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敵は、秀長  作者: 御厨つかさ


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5/8

 四

 五




「来たか、…!」

家康が闇に紛れて小屋に荷物を運び込む者達に鋭く視線を向ける。夜闇に紛れて数名が外れにある小屋に菰を被せて運び込む。板敷きの床に置かれて菰が僅かに外れ、黒髪と白い衣が零れ落ちる。

「…―――!」

氏政、と呼び掛けて拳の背を口許に当て、家康が視線を運び入れた人夫の傍に闇に控える江雪斎を見返る。

「…わたくしは、戻らなくてはなりませぬゆえ、…」

「わかった、大義」

は、と頭を垂れ、江雪斎が急ぎ音を立てぬようにして闇に紛れ急ぎ去って行く。それを暫し見送り、我に返って家康が菰を被せたままに床に横たえられた意識の無い氏政を見詰めて。

 その氏政が、僅かに身動ぐのがみえた。

「…人払いをしろ。警護を怠るな」

油断なく気配に耳を澄ませ、家康が四囲を計るようにして正信に云う。

「は、…かしこまりました」

頭を垂れ、視線を伏せて正信が板戸で仕切られた木小屋の外へ出て、油断なく視線を送り、この粗末な小屋を警護する忍びの者達の配置を確認する。

 闇に呑み込まれたように周囲は音も無くしんとしている。

 家康が恐れるように、そっと横たえられた氏政の傍に近付く。

 菰が外れ、露わになった白い死に装束の衣に落ちる黒髪に、色の無い面に思わずも家康が心配になり、手を伸べ掛ける。

 ――傷など、付けてはおるまいな?

「…―――…っ、…」

「目が醒めたか、」

死に装束の氏政の黒瞳が突然大きく開く。傍らに片膝を付き覗き込んでいる家康に戸惑うように見詰め返す。

 しばし、氏政が唯純粋に家康を見詰めて言葉が無いように。

肘をつかい身を起こす氏政に、茫然としたまま菰を払うのに手を貸してやりながら、慎重に息を詰めるようにして家康が見詰め返す。

「…――家康?」

「氏政、…―」

呟くように呼んで凝視して、氏政が戸惑い見つめる黒瞳に、息をひとつ呑んで。

 覚悟したように家康がくちにする。

背に手を当てて、身を起して戸惑う氏政の身を支えて顔を寄せて、もう一度一つ息を呑んで。

「…―――氏政、お主の身を攫わせた。江雪斎他、氏規等とも計ってしたことだ。お主の首の替わりに偽首を立てた」

「…―――――」

早口に小声で告げる家康をみて、氏政が沈黙する。

 そして、暫し。

「…――――何だと!貴様!家康!お主は何を考えておるのだ!」

大音声で叫ぶ氏政の口許を押さえて、家康が暴れようとするのを抑えながら小声で云う。

「…声を押さえろ!いま此処でお主が此処にいるのがばれてみろ!秀吉に小田原が焼き払われるぞ!当然わしの陣も同じ目に遭う!氏規や氏直、江雪斎、お主の家臣達も同じ目に遭うぞ!」

