表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

王太子殿下の筆頭秘書は、本日をもって退職します。〜「無能」と解雇されたので、氷の魔術師団長様と再就職(結婚)契約を結びました〜

作者: 夢見叶
掲載日:2026/01/17

「リゼット・アークライト。貴様との婚約を破棄し、筆頭秘書の任を解く!」


 深夜の王宮、執務室に響き渡ったその声は、私の十年を終わらせるにはあまりに軽薄だった。

 書類の山に埋もれていた私は、ペンを走らせる手を止めて顔を上げる。

 目の前に立っているのは、この国の王太子であり、私の婚約者でもあるジェラルド殿下。そしてその腕には、ピンクブロンドの髪を揺らす男爵令嬢、ミナ様の姿があった。


「……理由を、お伺いしても?」

「理由だと? 鏡を見てみろ! その陰気な眼鏡、愛想のない態度、そして何より、俺への敬意が足りない!」


 ジェラルド殿下は、私の机に積み上げられた未決裁の書類を乱暴に叩いた。

 山が崩れ、数枚が床に散らばる。それは全て、殿下が「面倒だ」と放り投げ、私が徹夜で処理していたものだ。


「ミナを見ろ。彼女はいつも笑顔で俺を癒やしてくれる。それに比べて貴様はどうだ? 『殿下、決済を』『殿下、視察の時間を』……口を開けば小言ばかり! 俺は王太子だぞ! 事務処理人形の機嫌取りなどうんざりなんだよ!」

「そうですぅ。リゼット様は、殿下の素晴らしさをちっとも理解していませんわ」


 ミナ様が甘ったるい声で同意し、殿下にすり寄る。殿下は鼻高々に私を見下ろした。


「分かったらさっさと出ていけ。貴様のような無能、俺の慈悲で置いてやっていただけだと知れ!」


 無能。

 その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが「ぷつん」と切れる音がした。


 怒りではない。悲しみでもない。

 それは、憑き物が落ちたような、清々しいほどの「諦め」だった。


(ああ、そうか。もう、頑張らなくていいんだ)


 私はゆっくりと立ち上がり、深く一礼した。

「承知いたしました」

「は……?」

「婚約破棄、ならびに筆頭秘書の解任、謹んでお受けいたします。今までお世話になりました」


 泣いて縋るとでも思っていたのだろうか。殿下とミナ様が呆気にとられている間に、私は私物を鞄に詰める。

 と言っても、私の私物は少ない。万年筆一本と、手帳が一冊。

 そして――引き出しの奥から、一本の特別な魔道具である『記録ペン』を取り出し、そっとポケットに忍ばせた。


「引継ぎ書はそこに。明日の公務のスケジュールも調整済みです。では」

「お、おい待て! 本当にいいのか!? お前のような可愛げのない女、どこへ行っても雇い手などないぞ! 今なら土下座して謝れば――」


 背後で喚く声を、私は執務室の重い扉を閉めることで遮断した。

 ガチャリ。扉が閉まる音が、私の自由の合図だった。


「……終わった」


 深夜の回廊。私は大きく息を吐いた。

 十歳で王太子の補佐として登城し、八年。全てを捧げてきた。睡眠時間を削り、肌は荒れ、ドレスなど着る暇もなく地味な制服で走り回った。

 それが「無能」の一言で終わるなら、これほどスッキリすることはない。


「さて、まずは家に帰って、三年ぶりにゆっくり眠ろうかしら」


 そう呟いて、回廊を曲がった時だった。


「――相変わらず、欲がないな。リゼット嬢」


 暗がりから響いた低く冷たい声に、心臓が跳ねた。

 壁に背を預けて立っていたのは、長身の男性。

 銀色の髪に、凍てつくようなアイスブルーの瞳。漆黒の軍服に身を包んだその姿は、夜の闇そのもののようだ。


 サイラス・ヴェルン公爵。

 この国の軍事力を一手に担う『氷の魔術師団』の団長であり、その冷徹さから「氷の魔王」と恐れられる人物。

 なぜ、こんな時間に、こんな場所に?


