第23話 人手
レグルスの運送ギルド窓口。
定期便の書類を出しに来たのだが、窓口が混んでいた。仕方なく待っていると、カウンターの奥で誰かが揉めている声が聞こえた。
「弁償金のお支払いが確認できませんと、次の依頼をお受けすることが……」
「分かっています。分かっていますけれど、もう少しだけ猶予をいただけませんか」
聞き覚えのある声だった。丁寧で、品がある。だが、声の端が震えている。
カウンターの向こうに、金髪の後ろ姿が見えた。くたびれた作業着。だが、背筋がまっすぐ。
シャルロッテだった。
* * *
声をかけようか迷った。
迷ったが、聞こえてしまったものは仕方ない。
シャルロッテがカウンターから離れてきた。書類を握りしめている。顔が白い。唇を噛んでいる。
俺に気づいた。
「あ……ケイトさん」
一瞬、顔を取り繕おうとした。笑顔を作ろうとした。だが、作れなかった。
「……お恥ずかしいところをお見せしました」
「大丈夫か? 何かあった?」
「大丈夫ですわ。ちょっとした手続きの問題で」
大丈夫じゃない顔で「大丈夫」と言う。前も聞いた。この女は追い詰められるほど強がる。
「よかったら飯でも食わないか。ギルドの食堂が安いんだ」
「いえ、本当に……」
「おごるよ。気にすんな」
「……すみません」
「おごる」の一言で折れた。相当腹が減っているのだろう。
* * *
ギルドの食堂。定食が15クレド。肉串が2クレド。庶民の味方だ。
シャルロッテの前に定食を置いた。彼女はナプキンを膝に置いてから、背筋を正して食べ始めた。定食を食べるのにもマナーが出る。
だが、箸の進みが速かった。上品に、だが確実に皿が空になっていく。かなり食べていなかったのだ。
食べ終わるのを待って、聞いた。
「よかったら聞かせてくれないか。さっきギルドで何かあったみたいだったけど」
シャルロッテが箸を置いた。目を伏せて、少し間を置いてから話し始めた。
「先日、宙賊に襲われた時のことです。ケイトさんに助けていただいた、あの時」
「ああ」
「あの時、わたくし、荷物を運んでいたんです。ノヴァ・セレーネの商社から預かった電子部品。納期つきの依頼でした」
嫌な予感がした。
「宙賊に追われている間に、船のカーゴが破損しまして。積荷が……全滅しました」
「……全滅」
「ケイトさんに助けていただいた後、確認したら、もう使い物にならない状態でした。依頼主には納品できず。依頼失敗です」
宙賊に襲われたのは不運だ。だが、依頼主にとっては結果がすべてだ。荷物が届かなければ、理由がどうあれ失敗は失敗。
「弁償を求められてるのか」
「はい。積荷の評価額で2000クレド。お支払いできなければ、ギルドの依頼受注を停止すると」
2000クレド。シャルロッテにとっては致命的な金額だろう。あのボロ船の修理費4000クレドの分割すら厳しい状態で、さらに2000。
「仕事は」
「……来ません。ギルドに依頼失敗の記録が残りましたので。新しい依頼がゼロです。信用のない零細運送屋には、誰も荷物を預けてくれません」
仕事なし。弁償金あり。修理費あり。
完全に詰んでいる。
「これからどうする予定なんだ?」
「なんとかします」
出た。「なんとかします」。なんとかなる要素がゼロの状態で「なんとかします」。強がりもここまで来ると清々しい。
「なんとかするって、具体的には?」
「……それは、これから考えます」
「まだ決まってないのか」
「考えてますわ! 考えてますけど……まだ答えが出てないだけで……」
声が大きくなった。敬語が乱れた。
すぐに口を押さえた。
「……失礼しました」
地が出かけて、慌てて引っ込めた。この女のプライドは、こういう形で出る。追い詰められると強がり、強がりきれなくなると地が出て、出たことを恥じてまた引っ込める。
面倒くさい。だが、嫌いじゃない。
* * *
食堂を出た後、少し考えた。
