四葉の加護がありますように。
彼はひとしきり泣いた後、一人になりたいと家に帰っていった。
私は彼の書いた『白詰草』を読み直す。
確かにお姉ちゃんの紙芝居と似ているけれど。それを一冊の小説にするほど広げ、飾り付けたのは彼の実力だ。私にはとても真似出来ない素敵な言葉の数々。それが人々を魅了し、沢山の人に届いたのだ。
「美羽お姉ちゃん。これで良かったんだよね?」
美羽お姉ちゃんの紙芝居に話しかける。そして私はある決意をした。
パソコンで青埼サナトリウムを調べる。
そこで私はさらなる衝撃を受ける事になった。青埼小児病棟もサナトリウムも今は閉鎖され四葉総合病院と言う大型の総合病院が出来ていた。
四葉と言う言葉に心が揺れる。ただの偶然なのか、それともこれも美羽お姉ちゃんの力なのか……。
四葉総合病院のサイトを開く。出来たての綺麗な病院で、かなり最新の設備を備えている様だった。
病院のマークとして四葉のクローバーが使われている。
鼓動が高鳴る。
挨拶の欄に院長が乗っていた。
『四葉総合病院 院長 川崎 玲』
「玲先生とカオルさんが来てくれるはずだから」
最後に美羽お姉ちゃんに紙芝居を読んでもらった日がフラッシュバックする。
あの日あそこに居た女の人。カオルさんと呼ばれた看護師さんに連れられて来たメガネの女性。
きっとあの人だ……。
私は川崎 玲について調べた。
当事まだあまり知られていなかった、病気について書いた論文が世界的に評価され、女性としては異例の年齢で大型の総合病院の院長として、この総合病院を築きあげたそうだ。
これは偶然じゃない。彼女が、九月 美羽が繋いだ物語なのだ。
後日、私は傘丘 日向の家に来ていた。良く考えればこのペンネームも美羽お姉ちゃんの影響なのだろうか。
とりあえず例の病院のホームページを見せる。
「ここがどうしたんだよ?」
彼はすっかりやつれ疲れ果てているようだった。彼の家はあの日からほとんど変わっていなかった。
「ここに! ここに取材に行きましょう! あなたの新しい小説のネタになるかもしれないですよ」
「嫌だ。俺はもう小説なんて書かない」
彼は完全に生気を失っていた。あれから二日経っているのに食事どころかこないだ買って行った紅茶すら飲んでいなかった。
「それはとりあえず四葉総合病院に行ってから決めるんじゃダメですか?」
私は『提案』している。
「もういいんだよ。もう疲れたんだ」
まだこの男はごねるのか。
「はいはい、ご主人様。我が侭も大概にしないと私でも怒りますよ」
いつもの様に皮肉たっぷりで彼を挑発する。
「…………」
彼は無言のままだった。
「ああ、もうめんどくさい! とにかくこれからご飯食べて、お風呂入って、髪切って、明日には四葉総合病院に行きますからね!」
私は『命令』に切り替えた。
とりあえず手料理を振舞ってあげる。彼は文句も、美味いも、言わず、ただ食べた。
そして風呂に強制的に入らせ。私のお気に入りの美容室に連れて行った。
「爽やか系でお願いします」
そう言い残して私は一足先に彼の家へ戻った。冷蔵庫にある、賞味期限の切れそうな甘い物達を食べる。
「うう、胸焼けする……」
違う意味で病院のお世話になりたくなった。
しばらくして彼は、無造作に伸ばしたボサボサ頭を、さっぱりさせて戻ってきた。
「おおー、見違えたじゃないですか。そっちの方がかっこいいですよ?」
私は率直な感想を述べる。
「美容室でも同じ事言われたよ」
まあ、誰が見てもそう言うでしょうよ。それぐらいさっきまでは酷かったのだ。
「はいはい、ご主人様はいつでもかっこいいですわよ」
私はふざけてそんな事を言う。
「もういい! 今日はもう寝ておく」
そう言って彼は顔を赤くしてベッドルームに消えて行った。
やっとまともな反応するようになって来た様だ。
私も早めに家路について、胃薬を飲んだ後。少し腹筋をしてから寝た。
なんでアイツはあんなに甘い物ばっかり取って太らないのだろう。私は世の中の理不尽を呪った。
翌日彼の車の中、私は隣で地図とにらめっこしていた。
「お金、いっぱいあるんだから、カーナビ位付けたらどうです?」
