第19話 赤牙、最後の日
平和だった。
ヴェルナーがいなくなってから、カリスト航路は驚くほど静かになった。
赤牙の哨戒艦を見かけることが減り、定期便は予定通りに飛び、護衛の出番もほとんどない。ガルドの筋トレが7セットに到達した。暇の極みだ。
「平和だな」
「嵐の前かもね」
リーネの不吉な一言を俺は聞き流した。聞き流したかった。だが、この女の「かもね」は大体当たる。
* * *
クラウスから連絡が入ったのは、その翌日だった。
メーディアの食堂で3人揃って通信を受ける。クラウスの声はいつもの淡々としたトーンだが、内容は淡々じゃなかった。
「赤牙が内部分裂を起こしている。幹部クラスの離反が相次いでいる」
「離反? 何があった」
「ヴェルナーの離脱が引き金だ。最強の傭兵がいなくなったことで、組織内に『もう終わりだ』という空気が広がった。通行料の収入も激減して、末端の構成員に給料が払えなくなっている」
兵糧攻めが効いている。俺たちの護衛活動が赤牙の収入を断ち、ヴェルナーの離脱がトドメになった。組織は金がなくなると崩れる。人間の集まりは、そういうものだ。
「で、崩壊するのを待ってればいいのか」
「そうはいかない。軍の偵察データで不穏な動きが出ている。赤牙の残存戦力がカリスト航路方面に集結しつつある」
「集結……」
「追い詰められた連中が、最後の賭けに出るつもりだろう。大規模略奪を一発やって、資金を確保して逃げるか、あるいは……」
「あるいは?」
「退路を断った特攻だ。どうせ終わりなら、道連れにできるだけ道連れにする。宙賊にはそういう連中がいる」
リーネが眼鏡を押し上げた。
「規模は」
「残存戦力のほぼ全部。哨戒艦10隻前後、巡洋艦2隻。旗艦も出てくる可能性が高い」
旗艦込みで12隻。俺たちは3隻。4倍の戦力差。
「いつ来る」
「早ければ2日以内。遅くとも1週間」
クラウスとの通信を切った後、3人で顔を見合わせた。
ガルドが腕を組んで言った。
「やるか」
「やるしかないだろ。航路に民間船がいる」
「俺はやりたくて聞いてるんだよ」
「知ってるよ。お前の返事は聞く前から分かってる」
* * *
2日後。
カリスト定期便の帰り道だった。客を降ろした後の空荷航行。旅客はいない。
リーネが声を上げた。
「来た。センサー反応多数。方位050。哨戒艦9隻、巡洋艦2隻。さらに後方に大型艦1隻。旗艦と思われる」
「12隻か。クラウスの情報通りだな」
「航路上に民間船が3隻いるわ。まだ射程外だけど、このまま行くと20分で接触する」
20分。判断の時間は十分ある。
逃げるか、戦うか。
客は降ろした。こいつには俺しか乗っていない。逃げようと思えば逃げられる。メーディアの機動力なら、12隻の追撃を振り切ることも不可能ではない。
だが、航路には民間船がいる。
ここで逃げたら、あの3隻が襲われる。
「ケイト」
ガルドの声。静かだった。いつもの好戦的なトーンではない。俺の判断を待っている。
「……やる」
「よし」
「ただし、無茶はしない。今までやってきたこと全部使って、頭で勝つ。正面からぶつかったら3隻じゃ持たない」
「作戦は?」
「リーネ」
「もう組んでるわ」
この女は本当に速い。
* * *
作戦はこうだ。
「まず通信ブイを射出。偽の大型船団のシグネチャを生成して、赤牙の艦隊を分散させる。連中は追い詰められてる。大型船団が来たと思ったら、略奪のチャンスだと飛びつく」
「分散した相手を、どうする」
「俺が本隊を引きつける。こいつのオーラで囮をやって、花道で追手を足止め。ガルドは分散した敵を順番に叩く。リーネは偽信号で敵の動きを誘導しつつ、全体を管制する」
「今までの全部入りだな」
「全部入りだ。通信ブイ、花道、バフ、センサー、電子戦。俺たちが持ってる手札を全部切る」
リーネが端末でシミュレーションを走らせた。
「成功率は……敵が偽信号に引っかかることが前提で、65パーセント。引っかからなかった場合は30パーセント」
「65か。微妙だな」
「追い詰められた宙賊は判断力が鈍る。目の前に獲物がちらつけば、罠かどうか考える前に飛びつく。実際はもう少し高いと思うわ」
「お前の『思う』は信じる。行こう」
* * *
通信ブイ射出。
メーディアの艦底から6基のブイが放たれ、宇宙空間に散開した。各ブイが起動し、大型貨物船団のセンサーシグネチャを生成する。
赤牙のセンサーには、大型船が6隻、カリスト航路を航行しているように見えるはずだ。高額の略奪対象。追い詰められた宙賊にとっては、最後の稼ぎのチャンスに見える。
