第22話 この船、美しいですわ!
ノヴァ・セレーネ便の帰り道。
客を全員降ろした空荷の航行。10時間の復路だが、やることがない。定期便は往路が本番で、復路はただ帰るだけだ。
ガルドの筋トレは5セット目に突入。リーネはセンサーデータの整理。俺は操縦席で、次の定期便の予約状況を端末でぼんやり眺めていた。
ノヴァ・セレーネの橙色の星が窓の外を流れていく。ステンドグラスを通すと、艦橋に琥珀色の光が落ちる。きれいだ。きれいだが、このステンドグラスの修理費が2000クレドだったことを俺は忘れていない。
美しさと維持費は常にセットだ。こいつに乗っている限り。
* * *
航行4時間目。
リーネの声が通信に入った。いつもの淡々としたトーンだが、語尾がわずかに上がっている。何かを見つけた時の声だ。
「救難信号をキャッチ。方位240、距離40キロ。ごく小さな民間船。宙賊2隻に追われてる」
モニターを確認する。センサー上に3つの光点。1つが逃げ、2つが追っている。追われている側は速度が不安定だ。エンジンに問題があるのか、あるいはすでにダメージを受けているのか。
「助けるか? 依頼じゃないぞ」
ガルドが即座に返した。
「近い。行ける」
「リーネ、民間船の状態は」
「シールドがほぼ消失。エンジン出力も落ちてる。このまま追われ続けたら、あと10分で追いつかれて終わり」
10分。迷ってる暇はない。
「……行くか。自腹だけど」
「また自腹って言った」
「事実だろ」
* * *
メーディアが加速する。プリンセス・オーラ全開。橙色の星の中を、金色の光を撒き散らしながら突進していく。
宙賊2隻のセンサーにメーディアの反応が映ったはずだ。視認性300パーセント。見逃すほうが難しい。
案の定、宙賊の通信がリーネの傍受画面に映った。
「『白い船だ。あのキラキラの!』『まずい、引くぞ!』」
噂が効いている。「白い船に手を出すな」の情報がこの宙域に浸透しているらしい。
だが、1隻だけ引かなかった。民間船に張り付いたまま、砲撃を続けている。獲物を逃がしたくないのだろう。
「リーネ、引かないほうの1隻に偽通信は」
「もうやってるわ。……効かない。通信自体を無視してる」
「しつこい奴だな。ガルド」
「任せろ」
ヴァナルガンドが加速した。俺がメーディアで引かなかった1隻のヘイトを取りに行く。オーラ全開で近づけば、そっちに注意が向く。
宙賊の砲撃がメーディアに向いた。
回避。横転。こいつの機動性Bで弾をかわす。
「こっちだ、こっち。俺を撃て」
光る宮殿が宙賊の前でちらちら動いている。狙いたくなるだろう。派手だから。
その間に、ガルドがバフ圏内に入った。50キロ。
全砲門斉射。民間船に張り付いていた宙賊の側面に直撃。シールドが消し飛び、エンジンが爆発した。行動不能。
もう1隻はとっくに逃げていた。
戦闘終了。合計2分。
* * *
救助した民間船に接近する。
ボロボロだった。
全長30メートルほどの零細輸送艇。艦ですらない。艇だ。メーディアの3分の1もない。塗装は剥げ、外装パネルの何枚かが吹き飛んでいる。シールド発生装置は完全にダウン。エンジンは片方が停止している。よくこの状態で飛んでいたものだ。
「メーディアのドッキングハッチで曳航できるか」
「サイズ的には入るわ。あの船なら」
小型艇をメーディアの艦底ハッチに引き入れる。こいつの艦底には、もともと小型艇の格納スペースがある。式典の時にVIPの送迎艇を収容するための場所だ。あのボロ船なら余裕で入る。
曳航完了。民間船のハッチを開けて、乗員を艦内に招く。
出てきたのは、若い女だった。
20代前半。俺と同じくらいか。
第一印象は「ちぐはぐ」だった。
服はくたびれた作業着。袖口が擦り切れている。靴もボロい。髪は金髪だが手入れが行き届いていなくて、ところどころ跳ねている。