助けてやりたいとは思う。だが「助けてやる」と言ったら、この女は断る。プライドが許さない。施しを受けるくらいなら、空腹のまま「大丈夫」と言い続けるタイプだ。
だったら、施しじゃない形にすればいい。
仕事を出す。対等な取引の形で。
メーディアに戻って、リーネに相談した。
「あの女、詰んでるんだ。仕事がなくて弁償金も払えない。なんとかできないか」
「なんとかって、具体的には」
「うちで雇う。バイトで。定期便の手伝いとか」
「人手は足りてるわよ。ロボがいるから」
「……分かってる。でも、客が増えてるだろ。接客要員がいたらいいなと、前から思ってた」
「前から? 初耳だけど」
「今思いついた」
「正直ね」
リーネが眼鏡を押し上げた。考えている顔だ。
「接客要員、という名目なら筋は通るわ。あの子、マナーが完璧でしょう。カリストやノヴァ・セレーネの富裕層客に対応するには、私たちより適任かもしれない」
「お前は接客する気ないもんな」
「データを触ってるほうが性に合うの」
「ガルドは論外として」
「論外ね」
ガルドが護衛中に筋トレしてる姿を客に見せるわけにはいかない。
「じゃあ、決まりだ。シャルロッテに声をかける」
「1つだけ。あの子のプライドを潰さないようにね。対等な取引の形で提案して」
「分かってる」
「分かってるならいいわ。あなた、そういうところは気が利くから」
「……褒めてるのか」
「事実を述べてるだけ」
* * *
シャルロッテを見つけたのは、レグルスの商店街だった。
衣料品店の前で立ち止まっている。ウィンドウの中の服を見ていた。値札を見て、目を逸らして、歩き出す。
買えないものを眺めている背中は、少し小さかった。
「シャルロッテ」
振り返った。笑顔を作った。速い。条件反射のように笑顔が出る。
「ケイトさん。先ほどはごちそうさまでした」
「ああ。それより、話がある」
「話?」
「仕事の話だ」
シャルロッテの表情が変わった。警戒ではない。期待と不安が混じった顔だ。
「うちの定期便、客が増えてきて接客が回らなくなってきた。ロボは完璧だが喋らないからな。客と会話できる人間が1人いると助かる」
嘘だ。ロボの接客で客は十分満足している。
「カリストとノヴァ・セレーネの富裕層が相手だ。マナーと品が要る。お前みたいなのが適任だと思ったんだが」
これは嘘じゃない。シャルロッテの接客スキルは本物だ。
「短期バイトでよければ。日当は……」
報酬を提示した。高くも安くもない。バイトとしてまともな額。修理費の分割と弁償金を少しずつ返せるくらいの。
シャルロッテが黙った。
5秒。10秒。
「……お気持ちは嬉しいのですが」
来た。断る顔だ。
「ご迷惑をおかけするわけには参りません。わたくしの事情で、ケイトさんにご負担を……」
「負担じゃない。こっちも助かるんだ。客の数が増えて、正直キツいんだよ。ロボは盛り付けと掃除のプロだが、客と雑談する機能がない」
嘘を重ねた。ロボの接客で何の問題もない。だが、シャルロッテが「自分は必要とされている」と思える形にしなければ、この女は首を縦に振らない。
リーネから通信が入った。タイミングが完璧すぎる。聞いていたな。
「ケイト、ノヴァ・セレーネ便の次の予約、4組入ったわ。客室満室。接客できる人がいないと本当にきつい」
4組。これは本当だ。予約が増えているのは事実。リーネは嘘はつかない。半分本当のことを、ベストなタイミングで差し込んでくる。
「聞こえたか。4組だ。満室。ロボだけじゃ回らない」
シャルロッテの目が揺れた。
プライドと、現実と、目の前に差し出された手。
10秒。
「……では」
声が小さかった。
「お言葉に甘えます」
目が赤くなっていた。泣いてはいない。堪えている。堪えているのが分かる。
「ありがと……ございます」
敬語が、一瞬だけ崩れた。
「ありがとう」と「ございます」の間に、隙間があった。
