第28話 慢心
好調だった。
2航路体制が安定し、ヴェルナーとの連携も確立した。定期便の予約は常に埋まり、VIPの口コミでさらにVIPが来る好循環。月の稼ぎは過去最高を更新し続けている。
だが、好調な時こそ落とし穴はある。
それは、ノヴァ・セレーネ便の帰路で起きた。
* * *
客はノヴァ・セレーネ商工会議所の重鎮、ブルクハルト氏。60代。白髪。眼鏡。背筋が定規で引いたように真っ直ぐで、口数が少ない。
乗艦した瞬間にメーディアの内装を隅々まで見回し、「ほう」とだけ言った。褒めてるのか値踏みしてるのか分からなかった。
食事の時間。
ロボがいつも通りの完璧なセッティングを敷き、いつも通りの完璧な盛り付けで料理を運んだ。
メインの肉料理。ソースが添えられた皿を、ロボがアームでテーブルに置く。
その瞬間。
メーディアが微かに揺れた。航路上の小さな宙流に乗ったのだろう。通常なら気にもならない程度の振動だ。
だが、ロボのアームが皿を置くタイミングと重なった。
皿が傾いた。
ソースが滑った。
ブルクハルト氏の白いシャツの袖に、茶色のソースが飛んだ。
食堂が凍った。
ロボが0.5秒で布を取り出し、拭こうとした。だが遅い。ソースはもう染みている。
ブルクハルト氏がゆっくりと袖を見下ろした。
「……これは」
声に温度がなかった。怒鳴るタイプじゃない。静かに怒るタイプ。そっちのほうが怖い。
「大変申し訳ございません。すぐにお着替えをご用意いたします」
俺が頭を下げた。深く。背中が痛くなるくらい深く。
衣装部屋から予備のシャツを持ってこようとしたが、メーディアの衣装は式典用のドレスと礼装しかない。ブルクハルト氏の体格に合うビジネスシャツなんてあるわけがない。
「お着替え……ございませんよね。この船の衣装は、見せていただきました。ドレスとローブでしたね」
「……申し訳ありません」
「ロボットの配膳に、人間の監督がいないのですか」
「現状は、ロボのみで対応しております」
「それが問題です」
静かに、だが明確に。ブルクハルト氏は問題を指摘した。
「機械は優秀です。ですが、不測の事態には対応できない。今回の揺れは予測不能でした。そういう時に人間がいれば、皿を押さえるなり、タイミングをずらすなり、対処できたはずです」
正論だった。反論の余地がなかった。
* * *
ブルクハルト氏は次の中継ステーションで降りた。途中下船。
降り際に言った。
「船自体は素晴らしい。内装も、ロボットの基本的なサービスも。ただ、この品質の船にふさわしい接客体制が整っていない。もったいない」
「もったいない」という言葉が、一番堪えた。怒鳴られるより効く。
チップはゼロだった。当然だ。
さらに3日後、ギルドに正式な苦情が入った。
ベテラン職員が申し訳なさそうに伝えてきた。
「ブルクハルト氏から書面での苦情です。『接客体制の改善を求める。人間の客室係を配置すべき』と」
「……受け止めます」
「ケイトさん。ブルクハルト氏は商工会議所の中でも発言力がある方です。この苦情が広まると、ノヴァ・セレーネ方面のVIP客に影響が出る可能性があります」
ノヴァ・セレーネの客が離れる。それは収入に直結する。
分かっている。分かっていた。ロボだけの接客に限界があることは、薄々感じていた。今まではうまくいっていた。だが、「うまくいっていた」のは運が良かっただけだ。ソースの件は、いつか起きる事故だった。
* * *
客室係を雇う。
決めた。ロボだけでは不十分だ。人間の目と手が必要だ。
だが、問題がある。条件が厳しい。
【客室係 募集要件】
①接客マナーが完璧であること(VIP対応必須)
②宇宙航行に耐えられる体力があること
③メーディアの空間に馴染めること
①と②は普通の条件だ。問題は③。
こいつの内装は普通じゃない。シャンデリア、ステンドグラス、赤絨毯、金装飾。宮殿だ。この空間で自然に振る舞える人間は、そう多くない。
