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九月 美羽の繋いだ物語 白詰草

 「私はね、言の葉使いになるの!」

 私はその言葉の意味を考えていた。あの時、美羽お姉ちゃんが告げた夢。それがなんだったのかを……。

「はぁ……わかんないや」

 美羽お姉ちゃんがくれた紙芝居をそっと撫でる。あれから十二年。私は作家を目指し、色々な文学賞に応募したり、会社を訪ねたりしたが、結局夢は叶わず。それでも諦めきれなくて編集社で働きながら密かに作家活動をしていた。今ではインターネットや携帯小説など昔とは比べ物にならないくらい世界は物語で溢れかえっていた。

「よし、がんばろう。」

 私はデスクトップ型のパソコンの画面に向かいキーボードを叩いた。

 しばらくすると携帯電話の無機質なコール音がする。

 今は着うたとか、そういったものも着信音に設定出来るけれど、それは私用の携帯だけだ。

「はいはい、今出ますよー。」

 私は近くの鞄の中を漁り、仕事用の携帯電話を取り出す。

 折りたたみ式の携帯電話を開き、表示されている名前にゲンナリする。

「また、あいつか……」

 傘丘(カサオカ) 日向(ヒナタ)これは本名では無くペンネームだ。私が担当している作家で、私より二つ年下なのに、我が社の文学賞に受賞し。その受賞作が大ヒットして、今や日本で知らない人が居ないほどの大物作家になった。だが欠点がある。性格が破滅的に悪い。我が侭、理不尽、不条理、まだまだ悪く言えば何とでも言えそうだがキリが無さそうなので止めておく。

 早く通話ボタンを押さないと。一息吐いて通話状態にする。

「も……」

「遅い」

 抑揚の無い声で『もしもし』を遮られた。

「はいはい、すみません。ご主人様」

「ご主人様って言うなって、いつも言っているだろう」

 だったら少しはこっちの言う事も聞いて欲しいもんだ。私は最初、日向先生と呼んだのだが、『先生などと呼ぶな!』と怒鳴られたのでご主人様と呼ぶことにした。もちろん嫌味だ。

「はいはい、それでなんでしょうご主人様」

「ったく。ちょっと甘い物を買ってきてくれないか」

 …………私はお使い係じゃないんですけど…………

「テキトウなので良いですか?」

「ああ、それとペットボトルの紅茶を何本か頼む」

 この横柄な態度が本当に苛立つ。現に、何人もの担当が辞めさせられたり、自分から辞めたりしていて、気付いたら新人の私にお鉢が回って来たのだ。

「わかりました。一時間程で行けると思います」

「三十分で来い!」

 プーップーッ……怒鳴り声の後、すぐに電子音に変わった。

「はぁ……」

 溜息を吐いて私は軽く身支度を済ませる。Tシャツを脱ぎ捨て、鏡に映るお腹の傷跡にあの日を思い出す。

 

 小学六年生の夏。私は手術を受ける事になったのだが、大泣きしたあげく、暴れて手術を拒否していた。そんな日々が二日程続いた所で感じの良い気さくな看護師さんに声をかけられた。

「今日さ、ちょっとイベントあるんだけど見てみない?」

 私はそんな事より病院から逃げ出したいと思っていた。純粋に手術が恐かったから。

「まぁまぁ、そんな事言わずに見てみようよ。手術とか何とかはその後決めれば良いからさ。」

 そんな風に言いくるめられ半ば強制的にイベントに連れて行かれた。

 テレビでちょっと話題になった事ある芸人がお笑いコントをしていたが、私は全然笑えなかった。次はパントマイムで、これもすごかったけれど私はやはり手術の事ばかり気になって逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

