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生意気で、横柄で、弱虫で、恐がりで、無茶ばっかりして、強がりで、格好付けで、そのくせ泣き虫で、寂しがりで、ずるい子

 「私の事覚えていますかねぇ?」

 空港のロビーで舞子さんの帰りを待ちながら、カオルさんと話しをしていた。

「どうかしらね。舞子なら私の事すら覚えていないかもよ?」

 そう言ってカオルさんは笑った。

「あ、来た!」

 カオルさんの声が弾む。

 私の鼓動も高鳴る。舞子さんは、大きなトランクケースを引きずりながら、両手に沢山の荷物を抱えて優雅に歩いていた。

「ありゃ、今日の出迎えは賑やかね」

 私達の所に来た舞子さんの第一声。私とカオルさんの二人だけなのだけれど……。

「いつもは連絡も無しに帰ってくるからでしょうに……。さ、ちゃっちゃと行くわよ。ほっとくと、あなた、他の飛行機に乗って、また行ってしまいそうだから」

 そんなやり取りの中、私は置いてきぼり状態で、気付いたら車の中だった。

「それにしてもカオル。こんな大きい子が居たのね」

 やっぱり、覚えて無いよね……。

「違うわよ。まったく、あなたが残した遺産よ! 遺産! 彼女のおかげで忙しい毎日が、さらに忙しくなったんだから!」

 うう、本当の事だけれど何だか傷つく。

「私の遺産? んー、思い出せないわ……」

 バックミラー越しに後ろで縮こまっている私を見る。

「小鳥遊 慧ちゃん。思い出せない?」

「か、カオルさん! 違いますって!」

 私は必死に否定する。まだ……じゃなくて、違う。とにかく違うのだ!

「私は葉山 慧です。昔、青埼小児病棟で舞子さんにお世話になったんです」

「ああ! あの時の! すっかり美人になっちゃっていたから、分からなかったわ」

 うわ、すごくテキトウな事言っている。こんな人だったっけ……?

「ずっと気になっていたんだけれど、あなたが『白詰草』を書いたの?」

 ああ、舞子さんもそう思っていたのか。

「それが違ったのよ。あの時、虐待を受けて入院していた子居たでしょ?ほら孤児院の子、あの子が書いたらしいのよ。で、そっちの慧ちゃんは彼の恋人」

「だーかーらー!」

「はいはい、まだ違ったわね」

 もう! 最近のカオルさんはいつもこうだ。だけど私は言羽さんに想いを告げていない。本が書き終わるまで余計な事はしたくないのだ。

「へー、私が居ない間に、随分楽しい事になっていそうね。まったく、カオルもいい加減パソコンでメールくらい打てる様になりなさいよね。そうすれば私だけ情報に遅れる事も無いのに!」

 そう、カオルさんは機械音痴で私と出会うまで携帯ですらメールのやり取りが出来なかった。

「あら、でも私も進歩しているのよ?携帯でメール出来る様になったんだから!」

 相当時間かかりましたけどね……。

「嘘!? あぁ、この世の終わりが近いのかしら? それとも世界の異常気象はあなたのせいだったのね!」

 舞子さんは喋る毎に、私のイメージから遠ざかってゆく。

「ほら、そうゆうのは後で良いから、とりあえず取材しちゃえば?」

 カオルさんは舞子さんをさらっとかわし、突然私に、話を振る。

「あら、取材? 記者さんにでもなったの? 確かあの時は作家になるのが夢って言っていたのにねぇ」

 覚えていてくれている。だけどちょっとその言葉は心に刺さる。

「あはは、いやぁ、一応、作家志望なんですけど……。今、出版社で仕事しているんです。それで今度、美羽お姉ちゃんの人生を本にしようとしていまして……」

 言っている事が矛盾している気もする。作家志望か……。声に出してみて、まだ諦めていなかったのかと思ってしまう。

「美羽ちゃんの……本……」

 舞子さんは少し考え込む。もしかして舞子さんは反対なのだろうか?

