第3話 宇宙一美しい逃走劇
センサーの赤い点滅が、3秒ごとに俺の心臓を殴ってくる。
接近する物体。方位、右舷120度。距離――もう近い。
モニターを睨む。光学カメラに映ったのは、黒っぽい船体に赤いラインが走る中型艦だった。全長はメーディアの倍くらい。砲塔が4基見える。どう見ても戦闘用だ。
IFF照合。結果――不明。
ゲーム知識を総動員する。あのシルエット。あの塗装パターン。
「……ヴォルフ級巡洋艦」
名前が口をついて出た。AFOではそこそこポピュラーな中堅クラスの戦闘艦。攻撃力C、防御C、機動性C。全てが平均的で、突出した弱点もない代わりに突出した長所もない。初心者からベテランまで幅広く使われる、いわゆる「万能型」だ。
ゲームなら、メーディアで10回戦って8回は逃げ切れる相手。
だが、ここはゲームじゃない。
「……落ち着け」
自分に言い聞かせる。操縦桿を握る手が震えている。汗で滑る。
転生してからまだ数時間。初めてのリアル遭遇戦。やられたらリスポーンはない。死ぬ。本当に死ぬ。
通信パネルが点滅した。向こうから接触してきている。
開くか、開かないか。
――開いた。
* * *
「見慣れねえ船だな。所属を名乗れ」
低い男の声。若くはない。粗暴というよりは、慣れた圧のかけ方。軍人くずれか、あるいは長年宇宙をうろついてきた類の人間。
返事をしなければ、それだけで敵意と判断されるかもしれない。
「……フリーの運送屋だ。戦闘の意思はない」
声が裏返りそうになるのを堪える。
沈黙。3秒。5秒。長い。
「運送屋、ねえ」
相手の声にわずかな笑いが混じった。嫌な笑い方だ。
「ずいぶんキラキラした運送屋だな。その船、式典用のお飾りだろ。中に高い荷物でも積んでんのか?」
視認性300パーセント。こいつのせいだ。こいつのせいで、宇宙をキラキラ光りながら航行する羽目になっている。
「荷物はない。空荷だ。見ての通りただの小型艦で、武装もほとんどない。襲っても割に合わないぞ」
嘘は言っていない。本当に空荷だし、武装は事実上ないに等しい。
「空荷、ねえ。じゃあ船体だけでも値がつくだろ。パーツにバラせば装飾品だけで相当いくぜ」
――ああ、そうか。こいつは宙賊だ。
しかも俺の船を「パーツにバラす」ところまで計算している。つまり逃がす気がない。
腹が据わった。
「おい」
「あ?」
「こいつはな、俺の相棒なんだ。バラすとか言ったら怒るぞ」
「……何言ってんだお前」
通信を切った。
* * *
操縦桿を握り直す。
震えは――止まっていた。
怖い。死ぬかもしれない。だが、それはそれとして、こいつをバラされるのは絶対に嫌だ。
メーディアの操縦席に座り直す。モニターには、加速を始めたヴォルフ級巡洋艦の姿。砲塔がこちらを向いている。
「さて」
頭の中にゲームの記憶が蘇る。
ヴォルフ級の砲塔旋回速度。最大加速度。ビームの弾速。射角の死角。全部、体に染み込んでいる。何100回と相手にした敵だ。
ゲームでは8割逃げ切れた。
問題は残りの2割だが――そこはプレイヤースキルでカバーする。
「メーディア、全速。針路270、仰角15」
スラスターが唸る。メーディアが加速する。Gが体に食い込む。ゲームでは数字でしかなかった加速度が、内臓を引っ張る物理的な力に変わる。
背後でビームが光った。
1発目。右舷2メートルを通過。
当たっていない。読み通りだ。ヴォルフ級の初弾は必ず進行方向の右前方に来る。砲塔配置の構造上、そうなる。
2発目。今度は左。修正射だ。
操縦桿を右に倒して回避。船体が横にスライドする。ビームが左舷をかすめていった。
