思い出と、酒乱と、決意
「もー、困っちゃうわよ。マスターと少し話をして戻ったらラブシーンの真っ最中なんですもの」
カオルさんは缶ビール片手についさっきの恥ずかしい瞬間を語る。
「だから、そう言うのじゃ無いんですってば!」
私は必死に弁解する。日向さんはお風呂を借りている。
「やーね、独り身には厳しいわぁ。まったく……」
お酒が入ってからものすごく愚痴が多くなった。さっきまであんなに衝撃的な場に居た人とは思えないくらい人が変わった。
「もう……ほどほどにして下さいね」
「はいはい、まったく……玲もノリ悪いし、由香は結婚しちゃうし、舞子帰ってこないかなぁ」
由香って誰だろう? と言うか誰でも良いから助けてください! と心の中で叫ぶ。
「あ、そうそう、舞子と言えばねー」
そう言いながらタンスの上に飾られていたフォトフレームを持ってくる。
「えーと、どうやるんだっけ?」
「そっちのボタンじゃ無いですかね?」
私はなんとなくで操作の仕方を教える。
「あはは、やっぱ年取ると機械に弱くなるのよねぇ……。最近は携帯も満足に使えないわ」
そんなものなのだろうか……。まぁ確かにパソコンとかになってくると私も自信無いけれど……。
「でもインターネットとかじゃないと舞子と満足に連絡も取れないからさ……っと、あった、あった」
そこに映し出されたのは色々な国で子供達や、他の国の看護師さんなどと写されている舞子さんだった。
「ぷっつり連絡が途切れたと思ったら、急にそうやって満面の笑みで写真のデータ送ってくるのよ」
どの写真も笑顔で溢れていた。衣服さえまともじゃない国の人達も、痩せ細った体の子達でさえも笑っていた。
「まったく……すごいわよね。気付いたら私なんか足元にも及ばない所に行っちゃったわ」
どこか寂しそうなカオルさん。どうして私達は笑って過ごせていないのだろう。ここに写っている人達の方がよっぽど良い笑顔で過ごしているのでは無いのだろうか?
「私達は贅沢になり過ぎたんですかね?」
私はきっと贅沢だ、みんなが笑って過ごせれば良いと思っている。だけどそんな事は現実にはありえない。
「あはは、確かに贅沢かもしれないわね。だけどね、きっとそれに負い目を感じたり、この子達に同情するのも何か違うと思うのよね。誰だって幸せを願う権利くらいはあるって信じたいじゃない?」
「カオルさんは自分に正直で羨ましいです」
「あら、これでも結構身を削って生きているのよ?」
「本当ですかー?」
「そうじゃなきゃ婦長なんて職業やってられないわよ。私達は私達の精一杯で生きるしか無いのだから……」
カオルさんの言葉はすごく身近に感じられた。私は高い所ばかり見ていた。美羽お姉ちゃんや、舞子さん、それに日向さん。だけど私も何かしたい何か……。
「あ、そうそう。そこには入ってないのだけれどね」
そう言ってクローゼットを開けて中を漁る。
「これ!」
そう言って差し出されたアルバムの中の二つの写真。それを見て私の心が少し温かくなる。
「わー、やっぱり美羽お姉ちゃん可愛いですね。でも、こっち……なんでみんなポカンとしているんですか?」
一枚の写真は笑顔では無く呆気に取られた顔だった。
「その時さー、由香ってば写真撮る掛け声に『膝は英語でー?』とか聞いてきたのよ。それでみんな呆気に取られちゃってさ。その後、それに大笑いしたのが後の写真」
聞いているだけで楽しかった事が伝わってくる。
「でも、写真って一瞬を写しているだけなのよね。そこで笑っているみんなも日常に戻れば苦しんだり、悲しんだり、している。だから写真に惑わされないで私達は笑顔で居られる時間を目指さないとね。この笑顔達だってここに辿り着くまでにはきっと色々な事があったのだろうから……」
そっか、笑顔に向かって努力する事が『生きる』事なのかもしれない。
それから私はカオルさんに美羽お姉ちゃんとの思い出を語ってもらった。
「お風呂ありがとうございました」
日向さんがお風呂から出てくる。こういう礼儀は心得ているのか……。
「いえいえ、次は日向先生が私の相手ねー。よーしお姉さんが沢山手取り足取りお・し・え・て・あ・げ・る」
何だかこの二人を残すのは心配だけれど……
「がんばってくださいね」
日向さんとすれ違い際に呟く。流石のご主人様もこの人にかかれば形無しだろうと、お風呂に入る事にした。