真剣に口許を押さえて身を腕に抱込めたまま睨むようにしていう家康に。

「―――…はなせ、」

口許を押さえられたまま、小声で睨み云う氏政に家康が手を離して云う。

「この周りは護らせている。だが、大声は困る。…わかったな?」

「…わかった、だが、何故このような真似を」

殺気が鋭く黒瞳に乗る氏政に油断無く見返しながら、僅かに肩を動かして家康が息を吐く。

「わからん!」

「…なんだと?」

眉を大きく寄せ強く睨みつける氏政に、横を向いて、大きく家康が息を吐く。氏政の肩に手を置いたまま、くちを大きく曲げて。

「わからん、いや、…わかってはいる」

まるで板戸の向うを見ようとでもいうように、睨むようにしている家康をみて、訝しげに氏政が眉を寄せる。

「何をいっておる?それにわしは、…。――偽首を立てた?」

呟くようにいって氏政がはたと繋がったように面を上げ、家康を黒瞳で凝視する。

「…なにを、した?…―――なにをいっておるのだ、…。わしは首を渡す為に切腹をしたのだ。…いや、するはずだった。…―――何をした?家康!」

叫ぼうとして思い至り、声を途中で掠れさせて途切れた氏政の凝視する黒瞳を振り返れずに、家康が早口で告げる。

 氏政の手が、床にふれ拳を握る。

「…お主の気を失わせて、秀吉には偽首を献上する。氏規と陸奥守と、江雪斎が知っている。他は知らん。我等が方では、正信と使いに使った忍びのもの数名だ。…」

「氏規、氏照に江雪斎と計って、…―――何をした?偽首を献上する?」

茫然と問う氏政を振り向かず、一つ大きく頷いて家康が続ける。

「…そうだ。秀吉を騙す。お主の顔はあのサルには知られておらん。氏規が証言すれば、…それで通じる」

氏政が再三の上洛を繰り延べて秀吉の面前に出たことがないのを利用して立てられた計画の一つを、口早に云う家康に氏政が疑うように僅かに眉を寄せる。

「…何故そのようなことをした、…。まて、それに」

氏政が聡く気付いたことを云わずに済めば、と祈るようにしながら荒く息を一つ吐いて、一気に家康はくちにしていた。

「氏照殿、…――陸奥守殿の顔は、対陣した諸将にも知れておる。…陸奥守殿は、腹を召された」

「…―――」

一気に云う家康の言葉も耳を素通りしたように、音のない氏政の反応に。動きのない氏政に、そっと家康が顔を覗う。

 振り向いて、まさに死人のように白い氏政の容貌に色がさらに抜け落ちるのを。

「…―――氏政、…」

そっと恐れるように呼ぶ家康の声も耳に届かぬように凍りついたようにして。

 息さえわすれているのではないかと思われる氏政の白い貌を見返す。

「…―――氏政、」

「…―――――――――…何を!きさま、…――-―!」

叫ぶ氏政のくちを塞いで、板床に押し倒し、家康が抗議に怒りに燃える氏政の黒瞳を見詰め返して、渾身の力で押さえつける。

 声にならない叫びに肩が大きく息で乱れ、無言で家康を怒りと恨みと声にならぬ叫びで見詰める氏政に。

 受け止めて涙を零しそうになりながら、家康が大声を出しいまにも暴れだそうという怒りを渾身に湛えた氏政を押さえる。

 目尻を赤くした家康の瞳から、ほろりと。

 ほろり、と涙が零れ落ちていた。

 無言で黒瞳でその家康を睨みつけながら、氏政が見上げる。

 漲る恨みと怒り、激しい張り裂けそうな怒りを受けて、家康が告げる。

「すまぬ、…。氏照殿の首は必要だった。秀吉が求めた二つの首、二つともが偽首という訳にはいかなんだのだ。陸奥守殿も、氏規殿も承知のことだ。お主を護る為に、氏照殿は切腹された」

「…―――氏照、…」

家康が手を外し伺う前で、氏政が茫然と弟の名をくちにする。

「源三、…―――何故、…」

「お主を守る為だ!」

茫然と呟いた氏政が、家康の言葉にきっと視線を上げる。

怒りに煌めく黒瞳で睨みつけ、激しい怒りを殺さずに、声を押さえる。

「…何故だ、そもそも何故、お主がこのような真似をする?われは北条の棟梁ぞ?相模守はわしじゃ。…そのわしが何故、弟氏照に腹を切らせ、のうのうと生き延びねばならんというのか、…!きさまは、」

「声が高い!…それはわかる、それはわかるが、…」

「わかるなら、何故そのような、…このような真似をするのだ!」

「いいか?だからそれは、…氏直殿は助命される!わしの娘婿でもあるからな、おそらく高野山に配流となるが、暫し我慢すれば恐らく下りられる!その後は名分も立てられるはずだ!…だから、」

「…――氏直、…いまはそのようなこと聞いてはおらん!何故、…なにゆえ、氏照に、源三に腹を切らせて、…わしをのうのうと生き延びさせるなどと!何故そのような真似をする!貴様は一体!」