都心から高速に乗って……までは良かったのだが高速を降りてから中々目的地に付けずに居た。
「大して外出しないんだから必要ない」
車の中では陽気な音楽が流れていたが。空気は逆で重かった。
「あの、あなたは美羽お姉ちゃんを知っているんですか?」
言葉が続かなくて、確信に触れる。
「知っている。話したことは無いけどな」
抑揚の無い、いつもの調子とは少し違う、沈んだ重い声。彼はまだ吹っ切れていない様だ。
「じゃあ、あのイベント見に来ていたんですか?」
私が知っている限り不特定多数に美羽お姉ちゃんが紙芝居を読んだのは三回。
イベントで一回、小児病棟で二回、私は二回目の最後に顔を合わせ、美羽お姉ちゃんはそこで倒れたのだ。
「いや、俺が見たのは彼女が倒れた時だ。それであの人は死んだと思っていた」
「あの時の俺は周りを馬鹿にしていた。誰も信じていなかったし、何も響かなかった」
「だけど、噂になっている紙芝居がどれだけくだらない物なのか興味が出たんだ。周りのガキ共が浮かれはしゃいでいる物語がどれだけくだらない物なのか見てやろうと思った」
この人は子供の頃からこんなにひねくれていたのか……。
「だけどあの人の物語は違った。いや、あの人が読む物語だったからなのかもしれない。一つ一つの言葉の重みがどの本よりもどの言葉よりも響いた」
彼の告白。美羽お姉ちゃんはやっぱりすごかったんだ。
「俺は……あの話を忘れたくなかったんだ。だからその後必死に思い出しながら書き起こした。」
「だけど一回聞いたぐらいで覚えられるわけが無かった。だから俺は作り変えた。いつの間にか書くことが楽しくなって、気付いたら『白詰草』になっていた」
なるほど。それで少しずつ変わっていったのか。完全な悪意のある盗作じゃなかった事に少しホッとする。
「それなら、他の子や看護師さんに聞けば良かったんじゃないですか?」
私なら、そうしていただろう。実際美羽お姉ちゃんの元まで行ったわけだし。
「言っただろう? 俺は誰も信じていなかった。誰とも馴れ合ったり、話したり、したくなかったんだよ」
何故だろう、彼がこんなに他人を嫌うのは……。何故こんなに悲しい事ばかり言えるのだろう?
「何故? 何故あなたはそんなに他人を嫌うのですか?」
心の中の疑問を吐き出す。私はこの彼を救いたい。美羽お姉ちゃんの為に。
「何故? そんなの俺を見ていてわからないのか? ご覧の通り最低だろ? 嘘は吐くし、ズルはするし、簡単に人を傷つける」
それは確かにそういう人もいるけれど……。
「あなたは最初から……最初からそうだったんですか?」
最初からこんなにひねくれている人間などいない。私はそう思っていた。生まれた時は誰だって幸せに満ちていると。
「ああ、最初からそうだよ。俺は生まれてすぐ親に捨てられたんだ!」
言葉が見つからなかった。
「俺は! 名前も、苗字も、希望も、何もかも持たず生まれてきたんだ! そして生まれても与えて貰えなかった。だから迷子のミウに憧れた。俺も、名前や、苗字や、希望が欲しかったんだ!」
「だけど……だけど! 俺を導いてくれる黒猫なんて居なかった。でも、俺には一つだけ渡された物があった」
彼は車を一旦近くの路地に寄せて止めた。
自分の鞄の中から『白詰草』を取り出す。
その本の最後のページから一枚のしおりを取り出した。
「これだよ。あの人が目の前で倒れてから、二週間程した後くらいに、色々な四葉のクローバーの小物が配られた。これが唯一……唯一、俺の希望だった!」
「これは九月 美羽からのプレゼントだと言われた。でもそれは嘘だと思った。夢を見せる為の口実、大人達はずるいから、これで誤魔化そうとしたんだと、そう思った。」
それは違う。美羽お姉ちゃんは確かにそれを自分のお金でプレゼントしたんだ。私はあの時の彼女に出会っている。
「それは、あなたの勘違いです。二週間後、九月 美羽さんは、美羽お姉ちゃんは生きていました」
私は事実を告げる。
「私はその時にあの紙芝居を頂きました。そしてこのクローバーのキーホルダーも」