「それで、舞子さんに当事の美羽お姉ちゃんの事を聞きたいと思っていたんです」

「なるほどねぇ。美羽ちゃんかぁ……。何から話そうかしら? でも、性格とかはカオルや、玲から聞いているんでしょう?」

 確かに、色々聞いてはいるけれど……。

「出来るだけ色々な面を知りたいので、舞子さんから見た美羽お姉ちゃんを聞かせてもらいたいんです」

 そう、人によって全然見え方が違うのだ。儚く優しい子。強く、たくましい子。天使の様な子。人を惹き付ける天才。

「んー、生意気で、横柄で、弱虫で、恐がりで、無茶ばっかりして、強がりで、格好付けで、そのくせ泣き虫で、寂しがりで、ずるい子かな?」

「へ?」

 一言一句逃さずに、と構えていたペンは一文字も書く事が出来なかった。

「あー、あと見た目可愛いのに愛想笑いばっかりで、表情が可愛く無かったのよねぇ、最初。いかにも私は不幸の真只中に居ますって顔していて、無気力だったわ」

 あ、あれ?私は本当に同じ人の事を聞いているのだろうか?

「え、えっと、クツキ ミハネさんの事ですよね?」

 思わず尋ねてしまう。

「そうよ。美羽ちゃんの事よ?」

 舞子さんは、はっきり言い切った。

「は、はぁ……」

 私は絶句してしまった。もちろんペンも動かない。

「舞子、ちょっと言い過ぎじゃない?」

 カオルさんから聞いていた美羽お姉ちゃんもこんなでは無かった。

「あら、私から見たらこんな感じだったけれど? でもね、こんな子が精一杯、意地張って、精一杯あがいて、生きたから、こんなに色々な人に影響を与えたのだと思うわ。弱いのにがんばる。ここが萌えポイントなのよ」

 も、萌え……。私の中の美羽お姉ちゃんが崩れてゆく。そして舞子さんも……。

 『美羽さんは俺達と変わらない人間でした。強いけど、天使や神様じゃない。人間でした。』言羽さんの言葉が思い出される。確かに今まで聞いてきた、美羽さんより人間らしいけれど、私の知っている美羽お姉ちゃんとは全然違った。

「あ、あのー、後、死神さんについて聞きたいのですけれど……」

 そう、私はあまり知らなかったけれど、美羽さんとは切っても切れない関係だったらしい死神さん。

「あー、死神さんね。あれは美羽ちゃんの友達みたいなものかなぁ……。よく、『ねぇねぇ、死神さん』って話かけていたわね。あ、そうそう、後、独り言が多かったかな」

 ふふっと、昔を懐かしむ様に笑う。そう、みんなここだけは同じ、彼女の事を語る時は優しい顔になる。

「最初に会った時にね、あの猫には触れないように、って注意したのよ。それなのにあの子ってば触るどころか首輪まで付けちゃって」

「あの時の美羽ちゃんは少し恐かったわ。今にもそのまま天使の羽を生やして飛んでいってしまいそうだった」

「私としては、本当は、死神さんに触れて欲しく無かったんだけれどね」

 舞子さんは寂しそうに呟く。

「なまじ死神さんに心がある様に見えてしまったから、余計に不安になってしまったわ。本当にあの黒猫は死神なんじゃないかって……。そして不安になって美羽ちゃんの方に駆け出すと、美羽ちゃん倒れそうになるし……。」

 そう、その後、青埼サナトリウムでは、美羽お姉ちゃんは、伝説になったらしい。

「でも、今思うと本当にあの黒猫は死神だったのかもね」

 カオルさんがぼそりと言葉を落とす。暗く重たい言葉。

 『ねぇねぇ、死神さん』そう問いかける美羽お姉ちゃんは何を思っていたのだろう?

