第25話 なんとかしますので
シャルロッテのバイトが始まって数週間が経った。
状況は変わりつつある。
弁償金の2000クレドは、バイト代から少しずつ返済して完済した。ボロ船の修理費も分割払いが順調に進んでいる。ゲラルドの修理が丁寧だったおかげで、船の状態もだいぶ良くなったらしい。
つまり、シャルロッテがうちでバイトを続ける「必要」は、そろそろなくなる。
そのことを、俺は少し前から考えていた。
* * *
今日はカリスト定期便。ヘルムート夫妻と常連のシュタイナー夫妻、新規1組の満室便。
シャルロッテの仕事ぶりは、もう完璧を超えていた。
客が乗艦した瞬間から降りるまで、全部が自然だ。荷物を受け取り、客室に案内し、紅茶を出し、食事を配膳し、会話をする。ロボがハード面を完璧にこなし、シャルロッテがソフト面を完璧にこなす。人間とロボの理想的な分業。
しかも、シャルロッテがいるだけで食堂の雰囲気が変わる。
上品な所作。穏やかな声。客の名前を一度で覚える記憶力。さりげない気配り。全部が「この船に乗ってよかった」という空気を作っている。
ロボだけの時も十分だった。だが、シャルロッテが加わると「十分」が「特別」に変わる。
「シャルロッテさん、次もいてくださるの?」
食後の紅茶の時間に、マルタ夫人が聞いた。
「あら、わたくしはバイトですので……。いつまでかは、ケイトさん次第ですわ」
シャルロッテがにっこり笑ってこちらを見た。
こっちに振るな。
「シャルロッテさんがいると安心するのよね。この船、素敵だけれど、人の温かみがあるとさらにいいわ」
ヘルムート夫人も頷いている。常連の2人が揃って「いてほしい」と言っている。
客の声は正直だ。シャルロッテがいる便と、いない便では、チップの額が目に見えて違う。
* * *
航行中。客が客室で休んでいる時間。
シャルロッテが廊下のパネルを拭いていた。バイトの範囲外だが、もう誰も止めない。あの「円を描くように」の磨き方で、ゼルニウムのパネルを1枚1枚。
ロボが横で同じ動きをしている。シャルロッテの磨き方を完全にコピーした。2人並んでパネルを磨いている光景は、なんというか、穏やかだった。
シャルロッテがロボに話しかけている。ロボは答えないが、シャルロッテは気にしない。
「ここの光沢、きれいに出ましたわね。あなた、上手になりましたわ」
ロボのアームが微かに動いた。お辞儀、に見えなくもない。
この2人――いや、1人と1体は、すっかり仲良しだ。ロボが人間に懐くという表現がおかしいのは分かっているが、他に言いようがない。シャルロッテの前ではロボの動きが柔らかく見える。
リーネが通信で言った。
「ケイト。あの子、そろそろ弁償金も片付くでしょう」
「ああ」
「バイトの理由がなくなるわね」
「……分かってる」
「どうするの」
「考えてる」
「考えてるなら早いほうがいいわよ。あの子、自分から言い出すタイプだから」
リーネは鋭い。その通りだ。シャルロッテは自分から「そろそろバイトを終わりにします」と言うタイプだ。プライドがある。居場所がなくなったら、しがみつかずに出ていく。
その前に、俺から切り出すべきだろう。
* * *
カリスト到着。客を送り届けた。チップが今回も良かった。シャルロッテがいる便のチップ率は100パーセント。全組が何かしらのチップを置いていく。
帰路。空荷の航行。
メーディアの食堂。4人でテーブルを囲んでいる。
ロボが4人分のセッティング。花が4つ。紅茶が4杯。もう4人が標準になっている。
ガルドが肉を噛みながら「今日も平和だったな」と言った。筋トレは5セット。暇だったらしい。
リーネが端末を触りながら紅茶を飲んでいる。いつも通り。
シャルロッテが紅茶をゆっくり飲んでいる。穏やかな顔だ。
頃合いだ。
紅茶を一口飲んで、カップを置いた。
「なあ、シャルロッテ」
「はい?」
「ちょっと、話があるんだけど」
シャルロッテが紅茶のカップを置いた。背筋が少し伸びた。何かを察したのかもしれない。