そう言って私の鞄からお守りのキーホルダーを出す。もう色が剥がれてボロボロだ。
「私は、それが配られた時、既に退院していました。それが配られる前、美羽お姉ちゃんに会いに行ったんです。ある、約束を果たす為に」
私はあの日の事を鮮明に覚えている。
それは美羽お姉ちゃんに会いに行く前の日。私の退院の日だった。
「美羽お姉ちゃん大丈夫かな?」
私は舞お姉ちゃんに聞いてみる。
「大丈夫よ。もう熱も下がったらしいし。あの日はちょっと体調悪くしちゃっただけみたいだから」
私はその言葉を聞いて安堵する。しかし新しい欲望が生まれていた。
「じゃあ紙芝居読んでもらえるかな?」
私は約束してもらったから気軽に読んでもらえるものだと思っていた。
「そ、それはちょっとまだ難しいかもしれないわね……」
しかし舞お姉ちゃんの反応は良くなかった。
「えー、でも約束したのに……。私が退院しちゃったら、もう読んでもらえないよ」
舞お姉ちゃんはしゃがんで私の目を見つめる。
「そんな事無いわよ。美羽ちゃんはね慧ちゃんとの約束を守ろうとして毎日ココに読みに来ていたのだと思うわ。だからね、今度はあなたが少しだけがんばってあげればいいのよ」
「私が、がんばる?」
「そ、あなたががんばるの。約束はね、お互いが守ろうと努力する事を言うのよ。例えそれが守れなかったとしても、お互い守ろうとがんばっていたなら慧ちゃんは相手を責めないでしょ?」
「うん! でも私……どうしたら良いのかな?」
「簡単よ。あなたが美羽ちゃんの所へお見舞いに行けば良いのよ」
舞お姉ちゃんはサナトリウムの方を見上げてそう言った。
「だからあなたが考えている事はただの勘違いです」
「大体それを希望にしていたなら、なんでそんなに卑屈な考えになるんですか」
私はつい、言葉にトゲを含ませてしまう。
「そんな……俺は……あいつら大人を見返そうと……。これは……。これを見るたび俺は……。何度も死のうと思ったのを止めたんだ。あいつらを見返そうと。彼女の物語が消えないように。自分を戒める為に……これは…………だから……希望だったんだよ」
はぁ……そんな物は希望とは呼ばないと思うのだけど。心の中で溜息を吐く。
「もう、良いです。前も言った様に美羽お姉ちゃんはそんな事望んでいないと思います。私にはこれを伝える事しか出来ません。だからもっと美羽お姉ちゃんの事を知るために。行きましょう。四葉総合病院に」
そうあそこにはきっと美羽お姉ちゃんに関わっていた人が居る。その人に美羽お姉ちゃんの事をちゃんと聞こう。それが彼の救いになるかもしれない。少なくとも私が知るあの病室は幸せや優しさで包まれていた。お互いが、お互いを思いやって、労わって、慈しんでいた。
そこに触れて居た人達なら彼を救えるかもしれない。私はそう考えた。
それから三十分程で四葉総合病院に着いた。そこは私達の、知っている。あの小児病棟とサナトリウムとはかけ離れた風景だった。
大きな総合病院の看板に、すごく広大な駐車スペース、広く取られた玄関に、沢山の人が診察を待つエントランスホール。ただただ大きく広い。
とりあえずロビーで川崎先生に会いたいと申し出る。
「ええと、面会のご予約はされていますか?」
少し困った様子でいぶかしげに私達を見る。
「いいえ、していませんけど」
私は素直に答える。
「申し訳ありません。川崎先生はお忙しいので事前に連絡を頂けないとご案内出来ないのですよ」
あっさり断られる。あぁ、こんな事なら電話くらいして来ればよかった。
後ろからの彼の視線が痛い。
「あの! どうしてもダメですか?」
私は食い下がる。このまま帰るわけには行かない。色々な意味で……。
「申し訳ありませんが……」
あぁ、どう見ても困っている。目が忙しいのだから早くどっか行ってくれと訴えている……。
「すみません! ちょっとだけ! ちょっとだけで、良いですから!」
しかし、私も引く訳にはいかない。
「申し訳ありませんが、日を改めてください」
完全敗北だった……
「どうしたんですか?病院ではお静かにお願いしますよ」
不意に横から声が聞こえる。
