
「『ああ、もうどうでもいいや、どうせ私は何も持っていないもの』」
「でもミウは思い出します。自分とあまり年の変わらない女の子からもらった名前を」
「『私は美羽』」
「そしてまた思い出します。お姉さんの様な年の離れた女性からもらった苗字を」
「『私は小鳥遊美羽』」
「そして最後に思い出します。お母さんの様な女性からもらった希望を」
「何も見えないと思っていた暗闇の中に一筋の光が走りました。あの黒猫です」
「黒猫は光る三つ葉のクローバーを咥えていました」
黒猫と光る三つ葉の絵を出す。
「ミウはまた黒猫を追いかけます。長い、本当に長い、闇の中を真っ直ぐに駆け抜けます。はぁはぁと 息を切らせてひたすらに走ります」
「そうしてミウはオレンジに染まる丘の上に辿り着きました」
「そこには大きな木と白いベンチ、そして白い日傘が開いていました」
「ミウはそこにそっと近付いて行きます」
私はおばあさんと、白いベンチと、黒猫と、日傘と、大きな木の絵を出す。お母さんに塗ってもらった絵。
「『あらあら、そんなに息を切らしてどうしたの?』お婆さんが問いかけます」
「『わからないの、ただその子を追いかけて来たらここに来て』」
「『まぁまぁ、じゃあこちらに座って少し休んでいくといいわ』」
「迷子のミウは勧められるままちょこんと腰掛けます」
「『あなたはどうしてこの子を追いかけて来たの?』」
「『わからないの、目が覚めたらそこにその子が居て。それ以外何もわからなくて、これだけ持っていて……』と言いかけてスカートにあのクローバーが無い事を思い出します」
「『あらあらこれの事かしら?』お婆さんが出したのは四枚の葉がついたクローバーでした。」
四葉のクローバーの絵を出し、またオレンジの丘の絵を出す。
「『違うわ、私の、三つ葉だもの。ミウは正直に答えます』」
「『いいえ、これはあなたのモノよ』おばあさんはミウの手にそっと四つ葉のクローバーを置きます」
「『ありがとう。お婆さん』ミウはにっこり笑います」
「お婆さんはミウの頭をそっと撫でます。『あなたは自分で最後のプレゼントを見つけたのよ』」
「ミウはいつもの様に知らないうちに知っている事だと思いました。しかし何の事か思いつきません」
「『お婆さん最後のプレゼントってなぁに?』ミウは聞いてみることにしました」
「『それはね、諦めない心よ』お婆さんは言います」
「『よくわからないや』ミウは言います」
「『良いのよ、理解しなくても』お婆さんはまた頭を撫でてくれます」
「『結果はどうであれ諦めない事は、とても大事な事なの。さて、私はあげるものが無くなってしまったわね』」
「『ううん、この素敵な四つ葉のクローバーを頂いたわ』」
「『いいえ、それはあなたが自分で手に入れたものよ』」
「『そうなの? じゃあこれお婆さんにあげるね』ミウはお婆さんの手を取り、しわがれた小指に四つ葉のクローバーを結びました」
「『私は、名前を、苗字を、希望を、諦めない心を手に入れたから。それがまた欲しくなったら自分で探しに行くわ』ミウは言います」
「『そうかい、ミウちゃんは優しいねぇ。そうだ、最後のプレゼントはこれにしましょう』お婆さんは手に持っていた日傘をミウに手渡します」
「ミウは日傘を持って丘の上から海を見下ろします」
「そしてクルット一回転すると背中に美しい羽が生えました」
画用紙の最後の一枚。オレンジの夜明けに包まれた日傘を差した天使の絵。
「そこでミウは全てを知りました。『私は天使になる試験を受けていたんだ』」
「こうしてミウは天使になり、世界中に四つ葉のクローバーが稀に生えるようにし、それを手にしたモノに幸福を与える天使になりました」
「おしまい」
ぱちぱち……
小さな拍手が聞こえたと思うと。
「わあーーーーー」歓声と拍手が波になって押し寄せてきた。
胸がすごくドキドキしている。お母さんはまた泣いているみたいだ。私は決意する。
「すぅ」
大きく深呼吸。
「少しだけ、もう少しだけ私の話を聞いてください!」
会場が静まりかえる。自分の心音だけが世界に響いているような感覚。
「私は、病気です。まだ治る見込みはありません。でも! 治る事を諦めていません。それをそこの看護師さん。小鳥遊舞子さんに教わりました!」
「だからこのお話を考える事が出来ました。これは私が出会って来た人達との軌跡です」
「あ、あの。でしゃばってすみませんでした。でも私はここに立てたことを誇りに思います。皆さん。ご静聴、本当にありがとうございました!」