「ま、私の知っている美羽ちゃんはこんなものかなぁ……」

「もう終わりですか!?」

 一番親しかった人だと聞いていたのに、あまりの短さに驚いてしまう。

「んー、だって武勇伝は沢山聞いているでしょ? 屋上に来た話とか、家族で泣き合った日とか、紙芝居の話とか、首輪のプレゼントとか……」

「まぁ、確かにその辺は私達が話しちゃったわね」

 カオルさんが続く。でも、私は舞子さん視点のお話を聞きたいのだ。

「さっきも言った様に舞子さんの視点で聞きたいんですよー!」

 私は批難の声をあげる。

「えー、面倒だし、あまりみんなと変わらないわよ」

「そ・れ・よ・り……『白詰草』の方のお話聞かせてよ! 何かすごく楽しそうなんだもん。カオルが慧ちゃんをあんな楽しそうにいじっていて、しかも『白詰草』を書いたのが慧ちゃんでは無く、あの勇人君で、慧が携帯でメール出来るようになったなんて……。面白く無い訳無いわ!」

 うあ、何か色々聞かれたくない方に話が向かっている。

「あー、それは楽しいわよー。とりあえず彼、勇人君じゃ無くなっちゃったから、今は小鳥遊 言羽って言うのよ。この名前はそこの慧ちゃんが付けたの」

 ああ、カオルさんは意地悪だ……。

「へー、それで今度、慧ちゃんが小鳥遊になる予定だと……。式には是非、私も呼んでね!」

「うう……だから……違うんですってばぁ……」

 私はその後も、これまでの経緯を話しながらいじられ続けた。

 

「つ、疲れた……」

 思わず零れ出た言葉。今は青埼十字孤児院で守さんと加山さんのお手伝いで野菜の皮を剥いている。

「あはは、災難でしたね。それなら休んでいても良いんですよ」

 加山さんがそう勧めてくれる。

「いえ、何かしてないと、それはそれで落ち着かないので……」

 舞子さんとカオルさんは子供達と遊んでいる。二人は同じ人間とは思えない程タフだった。

「はぁ、それにしてもあの二人が一緒になると、あんな事になるなんて……」

 飛行場から4時間程……ほぼ、喋りたおしていた。

「私も始めは驚きました。人見知りなんてしている暇も無いくらいずっと話しかけられて、いじられて……。でもそれに救われたんです」

 守さんがジャガイモの皮を剥きながら淡々と話す。彼女と友達になって以来。よくこの孤児院にも遊びに来ている。そして彼女がいじめに合って、不登校になっている事、何度もリストカットを繰り返し、舞子さんに救われた事を聞いていた。