 その次は優と言う歌手の番だったが知っているのはすごく売れたバラード一曲だけなのでやはりすぐに退屈になってしまった。

 そして衝撃の瞬間が訪れる。

「さあみんな最後の素敵が入ってくるよ! 拍手で迎えよう!」

 私をこのイベントに誘った看護師さんの声がそんな事を伝えるが、私は拍手すらしなかった。

 拍手に押されるように黒い少女が舞台の上を歩いてきた。

 私はその少女に圧倒された。黒い豪奢なドレスに身を包み。細く儚い体に白い肌が印象的で、とにかく綺麗だった。私と大して年の差も無い様な少女の声が響く。

「これは不思議な世界で迷子になった女の子のお話。それはそう、不思議の国のアリスの様に……」

 少女の高い声が耳に心地よかった。ドレスや見た目と違い可愛らしい声だった。

 私は不思議の国のアリスが好きだった。だからこの物語にも惹き込まれたのだろう。気付いた時には、舞台の上の少女に釘付けだった。

 物語はチェシャ猫に導かれるアリスの様に、少女が黒猫に導かれる話しだった。私は黒猫には不吉なイメージしか持っていなかったので、この少女にどんな不幸が訪れるのかとハラハラしながら見ていた。

 しかし、少女は名前を、苗字を、希望を手に入れていった。少しずつ幸せになっていく少女が羨ましかった。そして反転した所で白い少女に絶望を言い渡される。そのギャップに私はさらに惹き込まれる。手術をしなきゃと先生に言われた時の自分と重なって見えたからかもしれない。白い服に包まれ、黒い椅子に腰掛けた医者に言われた絶望。

 真っ暗な闇に落とされる様な感覚もそうだった。お母さんも、お父さんも、お兄ちゃんも、看護師さんも、みんなが敵になった様な気さえしていた私。

 お腹を引き裂かれると言う恐怖に、死んでしまった方が良いとさえ思っていた。

 『ミウがんばれ!』心の中で自然と応援していた。今にして思えばなんと自分勝手だろう。私はがんばっていないくせに、他人には容易く、がんばれと言ってしまう。

 だけどそれくらい惹き込まれていたのだ。そして最後に迷子のミウが手に入れた物は『諦めない心』だった。その言葉が私の胸に突き刺さる。

 私はお腹を切って助けてくれると言ってくれた、先生に対してそれなら死んだ方が良いと諦めて居たのだ。あの人は絶望を告げた訳でも何でも無いのに。私はたまらなく恥ずかしい気持ちになった。

 私とそんなに変わらない年の子があんな物語を語れるのに私は……。そう考えるだけで自分がどれだけ自分勝手な人間か思い知らされる。

 そうして物語が終わり。舞台の少女の告白が始まる。

「少しだけ、もう少しだけ私の話を聞いてください!」

 拍手に包まれていた会場が静寂に包まれる。自分の鼓動だけが取り残された様な感覚。私、なんでこんなにドキドキしているんだろう?

 息を呑んで舞台の少女を見守る。

「私は、病気です。まだ治る見込みはありません。でも! 治る事を諦めていません。それをここの看護師さん。小鳥遊舞子さんに教わりました!」

 私は手術すれば治るのに……。

「だからこのお話を考える事が出来ました。これは私が出会って来た人達との軌跡です。」

 私はきっとこの子より沢山の人と出会っているのに……。

「あ、あの。でしゃばってすみませんでした。でも私はここに立てたことを誇りに思います。皆さん。ご静聴、本当にありがとうございました!」

 最後に少し言葉に詰まって、照れたような声で小走りに舞台を後にする少女。それは自分とまったく変わり無い普通の女の子だった。その女の子は治らない病気の中、こんなに希望で溢れた物語を考えたのだ。その事実が私の心を罪悪感で埋めた。お腹を切るくらいなら死んだって良い。そんな事を軽く思ってしまった自分が、酷く醜いモノに思えた。