「閣下……。お見苦しいところを」

「全て聞いていた」

「……え?」

「『無能』だと? あの愚か者は、眼球が腐っているのか」


 サイラス公爵は、不機嫌そうに眉を寄せ、私へと歩み寄ってきた。

 その圧迫感に思わず後ずさる。だが、彼は私の目の前で立ち止まると、予想外の行動に出た。

 そっと手を伸ばし、私の乱れた前髪を指先で整えたのだ。


 冷たいはずの指が、火傷しそうなほど熱く感じる。


「リゼット嬢。君の処理能力、先読みの正確さ、そしてあの愚か者を八年も支え続けた忍耐力……。私はずっと見ていた」

「え……?」

「単刀直入に言おう。我が魔術師団に来い」


 サイラス公爵は、私の目を真っ直ぐに見つめて言った。


「王太子の秘書としてではなく、私の『妻』として。……君を、ヘッドハントしたい」


 ……はい?


***


「あの、サイラス様? 妻、というのは……」

「言葉通りの意味だ。だが、安心してくれ。君に『妻としての務め』を強要するつもりはない」


 ところ変わって、魔術師団の塔。その最上階にある団長執務室。

 ふかふかのソファに座らされ、温かいハーブティーまで出されて、私は混乱の極みにあった。

 連れ去られるようにして馬車に乗せられ、気づけばここだ。


 向かいのソファに座るサイラス公爵は、先ほどの冷徹な表情を少し和らげ、淡々と説明を始めた。


「私は魔術の研究と団の運営以外に興味がない。だが、周囲は公爵家の跡継ぎだの、夜会のパートナーだのとうるさい。そこで、だ」

「……形だけの妻が欲しい、と?」

「そうだ。そして何より、我が団には君のような『整える』能力を持つ人材が致命的に不足している」


 サイラス公爵は、執務机の方へ視線をやった。

 そこには、先ほどの王太子の部屋ほどではないが、乱雑に積まれた魔術書の山があった。


「君は優秀だ。噂では、王太子の執務の九割を君が処理していたとか。……その能力を、あの男のために浪費するのは見るに堪えない」

 彼はアイスブルーの瞳を細めた。そこには、明確な怒りの色が宿っているように見えた。

「私なら、君を正当に評価する。報酬は王太子の倍……いや、三倍出そう。衣食住も全て保証する。君は私の隣で、その才覚を存分に振るってくれればいい」


 三倍。その言葉に、私の職業病が反応する。

 実家の没落した男爵家への仕送り、そして何より、自分自身の老後の資金。

 愛だの恋だのは懲り懲りだが、ビジネスパートナーとしての結婚なら、悪くない条件だ。


「……期間は? 契約の解除条件は?」

「君が望むならいつでも。……だが、できれば永年契約を希望したい」


 彼は少しだけ視線を逸らし、咳払いをした。

「君がいてくれると、私が……いや、団が助かる」


 その不器用な様子に、私は毒気を抜かれたような気分になった。

 王太子には「人形」と呼ばれた。

 けれど、この人は「私が助かる」と言ってくれた。


「……分かりました。その契約、お受けします」

「本当か」

「はい。ただし、私は仕事中毒ですよ? 奥様業よりも、執務整理の方に熱が入るかもしれませんが」

「望むところだ。……ありがとう、リゼット」


 その時、サイラス公爵がふわりと微笑んだ。

 氷が解けるような、眩しい笑顔。

 心臓が、見たこともない速度で跳ねた。


(あれ? この再就職先、思ったより心臓に悪いかもしれない……)


***


 翌日。

 私が魔術師団の制服(と言っても、事務官用のシックなドレスだ)に袖を通していた頃、王宮では地獄の釜の蓋が開いていた。


「な、ない!? 昨日の書類がないだと!?」


 王太子ジェラルドは、空っぽの決裁箱を見て絶叫した。

 隣にいるミナも、顔を青ざめさせている。

「で、でも殿下! リゼット様が隠したに違いありませんわ!」

「そうだ、そうに決まっている! あの女、嫌がらせをしやがって! すぐに呼び戻せ! 衛兵、リゼットを捕らえろ!」


 しかし、彼らは知らない。

 書類は隠したのではない。全て「処理済み」として各部署へ回し、今日からの分は、誰も手を付けていないだけだということを。

 そして何より、今日から始まる隣国との条約更新会議の資料が、白紙のままであることを。


 私がサイラス様の執務室で、優雅に最高級の紅茶をいただきながら、魔術書の整理を始めているとも知らずに。


(……さて。お手並み拝見といきましょうか、殿下)