リーネが赤牙の通信を傍受している。
「食いついた。『大型船団を確認、各隊散開して包囲しろ』……分散を始めてるわ」
「よし。何隻分かれた」
「哨戒艦6隻が偽船団に向かった。残り3隻と巡洋艦2隻、旗艦が航路上に留まってる」
12隻が6と6に割れた。半分をブイで釣った。上出来だ。
「ガルド、偽船団に向かった6隻を狙え。バラバラに散ってるから、各個撃破できる」
「了解。ご馳走だな」
ヴァナルガンドが加速し、散開した哨戒艦に向かっていく。
「俺は残りの6隻を引きつける。こいつの出番だ」
プリンセス・オーラを最大出力にした。メーディアが金色の光を宇宙に撒き散らす。
いつもの、消せないキラキラ。今日もこいつは全力で目立つ。
「よう赤牙。こっちだ」
* * *
赤牙の本隊がこちらに向かってきた。哨戒艦3隻、巡洋艦2隻。旗艦は後方に控えている。
メーディアが反転して逃走を開始する。敵を民間船から離す方向へ。
ビームが飛んできた。5隻分の砲火が宇宙空間を焼く。
回避。横転。急降下。スピン。
こいつの機動性Bが唸る。98メートルの小型艦が、弾幕の隙間をひらひら抜けていく。何100回と繰り返した動作。ゲーム時代から、この世界に来てから。逃げるのだけは、誰にも負けない。
逃げながら、豆鉄砲を撃ち返す。哨戒艦の装甲にチカッと当たる。チカッと光る。以上。気持ちの問題。だが、リーネが言った通り、撃ってくるという事実が敵の判断を鈍らせる。
十分な距離を取った。民間船ははるか後方だ。ここなら巻き込まない。
「花道、いくぞ」
赤いスイッチ。カバーを開ける。押す。
カシュン。カシュン。カシュン。カシュン。カシュン。カシュン。
6基。逃走ルートの後方に、等間隔で機雷が展開する。
先頭の哨戒艦が機雷原に突っ込んだ。
爆発。閃光。艦首のシールドが吹き飛び、航行不能。
2隻目が急制動。3隻目がぶつかりそうになって横に逸れた。
巡洋艦2隻が速度を落とす。機雷原を前にして慎重になっている。
「足が止まった。リーネ、巡洋艦の動きを誘導できるか」
「やってる。偽信号で左舷側に開けたルートがあるように見せてる。そっちに回り込もうとしてる」
「ガルド、そっちはどうだ」
「哨戒艦3隻片づけた。あと3隻」
「速いな。こっちの巡洋艦に回れるか」
「あと2分くれ」
2分。持ちこたえる。
巡洋艦がリーネの偽ルートに騙されて左舷に回り込もうとしている。その動きに合わせて残りの機雷を撒く。
カシュン。カシュン。
2基追加。巡洋艦の進路を塞ぐ。
巡洋艦が停止した。前も横も機雷。進めない。
* * *
ガルドが来た。
偽船団方面の哨戒艦を全て片づけて、こちらに急行してきた黒鉄の重装戦艦。
バフ圏内に入る。プリンセス・オーラの光がヴァナルガンドに届く。攻撃力プラス15パーセント。
「50キロ圏内、入った」
「言われる前に戻ったぞ」
「……お前、成長したな」
「うるせえ」
バフ込みの全砲門斉射。
機雷原で足を止められた巡洋艦の側面に、4発の直撃。シールドが弾け、装甲が裂け、内部から炎が噴き出す。
2射目。巡洋艦が沈んだ。
もう1隻の巡洋艦が反転して逃げようとしたが、ガルドが追いすがる。3射で仕留めた。
残った哨戒艦3隻が散り散りに逃げていく。もう戦意はない。
残るは、旗艦だけだった。
後方に控えていた赤牙の旗艦。大型の戦艦だ。全長200メートル超。武装も重い。だが、護衛艦を全て失った旗艦単独では、ガルドのヴァナルガンドとまともに戦えない。
通信が入った。旗艦からだ。
「……お前たちか」
低い声。怒りと疲労が混じっている。追い詰められた男の声だ。
「お前たちのせいで、全部終わりだ。通行料も、組織も、何もかも」
「始めたのはそっちだろ」
「…………」
通信が切れた。
旗艦が加速した。こちらに向かってくる。
特攻か。
「ガルド」
「見えてる」
ヴァナルガンドが前に出た。旗艦の正面に立ちはだかる。
旗艦が全砲門を向けた。最後の抵抗。
ガルドが先に撃った。バフ込みの主砲4門斉射。旗艦のシールドを正面から叩き割る。2射目が装甲を貫通し、3射目が機関部を抉った。
旗艦が速度を失っていく。エンジンの光が消えた。砲塔が垂れ下がる。動力を失った巨体が、慣性で漂い始めた。
沈んだ。
赤牙の旗艦が、カリスト航路の上で沈黙した。
* * *
戦闘終了。
メーディアの被弾ゼロ。ヴァナルガンドの被弾は軽微。ヘルメティカは無傷。
赤牙のカリスト方面艦隊は壊滅した。哨戒艦9隻が撃破または撤退、巡洋艦2隻撃沈、旗艦撃沈。
機雷の残弾は0。12基全部使い切った。通信ブイも6基全弾。