 そして私は、会場からそそくさと『逃げ出した』

 そこで私をこのイベントに誘った看護師さんに出会う。看護師さんは泣いていた。

「お姉さん」

 泣いている看護師さんに声をかける。

 肩がピクリと動き目をゴシゴシ擦る。

「あ、慧ちゃん。どうだった?さっきのイベント」

 平静を装って看護師さんはそんな事を聞いてくる。

「なんか、すごかった」

 私は伏し目がちに答えた。

「そ、良かった。慧ちゃんにも見てもらえて」

 そう言って私の頭を撫でてくれる。

「あ、あの!」

 私は大きな声を出した。自分でもなんでこんなに大きな声が出たのか、わからないくらい声が響いた。

「私、手術受けます!」

 看護師さんは驚いた表情で私の目をじっと見つめていた。

「そっか、偉いね、慧ちゃんは」

 あんなに我が侭を言った私にそんな風に言ってくれる。

「あの、最後の紙芝居が……その……何かすごくて……感動して…………。でも自分が情けなくなって……。わかんないけど……。あのお姉ちゃんは治らない病気って聞いて…………その……。私諦めていたんだって思って……。」

 声が震えて自分でも何を口にしているかわからない。ただひたすらに言葉と涙が溢れてきた。

「治るのに自分は最低だって……。うう……」

 私の告白を看護師さんはそっと聞いてくれていた。そして抱きしめてくれる。

「それに気付いただけで慧ちゃんは最低なんかじゃないよ!」

 その言葉に私は救われた。

「あの、看護師さん……」

 私から看護師さんの温もりが離れていく。

「顔すごいですよ?」

 お化粧が崩れてすごい事になっていた。

「へ? あ……やっちゃった。ちょっと顔洗ってから、やる事があるからまた後でね!」

 パタパタと走って行きかけて看護師さんが振り向く。

「あ、私の名前、小鳥遊舞子! 今度から下の名前で呼んでね!」

 そう言って舞お姉ちゃんは去って行った。

 

「お邪魔しまーす」

 都心の高級マンションの三階『ご主人様』の部屋にコンビニの袋を抱えてズカズカと入っていく。

 いちいちチャイムを鳴らされると面倒だからと合鍵を渡されている。もう一つの自分の家の様なものだった。

 そこから仰々しいリビングとキッチンのある部屋で冷蔵庫に二リットルのペットボトルの紅茶を三本入れ、彼の居る部屋に行く。

 一応ノックをする。

「入れ」

 無愛想な一言が飛んでくる。

「失礼します」

 沢山の本に囲まれてパソコンと向かい合っているボサボサ頭の青年。傘丘 日向だ。

「これ、適当に選んで下さい。食べないやつは冷蔵庫入れて置きますから」

 私はビニール袋を逆さにして、コンビニでテキトウに見繕った甘い物を広げる。

「どれでもいい。開けてこっちによこせ」

 こちらをまったく見ずに彼は喋る。

「はいはい、ご主人様。」

 私はシュークリームと生クリームの盛られたプリンを、彼のデスクの上に置いた。

「おい、ごしゅじ……」

「あ、まだ全然進んでないじゃ無いですか! いい加減次の原稿あげないと、編集部にも見限られますよ?」

 『ご主人様と呼ぶな!』を遮り、進む気配の無い彼の次回作の進み具合を見る。見限られる何て事は多分無い。編集部だって久々の大ヒット作のおかげで彼には甘いのだ。

 しかし彼は確実にスランプに陥っていた。

「うるさい」

 その一言で片付けられた。

「もうちょっと愛想良く出来ないんですか?」

 どうせ放って置いても彼の仕事がはかどる訳でもないので、私はしぶしぶこの男と無駄話をする。それが何かきっかけになれば良いと、私なりの精一杯なのだが……。

「小説書くのに愛想なんていらないだろ」

 大して話が進んだ事は無かった。

「はいはい、じゃあその小説。早く書いて下さいね」

 私は皮肉をたっぷり滲ませて、残った甘い物を冷蔵庫に入れに行く。

「はぁ、何やっているんだろう……私」

 とりあえず近くのコップを二つばかり用意し、彼の好きなミルクティーを注ぐ。

 物語を書くだけなら私の方が早いし沢山出来るのに……。そんな考えが頭をよぎる。

 しかし彼の処女作にはまったく及ばない。私もあまりのヒット作なので担当になる前から読んでいたのだが、悔しいがすごく面白かった。まるで美羽お姉ちゃんの物語の様な優しさに溢れていた。