だが、姿勢が良かった。
背筋がまっすぐで、首の角度が整っている。ヘルムート氏に初めて会った時と同じ種類の姿勢だ。体に染みついた立ち方。育ちがいい人間の骨格。
そして、目。薄い緑色の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。疲れているが、折れていない目。
「……助けていただいて、ありがとうございます」
声も整っていた。落ち着いた、丁寧な話し方。作業着とのギャップがすごい。
「怪我はないか」
「ございません。船のほうが……だいぶ酷いことになっていますけれど」
ございません。「ない」じゃなくて「ございません」。この話し方は、意識してやってるんじゃない。自然に出ている。
「名前は」
「シャルロッテ・フォン・ヴァイセンブルクと申します。……今は、ただのシャルロッテですけれど」
フォン。貴族の姓だ。「今はただの」と付け加えたところを見ると、もう貴族ではないのだろう。
「ケイトだ。この船の艦長。とりあえず中に入ってくれ。レグルスまで送る」
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけして……」
「いいから入れ。外は寒い」
宇宙に寒いもクソもないが、ハッチの前で立ち話をする気分でもなかった。
* * *
シャルロッテをメーディアの艦内に案内した。
ハッチを抜けて、廊下に出た瞬間。
シャルロッテの足が止まった。
赤絨毯が廊下を埋めている。
天井にシャンデリアが光っている。この前修理したばかりの、新品のクリスタルを含む、あの光。
壁にはステンドグラスが嵌め込まれ、航路の星の光を受けて琥珀色の模様を落としている。
装飾パネルの白と金が、照明を反射して廊下全体を柔らかく照らしている。
シャルロッテが息を呑んだ。
小さく、だが確かに。
「…………」
5秒ほど、何も言わなかった。
目が、潤んでいた。
「なんて……美しい船ですわ」
声が震えていた。
俺はその反応を見て、少し面食らった。
今まで客がメーディアの内装を見て「すごい」「綺麗」「素敵」と言うのは何度も見てきた。ヘルムート氏は「品がある」と言ったし、ルッツは「動く美術館だ」と言った。
だが、涙ぐんだのは初めてだ。
「このシャンデリア……本物のセルニアクリスタルですわね。この輝きの深さは模造品では出せません。それに、このパネル。ゼルニウム複合材。光沢の出方が……」
素材を一発で見抜いた。しかも「模造品では出せない」とまで言い切っている。この女、目が本物だ。
「ステンドグラスの色彩配置も……トリアス様式ですわ。3色以上の色ガラスを対称に配置する古典技法。今の時代、この技法で作れる職人はほとんどいません」
俺よりこいつに詳しい。いや、俺がこいつの装飾について何も知らなさすぎるだけか。
「……詳しいな」
「昔、うちの……実家に、同じ品質のものがございましたので」
言いかけて、言い直した。「うちの」を「実家」に。
没落した家の話だ。
シャルロッテの目がシャンデリアに向いている。光を見つめている。その目に映っているのは、このシャンデリアだけじゃないのだろう。昔の屋敷の光。失った世界の光。
俺にとっては「維持費の塊」であり「外せない呪い」であるこの装飾が、この女にとっては「失った世界の欠片」に見えている。
同じものを見ているのに、見えている景色がまるで違う。
きれいだとは思う。俺だってこいつの光がきれいなのは認めている。認めているが、きれいの後ろに維持費がチラつく。
この女にはそれがない。純粋に、ただ美しいものとして見ている。
なんというか、眩しかった。こいつの光より、この女の目のほうが。
* * *
食堂に案内した。