「手首切って運ばれてきた女の子の前で、あのテンションだったんですよ?すごいですよね、正直」

 あはは、と笑って守ちゃんは言う。彼女の傷……それを笑い飛ばせるようになったのは紛れも無くカオルさんと、舞子さんの力だ。

「本当、私もびっくりしましたよ。急に、刑務所に入った私に面会に来たんですよ?舞子さん。それで面会時間いっぱい説教されました。あれは堪えましたねぇ」

 加山さんが昔を思い出す様に語る。美羽さんの紙芝居に打ちのめされた後、自首して、さらに舞子さんにお説教された様だ。

「あはは、舞子さんでも一冊本が作れちゃいそうですね」

 本当に、それぐらい話題の尽きない人だった。

「それにしても本当に言羽さん、来ないんですか?」

 守ちゃんが残念そうに言う。その言葉と雰囲気に少し心がうずく。

「あはは、『俺は約束を守るまでいけない』とか意地張っちゃって。来ないんですよ。まぁ、あと最近は少し煮詰まっちゃっていて……」

「そっかぁ、残念ですね」

 守ちゃんと言羽さんもたまにメールのやり取りをしていると言う。それが最近の気掛りであり、悩みだ。嫉妬している自分が嫌になる。

「また三人で、ご飯とか行きたいですね」

 守ちゃんは朗らかに言う。彼女の事も嫌いでは無い。むしろ好きだ。それなのに私は……

「いたっ!」

 考え事をしていたら指を切ってしまった。なんてベタな事しているんだろう私……

「大丈夫ですか!?」

 守ちゃんが心配そうに見ている。

「大丈夫。ちょっとだけ切っちゃっただけだから」

 傷口から血が滲む。

「守さん、こっちは大丈夫ですから消毒してあげてください」

 加山さんに勧められるまま私達は厨房を後にした。

「ごめんね、手伝いに来たのに足引っ張っちゃって……」

 本当、私は何をやっているのだろう? 傷口の痛みより心の方が痛かった。

「そんな事無いですよ。慧さんいつも、沢山私の事、助けてくれるじゃないですか」

「私、何か、したっけ?」

 本当に心当たりが無かった。

「私と友達になってくれたじゃないですか」

 そう言いながら守ちゃんは救護室で、手馴れたように救急箱を開けて、ガーゼと消毒液を出す。

「それって助けているの? 私は純粋に守ちゃんと友達になりたいと思ったからなっただけなのに……」

 そう、助けたいとかそういう思いからじゃない。

「それでも、友達って、だけで助けになっているんです。ほら、メールしたり、くだらない話をしたり、一緒にご飯を食べたり……。私、昔から虐められっこで、誰かと特別仲良くなったりした事無かったから……。だから、対等に扱ってもらえるのが嬉しいんです。子供達や、ずっと大人な人達とは違う。年の近いお友達って慧さんが始めてなんです」

 私には普通で、当たり前だった事。私は人の深い所を知れば知るほど自分がちっぽけな存在に思えてくる。普通だと思っていた事がどれだけ幸せだったのか思い知らされる。

「でも、それだったら言羽さんだって友達じゃない」

 私は最低だ。口を開くだけで自分が嫌いになってゆく。

「そうですね……。でも言羽さんは……男の子だから……」

 胸が締め付けられるようだった。もし守ちゃんも言羽さんの事を想っていたら……。

「はい、ちょっと沁みますよー」

 そう言って守ちゃんが私の指に消毒液を塗る。

「いたっ……」

 傷口が熱い。だけど心はもっと焼け爛れていた。

「慧さん、何か元気無いです?」

 守ちゃんが傷口に絆創膏を張りながら上目遣いで聞いてくる。

「そんな事、無いよ」

 愛想笑い。自分でもぎこちない顔しているって、わかってしまう。

 『あー、あと見た目可愛いのに愛想笑いばっかりで、表情が可愛く無かったのよねぇ、最初、いかにも私は不幸の真只中に居ますって顔していて、無気力だったわ』

 舞子さんが美羽お姉ちゃんを語った言葉。それは私の知らない弱い美羽お姉ちゃん。美羽お姉ちゃんもこんな風に笑ったのだろうか?

「私じゃ、力になれないですか?」

 守ちゃんが今にも泣き出しそうな顔で私を見上げていた。

「頼りにしてもらえないのは、友達として悔しいです」

 私は本当に何をしているのだろう?

「ごめんね。そういうつもりじゃなくて……。私、何だか自信無くなっちゃって……」

 本当の事を全て打ち明けるのが恐くて、曖昧な表現をしてしまう。

「自信かぁ……私も無いからなんとも言えないですけど……。隣の芝生は青く見えちゃうものなんだと思いますよ。私は慧さんや、カオルさん、舞子さん、言羽さん、加山さん、それに美羽お姉ちゃん、みんなが羨ましいですもの」

 また、言葉が出ない。私はいつも大事な時にこうだ。

「でも、私は羨んでばかりでした。そうして、ココに逃げ込んだんです。孤児院なら、自分より不幸な子ばかりだろうって……。でも、実際は加山さんや、カオルさんの様な眩しい人ばかりで、その上子供達より自分の方が不幸だったんです。どこに行っても私の居場所は無いんだって諦めて、さらに自分の殻に引き篭もって、必死に不幸じゃないってフリして、笑うんです。今の慧さんみたいに」