「ふぅ……長い一日だったなぁ……」
なんだかすごく長い一日だった気がする。湯船に使って考え事をする。日向さんを救うのが目的だったのに、いつの間にか私まで迷路に迷い込んで救われた様だった。
私はなんとなく自分のやりたい事が決まって来て居た。日常に戻ったら笑顔になれる努力をする。
「さて、どうやってあの人を説得するかなぁ……」
しばらく悩み、のぼせそうになったのでお風呂から上がるとそこは修羅場だった……
「た、助けてくれ…………」
日向さんが私に懇願する。
「おらー、私の酒が飲めないのかー! 大の男が情けないぞー」
「は、吐きそう……」
日向さんは缶チューハイを飲んだようだ。まったくお酒が飲めないのに。可哀相に、青白い顔になっていた。
「と、とりあえずトイレはあっちですよ」
「う…………」
そう呻いて日向さんは走ってゆく。
「カオルさん……カンベンしてあげてください」
私はへべれけのカオルさんをなだめる。
「うー、ノリ悪いなぁ。これだから草食系はー!」
川崎先生がお酒を止めた訳が分かった気がする。
「チューハイ一本飲んだだけでも十分日向さんはノッた方ですよ」
そう言ってカオルさんをベッドに運ぶ。
「さ、今日はもう寝てください」
早く大人しくしてもらおうと寝かせる作戦に出る。
「わーたーしーはーまーだー……飲み足りないぞー!」
「叫ばないでください!」
そうしてベッドでしばらく格闘していたら、ちょっとするとすぐに眠ってくれた。やはり疲れているのだろう。看護師は激務だと言う。なんだかんだでカオルさんもストレスが溜まっていたのかもしれない。
「はぁ……でも酒乱だとはなぁ……」
溜息を吐いて今度はトイレに日向さんの様子を見に行く。
トイレのドアをノックする。
中からはコンコンと音が返ってくる。
「大丈夫ですかー?」
「な、なんとか……」
中からやつれた声が聞こえる。
「今日は災難でしたね」
「お前がそれを言うか……」
「あはは、元はと言えば、私が誘ったんですもんね」
から笑い。
「でも、私もメッタメタに打ちのめされちゃいました」
そう、自分の力の無さや、甘さ、弱さを思い知らされた。
「私、ダメですね。なんの力も無くて、弱い。美羽お姉ちゃんの紙芝居。受け取るべきじゃ無かったかもしれないです」
私、なんでこんなに弱いんだろう。日向さんを助けたかったはずなのに……。いつの間にかこんな弱音を吐いている。
「俺もだ。俺も弱いよ。何もかも嫌になって酒に逃げようとしても、それすら出来なかった」
「それで飲んだんですか……。もう……」
「情けないだろ?」
「そうですね。って言いたい所ですけど、私もそんな気分です」
でも、私は沢山教えてもらった。カオルさんと川崎先生、日向さん、過去の美羽お姉ちゃん、舞お姉ちゃんに。
「ねぇ、日向さん。私達どうするべきだと思います?」
本当は決意している。何かしたい。しなきゃ今まで出会って来た人達に胸を張れない。
「わからない。でも、人間になるには何かしなきゃいけないと思う」
『あなた達やっと、人間らしくなってきたじゃない』カオルさんの言葉が蘇る。
「今までの日向さん、人間離れし過ぎていましたもんね」
「そう……なのかな?」
酷く頼りない声が返ってきた。冗談のつもりだったんだけど……
「冗談ですよ。立派に人間でした。恐がりで、臆病で、ずるくって、嘘吐きで、弱い」
「酷い言われようだな」
「あはは、まるで鏡に映った自分を見ているようでした」
「…………」
「そんな事、無いよ。お前は俺にきっかけをくれた。何もしようとしなかった俺よりずっとすごいよ」
「じゃあこれからはもうちょっと労わってくださいね」
「いいや、帰ったら担当クビにしてやる」
「な……」
絶句。いくらなんでもそれは……。
「夢なんだろ?作家になるの……がんばれよ」
「無責任な事、言わないで下さい! 生きていくにはそれじゃダメなんです! 私は作家になれるほどの力なんて無いんです!」
「生きていければ良いんだろ? 生活費くらい面倒見てやるよ。だから、がんばれよ」
淡々と日向さんは言う。
「そんなの納得出来る訳無いじゃないですか!」
「でも! 俺にはそれくらいしか、してやれる事無いんだよ!」
日向さんの声も荒くなる。
「そんな事無い! あなたには言葉が……言葉がある! 『白詰草』を書いたあなたなら、もっと出来る事が!」