 私は手元の『記録ペン』を握りしめた。

 ここには、私がいつ、どの書類を作成し、殿下がいつ「承認」のサインだけを殴り書きしたか、全てのログが残っている。

 反撃の準備は整っている。あとは、彼らが自滅するのを待つだけだ。


「リゼット、このお茶は温すぎないか? 部屋の温度は? 寒くないか?」

「……サイラス様、過保護すぎます。仕事になりません」

「すまない。君が視界にいると、つい構いたくなる」


 ……まずは、この甘すぎる「旦那様」の対処から始めなければならないけれど。


 魔術師団での日々は、一言で言えば「カルチャーショック」の連続だった。


 まず、誰も私を怒鳴らない。

 書類を整理すれば「ありがとう! 女神だ!」と拝まれ、スケジュールを調整すれば「これで寝られる!」と泣いて感謝される。

 どうやらこの魔術師団、個々の能力は凄まじいが、事務能力が壊滅的だったらしい。私が来るまで、経費申請すら滞っていたというのだから恐ろしい。


 そして何より問題なのは――ボスであるサイラス様の距離感だ。


「リゼット、また根を詰めているな」


 執務机に向かっていると、不意に背後からふわりと温かい布が掛けられた。

 サイラス様が、ご自身の愛用している最高級毛皮のブランケットを、私の肩に掛けてくれたのだ。


「あ、ありがとうございます。ですが閣下、これは閣下の……」

「いい。君が風邪を引いたら、私が困る」


 そう言って、彼は私の隣に椅子を引き寄せ、当然のように座り込んだ。

 近い。腕が触れ合う距離だ。


「それに、昼食をまだ摂っていないだろう。サンドイッチを持ってきた。……あーん」

「へ?」

「手が塞がっているだろう。ほら」


 執務室の空気が凍り付いたのが分かった。

 報告に来ていた団員たちが、石像のように固まっている。あの「氷の魔王」が、秘書(形式上の妻)に「あーん」をしようとしているのだ。天変地異の前触れかと思われても仕方がない。