 ああ、やっぱり私はそんな顔していたんだ……。

「でも、慧さんと、言羽さんが、私に教えてくれたんです。あの日、突然この孤児院にやって来て。名前も告げずに、美羽お姉ちゃんの紙芝居を私に渡して行ってしまった。女の子に教えられました。『世界は自分の尺度だけじゃ測れないって』そして、その日名前を貰った男の子に教えてもらいました。『人は何度だって生まれ変われるって』だから、私、決めたんです。もし二人が迷う様な事が合ったら、私が二人に教えようって」

 守さんは真直ぐ私を見る。

「慧さん、もし今の自分が嫌いなら、捨てたって良いんです。もし、自分が不幸だと思うならそれは、間違いなんかじゃ無いんです。誰だって悩みもあれば辛い時もあります。自分に自信が持てないなら。逃げちゃえば良いんです。ズルしちゃえば良いんです。もし、それが本当に悪い事なら、私が叱ります。それで、怒られたら反省すればいいんです。間違っていたなら、ごめんなさいって謝れば良いんです。そしたら私が許します。仕方ないなって笑って、私が許します。きっと、それが友達だから」

「守ちゃん……」

 私はきっとこの子の事を見下していた。過去の守ちゃんの様にこの子に逃げ場を求めていた。最低だ……。だけど、最低だからこそ見える物があるんだ……。

「ごめんなさい……。ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 私は溢れる涙と言葉を止められなかった。

「もう、仕方ないですね。」

 そう言って抱きしめてくれる。

「守ちゃん……これからも……、友達で居てね」

 私は泣きながらなんとか彼女にお願いする。

「慧さん……違います」

 守ちゃんはそっと耳元で囁く。まるで秘密のお話をする様に。私にだけ魔法をかける様に。

「私達は親友です」

 ああ、私はやっぱり大馬鹿者だ。だけど、馬鹿だからこそ、もっとがんばろう。下から上を見上げよう。登れなくても良い。自分の世界を精一杯生きるんだ。何にも出来ないなら出来る事を探そう。

「守ちゃん……。ありがとう」

 それから私は、守ちゃんに全て打ち明けた。彼女は酷く驚いていた。

「もう、付き合っているんだと思っていました」

 私、本当何やっているんだろう……。

 