「3発目は――上だ!」
急降下。メーディアがノーズダウンして、頭上をビームが通過する。
当たらない。当たるわけがない。
ゲーム時代、ヴォルフ級の射撃パターンは全パターン暗記した。初弾から5発目までの修正射の傾向、6発目以降のランダムパターン、砲塔冷却中のインターバル。全部頭に入っている。
だが。
「……っ!」
6発目のビームが、シールドをかすめた。メーディアが揺れる。シャンデリアがガラガラ鳴る。
ゲームと違う。ビームの弾速が微妙に速い。修正射のタイミングもコンマ数秒ずれている。
考えてみれば当然だ。これはゲームのAIじゃない。向こうにも生身の人間が乗っている。パターン通りに撃ってくるほうがおかしい。
「くそ……考えろ考えろ考えろ」
パターンが通用しないなら、別のアプローチが要る。
モニターを見る。周辺の宙域マップ。メーディアの現在位置から最寄りのステーションまでの距離。まだ遠い。このまま直線で逃げたら追いつかれる。ヴォルフ級の最高速度はメーディアより上だ。
ただし、加速性能はメーディアのほうが上。小型艦の利点だ。
そして――
マップの右端に、小惑星帯の表示。
「あった」
* * *
小惑星帯。宇宙空間に無数の岩塊が漂う、航行困難な宙域。
ゲームでは「上級者向けの逃走ルート」として知られていた。大型艦ほど小惑星を避けきれずに速度が落ちる。逆に、小型で機動性の高い艦は岩の隙間を縫って振り切ることができる。
メーディアは小型。機動性B。
ヴォルフ級は中型。機動性C。
勝算はある。
「針路変更、135。小惑星帯に突っ込む」
メーディアが大きく旋回する。プリンセス・オーラの光が弧を描いて宇宙に金色の航跡を残す。
めちゃくちゃ目立つ。ステルス性ゼロ。だが、この際関係ない。
背後のヴォルフ級が追ってくる。距離が詰まる。ビームが連射される。
だが、小惑星帯に入った瞬間、状況が変わった。
岩だ。
でかい岩。小さい岩。回転する岩。ゆっくり漂う岩。不規則に動く岩、岩、岩。
視界の全てが灰色の塊で埋まる。
「よし、ここなら――」
操縦桿を左右に振る。メーディアが岩の間をすり抜ける。上、下、左、右。隙間を見つけては体をねじ込む。
小型艦の本領発揮だ。98メートルの船体が、数メートル単位の隙間を縫っていく。
後ろを確認。ヴォルフ級が小惑星帯に入ってきたが、明らかに速度が落ちている。中型艦のサイズでは岩を避けるのに精一杯だ。射撃どころじゃない。
「ははっ……! ゲームと同じだ、こういうのは!」
思わず笑みが浮かぶ。
これは知っている。何100回も通った道だ。
小惑星帯での回避機動はメーディアの真骨頂だった。ゲーム時代、「メーディアを追って小惑星帯に入ったら負け確」と言われていた。あの船は岩の隙間に消えるから。
巨大な小惑星が正面に迫る。直径はメーディアの3倍以上。
正面から突っ込み、直前で急旋回。小惑星の裏側に回り込む。メーディアの船体が岩肌すれすれを通過する。フィンの先端が岩をかすめたかもしれない。
だが当たってない。
当てない。
小惑星の影に入った瞬間、スラスターを全停止。慣性だけで滑走しながら、船体のエネルギー出力を最小にする。
プリンセス・オーラの光が消える。
メーディアが、初めて宇宙空間で暗くなった。
「…………」
息を殺す。
センサーに映るヴォルフ級の位置。小惑星帯の中を、まだこちらを探している。だが、オーラを消した状態ではメーディアの視認性は通常に戻る。
小型艦が小惑星の裏に隠れたら、中型艦のセンサーでは見つけにくい。岩塊が電波を乱反射するからだ。これもゲームで学んだ知識。