整備ロボがフルサービスモードを起動した。新しい客を検知したのだ。
白いクロスが敷かれ、銀の食器が並び、一輪挿しの花が置かれた。紅茶が用意された。
シャルロッテが席に座った。ナプキンを膝の上に置く動作が、自然すぎた。考えなくてもそうする人間の動作だ。
ロボが紅茶を注いだ。
シャルロッテがカップを持ち上げた。両手で、丁寧に。一口飲んだ。
目を閉じた。
「……美味しい」
それから、少し間があって。
「こんなおもてなし、久しぶりですわ……」
声が微かに揺れた。泣きそうだった。
泣くほどか、とは思わなかった。
分からなくもないからだ。
俺も転生した直後、ロボが淹れた味気ない紅茶を飲んだ時、少しだけ安心したのを覚えている。何もかも分からない世界で、温かいものが出てきた。それだけで、人間はちょっとだけ安心する。
この女は、ボロ船で1人で飛んでいたのだ。温かい紅茶を淹れてくれる相手もいなかったのだろう。
「ゆっくり飲んでくれ。レグルスまで6時間ある」
「……ありがとうございます」
ロボが焼き菓子を持ってきた。カリストで仕入れたやつだ。皿の上に、いつも通り美しく並べてある。
シャルロッテが焼き菓子を一口食べた。
目を見開いた。
「美味しい……! この焼き菓子、カリストのアルテ・ベッカライのものですわね?」
「え? 分かるのか」
「この生地の焼き色と、バターの香りの出方。アルテ・ベッカライ以外ではこうなりません。昔、よく食べていましたの」
菓子の出自まで当てた。この女の舌と目は本物だ。貴族の教育が体に染みついている。
リーネが通信越しに言った。
「あの子、面白いわね」
「面白い?」
「あなたより、あの船のことを理解してる」
「……否定できないのが悔しい」
* * *
紅茶を飲みながら、少しだけ話を聞いた。
「ヴァイセンブルク家は、3年前に破産しました。父が事業に失敗して、資産を全部失いました。屋敷も、絵画も、調度品も。全部売り払って、借金の返済に充てました」
淡々と話している。だが、「全部売り払って」の部分で、指先がカップの縁を撫でた。無意識の動作だろう。手元にあったものを失った人間の癖。
「それで、運送業を?」
「他にできることがなかったんです。あの船は……父の事業で使っていた輸送艦の1隻で、唯一売り手がつかなかったものです。古すぎて」
売れ残りの船で、1人で運送業。貴族の令嬢がだ。
「1人は、きつくないか」
「大丈夫ですわ。慣れましたから」
大丈夫、と言った。だが、さっき紅茶で泣きそうになっていた女が「大丈夫」と言っても説得力がない。
強がりだ。プライドが邪魔して、助けてほしいと言えない。
「まあ、レグルスに着けば修理できる。知り合いの整備士がいるから紹介する」
「ありがとうございます。修理費は……分割でお願いできれば……」
分割。つまり一括で払えない。ボロ船で宙賊に追われるくらいだ。稼ぎは多くないだろう。
なんだか、転生直後の自分を見ている気分だった。金がなくて、船がボロくて、1人で。
違うのは、こいつが無駄にきれいなことくらいか。
* * *
レグルスに到着した。
シャルロッテのボロ船をメーディアの艦底から出し、ゲラルドのドックに持ち込んだ。
ゲラルドがボロ船を見て渋い顔をした。
「……こりゃひでえな。よくこの状態で飛んでたな」
「飛ばすしかなかったんです」
シャルロッテが背筋を伸ばして答えた。ボロ船の前でも姿勢がいい。
「修理費はいくらだ、ゲラルドさん」
「ざっと見て……4000ってところだな。エンジンの片肺が一番でかい。シールドの修理が次。外装は応急処置でいいなら安くできる」
「4000クレド……」
シャルロッテの顔が一瞬曇った。すぐに戻したが、見えた。4000は彼女にとって大金だ。
「分割でも構いませんか」
「うちは原則一括なんだが……」