 ワイワイ、ガヤガヤ、ギャーギャー、ボキャブラリーの無い私にはどの表現が正しいのか分からない。とにかく今は戦場だ。

「こらー! それ私の!」

「へっへーん! これもらったー!」

「あー、舞おねーちゃんずるいー」

「あら、早いもの勝ちだわ」

「はいはい、みんなー、まだまだあるから落ち着こうねー」

 みんなでご飯を食べている……。はずなのだけれど、私はあまりにも無力だった。目の前の天ぷらは飛ぶように消えてゆく。

 と言うか、たまに本当に天ぷらが宙を舞う。

「こらー、食べ物で遊ぶなー!」

「あー、それ私の!」

「うわーん」

 ワイワイ、ガヤガヤ、ギャーギャー……

 結局、私は子供達の声をおかずに白いご飯を食べた。

 そして次は、洗い物。ここでは皆が自分の洗い物を洗う事になっているのだが、それも中々、上手く行かない。子供とはそういう生き物だ。

 ワイワイ、ガヤガヤ、ギャーギャー、夜の十時までそんな時間が続いた。ただ、ひたすらに……

「はぁはぁ……やっとみんな寝てくれたかな? 今日は一段とすごかったですね」

「まぁ、舞子が居たからねぇ……」

 カオルさんも相当お疲れだ。

 そう、舞子さんが子供と一緒になってはしゃぎ、一緒になってケンカし、一緒になって天ぷらを取り合い、一緒になって水浸しになり、今はお風呂に入っている。

「舞子さんって、あんな人でしたっけ?」

 私はあの頃の記憶を手繰り寄せる。

「思い出は美化されて行くものなのよ」

 カオルさんはそうやって意味深に呟く。

「おーい!」

 突然舞子さんの大声が聞こえてくる。やっと子供達が寝たのに。起こしてしまうんじゃないかとハラハラする。

「慧ちゃーん! 居ないのー?」

 居ます。居ますから静かにして下さい。

 そう心の中でお願いしながら浴場に駆けて行く。ここは子供達が大勢で入れる様に大浴場になっている。

「なんですか!?」

 はぁはぁと肩で息をしながら、浴場の扉を開ける。

「ありゃ、居るなら返事してよー。お姉さん寂しかったわ」

「大声出すと子供達が起きちゃうからです!」

 私はお湯に浸かって気持ち良さそうにしている舞子さんに怒る。

「まぁまぁ、そうカリカリしないで、慧ちゃんもとっとと服脱いで、おいでなさいな」

 へ……?

「わ、私は良いですよ!」

「良くないわ、ほら親睦を深めるのはやっぱり裸の付き合いが一番でしょ」

 うう……人とお風呂入るのは苦手なのに……。

「さ、早く、早くー! 早くしないとお姉さんのぼせちゃうぞー!」

 大声で私を急かす。

「もう! わかりましたから、静かにして下さい!」

 私は観念して一緒にお風呂に入る事にした。

 服を脱ぎ近くに合ったバスタオルを巻いて浴場に入る。

「こら、タオル巻くなんて邪道だぞー! ほら、取った、取った」

 この人は何でこんなに無茶苦茶なんだろう。

 私は仕方なしにバスタオルを取る。

「やっぱり、傷跡、残っちゃったんだね」

 突然、舞子さんは悲しそうに呟いた。

「ごめんね、辛いのは分かるけど、ちゃんと確認しておきたくてさ」

 突然、恐縮する舞子さん。私はどう答えていいのか分からなかった。

「仕方ないですよ。それに私、この傷見ると美羽お姉ちゃんの顔思い出すから、嫌いじゃ無いです」

 精一杯の強がり。

「ふふ……美羽ちゃんね……。懐かしいなぁ」

 舞子さんは遠い目をしていた。

「あれから十二年かぁ……長かった様な、短かった様な、不思議な感覚だわ」

「私も、そんな感じでした」

 作家になると言いながら、本を読み、物語を書く毎日。親に反対されるので成績は落とさない様に無難に勉強し、そこそこの大学まで出て、結果、出版社に就職。それは長い様で短い日々だった。

「ねぇ、美羽ちゃんの本ってどのくらい出来ているの?」

 不意に舞子さんが尋ねる。

「半分位ですかねー。やっぱりページ数のノルマが合って言羽さん煮詰まっちゃっていて」

 そう、決して悪い状況では無いけれどエピソードが足りなかった。美羽お姉ちゃんのインパクトのある出来事はほとんど青埼サナトリウムに来てからなのだ。

「彼女言っていたわ。『自分はあそこで生まれた』って、そして『ここで死ぬんだって』最初それ聞いた時は思わず怒鳴っちゃったわ。私との約束は忘れたのかー! って……諦めないって子供達に聞かせたのは嘘だったのかー! って……」

 私は、舞子さんの顔を、見られなかった。

「私はその時、彼女が自分の命がもう長くないって知っているなんて思ってなかったからさ……随分酷い事、言ったと思う。でも、あの子は優しく、強かった。怒鳴った私に『私は、どんなに長く生きても、短い命でもここで死にたいんだ。死神さんの居る。この場所で……』そう言って窓の外の黒猫を見ていた」