「バイト、もうすぐ理由がなくなるだろ。弁償金は片付いたし、修理費の分割もあと少しだし」
「……はい。おかげさまで」
「で。これはその……提案なんだけど」
言葉を選んだ。慎重に。
「バイトじゃなくて、正式にうちで働く気はないか」
テーブルが少し静かになった。
ガルドが肉を噛む音が止まった。リーネが端末から顔を上げた。
シャルロッテは、微かに目を見開いた。だが、すぐに表情を戻した。
「……正式に、というのは」
「メーディアの乗組員。接客担当。バイトじゃなく、固定の報酬で。客からの評判もいいし、ロボとの連携も……まあ、見ての通りだ。お前がいると、この船の空気が変わるんだよ」
正直に言った。お世辞でも社交辞令でもなく。
「チップも明らかに増えてる。客が『次もいてほしい』と言ってる。経営的にも……いや、経営とかじゃなくて」
言葉が出てこない。経営とか言い出すと計算みたいだ。そうじゃない。
「なんていうか……このままいたほうがいいんじゃないかって。お互いに」
不器用だ。分かってる。もっとうまく言える人間はいくらでもいる。だが、俺はこう言うしかない。
* * *
シャルロッテが微笑んだ。
きれいな笑顔だった。嬉しさと、申し訳なさと、何か別のものが混じった笑顔。
「ケイトさん」
「うん」
「お気持ちは、とても嬉しいですわ」
「嬉しいですわ」の後に、「でも」が来ることは分かっていた。
「でも、わたくし、自分の船で自分の仕事をやりたいんです」
声は穏やかだった。迷いがなかった。
考えて出した答えじゃない。最初から決めていた答えだ。
「あのボロ……あの船は、お父様の事業から唯一残ったものです。売れ残りで、古くて、格好悪いですけれど。わたくしの船なんです」
自分でボロと言いかけて、言い直した。あの船への思いがある。ボロでも、自分のもの。
「ここにいると、楽ですわ。紅茶は美味しいし、ロボさんたちは優しいし、シャンデリアはきれいだし。毎日この船にいられたら、それはとても幸せだと思います」
「だったら……」
「だからこそ、です」
シャルロッテが少しだけ真剣な目になった。強がりの奥にある、本当の芯。
「ここに甘えたら、わたくし、自分の足で立てなくなる気がするんです。この船は素敵すぎますわ。居心地が良すぎて。だから……」
紅茶のカップに視線を落とした。
「なんとかします。自分で。心配なさらないでください」
「なんとかします」。
前に聞いた時は、なんとかなる要素がゼロの強がりだった。
今日の「なんとかします」は、違った。弁償金を返した。修理費も目処がついた。バイトで接客の経験を積んだ。ゼロじゃなくなっている。
それでも、まだ不安定だ。ボロ船で1人。信用はこれから。
だが、この女はそれを分かった上で「なんとかします」と言っている。
* * *
俺は紅茶を一口飲んだ。
「……そうか」
それ以上は言わなかった。
引き留めたら、この女のプライドを潰すことになる。
ここにいたほうが楽だろ、とか。1人じゃ大変だろ、とか。そういうことを言ったら、シャルロッテは傷つく。正しい言葉だとしても、それは「あなた1人じゃ無理ですよ」と言うのと同じだ。
こいつは、自分の足で立ちたいのだ。
その気持ちは、分かる。
俺だって、この世界に来た時は1人で、ポンコツの船しかなくて、どうにかするしかなかった。どうにかした。下手くそなやり方で、遠回りして、何度も危ない目に遭って。でも、どうにかした。
シャルロッテも、どうにかしたいのだ。自分の力で。
ガルドが黙って肉を噛んでいた。
リーネは端末の画面に目を落としていた。何も言わない。
2人とも、聞いていた。聞いた上で、何も言わなかった。
引き留めないのが、この場の正解だと分かっているから。
* * *
「でも」
シャルロッテが顔を上げた。さっきの真剣な目から、また笑顔に戻っていた。
「この船のことは、大好きですわ」
「……ああ」
「お客として、たまに乗りに来てもよろしいですか?」