私はゆっくり席を立ってお辞儀する。
「くっ、九月美羽さんの素敵なお話でした! これで……今日は終わりだけど、みんなはこれからも沢山の素敵と出会って行く事でしょう。さあみんな! 今日素敵をくれた人達にもう一度、大きな拍手とありがとうを言いましょう。」
舞子さんの声が震えている。私は大きな拍手とばらばらなありがとうの中、舞台の袖に下がって行った。
「お疲れ様」
優さんとカオルさんが出迎えてくれる。
「あ、ありがとうございます」
私は慌ててお礼を言う。
「ふふ、素敵な舞台だったわよ」
優さんがそんな風に言ってくれる。私みたいな素人に向かってなんの躊躇いも無く。
「そ、そんな、私何て全然ダメですよ」
私はつい、そんな風に言ってしまう。
「まぁ、始めてならそう言っちゃうよね」
にこっと笑って頭を撫でてくれる。私はそこで急に足の力を失った。
「あ、あれ?」
腰が抜けてしまった。
「あはは、私も最初、みんなの前で歌った時、そうなっちゃったんだ」
カオルさんと、優さんが二人がかりで立ち上がらせてくれる。
二人の体温が暖かい。まだ心臓がバクバクしている。色んな事が、頭の中を駆け巡ってゆく。二人に抱えられて隣の部屋に移動させてもらう。そこにはあの人が立っていた。
「舞子……さん」
二人が近くの椅子に座らせてくれる。
「やっぱり、私の見込みどおりだったわね」
舞子さんがそんな風に言う。
「私、そんなに上手く出来てないよ。優さんや他のみなさんと比べたら私何て……」
私は少し塞ぎ込む。さっきまではすごく楽しかったけれど、終わってみると、自分の力の無さを痛感する。
「そんなの当たり前じゃない。あなたは始めて、他の人達はプロ。その違いは、あって当たり前。まあそれ以前に紙芝居と、歌と、芸と、パントマイムを比べるまでも無いと思うのだけれど」
舞子さんは当然の様な顔で言う。
「舞子さん……。今度は顔洗ってから来たんだね」
したり顔の舞子さんに言う。
「う、美羽ちゃんもやるようになったわね」
舞子さんがたじろいだ……。今日は私に何か憑いているんじゃ無いだろうか。
「美羽ちゃん!」
お母さんと、お父さんがカオルさんに連れられてやってきた。
「体は大丈夫なのか?」
お父さんが、私の様子をうかがう。
「体は大丈夫。緊張が解けて腰抜けちゃったけどね」
私は照れ笑いを浮かべた。
「でも、まさか二人が来るなんて思ってなかったから、びっくりしちゃったよ」
来るとわかっていたらこの格好、意地でも断ったのに……。
「良かった、まさか美羽ちゃんが舞台に立つなんて、聞いていなかったから」
言ったら止められてしまいそうだったから、ごめんなさい。心の中で謝る。
「私がやってみてはどう?と、言って勧めたんですよ」
川崎先生が、笑顔で入ってくる。
「そんな、せんせ……」
舞子さんが無言で手を、目の前に出して、私の声を静止する。
「刺激になる事や、目標が、病気の改善に繋がることもありますから」
表情を崩さずに川崎先生が、お母さんに告げる。
「そ、そう言う事なら……」
お母さんが口ごもる。
「お母さん、お父さん。心配かけてごめんなさい」
精一杯の謝罪。きっとすごく心配しただろうから。
「でも、私やれて良かったよ!」
みんながくれた達成感が急に湧き上がってくる。
「お、良い笑顔。そうだ、みんなで写真撮りましょう」
そう言って優さんが自分の荷物から大きなカメラを取り出す。
「あ、じゃあ私がやりましょう」
お父さんが申し出る。
「いやいや、そんな私が撮りますから」
優さんが、恐縮している。
「いえいえ、あなたも娘と同じ舞台に立っていたんですから」
どうやらお父さん達は優さんの歌も聞いていたようだ。
「あ、丁度いいのが居たわよ」
カオルさんが誰かを見つけたようで、一旦部屋から出る。
「はい、撮りますよー」
香坂さんがカメラを構える。何でも自分のゴスロリ姿の写真を撮るのにずいぶんカメラにも詳しいとかで、手馴れたようにカメラを操作していた。
「じゃあ撮りますよー」
私の椅子を中心にお母さんとお父さんが隣に。舞子さんと優さんが後ろ、外側にカオルさんと川崎先生。みんなに支えてもらった私は世界一の幸せ者に思えた。
「膝は英語でー?」
………………………………
静寂の後、カシャっと音が鳴る。
「あ、あれ? みなさん笑ってくださいよ!」
香坂さんが慌てている。
みんなが顔を見合わせながら笑いだす。
「由香! 今よ!」
舞子さんの声が響いた後、二度目のシャッター音が聞こえた。