地が出た。ほんの一瞬だけ。
「よろしく。次の定期便は3日後だ。メーディアのドッキングベイ17に来てくれ」
「はい」
シャルロッテが頭を下げた。きれいなお辞儀。ゲラルドが言っていた「教わらないとできない」お辞儀だ。
* * *
3日後。カリスト定期便。
シャルロッテがドッキングベイ17に来た。
服が変わっていた。相変わらずくたびれた作業着だが、前回より綺麗に洗濯されている。髪も整えてあった。跳ねていた金髪が、ちゃんとまとめられている。
初日の仕事に備えて、精一杯の身だしなみを整えてきたのだろう。
「おはようございます。本日からお世話になります」
「おう。まずは荷物の積み込みから頼む。客の荷物を客室に運ぶんだが、ロボが案内するから一緒に行ってくれ」
「承知しました」
整備ロボが1体、シャルロッテの横に寄ってきた。荷物を積んだカートをアームで押している。
「あ、お手伝いします」
シャルロッテがカートの反対側を持った。ロボと一緒に荷物を運び始める。
息が合っていた。
なぜか息が合っていた。ロボが方向を変えると、シャルロッテも自然にそれに合わせる。ロボが止まると、シャルロッテも止まる。阿吽の呼吸。初日で。
「……あいつら、もう馴染んでるな」
「ロボの動きに合わせられる人間は珍しいわね。普通は戸惑う」
リーネが感心していた。確かに、俺でもロボの動きのパターンを覚えるのに1週間はかかった。シャルロッテは初日で合わせている。
たぶん、使用人の動きに慣れているのだ。貴族の屋敷で育てば、召使いの動作に合わせて振る舞うのは当然のことだったのだろう。
* * *
客が乗艦してきた。今回はヘルムート夫妻と新規2組の満室便。
シャルロッテが客室への案内を担当した。
「こちらでございます。お荷物はこちらにお預けください。紅茶のご用意がございますので、少々お待ちくださいませ」
完璧だった。
声のトーン、視線の高さ、距離の取り方、荷物の受け取り方。全部がプロの接客だ。いや、プロというより、「生まれた時からそうしてきた人間」の所作だ。
客が喜んでいる。
「まあ、素敵な案内ね」
「船内のサービスが充実してるのねえ」
今まで、ロボの無言サービスだけで回していた接客が、シャルロッテが入ることで格段に上がった。ロボは完璧だが、言葉がない。シャルロッテは言葉がある。「いらっしゃいませ」「ごゆっくり」「何かございましたらお申し付けください」。たったそれだけの言葉が、客の満足度を変える。
ヘルムート夫人がシャルロッテに話しかけていた。
「あなた、育ちがいいのね。ケイトくんの新しい乗組員?」
「バイトですわ。短期の」
「あら、もったいない。あなたみたいな方が常駐してくれたら、この船はもっと素敵になるわ」
シャルロッテが少し照れた笑顔を浮かべた。上品な照れ方だった。
* * *
航行中。
シャルロッテの仕事ぶりを観察していた。
荷物の整理。客室のセッティング確認。食材の仕分け。どれもテキパキとこなしている。
だが、一番驚いたのは、そのどれでもなかった。
航行3時間目。客が客室で休んでいる間のことだ。
シャルロッテが、廊下の装飾パネルを拭いていた。
誰にも頼まれていない。仕事の範囲外だ。
柔らかい布を使って、パネルの表面を丁寧に、1枚1枚拭いている。指先でパネルの状態を確かめながら。
「あ、それ頼んでないけど……」
「あ、すみません。つい……こんな美しいパネルが曇っているのが、我慢できなくて」
「曇ってるか? ロボが毎日磨いてるけど」
「ロボさんたちの清掃は素晴らしいですわ。でも、ゼルニウム複合材は磨き方にコツがあるんです。直線ではなく、円を描くように。繊維の方向に沿って。そうすると、光沢の深さが変わりますの」
実演してくれた。確かに、シャルロッテが拭いた部分は、ロボが拭いた部分より輝きが深い。同じパネルなのに。
「……本当だ」