客として。
金を払って、客として乗る。対等な関係。施しでも雇用でもなく。
「……いつでも来いよ。予約は優先で取る」
「まあ、VIP待遇ですの?」
「常連割引だ。紅茶1杯分くらいは」
「ふふ。楽しみですわ」
笑った。今日一番きれいな笑顔だった。
ガルドが残りの肉を飲み込んで、ようやく口を開いた。
「あんた、根性あるな」
「え?」
「ここのほうが楽なのに、出ていくんだろ。根性がなきゃできねえ」
「根性なんて……そんな大層なものじゃございませんわ。ただの意地です」
「意地と根性は同じだろ」
「……そうかもしれませんわね」
リーネが紅茶を飲み干して言った。
「困ったら、私の艦で働いてもいいわよ。データ整理とか、人手が欲しい時もあるから。いつでも連絡しなさい」
「リーネさん……」
「別に。あなた、仕事が丁寧だから。使えるのよ」
素直に「心配してる」とは言わない。「使える」という評価に変換する。リーネらしい。
「……ありがとうございます」
シャルロッテの声が少し震えた。泣いてはいない。堪えている。いつも通り。
* * *
バイト最終日。
シャルロッテが食堂を掃除していた。
いつもより丁寧に。テーブルを拭き、椅子を整え、ナプキンを折り直し。ロボと一緒に。
ロボがシャルロッテの横について、同じ動きをしている。
最後に、シャンデリアを見上げた。
光を眺めている。何を思っているのか、表情からは分からなかった。
「お世話になりました」
きれいなお辞儀。教わらないとできない、深くて正確なお辞儀。
「気をつけてな」
「はい」
「メシ食ってないで飛び込み営業しろよ。ギルドの掲示板だけじゃなく、直接商店に声かけたほうが仕事は取れる」
「……はい」
「あと、宙賊がいそうな宙域は避けろ。お前の船じゃ逃げ切れない」
「分かっていますわ」
「紅茶の茶葉、少し分けておいた。持って帰れ」
「え」
「余ってたから。気にすんな」
余ってない。今朝、こっそり小分けにした。
「……ありがとうございます」
シャルロッテが茶葉の袋を受け取った。両手で、大事そうに。
「なんとかしますので」
「ああ。なんとかしろ」
シャルロッテが歩いていった。
まっすぐな背中だった。作業着はくたびれているけど、姿勢だけは令嬢のまま。
ドッキングベイを出て、修理が終わった自分の小さな船に向かっていく。
小さな船だ。メーディアの3分の1もない。ゼルニウムのパネルもシャンデリアもない。
だが、あの女の船だ。
* * *
シャルロッテが帰った後のメーディアの食堂。
3人でテーブルを囲んでいる。ロボが3人分のセッティングに戻した。花が3つに減った。
……少し広くなった。テーブルが。
「広いな」
「4人がけに3人だからな」
ガルドが簡潔に答えた。
リーネが紅茶を飲みながら言った。
「茶葉、余ってたの?」
「余ってた」
「嘘つき」
「……4回目だぞ、それ」
「何が」
「リーネの『嘘つき』カウント。4回目」
「数えてたの?」
「数えてた」
リーネが少しだけ笑った。
シャンデリアの光を見上げる。
あの女が最初にこの光を見て涙ぐんだ日から、数週間。
パネルの磨き方を教わった。衣装部屋で大騒ぎした。ロボと一緒に食堂を掃除した。客に紅茶を出して、「シャルロッテさん、次もいてね」と言われた。
で、いなくなった。自分の意思で。
断ったのだ。こっちの方が楽なのに。
ボロ船で、1人で、信用もない状態から、もう一度やり直すと。
「……嫌いじゃないな、ああいう生き方」
呟いた。
俺もそうだった。こいつしかなくて、金もなくて、どうにかするしかなかった。
どうにかした。仲間ができて、稼いで、花道を覚えて、ここまで来た。
シャルロッテも、きっとどうにかする。
あの女には根性がある。ガルドが言ったように。本人は「意地」と言い張るだろうが。
「ケイト」
ガルドが言った。
「あ?」
「あいつ、また来るよ」
「……だろうな」
不思議と彼女とはまた会う気がした。