 実際かなり似ていて最初はびっくりしたものだ。タイトルは『白詰草』とシンプルな物だが、中には『幸福のクローバーの天使』や『美羽』と言う名の少女が出て来ていた。

 最初は盗作も疑ったが、お姉ちゃんの物語を聞いた人間は限られている。だから偶然はあるものなんだと私は疑うのを止めた。

 それに、あんな暖かく優しい言葉で飾られた物語を書ける人間が悪い人なはず無いと、勝手に思い込んでいたのもある。正直この人の担当になれとお達しが来た時は本当に喜んだものだ。

「しかし、現実は非常なり」

 私はそう呟いて紅茶の注がれたコップを二つ持って彼の元へ持っていく。

 彼はシュークリームを半分程齧りプリンを全部平らげていた。

「そんなに甘い物ばかり食べていると体壊しますよ?」

 いくら好きとは言え主食が甘味物と言うのは流石に行き過ぎだと思う。

「ふん、壊れても誰も悲しまないよ」

「編集部は泣くと思いますよ?」

「あいつらは『白詰草』が更に売れて喜ぶんじゃないか?」

「そうですかねー、そろそろ新しいのを書いてくれた方が喜ぶと思うんですけど」

「ふん、俺はあれ以上の物なんて書けないよ」

 彼は少し悲しそうに……。あくまで私の視点だが……。そんな風に言う。まあわからなくも無いけれど……。

「売れればなんだって正義なんですし、もうパパッと書いちゃえば良いじゃないですか。」

 世界は想い入れの強い物に優しいとは限らない。それは私が身をもって知っている。いくつもの自信作が寡作にも残らず。埋もれて行った。

 でも私は諦めない。美羽お姉ちゃんの物語に教えて貰った事だ。

「そんな物作っても、ネットで叩かれるだけだろう」

 確かに最近はインターネットと言うすばらしい環境のおかげで自分の創作物への率直な意見を聞くことが出来る。しかしそれは同時に凶悪な凶器になる。言葉は使う者次第で色々な物になるのだ。