明るめの髪に綺麗に整えられた眉毛、薄めのピンクの口紅が映える。お洒落な看護師さんが声をかけて来る。
「婦長!? 何だか川崎先生に用があるらしいんですけど、アポ取って無いらしくて……」
私達に事務的に話していた看護師さんが急にフランクな口調で婦長と呼ばれた看護師さんに告げる。
「あら、じゃあ代わりに私がお話を聞きましょうか?」
婦長さんがそう申し出る。
「あ、えと、川崎先生は……無理……ですよねー」
見た目はにこにこしているが、私を見据える目が笑っていなかった。仕方ないので彼女に名刺を差し出す。
「あらあら、編集社の方がアポも無しに取材なんて珍しいですね」
私の名刺を見て怪しまれる。
「あ、いえ、今日は私用でして……」
私は何だかおどおどしてしまう。自分の無計画さが恥ずかしい。
婦長さんは私と彼を順番に見た後。
「まあ、こんな所で立ち話もなんですから……」
と当たり障りの無い言葉で私達を応接室に案内してくれた。
「ささ、そこにどうぞ」
豪華な黒革のソファーに座るよう勧められる。
「失礼します」
私は緊張しながら、そこに座る。彼は無言のまま私に続いた。この失礼な態度がまた私をハラハラさせる。
「いま、お茶入れますね」
婦長さんは慣れているのかマイペースにそんな事を言う。
「あ、お構いなく。私達ちょっと川崎先生にお話を聞きたくて伺っただけなので。」
だけど婦長さんはテキパキとお茶とお茶請け菓子を用意してくれた。
「すみません。急に押しかけてしまって」
私は出来る限り印象を悪くしないよう努める。全部隣の無愛想な男が台無しにしていそうだが……。
「いえいえ、それだけお急ぎの用事なのでしょう?一応、私、川崎先生とは十年来の知り合いなので、簡単な質問ならお応え出来ると思いますが」
その言葉に胸が高鳴る。十年来なら美羽お姉ちゃんの事を知っているかもしれない。
「あの、私……と彼……昔ここに合った青埼小児病棟に居た事があるんです」
私は探りを入れながら話す。
「まあ、そうなんですか。私は青埼サナトリウムの頃から勤めているんですよ」
その言葉に心臓がまた一跳ねする。
「あの! そこに入院していらした九月 美羽さんについてお伺いしたいんです。私、美羽さんから紙芝居を頂いていて……その……」
こんな事を話して美羽お姉ちゃんの事を知らなかったらどうしよう。そんな心配も杞憂に終わる。
「あら、やっぱりあなたが噂の慧ちゃんなのね。名刺を見た時は偶然かと思ったのだけれど。申し送れました。私、当時、九月 美羽ちゃんの担当をしていた田崎 カオルと申します」
私は驚きを隠せなかった。あの時一度だけしかも本当に短い時間出会ったあの人。
「玲先生とカオルさんが来てくれるはずだから」
あの時の声が蘇る。やはり美羽お姉ちゃんの物語は終わっていなかったんだ。
「あの! 私はあの時紙芝居を受け取った葉山 慧です。そして、こちらが『白詰草』の著者。傘丘 日向です」
軽く自己紹介をする。
彼の顔が少し強張る。
「なるほど、君が『白詰草』を書いたのね」
カオルさんは彼を値踏みする様に見定める。
「さて、何から話しましょうかね」
カオルさんは思案しながら私達を見比べている。
「まぁ、とりあえずお礼からかな。美羽ちゃんの物語を世に送り出してくれてありがとう。日向先生」
傘丘 日向は有り得ない物を見るような目でカオルさんを見ていた。
「すみ……すみませんでした!」
お礼を言うカオルさん、謝罪をする傘丘 日向、取り残される私。
「ふぅ、なんだかややこしい事情がありそうね」
私達を見比べカオルさんは溜息を吐く。
「私、まだ仕事があるから、八時にココで待っていてくれる?」
携帯を取り出し近くのメモ帳にお店の名前と電話番号を教えてくれる。
「あ、四名で予約しておいてね」
そう言って
「それじゃあまた後で」
と私達をエントランスまで送り、去って行った。
さて、どうしたものか……。
とりあえずカオルさんは私達に時間をくれたのだろう。私達と言うよりは隣で真っ青な顔をしている彼の為に。
「とりあえず、お店予約してきますから。そこに座って待っていてくださいね」