ゲラルドが俺を見た。俺がこの女を連れてきたから、俺の顔を立てるかどうかの判断を委ねている。
「ゲラルドさん。分割で受けてやってくれ」
「……しょうがねえな。あんたの顔だ。3回払いでいい」
「ありがとうございます」
シャルロッテが深く頭を下げた。きれいなお辞儀だった。
ゲラルドが俺に小声で言った。
「あの嬢ちゃん、育ちがいいな」
「元貴族らしい」
「道理でな。ああいう頭の下げ方は、教わらないとできねえ」
* * *
修理を預けて、ドックを出る。
シャルロッテがメーディアのほうを振り返った。ドッキングベイに停泊しているこいつの姿。エンジンは止まっているからオーラは出ていないが、純白と金の艦体は照明を反射して十分に目立っている。
「ケイトさん」
「何だ」
「あの船の名前を、お聞きしてもよろしいですか」
「……プリンセス・メーディア」
「プリンセス・メーディア」
シャルロッテが復唱した。噛みしめるように。
「素敵なお名前ですわ。あの船にふさわしい」
「そうか? 大げさな名前だと思ってるんだが」
「大げさなんかじゃございません。あの船は本物ですわ。装飾の品質、空間の設計、光の使い方。全部が本物です。プリンセスの名に恥じません」
ここまでまっすぐにこいつを褒める人間は初めてだ。ヘルムート氏でさえ「品がある」という控えめな表現だった。この女は「本物」と言い切った。
「……ありがとう。こいつも喜ぶと思う。喋らないけど」
「こいつ、って呼ぶんですの?」
「呼ぶ」
「もう少し優しく呼んであげてもよろしいのでは」
「いや、こいつはこいつだ。維持費は高いし装飾は外せないし」
「外せない?」
「俺が生きてる限り、装飾が外れない仕様なんだ」
シャルロッテが目を丸くした。
「まあ……それは素敵な仕様ですわ」
「素敵? 呪いだろ」
「だって、あの美しい装飾がずっと守られるということでしょう? 持ち主が大事にしなくても、船が自分で自分を守ってる。健気じゃありませんか」
健気。
装飾持ち出し不可の仕様を「健気」と解釈する人間がいるとは思わなかった。
「……そういう見方もあるのか」
「ございますわ」
にっこり笑った。上品な笑顔だった。ボロい作業着を着ているのに、笑顔だけは令嬢のままだ。
* * *
シャルロッテと別れた後、メーディアの食堂に戻った。
いつものテーブル。ガルドが肉を食い、リーネが紅茶を飲んでいる。
「あの子、面白かったわね」
リーネが開口一番に言った。
「面白い?」
「あなたの船の装飾について、あなたより10倍詳しかった」
「10倍は言い過ぎだ。……5倍くらいだ」
「認めてるじゃない」
ガルドが肉を噛みながら言った。
「元お嬢様か。ボロ船で1人ってのは、きついだろうな」
「だろうな。でも、強がってた。『大丈夫です』って」
「大丈夫じゃねえだろ、あの船見た限り」
「分かってる」
紅茶を飲んだ。さっきシャルロッテが「美味しい」と言った、同じ茶葉の紅茶。
あの女が泣きそうになりながら飲んでいた紅茶。
温かいものを出されただけで崩れそうになる人間。強がりの裏が脆い人間。
放っておけるか、と聞かれたら。
放っておけないほどお人好しじゃない。だが、放っておける薄情さも持ち合わせていない。
「……まあ、レグルスにいるなら、またどこかで会うだろ」
「会いたいの?」
「別に。ステーション小さいから、嫌でも会うって意味だ」
「はいはい」
リーネの「はいはい」は「嘘つき」と同義だ。3回目のその意味に、俺はまだ慣れない。
シャンデリアの光を見上げる。
さっき、あの女がこの光を見て涙ぐんでいた。
同じ光だ。俺が毎日見ている光。維持費の塊。外せない呪い。
だが、「健気」だと言われた。
船が自分で自分を守っている。お金払うの俺なんだけどな?
「……健気ね」
呟いて、紅茶を飲み干した。