「『白詰草』も結構叩かれましたもんね。でもそれだけ多くの人が読んでくれたって事で良いじゃないですか」

 多く売れれば、それだけ期待も高まり、ハードルを上げる。新人が単発で出した本は多くの評価を貰った。良いものも悪いものも。

「お前、もうちょっと優しく言えないのかよ」

 それはお前の方だ!と言い返したいが我慢する。

「あら、優しくして欲しいんですか?もう十分献身的だと思いますけど」

 実際かなり私は尽くしていると思う。現に彼の担当をやっている時間は私が一番長い。

「どうでもいいよ。俺はもうどうでも良いんだ」

 彼は全てを諦めている様に見えた。

「『白詰草』で語った『諦めない事。』は嘘だったんですか?」

 私は追い討ちをかける。諦める事だけは許せなかったから。

「はっ、あんなもん嘘っぱちだよ。昔聞いた話をパクって飾り付けただけだ。レシピ通りに作ってデコレートしただけなんだよ!」

 彼は声を荒げてそんな事を言う。だが彼の怒りより私は別の事が気にかかった。

 『昔聞いた話をパクって』

 まさか、彼もあの話を聞いていたのか……。

「青埼小児病院」

 私がその名を出すと彼はすごい勢いで、始めて私を視た。

 彼の顔は青ざめていて完全に生気を失っていた。

「まさかお前! 迷子のミウを知っているのか!?」

 彼の言葉が私の胸を射抜く。まさか本当に彼はこの物語を盗作していたのか……。そうだとしたら私はどうすれば良いのか……。

「知っています。迷子のミウも、九月美羽も、青崎小児病棟も、その隣の青埼サナトリウムも!」

 ついつい私の声も荒くなってしまう。まさか……まさか……盗作なんて……。

 その事ばかりが頭をグルグル回る。

「はは……ははははは! 傑作だ! こんな形で俺に罰が下るなんて!」

 彼は何を思ったのか笑い出した。いや、壊れてしまったのだろうか……。

「世間に公表するなりなんなりして俺を貶めれば良い! 俺はそれだけの罪を犯したんだ! 俺は……俺は……! はははははははは!」

 彼の耳障りな笑い声が頭に響く。だんだんイライラしてきた。

「ふざけないで下さい!」

 私は苛立つ笑い声を掻き消す様に叫んだ。

 部屋が静まり返る。パソコンの無機質な音だけが聞こえてくる。

「あなたはそれで許されたいだけだ!そんな風に逃げるなんて私は許さない!」

 私の声に彼は激昂し、私の胸ぐらを掴んで顔を近づける。私は目だけを逸らさずにいた。

「お前に何がわかる!?」

 彼が顔の近くで叫ぶ。

「何にもわかりませんよ! ただ……」

「ただ……美羽お姉ちゃんはそんなの望んでない! 自分の物語で誰かを不幸にするなんて彼女は望んでない!」

 私は臆せず叫ぶ。彼の事はわからなくても。美羽お姉ちゃんの事ならわかる。彼女はきっと笑って許す。『私の物語をみんなに届けてくれてありがとう』って、『こんなに綺麗に飾ってくれてありがとう』って笑うに違いない。

「そんな事がなんでお前にわかる!?」

 そう言って彼は私を突き飛ばす。私にはわかった。彼は怯えている。自分の傷が剥きだしにされるのを。やっと許されると思ったのに、さらに責められるのだと。

「わかりますよ。美羽お姉ちゃんは私にあの物語をくれたのだから。あの紙芝居を私に託したのだから!」

「なんだって……そんな訳あるか! あの物語が残っているわけ無いんだ! あっちゃいけないんだ!」

 彼は混乱している。きっと彼は『白詰草』が売れる度に美羽お姉ちゃんの影に責められて来たのだろう……。

「大丈夫。大丈夫だから少し落ち着いて。そして私のうちへ行きましょう。全てはそこにありますから。」

 気付けば私は彼を抱きしめていた。そこに居たのは大作家でも無く、有名人でも無く、傍若無人な我が侭人間でも無く、ただの男の子だった。

 