ギルドに募集を出した。
* * *
候補1人目。レイモンドという30代の男。元ホテルスタッフ。
経歴は申し分なかった。高級ホテルでの勤務経験3年。接客の基本はできている。
メーディアに乗った。
艦内に入った瞬間、足が止まった。シャンデリアを見上げ、赤絨毯を見下ろし、ステンドグラスを横目で確認し――
「……これ、本物ですか」
「本物だ」
「全部?」
「全部」
レイモンドの顔がこわばった。圧倒されている。
試用期間1日目。客室への案内でぎこちない。シャンデリアの下を通るたびに天井を見上げる。視線が内装に吸われて、客の方を見ていない。
2日目。配膳中にロボとぶつかった。ロボの動線を読めない。ホテルのフロアと、メーディアの艦内では空間の使い方が違うのだ。
3日目の朝、レイモンドが言った。
「すみません、ケイトさん。この船、なんか落ち着かないんです。すごいのは分かるんですけど、俺には合わない気がします」
正直な男だった。合わないものは合わない。仕方がない。
「分かった。ありがとう」
3日で終了。
* * *
候補2人目。ミリアムという20代前半の女性。飲食店の接客経験あり。
明るい。愛想がいい。メーディアの内装にも「かわいい!」と好反応。馴染めそうだと思った。
問題は別のところにあった。
VIPの対応が雑だった。
「こちらどうぞー! お紅茶入りまーす!」
元気はいい。だが、ヘルムート夫妻のような富裕層に対するトーンではない。カフェの接客と、VIPの接客は別物だ。
ヘルムート夫人がにこやかに俺に言った。
「元気な方ね。でも、ちょっとね……」
ヘルムート夫人の「ちょっとね」は外交的な表現だ。翻訳すると「合わない」。
ミリアムは悪い子じゃなかった。カフェなら最高のスタッフだろう。だが、メーディアのVIP客には合わなかった。
1週間で契約終了。
「ミリアムさん、悪いが……」
「分かってます! ちょっとレベルが違いましたね、あたし。でも楽しかったです!」
笑顔で帰っていった。いい子だ。こいつじゃなければ最高の人材だった。
* * *
2人ダメだった。
メーディアの食堂。3人でテーブルを囲んでいる。
「こいつに合う人間がいないんだよ」
ため息をついた。
「お前の船が特殊すぎるんだよ」
ガルドが肉を噛みながら言った。身も蓋もないが、事実だ。
「否定できないわね。あの内装に馴染めて、VIPの接客ができて、ロボと連携できる人間。条件が3つ揃う人材は、普通のルートじゃ見つからないわよ」
リーネの分析は正確だ。正確だからこそ救いがない。
「他に候補は」
「今のところゼロ。ギルドの登録者リストは全部見た。条件に合う人がいない」
「求人サイトとか」
「この宙域に求人サイトはないわ」
「……だよな」
ガルドが骨つきの肉を振りながら言った。
「そもそもな、普通の船なら客室係なんていらねえんだよ。お前の船がシャンデリア積んで宮殿やってるから、それに見合う接客が必要になる。自業自得だ」
「自業じゃない。こいつの設計者のせいだ」
「設計者のせいにしても解決しないだろ」
「しない。だが言わせてくれ」
こいつの装飾が豪華すぎるから、客の期待値が上がる。期待値が上がるから、接客の水準も上げなきゃいけない。水準を上げるには人材が必要。だが、人材がいない。
豪華であることのコスト。維持費だけじゃなく、人件費まで。こいつは本当に金食い虫だ。
* * *
当面の対策として、ロボの接客精度を上げることにした。
リーネがロボの動作パターンを解析し、配膳時のリスクを洗い出した。
「ソースの件は、配膳動作と艦の振動が重なった時に起きるわ。対策として、配膳時は皿を置く直前に0.3秒の静止を入れる。振動の有無を確認してから置く」
「0.3秒で何が変わるんだ」