「昔、うちの屋敷に同じ素材のパネルがございましたから。お手入れの仕方は、子供の頃に教わりました」
子供の頃に。装飾パネルの磨き方を。
貴族の教育がどういうものか、ちょっとだけ垣間見えた気がした。
整備ロボが1体、廊下の端からこちらを見ていた。シャルロッテの磨き方を観察している。学習しているのだろうか。
「お前、見てるのか。パクるのか」
ロボは答えない。だが、アームの先端のアタッチメントを、布拭き用のものに変えた。
パクる気だ。
* * *
食事の時間。
シャルロッテが、配膳を手伝った。ロボが盛り付けた料理を客のテーブルに運ぶ。
運び方が違った。
ロボはアームで効率的に運ぶ。速い。正確。だが、動作に「間」がない。
シャルロッテは、テーブルに皿を置く前に一瞬止まる。客の目を見て、微笑んで、それから置く。
「こちら、本日の料理でございます」
たったそれだけの所作で、食事が「配膳」から「おもてなし」に変わった。
客の反応が明らかに良かった。チップの期待が膨らむ。いや、そんな計算をしている場合じゃないが、してしまう。運送屋の性だ。
ヘルムート氏が食後の紅茶を飲みながら、俺に話しかけてきた。
「いい人材を見つけたな、ケイトくん」
「バイトですけどね」
「バイトにしておくのはもったいない。あの娘、この船に合っている。船が華やかになった」
こいつは十分華やかだ。シャンデリアもステンドグラスもある。これ以上華やかにしてどうする。
だが、ヘルムート氏の言いたいことは分かる。装飾の華やかさじゃない。人がいる華やかさだ。
* * *
帰路。客を降ろした後のメーディアの食堂。
5人がテーブルを囲んでいた。ケイト、ガルド、リーネ、そしてシャルロッテ。
整備ロボがセッティングを敷いた。4人分。花が増えていた。人数に合わせて変えるのは、もう恒例だ。
シャルロッテが紅茶のカップを両手で包んだ。一口飲んで、目を閉じた。
「……美味しい」
前回と同じ反応だ。だが、前回よりも穏やかだった。泣きそうな震えはない。ただ、美味しいと思ったから美味しいと言った。それだけ。
「今日、どうだった」
聞いた。
シャルロッテがカップを下ろした。
「この船で働けるなんて、思ってもみませんでしたわ」
「こいつは人手を選ばないからな。ロボも元お嬢様も、同じように受け入れる」
「お前もな」
ガルドが肉を噛みながら言った。
「何がだよ」
「人手を選ばないのはお前だろ。脳筋も電子戦の鬼も元お嬢様も、全部拾ってきたのはお前だぞ」
「拾ってない。成り行きだ」
「成り行きで4人集まるか普通」
リーネが紅茶を飲みながら、静かに笑っていた。
シャルロッテが、少し黙った後、言った。
「わたくし……正直に申しますと、今日、とても緊張していましたの。役に立てるかどうか、不安で」
「十分役に立ってたぞ。客の評価が明らかに変わった」
「本当ですか」
「嘘は言わない。……この件に関しては」
「この件に関しては」を付けたのは、バイトの話で嘘をついたことが心に引っかかっていたからだ。人手が足りてるのに「足りない」と言った。リーネと共犯で。
シャルロッテが紅茶のカップに目を落とした。
「久しぶりに、人の役に立てた気がします」
それから、少し間があって。
「……楽しかった」
敬語が消えた。
地が出た。ほんの2文字。「楽しかった」。ですわ、でもございます、でもなく。ただの、素の言葉。
すぐに気づいて、口元を手で隠した。
「し、失礼しました。楽しゅうございました」
「……無理に戻さなくていいぞ」
「いえ! これがわたくしの話し方ですので!」
顔が赤い。耳まで赤い。
ガルドが肉を噛むのを止めて、俺を見た。「こいつ面白いな」という顔をしている。
リーネは眼鏡の奥で、何も言わずに微笑んでいた。
シャンデリアの下で、4人が紅茶を飲んでいる。
1人だった食堂が、3人になって、今日4人になった。
テーブルが少し狭くなった。
悪くない。