「か、閣下! 自分で食べられます!」

「駄目だ。君は放っておくと食事を抜く。……私の『妻』を餓死させるわけにはいかない」


 サイラス様は真顔だった。

 仕方なく口を開けると、満足げにサンドイッチを運んでくる。美味しい。悔しいけれど、気遣いが心に染みる。

 王太子殿下には「お茶がぬるい」とカップを投げつけられたことはあっても、食事を心配されたことなど一度もなかった。


「……美味しいか?」

「はい。……とても」

「そうか。なら、夜は君の好きな魚料理を用意させよう」


 彼は氷のような瞳を優しく細め、私の頭をポンポンと撫でた。

 その手つきは、壊れ物を扱うように慎重で、優しい。

 胸の奥が、じわりと熱くなる。

 契約結婚。ビジネスライクな関係。そう割り切っていたはずなのに、この人は毎日、私に「大切にされている」という事実を積み上げていく。


 そんな穏やかな日々が三日ほど続いた頃。

 平穏を打ち破る「呼び出し状」が、王宮から届いた。


『元筆頭秘書リゼット・アークライト。国家機密持ち出しの容疑により、明日の予算編成会議にて尋問を行う』


 差出人は、ジェラルド王太子。

 震える字で書かれたその状を見て、サイラス様が部屋の温度を氷点下まで下げた。


「……あの愚か者が。身の程を教えてやる必要があるな」

「閣下、落ち着いてください。部屋が凍ります」

「リゼット、君が行く必要はない。私が握り潰してくる」

「いいえ」


 私は首を横に振った。

 これは、好機だ。

 逃げれば一生、汚名を着せられたままになる。けれど、公の場で戦えば――完全に終わらせることができる。


「行かせてください。……私には、あの方に返さなければならない『忘れ物』がありますから」

 私はポケットの中の『記録ペン』を強く握りしめた。


 サイラス様は私の決意を汲み取ったのか、ふぅ、と息を吐いて氷雪の気配を収めた。

 そして立ち上がり、自身の漆黒のマントを外すと、私の肩に羽織らせた。

 金糸の刺繍が入ったそれは、魔術師団長の正装であり、彼の加護そのものだ。


「分かった。だが、一人では行かせない。……私も同席する」

「えっ、でも予算会議は部外者立ち入り禁止では……」

「妻のピンチに駆けつけない夫がどこにいる? それに、私はこの国の公爵だ。文句は言わせない」


 彼は不敵に笑い、私の手を取った。

「行こう、リゼット。君の誇りを取り戻しに」


***


 翌日。王宮の大会議室。

 国王陛下こそ不在だが、宰相をはじめとする全大臣、そして各騎士団長たちがずらりと並ぶ中、私は「罪人」として中央に立たされていた。


「よくも顔を出せたな、リゼット!」


 上座に座るジェラルド殿下は、目の下に濃い隈を作り、髪も乱れていた。

 隣にはミナ様もいるが、彼女もまた憔悴しきっている。どうやら、私が残した「仕事」の山に埋もれ、三日間寝ていないらしい。


「貴様が辞めてから、重要書類が次々と消えた! 隣国との条約案も、予算申請書もだ! 全て貴様が持ち出したのだろう!?」

「……持ち出してなどおりません」

「嘘をつくな! なら、なぜ書類がない!?」

「『ない』のではありません、殿下。作成されていないのです」


 私は静かに告げた。会場がざわめく。


「な、何を……」

「私は退職する際、処理済みの書類は全て各部署へ回しました。今、殿下の机にある未決裁の山は、私が退職した『後』に発生した案件です。つまり――」


 私は視線を巡らせ、宰相閣下たちに向かって明言した。


「殿下とミナ様が、三日間、仕事を一つも処理できなかった。ただそれだけの話です」


「き、貴様ぁぁぁ!! 不敬だぞ!!」

 ジェラルド殿下が激昂し、机を叩く。

「俺は王太子だ! 俺が仕事をしていないわけがないだろう! お前のような無能が、俺の成果を盗んで仕事をしていたふりをしていただけだ!」

「そうですわ! リゼット様はいつもサボってばかりで、全部ジェラルド様が直してくださっていたのです!」


 ミナ様まで喚きだす。

 周囲の大臣たちは困惑の表情だ。王太子の言い分と、私の言い分。証拠がなければ、身分が高い方の言葉が「真実」になってしまう。


 だからこそ、殿下はこの場を選んだのだろう。

 だが、それは最大の悪手だ。


「証拠なら、あります」


 私は懐から、あの一本の万年筆を取り出した。

 魔力を流すと、ペン先から青白い光が空中に投影される。魔術師団で開発された、執務記録用のホログラムだ。


「これは『魔力記録ペン』。いつ、誰が、どの書類にペンを走らせたか、魔力波長と共に全て記録する魔道具です」


 空中に浮かび上がったのは、過去数年分の膨大なログだった。

 青い光は「リゼット」の魔力。赤い光は「ジェラルド」の魔力だ。


 一目瞭然だった。

 画面を埋め尽くすのは、青い光(私)の筆跡ばかり。

 条約案の作成、予算の計算、陳情への返答……全てが青色だ。

 対して、赤い光(殿下)は、書類の最後の署名欄に、ちょろりとサインをしているだけ。それも、日付を見ると週に数回しかない。


「こ、これは……」

 宰相が眼鏡の位置を直し、息を呑む。

「執務の九割九分を、リゼット嬢が行っていたということか……?」