10秒。30秒。1分。
ヴォルフ級が動いた。
小惑星帯を離脱していく。諦めたのだ。小型艦1隻を追って小惑星帯を捜索するのは割に合わない。向こうもそれくらいの計算はする。
センサーから、赤い点が消えた。
* * *
しばらく動けなかった。
操縦桿を握ったまま、シートに沈み込む。全身の力が抜けていく。手が震えている。今度は興奮じゃなくて、緊張が抜けた後のやつだ。
「……生きてる」
天井を見上げる。シャンデリアがぼんやりと光っている。エネルギー出力を最小にしたからだろう、いつもより暗い。
その薄暗い光が、やけに綺麗だった。
「ふう……」
大きく息を吐く。
生き延びた。初めてのリアル遭遇戦で、撃沈されずに済んだ。
だが、問題は山積みだ。
まず、この世界ではゲームのパターンが完全には通用しない。相手はAIじゃなく生身の人間だ。基礎データは参考になるが、実戦では修正が入る。ゲーム知識だけに頼っていたら、いつか致命的なミスをする。
次に、単艦では限界がある。今回はたまたま近くに小惑星帯があったから逃げ切れた。開けた宙域で追い詰められたら、メーディアの機動力だけでは振り切れない相手もいる。
そして何より――
「一人は、きつい」
呟いた。
ロボたちは黙って仕事をしている。エネルギー出力の復帰作業だろうか、廊下をキュルキュルと移動する音が聞こえる。
ゲームの時は、1人だった。画面の前に座って、1人でメーディアを操っていた。それで良かった。
だが、この世界では違う。
恐怖を誰かと分かち合えない。判断を誰かに委ねられない。背中を預ける相手がいない。
今、心細さが初めて実感として押し寄せてきている。
ピッ。
足元で電子音がした。見下ろすと、整備ロボが1体、操縦席の横に来ていた。
アームの先に何か持っている。
カップだ。
湯気が立っている。
「……何それ」
受け取る。温かい。カップの中身は、薄い琥珀色の液体。匂いを嗅ぐ。紅茶だ。
整備ロボは何も言わない。カップを渡し終えると、くるりと向きを変えて去っていった。キュルキュル。
「…………」
一口飲む。
美味い、とは言えない。温度は適切だが、味が薄い。たぶん淹れ方がマニュアル通りで、茶葉の量も湯の温度も機械的に計測した結果なのだろう。人間が淹れたら、もうちょっと何か違う。
だが。
温かかった。
「……ありがとな」
誰に向かって言ったのか、自分でもよく分からない。
メーディアに、かもしれない。
ロボに、かもしれない。
とにかく、俺は今、温かい紅茶を飲んでいる。シャンデリアの薄明かりの下で。
死にかけた直後に飲む紅茶は、味が薄くても、ちょっとだけ沁みた。
* * *
紅茶を飲み終えて、操縦桿に手を戻す。
小惑星帯を抜ける。センサーに敵影はない。安全を確認して、ナビゲーションマップを開く。
最寄りの中立ステーション。距離はまだあるが、このまま巡航速度で向かえば数時間で着く。
やることは決まっている。
情報収集。この世界の仕組みを知る。金の稼ぎ方、安全な航路、頼れる相手の見つけ方。
そして――できれば、誰かと話したい。
人間の声が聞きたかった。
「さて、行くか」
プリンセス・オーラが再び輝き出す。メーディアの船体が純白の光を取り戻し、金色の粒子を宇宙に散らす。
隠密行動? そんなものはこの船にはない。
「目立つんなら、堂々と行くしかねえよな」
ステーションに向かって、メーディアが加速する。
キラキラ光りながら。
宇宙一目立つ小型艦が、まだ名前も知らない星の海を渡っていく。
観客は、ゼロ。