「ロボのセンサーが振動を検知する時間が0.2秒。0.3秒あれば検知して動作を中断できる。皿を持ったまま待機する」
ロボに新しいパターンを学習させた。配膳前の静止。振動検知。中断判断。
テストした。俺が食堂のテーブルに座り、ロボが料理を運んでくる。置く直前に、ロボのアームが0.3秒止まる。
「……分かるか、この間」
「客には気づかないレベルよ。0.3秒は人間の知覚閾値以下」
「たった0.3秒が事故を防ぐのか」
「たった0.3秒よ。でも、あの日その0.3秒がなかったから、ソースが飛んだ」
0.3秒。小さな改善。だが、こういう積み重ねがサービスの質を作る。
他にも調整した。
客の動きを予測して、ロボが先回りする動線を組んだ。客がカップを置いたら3秒以内にお代わりを注ぐ。客が立ち上がったら椅子を引く。客が窓を見たら照明を少し落とす。
ロボの接客が、目に見えて良くなった。
だが。
客が何かを話しかけた時に、ロボは答えられない。
「この紅茶、何という銘柄?」
ロボは黙ったまま紅茶を注ぐ。
「この窓から見える星、きれいね」
ロボは黙ったまま照明を調整する。
応答がない。サービスは完璧だが、会話がない。「人間の温かみ」は、ロボには再現できない。
分かっていた。ロボは「仕事」はできる。「おもてなし」はできない。おもてなしには、人間がいる。
* * *
定期便は続いた。
ロボの改善された接客で、大きなトラブルは起きなくなった。0.3秒の静止が仕事をしている。
だが、チップの額が微妙に下がっていた。
以前は満室便でチップ率100パーセントだった。今は80パーセント。金額も少し減っている。
客は不満を口にしない。だが、足りないものがあることは、チップの数字に出る。
足りないもの。
言葉。笑顔。「いらっしゃいませ」「ごゆっくり」「何かございましたら」。
たったそれだけのことが、こいつには足りない。
ヘルムート氏が食後の紅茶を飲みながら、さりげなく言った。
「ケイトくん。船の調子はどうかね」
「おかげさまで。ロボの接客も改善しまして」
「うん。確かに良くなった。ただ……」
「ただ?」
「寂しくなったな。テーブルが」
それだけ言って、紅茶を飲んだ。
寂しくなった。
何が寂しくなったのか、俺には分からなかった。テーブルは同じだ。セッティングも同じ。ロボのサービスはむしろ改善されている。
何が足りないのか。
分からないまま、定期便はレグルスに戻った。
* * *
メーディアの食堂。3人でテーブルを囲んでいる。
ロボが3人分のセッティング。紅茶が3杯。花が3つ。
ガルドが肉を噛み、リーネが端末を触り、俺が紅茶を飲む。
いつもの光景だ。
「候補、まだ見つからないのか」
ガルドが聞いた。
「ゼロだ。条件に合う人間が出てこない」
「まあ焦ってもしょうがねえか。出てくるまで待つしかないだろ」
「ああ。ロボと俺でやれるところまでやる」
リーネが端末から顔を上げた。
「ロボの接客精度はこれ以上上がらないわよ。ハードウェアの限界。ソフト面でやれることはやり尽くした」
「分かってる」
「つまり、今の状態がうちの上限。人間が加わらない限り、これ以上は伸びない」
「……分かってる」
分かっている。
こいつに合う人間が必要だ。
だが、いない。
紅茶を飲み干した。
「まあ、焦ってもしょうがない。合う人間が現れるまで、できることをやる」
「いつも通りだな、お前は」
「いつも通りだよ。なんとかするしかない」
なんとかする。いつもこれだ。転生した時も、機雷投射機を買う金がなかった時も、赤牙に追われた時も。なんとかしてきた。今回も、なんとかする。
方法はまだ分からないが。
シャンデリアの光を見上げた。
こいつの光は相変わらずきれいだ。修理したクリスタルが、いい輝きを落としている。
この光にふさわしい人間が、どこかにいるはずだ。
見つかるまで、ロボと俺でやる。
それだけだ。