「その通りです。そして、こちらが直近三日間のログです」


 私は直近のデータを表示した。

 そこは、完全な「空白」だった。

 青い光が消えた途端、赤い光も全く動いていない。


「私が去った後、ペンは一度も使われていません。つまり、殿下は仕事をしていない。これが真実です」


 完璧な証拠だった。

 言い逃れようのない事実が、満座の中で晒される。

 大臣たちの冷ややかな視線が、一斉に王太子へと突き刺さった。


「ち、ちが……これは、このペンが壊れているんだ! 偽造だ!」

 ジェラルド殿下は顔を真っ赤にして叫び、衛兵に合図した。

「捕らえろ! この女は魔術を使って王族を謀った! 反逆罪で処刑だ!!」


 衛兵たちが躊躇いがちに動き出す。

 その時だった。


「――私の妻に、指一本でも触れてみろ」


 絶対零度の声が響いた。

 次の瞬間、衛兵たちの足元が凍り付き、彼らは悲鳴を上げて動けなくなった。

 扉が開き、漆黒の軍服を纏ったサイラス様が、悠然と歩み入ってくる。その背後には、怒れる魔術師団の精鋭たちが控えていた。


「サ、サイラス……!? 貴様、何の真似だ!」

「予算会議に魔術師団長が顔を出して何が悪い? ……それに、聞き捨てならない言葉が聞こえたのでな」


 サイラス様は私の隣に立つと、腰に手を回し、衆目の前で私を引き寄せた。

 そして、青ざめる王太子を氷のような瞳で見下ろした。


「リゼットは、我がヴェルン公爵家の妻だ。彼女への侮辱は、私への宣戦布告と受け取るが……構わないか、殿下?」


「なっ、つ、妻だと……!?」

「ああ。君が捨てた『無能』な秘書は、我が団にとって欠かせない『女神』であり、私の最愛の女性だ」


 最愛。その言葉に、心臓が跳ねる。

 サイラス様は、集まった高官たちに向けて朗々と告げた。


「彼女の能力はサイラスが保証する。そして、この国を支えていたのが誰だったのかも、今この場で証明されたはずだ。……これ以上、恥の上塗りをしたい者はいるか?」


 誰も何も言えなかった。

 圧倒的な武力と、揺るぎない証拠。そして公爵家の権威。

 ジェラルド殿下は腰を抜かし、椅子から崩れ落ちた。ミナ様は恐怖のあまり失神している。


 その時、静寂を破って拍手が響いた。

 宰相閣下だった。

「……お見事です、リゼット殿。そしてサイラス殿。どうやら我々は、王太子の教育を一から……いや、廃嫡も含めて再考せねばならんようですな」


 その言葉が、ジェラルド殿下の終わりの合図だった。

 衛兵たちが、今度は王太子を取り囲む。

 泣き喚く元婚約者の姿を見ても、私の心はもう痛まなかった。


 だって、今の私の隣には、一番大切な人がいるから。


***


 騒動の後、私たちは馬車に揺られていた。

 王太子は幽閉が決まり、正式な処分は後日下されるという。ミナ様の実家も、虚偽報告の罪で取り潰しになるだろう。


 すべてが終わった。

 肩の荷が下りると同時に、急に不安が押し寄せてくる。

 これで「対外的な妻」としての役割は終わってしまったのではないか。私はまた、一人になるのだろうか。


「……あの、サイラス様」

「ん?」

「ありがとうございました。その、もう役目は終わりましたし、契約解除の手続きを……」


 言いかけた言葉は、ふわりと塞がれた。

 唇に触れた、温かくて柔らかい感触。

 目を見開くと、至近距離にサイラス様の美しい瞳があった。


「……契約解除など、認めない」


 唇を離すと、彼は切なげに眉を寄せた。

「言ったはずだ。永年契約を希望すると」

「で、でも、あれは仕事の……」

「仕事だけじゃない。……リゼット、君が好きだ。君が王太子の陰で必死に働いていた頃から、ずっと」


 彼は私の手をすくい上げ、甲に口づけを落とした。


「君が泣きたい夜に、隣にいたい。君が笑う朝に、珈琲を淹れたい。……私と、本当の夫婦になってくれないか?」


 その瞳には、氷のような冷たさは微塵もなかった。

 あるのは、溶けるような熱と、深い愛情だけ。

 私の目から、ぽろりと涙がこぼれた。

 ずっと、誰かに認めてほしかった。誰かに、ただの私を必要としてほしかった。

 それが今、目の前にある。


「……仕事中毒の、可愛げのない妻ですよ?」

「それがいい。君が働く姿は、誰よりも美しい」


 私は涙をぬぐって、精一杯の笑顔を彼に向けた。


「……はい。謹んで、お受けいたします。……あなた」


 再就職先は、どうやら世界で一番甘くて温かい場所だったようです。

 こうして、元・筆頭秘書の私は、氷の魔術師団長様の最愛の妻として、今日も幸せな忙しさを送っている。

最後まで読んでいただきありがとうございます!

無能と言われた有能秘書が、正当に評価されて幸せになるお話でした。

ざまぁですっきり、最後は甘々!と思っていただけたら、

下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆の励みになります!

(ブックマークも是非お願いします!)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