第八八話 そよ風
教団本部の崩壊は続いていた。
石壁が崩れ、地下神殿の柱が一本ずつ折れていく。
砕けた魔法陣から青白い火花が散り、長く続いた教団の歴史が音を立てて終わっていく。
ユウは瓦礫の中を静かに歩く。
影兵たちが残存する術式を回収し、危険な遺物を封じていた。
アレンは肩で息をつきながら剣を鞘へ収める。
「思ったより粘ったな」
「……複製能力は厄介だった」
ユウの声は低い。
崩れた広間の奥。
まだ生きている者がいないか、影が広がる。
その時だった。
ふわり、と。
ほんのわずか。
空気が揺れた。
自然風ではない。
意志を持った流れ。
アレンの視線が一瞬で外へ向く。
「……!」
ユウも同時に振り返る。
崩れた天井の向こう。
夜の森。
木々のさらに奥。
誰かいる。
気配は極端に薄い。
だが消えていない。
ユウの影が足元から伸びる。
だが、そこで止まる。
距離が遠い。
普通なら見失う距離。
しかし確かに感じる。
そこに、いる。
森の奥。
細い木の枝の上。
黒い外套をまとった少年が立っていた。
年齢はまだ若い。
十代半ばほど。
細い身体。
揺れる前髪。
その周囲だけ、風が一定方向に流れている。
崩壊の粉塵が彼の周囲だけ避けていた。
少年はわずかに目を見開く。
「……この距離から気付かれるとは」
小さく、独り言のように漏らす。
声は風に溶けるほど静か。
だが確かに驚いていた。
王都の英雄。
影の王。
光の王。
話には聞いていた。
だが――
想像以上だった。
ユウがじっと森を見る。
「……逃げないな」
アレンも目を細める。
「敵意は……薄い。でも妙だ」
その瞬間。
風が巻く。
少年の足元から葉が舞い上がる。
一歩も動いていないのに姿が薄れる。
存在が風へ溶ける。
消えた。
ユウの影が伸びる。
しかし届かない。
完全に消えた。
アレンが低く呟く。
「速い」
ユウも珍しく眉を動かす。
「……教団の残党じゃないか?」
森にはもう何もいない。
だが空気だけが残る。
風の余韻。
崩壊する神殿の中で、アレンが少し笑う。
「新しいのが出てきたな」
ユウは影を収める。
「……放っておくな」
「もちろん」
だが二人とも分かっていた。
今の少年は戦うために来たのではない。
見に来た。
測りに来た。
それだけだ。
そして森のさらに奥。
少年は木々の間を歩いていた。
風が足跡を消す。
表情は静か。
しかし胸の鼓動は少し速い。
あの二人。
本当に存在していた。
影。
光。
そして――
「面白い」
夜風が吹く。
名前のない風は、まだ誰の側にも立たない。
ただ世界を見ている。
遠くで、教団の最後の崩壊音が響いた。