持ってるもの全部出した。文字通り。
「終わったか」
ガルドの声。疲れている。だが満足そうだ。
「終わった。……と思う」
「思う?」
リーネが割り込んだ。
「1つ気になることがある」
「何だ」
「旗艦の残骸をスキャンしたんだけど、脱出ポッドの射出記録がないの」
「……脱出ポッドが出てない?」
「ええ。旗艦クラスの艦には通常、艦長用の緊急脱出ポッドが装備されてる。でも、射出された形跡がない。ポッドの格納庫自体は存在するんだけど、中が空」
「つまり、元々ポッドが載ってなかったか、沈む前に射出されたか」
「前者なら、艦長は旗艦と一緒に沈んだ。後者なら……」
逃げた。
旗艦が沈む前に、艦長だけが脱出していた可能性がある。
「確認できるか」
「残骸からこれ以上のデータは引き出せない。動力が完全に落ちてるわ。ポッドが戦闘前に射出されていた場合、こちらのセンサーでは追えない。戦闘中のノイズに紛れて見逃した可能性がある」
「…………」
結論は出なかった。
赤牙の艦長が死んだのか、逃げたのか。分からない。確かめようがない。
「まあ、旗艦が沈んだのは事実だ。組織は壊滅した。仮に艦長が生きていたとしても、手勢がいない。何もできないだろ」
「……そうね。今のところは、そう考えるのが妥当ね」
リーネの声に、わずかな含みがあった。「今のところは」という但し書きつきの同意。
だが、今はこれ以上考えても仕方ない。目の前の結果を受け止める。
* * *
航路上の民間船から歓声が通信に飛び込んできた。
「赤牙が沈んだ!」
「航路が通った!」
「メーディアだ! あのキラキラの!」
こいつの名前で呼ばれる。もう慣れた。
ギルドから緊急通信。ベテラン職員の声が弾んでいた。
「ケイトさん! 赤牙の壊滅、確認しました! カリスト航路は安全宣言を出します!」
「お疲れ様です」
「特別報酬と感謝状を用意しています。ギルド本部からも連絡が来ると思いますので」
「ありがたいです。できれば報酬は現金で」
「もちろんです」
感謝状より現金。こいつの次の修理費のためだ。
クラウスにも報告した。
「旗艦を含む主力が壊滅。カリスト方面の赤牙は終わりだ」
「よくやった。軍にも報告する。あの航路はしばらく安全だろう」
「しばらく?」
「宙賊は消えても、宙賊が生まれる土壌は消えない。別の勢力が出てくる可能性はある。だが、それはもう少し先の話だ」
もう少し先の話。今はそれでいい。今日勝ったのだ。先のことは先に考える。
* * *
レグルスに帰還した。
ドッキングベイで降りると、いつもと空気が違った。
運送屋たち、整備士たち、管制官たち。みんながこっちを見ている。
前の封鎖突破の時と同じ目だ。だが、今回はもっと多い。噂が先に届いていたのだろう。
「お疲れ様でした」
「すごかったらしいな」
「12隻相手に3隻で勝ったって?」
「花道がまた炸裂したのか」
花道の知名度が上がっている。嬉しいのか恥ずかしいのか。まあ、いい。
メーディアの食堂。帰還後の夕食。
整備ロボがいつも通りセッティングした。白いクロス、銀の食器、一輪挿し。
料理は簡単に。疲れている。肉を焼いてパンを出すだけ。ロボが盛り付けを直そうとしたが、今日は断った。「今日はいい。そのまま出せ」。ロボはアームを止めて、数秒間何も動かなかった。たぶん戸惑っていた。だが従った。
ガルドが肉にかぶりついた。
「美味い。勝った後の飯は美味い」
「そうだな」
リーネが紅茶を飲んでいる。静かだ。いつも静かだが、今日はいつもより静かだ。脱出ポッドの件を考えているのだろう。
「リーネ」
「何」
「今日は、これでいいだろ」
「……ええ。今日は、これでいい」
紅茶を一口。上手い茶葉が、今日はちゃんと美味い。
「これで定期便が安心して飛ばせるな」
「お前の動機はいつもそれだな」
「いつもこれだよ。安心して稼ぎたい。安心して飯食いたい。安心してこいつの修理費を払いたい。それだけだ」
「最後のは嫌だな」
「俺だって嫌だ。でも外せないからな。こいつの装飾」
シャンデリアの光が、食堂を照らしている。
11500クレドの光。外せない光。俺が生きてる限り、こいつと一緒の光。
まあいい。今日は勝ったんだ。細かいことは明日考える。
* * *
同じ頃。
カリスト航路から遠く離れた辺境宙域。
星の光もまばらな、何もない空間を、小さな艦が1隻、航行していた。
灯りは最低限。エンジン出力も最小。センサーに映らないよう、息を殺すように飛んでいる。
艦橋に、男が1人。
暗い顔をしている。
だが、目だけは死んでいなかった。




