二
さて、如何してこのような運びとなったのか。
事の起こりは織田信長が突然天に還った天正十年六月の後、羽柴秀吉が天下を掠め取り、さらにあろうことか豊臣を名乗り関白となり、九州征伐を済ませた辺りであろうか。
既に東の大名上杉は秀吉に降り、家康の徳川も一時は織田信勝と結んで秀吉に対抗したが、信勝が逃げて名分を失い。結局は家康も秀吉に降る形となり、時勢は既に秀吉の天下が成るままに進もうとしていた。
其処に残るのが北条である。
関八州を治める大大名である北条家。
その存分を秀吉が既に先より、救う気も赦す気も無いことは、上洛に従おうとも従わずとも、同じ結論だけが待っていたという理解は幾らも間違いではなかったろう。
日の本をあと一息で攻め落とす際まで来ていた秀吉にとり、残る北条はいかにも潰しておかねばならぬ大勢力であった。
その勢力が巨大で安定したものであればこそ、最後まで生き残る術は残されてなどいなかった北条であった。
幾度にも渡る交渉、裁定、使者―――それらはすべて、茶番となり。
小さな山砦一つを口実として。
秀吉は北条攻めの口実を得て、北条氏の治める小田原城、巨大な惣構に守られた都市を取り囲み、その勢力を押し潰そうと迫って来ていたのである。
それは、それまでの攻城の習いを捨てさせられる戦でもあった。
秀吉は降る城を赦さず、干し殺し、否、降るものさえも赦さず皆殺しとして、北条の小田原を護る支城を凄惨な殺戮の舞台とした。
指揮する者達が、常の攻城と同じく降るものを許し、退くことを許すと秀吉は激怒し皆殺しを行わせたのである。
それは、これまでに有り得ぬ言葉を失う凄惨さであったと。
落ちた城の凄惨な最期が伝わり、秀吉の陣に付き従う諸将にさえ、暗い影を投げ落していた。
暗い翳が、小田原城を取り囲み、凄惨な最期が此のままでは城内に籠る兵達だけではなく、惣構に守られる領民達にまでも及ぼうとしていた。
内々にその凄惨な最期をいかにして避ける術が無いものかと、必死になって家康は他の諸大名達とも計り道を探っていた。小田原城内へも密かに使者を送ること数度。
その重ねる内に、講和の条件をどうにか整えることができればと。
必死になり、そうして。
しかし、家康が得た小田原城よりの結論は、いかにも当然としたものではあったのだ。
だが、…―――。
三
「何をばかなことを申しておる…――!」
怒りのあまり家康が手にした文を握り締め破りかけるのをみて、正信がおっとりと声を掛ける。
「殿、手紙が」
「…―――くう、…氏政は何を考えておる?己の命を差出して戦を終わらせようなどと、…―――降る際にそのような条件など必要なものか!何をどう、…―――!」
歯噛みして、また手紙を握り締める家康の手をやれやれとみて、正信が小さく幾度か頷く。
「かしこい遣り方でございますな。城を開ける際に、城主が切腹。いかにも真っ当な遣り方でございます。当主となる御方が責任を取り、他の者には危害を加えぬよう攻め手側に釘を刺す。仕方が無いというものでございますな。戦国の世の習いと申しますか」
淡々と続ける正信の言葉が途切れた頃合いをみて家康が眇めた目線で見返していう。
「…正信、態といっておるな?…わしとて、それが習いであることは解っておる」
嫌そうに妥協してくちにする家康に正信が一つこくりと頷く。
「尤もでございますな。至極潔ようございます。相模守殿の御気性なれば、御自身の御命乞いなど間違ってもなさいますまい。そのような御方と、承っております。己が首一つで購えるならと、領民の保証に臣の安堵、それらと引き換えになさるのは、らしい御話かと。尤も、首一つでは購えませんでしょうが、…。重臣の幾足りか、御兄弟の御一人位でも御一緒に淋しくないよう旅立たれますかな。勿論、殿がそのようなことになりますなら、わたくし本多正信めも、御同道を」
「…―――正信」
すらすらと続けていってみせる正信を嫌そうな視線で家康がみる。
「おぬしはな、…まあいい。だが、気に食わぬ」
正信をあきれたようにみてから、握り潰した手紙に視線をやり、短く吐き捨てるように眉を寄せて云う家康に正信が伺うようにみる。
「…殿、それは何に関してでございますかな?」
「氏政だ。…あれはこれで、―――腹を切ることになるのか?」
問いながら外を見て、気に食わぬというように大きく息を吐き怒りを蓄えている家康を。
「…では、殿は何を御望みでございますかな?」
「――――…」
暫く、無言で家康は外を見て応えずにいる。
家康の見つめる先、暗い夜闇の向こうには小田原城がある。小田原城を囲む東の端に位置するこの本陣に、家康は不機嫌に怒りを堪えながら闇を睨んでいた。
闇の向こうに淡い白が浮くようにも思えるのは、昼に視察した小田原城の幻がいま目蓋に蘇るものでもあろう。
小田原城は、いま風前の灯にある。
北条氏政は、その首と引き換えに、城内の兵一兵に至るまでの命を無事に取り扱うことを条件に、降伏するとの使者を家康との交渉の返事として、手ずから書を認め寄越してきていた。
いまその氏政の手になる書は、家康の手の中に握り潰されてある。