「あ、そこ左です。」

 彼の車に乗って自分のうちへの道をナビゲートする。車の中の空気は硬く重い。

 ただの男の子に戻った彼はずっと無口だった。

 四十分程で私の家に着く。

「ちょっと散らかっていますけど……」

 彼の家とはまったく違う。ボロくて狭い玄関に乱雑に靴が散らばり、狭い部屋に本が沢山積まれている。私は彼の部屋を掃除する事は多くても自分の部屋は結構テキトウだった。

「色気も何も無いな」

 その言葉に怒り狂いそうになったが、いつもの調子を取り戻している事に少し安心した。

 私はパソコンの置かれたデスクの引き出しの一番上を開け、そこからバインダーを取り出した。

 私の一番大切な宝物。美羽お姉ちゃんが私にくれた、私の目標であり超えたいモノ。

 辛い時、悲しい時、苦しい時、この紙芝居に何度も助けられてきた。その愛おしいモノを彼に見せる。

「…………」

 彼は言葉にならない様子で、それでも一枚、一枚丁寧にめくっていた。

「まさか、本当にあんたが持っているなんてな」

 紙芝居に全て目を通し。バインダーを私の元へ戻す。

 彼の目はまた『諦めて』いた。

「あなたって本当に自分勝手ですね」

 私は彼を責めたてる。

 美羽お姉ちゃんの言葉が頭の奥で再生される。

「私はね。言の葉使いになるの!」

 私は聞いた事の無い言葉に顔をしかめた。

「言の葉使いってなあに?」

 美羽お姉ちゃんの顔は少しやつれていたけれど、すごく綺麗でその夢を語った時の顔は今でも忘れられない。

「言の葉使いはね。あるべき場所であるべき言葉を使える人の事なんだよ」

 そう言って美羽おねえちゃんは私の目を見据えていた。

「言葉はね、すごい物なんだよ。時には優しく、時には厳しく、時にはどうでも良くて、時にはかけがえの無い大事な物になる」

 美羽お姉ちゃんの言葉に対する想いが形を為してゆく。

「例えばね、傷付いた人が傷を包帯でグルグル巻きにしていたとするでしょ? その傷を消毒して治りを早くしたい時慧ちゃんはどうする?」

「包帯をほどいてあげる。」

 私はそれしか思い浮かばなかったのでそう答えた。

「そう、解かないと傷は見えないの。でも包帯を取って傷を剥きだしにしたら痛いでしょ?そこに消毒液を付けたらもっと痛いよね?」

 私は昔擦り傷を手当てしてもらった時を思い出して苦い顔をする。

「すっごく痛いよ」

「でもそれは大事な事。その傷を早く治す為に必要な事なの。だから時には傷を剥きだしにしてそこに、いたーい消毒薬を塗りつける様な言葉も使えるような人になりたいの」

「もっと色々な言葉を勉強して、必要な時に必要な言葉を使える人になって。沢山の人に言葉を使って少しずつ手助けするの。それが言の葉使い。私が考えたんだけどね。」

 少し気恥ずかしそうに笑う美羽お姉ちゃん。

「美羽お姉ちゃんならきっとなれるよ!」

 私は無責任にそう言った。

 あの時の言葉の意味をずっと考えていた。私は今、彼の傷を目の前にしているんだ。

 私が今やるべき事はきっとあの時美羽お姉ちゃんが教えてくれた事。

 いたーい消毒液を塗りたくってやるんだ。

「貴方は自分勝手で、我が侭で、ずるくて、卑怯で、卑しくって、甘党で、最低な奴ですよ!」

 私の言葉はたどたどしく、荒い。きっとすごく傷に沁みるだろう。

「な、なんなんだよ! 急に……大体、甘党は関係無いだろう!」

 彼は戸惑っている。確かに甘党は関係無かったけど、そんな事はどうでもいい。

「だけど……あなたが美羽お姉ちゃんの言葉を飾った物語は、悔しいけど綺麗だった。」

 そう、彼が飾った物はとても綺麗で、それはこの日本中に響いた。そして世界にも響こうとしている。

「そして、言の葉使いを目指した美羽お姉ちゃんはきっと喜んでいる。自分の言葉が綺麗に飾られてあるべき場所にちゃんと収められている事を……それが世界に響こうとしている事を!」

 彼は呆然と私を見ていた。

 言の葉使いと言う言葉の意味がわからないのかそれとも私の言葉に説得力が無いのか……。何かもう一押し出来る言葉が無いか思案していると。

 彼の頬を一筋の涙が流れ落ちた。

「ごめんなさい。勝手にあなたの言葉を使って。勝手に飾り付けて……。ごめんなさい。本当にごめんなさい。」

 彼は何度も謝って泣いた。彼のした事は確かにズルだけど美羽お姉ちゃんはきっと彼がこのまま苦しむ事を望まないと思う。

「許しますよ。美羽お姉ちゃんも、私も。」

 だから、これで良いのだ。

 


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