言の葉使い。美羽お姉ちゃんの夢。
「ダメだよ。俺の言葉は人の物語を飾る事しか出来ない。ゼロから生み出す事は出来ないんだ……」
弱々しい掠れた声。だけど日向さんはもっと先に行ける。もちろん私だって。
「それで良いんですよ!」
私は最後の力を込める。彼を引き上げる最後の力。
「私と! 私と一緒に紡ぎましょう。美羽お姉ちゃんのお話を! ゼロから生めないならある物を飾りましょう!」
「お前、何を言って……」
「彼女の! 美羽お姉ちゃんの人生を本にするんです。私がいろんな人から話しを聞きます。怒られても、なじられても、必ず、美羽お姉ちゃんの生きた時間を……一言一句残さずに聞いて来ます。だから、あなたはそれを全力で! 今ある全ての言葉を持って飾ってください。『白詰草』の様に……」
私がきっと人生をかけても届かないであろうと思ってしまった。素敵な物語。大好きだからこそ届かないと分かってしまったから。だからこそ、彼に、傘丘 日向に書いてもらいたい。
「はは、やっぱ、すごいよ。お前、いや慧。俺にはそんな事、思いもつかなかったよ」
「私だって一人じゃ思いつかなかったと思います。日向さんと、日向さんの物語が在ったから、思いついたんです」
私は努力するんだ。私達が笑って過ごせる日の為に、例え一瞬しか笑えなかったとしてもそこからまた笑えるように努力する。世界中の人が笑って過ごせるなんて夢物語だけど、隣に居る人くらい笑顔にしたい。だから、自分に出来る事をがんばるんだ!
「じゃあ、私、先に寝ますね。お布団敷いておきますから、落ち着いたら日向さんも休んでくださいね」
「ああ、ありがとう」
彼の声がすごく澄み渡った気がした。
「おはよう、慧ちゃん、日向先生」
昨日の事なんて無かったようにそうやって爽やかに笑うカオルさん。
「お、おはようございます」
ぎこちない私達の挨拶。
「何? 二人昨日何かあった? やっぱり若いわねー」
「や、やめてください。そんなんじゃないですから!」
はぁ……この人は何て言うか……。
「いやぁ、それにしてもこんな人生経験豊富な美女と、まだまだ初心なあどけなさの残る美少女相手に、何もしないなんて日向先生も罪な男ね」
「もう、やめてください。こっちが恥ずかしくなります」
まぁ、日向さんも顔を真っ赤にしている訳だけれど……。
「さて、お二人さんは、今日どうするのかな?私は夜勤だから午前中しか付き合えないんだけど……」
「とりあえず、美羽お姉ちゃんのお話を知っている限り聞きたいんですけど……」
「あら、昨日の話しじゃ、足りなかった?」
「あ、いえ、そう言う訳じゃなくて……」
いきさつを軽く説明する。
「なるほどねー。考えたわね。私は全面的に賛成なのだけれど……」
カオルさんは語尾を窄ませて考える仕草をする。
「それにはまず、乗り越えなきゃいけない事があるわね」
乗り越えなきゃいけない事?なんだろう?
「あなた、死んだ人だからって誰の了解も得ずに書くつもり?」
そうだった……ちゃんと美羽お姉ちゃんの両親に了解を得ないと。
「あう、突発的に思いついたので何も考えていなくて……」
「まぁ、そういうの、嫌いじゃ無いけれどね。美羽ちゃんの両親には私が紹介してあげるわ。だから美羽ちゃんのお話は、また今度にしましょう。玲の知っている話と合わせてまとめておいてあげるから」
「何から何まで本当にありがとうございます」
「いえいえ、美羽ちゃんもきっと喜んでいると思うわよ」
そうだと良いのだけれど……。
「あの……」
突然日向さんが声をあげる。
「なら、午前中もう一度あの人と会わせてもらえませんか?」
あの人って誰だろう?
「あの人って?」
カオルさんも見当が付いていない様だった。
「加山 宗一……あいつに会って話をしたいんです」
私とカオルさんは絶句した。だけど日向さんの決意はすごい。どんな気持ちで居るのかはわからないけれど、自分が同じ状況だったらこんな事が言えるだろうか?
「ふぅ、本当にすごいわね。あなた達、一晩で本当に変わったわ」
私と日向さんを見比べてカオルさんは言う。
「良いでしょう。午前中は孤児院の方に居ると思うけれど……大丈夫?」
カオルさんは日向さんに覚悟を確かめる。
「大丈夫です」
日向さんが手をぎゅっと握り締めたのが見えた。やっぱりここに来て良かった。ありがとう。美羽お姉ちゃん。