「私、すごく安心した。それで、彼女は大丈夫だって勝手に思い込んでいた。友達が、一番大事な友達が、もうすぐ死ぬかもしれないって恐怖と闘っていたのに……。何もしてあげられなかった。結局最後に聞いた言葉は『またね』って言葉だった」

 私は無神経だった。一番近い人だからこそ、舞子さんはまだ苦しんでいるんだ。そんな人に美羽お姉ちゃんの事を話して欲しいなんて、私はなんて身勝手なのだろう。

「でもさ、あの子、最初にあなたに言った通り、生意気で、横柄で、弱虫で、恐がりで、無茶ばっかりして、強がりで、格好付けで、そのくせ泣き虫で、寂しがりで、ずるい子なのよ。だからきっと、美羽ちゃんは恐かったと思う。最後の瞬間まで恐い思いをしていたと思う。だって、あの子だって普通の女の子なんだもん」

「どうして……。今、その話をしたんですか?」

 どうして、車の中ではこの話をしなかったのだろう?

「だって慧ちゃん、言っていたでしょ? 『舞子さんから見た美羽お姉ちゃんを聞かせてもらいたいんです』って。でもね、あの子は誰から見ても九月 美羽だったのよ。ただ、みんなに気付かせ無かっただけの生意気で、横柄で、弱虫で、恐がりで、無茶ばっかりして、強がりで、格好付けで、そのくせ泣き虫で、寂しがりで、ずるい女の子。だから私だけの美羽ちゃんは残念ながら知らないの。ただ、私の傷は裸でいる、この場所でしか見せられないから、今、この話をしたのかもね」

 そう言って私のお腹の傷を撫でる。

「うひゃあ!」

 すごく、くすぐったくて変な声が出てしまった。

「ふふ、美羽ちゃんも良くそうやって驚いていたなぁ。あなたたち案外、似た者同士かもよ?」

「それって……私が生意気で、横柄で、弱虫で、恐がりで、無茶ばっかりして、強がりで、格好付けで、そのくせ泣き虫で、寂しがりで、ずるい子って事ですか?」

 一言一句逃さない。私は美羽さんの全てを言羽さんに届けるんだ。

「そ、それなのに優しくて、強い。強がりでも貫けば本当の強さになる。ずるさも裏返せば優しさになる。不思議な事にね」

「私にも出来ますかね?」

「出来るかどうかじゃなくて、やろうと思うか。だと思うわ」

「舞子さん、ずるいです」

「あら、女の子はみんな、生意気で、横柄で、弱虫で、恐がりで、無茶ばっかりして、強がりで、格好付けで、そのくせ泣き虫で、寂しがりで、ずるい子なのよ」

 そう言って微笑んだ舞子さんはやっぱりずるかった

 私は待ち切れず、孤児院を飛び出した。言羽さんに美羽お姉ちゃんの事を伝えるために。

 

「言羽さん!」

 息が荒く言葉が途切れ途切れになる。

「どうしたんだよ?こんな時間に……」

 夜中の二時。

「こんな……時間まで……がんばっている人に言われたくないです」

 暗い部屋、パソコンの明かりだけが頼りなく、陰鬱だった。

「美羽さんの事、聞いたから。忘れないうちに、話さないといけないと思って」

 いつもならメモに取るけれど、今回はそんな事はしていない。

「はぁ……はぁ……美羽さんは! 生意気で、横柄で、弱虫で、恐がりで、無茶ばっかりして、強がりで、格好付けで、そのくせ泣き虫で、寂しがりで、ずるい女の子。だそうです!」

「言羽さんが前に美羽さんの両親に言った通りでした。彼女は私達と何にも変わらない! 普通の女の子なんです!」

 私は呼吸をするのも忘れて言い切る。

「慧……。ありがとう!」

 そうして言羽さんはパソコンと向き合った。彼のタイピングの音が聞こえている。私は荒い息が落ち着くと、ゆっくり闇の中に落ちていった。

 それから一週間程で美羽お姉ちゃんの物語は完成した。


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