私はエントランスにずらりと並ぶソファーの一角を指差してそこに彼を座らせる。
「勝手に居なくならないで下さいよ?こんな広い病院を探し回るの、嫌ですからね」
私はそう告げて携帯を使うため外に出る。
カオルさんに渡された番号を打ち込む。
「もしもし」
品の良さそうな男の人の渋い声が聞こえた。
「もしもし、ええと、今夜八時に予約したいんですけど」
「八時ですか、はい、大丈夫ですよ。何名様ですか?」
「四名です」
「お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「葉山 慧です」
「ハヤマ ケイ様ですね。わかりました。お待ちしております」
「あ、後、場所をお尋ねしたいのですが……」
そうして詳しい道順を聞いた。
「はい、わかりました。お忙しい中ありがとうございます」
「いえいえ、では八時にお待ちしております。あなたに四葉の加護がありますように」
「へ、あ……待ってください」
私は慌てて電話の向こうの相手を引き止める。
「なんで? なんで四葉なんですか?」
「昔、聞いた素敵なお話に出てきたんですよ」
渋い声の男性はそうやって教えてくれた。
「あ、ありがとうございます。ではまた後で」
「いえいえ、ではお待ちしております」
そのやりとりの後、私は携帯の電源ボタンを押す。
今の人も美羽お姉ちゃんの関係者なのだろうか? それとも『白詰草』を読んだ人なのか? 謎は深まってゆくばかりだった。
私は自動販売機でストレートティーとミルクティーを買って彼の元へ戻る。
彼は私の指定した場所で頭を抱えて待っていた。
そんな露骨にへこまなくても……。
そこにパジャマ姿の少女が駆け寄る。
まずい、あんな男に子供を近づけちゃいけない。
そう思って駆け寄ろうとしたが間に合わなかった。少女は彼に声をかける。
「お兄ちゃん頭痛いの?」
彼は気だるそうに頭を上げる。私はそれを見ている事しか出来なかった。
「ううん、大丈夫だよ」
笑った。彼がそう言って優しく笑ったのだ。
「でも、お兄ちゃん苦しそう」
少女は心配そうに彼を見る。座っている彼と丁度同じくらいの目線で真っ直ぐに彼を……彼の瞳の奥にあるものを。
「これ、あげる」
少女は文庫の『白詰草』を彼に渡す。
「あなたに四葉の加護がありますように」
あのレストランのおじさんと同じ言葉だ。彼は驚きの表情で少女を見る。
「お兄ちゃんそれ持っているんだ」
申し訳無さそうに彼は言う。
少女は一瞬戸惑うが彼の手に本を渡す。
「お兄ちゃんこの町は初めて?」
少女は急にそんな事を聞く。
「初めてだよ」
彼は簡潔に答えた。
「この町ではね『四葉の加護がありますように』って言われたらこの本を受け取らないといけないんだよ」
「そしてこの本をじっくり読んで、自分だけの四葉の幸せを見つけるの」
彼は今どんな気持ちでいるのだろうか……。私には計りかねた。
「それでね……」
少女は続ける。
「それでね、その本がそうやって渡されていくと家に何冊も同じ本が来ちゃう人が出ちゃうでしょ?そしたらね、『幸せのお裾分け』として困っている人や苦しんでいる人にこの本をあげるの!」
「だからお兄ちゃんはこれを受け取らないとダメなんだよ!」
そう言って少女は彼の頭を撫でた。
「そっか、ありがとう。」
彼は素直にそれを受け止める。
「ちょっと待ってね。」
彼は自分の鞄を広げ中から自分の『白詰草』を取り出す。
そこから、あのしおりを抜き取り少女に向き直る。
「はい、幸せのお裾分け。あなたに四葉の加護がありますように」
そう言ってそのしおりを手渡した彼は本物の傘丘 日向だった。
少女は一瞬困った顔をしたが笑って
「ありがとう」
と言って去って行った。
私はゆっくり彼に近付く。彼は愛おしそうに、少女から受け取った『白詰草』を撫でていた。
「良いんですか? さっきのしおり。あげちゃって」
ミルクティーを差し出して聞いてみる。
彼は少し驚いたが、すぐに優しさと憂いの入り混じった複雑な表情で静かに、けれど高らかに、そして ぶっきら棒に
「良いんだよ。あれで……」
と言って泣いた。