激しく言い募る氏政を、きっと睨むようにして家康が振り向く。

「…死なせたくなかったのだ、…!」

突然、叫ぶように声を押さえながらも、涙を零れそうなまま隠さずに家康が氏政を睨むようにして云うのを。

 戸惑って氏政が見詰め返す。

「なに?…―――なにを、」

「…わるいか!お主を!…死なせたくなかったのだ、…!わしが!氏規も、江雪斎も、そして、氏照殿、陸奥守殿も、だからわしの話に乗ったのだ!…悪いか!」

開き直って声を押さえながらも叫んでいう家康に、駄々を捏ねるこどもを見るようにして氏政が一度瞬く。

「…――何を、…――――」

見返してつまる氏政に、家康が畳み掛ける。

「だからだ!…わしも、陸奥守殿も、お主を死なせたくなかったのだ、…!」

「…氏照、…――」

己の命を守る為に切腹したと知らされた弟氏照の名を呼ぶ氏政に、家康がその両手を取り握り締める。

「氏政!…お主を死なせたくなかったのだ、…!だから、生きてくれ!」

「…―――家康、きさま、…」

黒瞳が睨み返す怒りのさまを見詰め返し、家康が頼む。

「…わかっている、だが、…生きてくれ!」

「―――わかるなら、何故腹を切らせぬ!わしは、…―――氏照の命を引き換えになど、そのようなことで命を永らえるつもりはない!」

誇り高く強い黒瞳が凛と光を乗せて貫くように見返すのを、家康が受け止めて息を呑む。

 氏政の黒瞳の持つ力に撃ち抜かれたように動けずに。

 だが、それでも何とか言葉を絞り出して。

「わかっている!…――だが、わしだとて、…――――わしは、…お主に生きていてほしいのだ!」

「…―――」

無言で見返す氏政の黒瞳に、両手を強く握って。

「わかっている、だが、ともかく、…――‐」

言葉にならずにもどかしげに家康が氏政を見る。睨むように焦りにもどかしく、泣きそうに目尻を赤くしながら。

 ぐ、とくちをひとつ強情に結んで。

「…だから、だな、…―――」

言葉にしきれずに肩を大きく動かし、息を。

「…つまり、だから、…わしと、」

息を大きく吐いて、言葉を切る。

氏政が見つめる前で、泣くように息をひとつ吐いて。

「…わしと、ともに、…生きてくれ!氏政!」

叫ぶように一気にくちにした家康に、声も無く氏政が見返す。

両手をとられたまま、何をと以上声にならずに。

その氏政を見返して、言葉に出来ずに家康は氏政を両腕に強く抱き込んでいた。

「…氏政、…生きて、くれ、」

顔を死に装束の白い肩に埋めて、家康が途切れるようにくちにするのに。

 戸惑うように声を途切れさせ、氏政が問う。

「…なにを、いうのだ」

「無茶なのはわかっている。…お主に受け入れ難いのもな。…わかっているのだ、…!だが、死んでほしくない!生きていてほしいのだ、…!」

声を押さえながら叫ぶように潜る声で告げる家康に、茫然と黒瞳を彷徨わせながら氏政がくちを結ぶ。

「…―――いまだけおとなしくしておるというのもだめだぞ」

「…貴様な」

顔を埋めたまま呟くほどの声でいう家康に氏政が睨む。

それに漸く顔を上げて、家康が氏政を正面から見る。

「…氏政」

「何だ」

短く不機嫌にみて応える氏政に、家康が軽く微笑もうとする。

「…―――貴様な」

それに睨み返す氏政に、家康が苦いものを零して笑む。

「いや、…お主らしいと思ってな」

楽しそうにいう家康に氏政があきれたように息を吐く。

「何をわかった風なくちを」

正面から睨み返す氏政の黒瞳にうれしそうに笑んで、家康が不意に真顔になってくちにする。

「…わしは、信長公に間に合わなんだ」

「…――家康」

ふと、視線を穏やかに伏せていう家康に、氏政が見詰め返す。

その黒瞳から視線を外して、ふと穏やかなような自嘲の笑みを口端に浮かべて、家康が淡々と語る。

「わしは、信長公の死に間に合わなんだ。…口惜しいのよ。おぬしまでをも、あのサルの思い通りに、死なせたくはなかったのだ。意地だな」

氏政が迷惑そうに家康を睨み返す。

「意地で斯様な真似をするな」

怒りとあきれを隠さず鋭く云う氏政に家康が、ふと微笑む。

「気味が悪いぞ」

「わかっておる、…。だがな、すまぬが、わしの意地にお主は付き合わされたのだ。…すまぬな、氏政」

「何を勝手な、…――」

怒る氏政に家康が人懐こく笑んでみせる。

あぐらを掻いて、自嘲するように微笑んでみせて。

「――わしはな、室と息子を死なせた」

「…――家康」

幾らか痛ましいと思うのが氏政の視線に乗るのに、苦笑して横を向く。

「仕方の無いことであった。いきさつは聞いているか」

そして氏政をみて云う家康に、眉を寄せて氏政が。

「…聞いてはおる。が、…子細などは知らぬ。奥方は、今川から嫁いで来られた方であったな」

己の妻、武田から嫁ぎ、父氏康により離縁させられ、再び会い逢う前に儚くなっていた方を想い出し黒瞳を伏せる氏政に、家康がその前で息を吐く。

「…何ともならぬことによって、わしは室と息子を切らせたのだ。…信長公の死も、わしにはどうにもならなんだ」

逍遥と痛みとくるしく身を崩すあやうさを抱いて家康が遠く視線を送り苦く笑むのを、氏政が僅かに眉を寄せてみる。

「…――おぬし、」

問い掛けかけた氏政を見返り、家康が穏やかに痛むように笑む。

「…家康」

「もういやなのだ。抗いたくなった」

「…――貴様、」

その家康の言葉に怒りを閃かせる黒瞳に、笑んで家康が首を振る。

「わかっている、わしの我儘だ。だが、そのわしの我儘と、お主を生かしておきたいという氏照殿や氏規殿、それに江雪斎殿の想いが一致したのだ」

「…――きさま、」

怒りと嘆きに黒瞳を瞠りながらくちを結び睨むようにして。

 そうして無言で睨む氏政にいうでなく。

「…関八州を、わしに寄越すとあのサルはいうたぞ」

俯いてぼそりと云う家康に氏政が、はっと視線を向ける。

 驚きに瞠られる黒瞳に。


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