第五〇話 耐えられなかった者
三日。
何も起こらなかった。
森は静まり返り、
風も鳴かない。
影の気配も、襲撃もない。
氷冠騎士団は、野営地を築いていた。
中心に立つのは、
氷の陣柱。
それを維持するのは、
団長――レオン。
「動きが、なさすぎる」
副官が低く言う。
「動かないのも、戦術だ」
レオンは短く返す。
冷気は絶えず巡っている。
索敵は、完璧。
隙はない。
だが。
若い兵士には、それが重い。
「ビビってんじゃねぇのか、影王も」
焚火の傍で、若い騎士が吐き捨てる。
名は、カイル。
二十歳。
武勲欲しさに北方へ来た。
「三十人やられた?
奇襲だろ」
「正面から来りゃ、俺たちが凍らせてやる」
仲間が制す。
「団長は動くなと言った」
「だから何だ」
カイルは立ち上がる。
「このまま何もせず帰るのか?」
その夜。
見張りの交代直前。
霧が濃い。
カイルは、剣を握る。
「ちょっと森の様子見てくる」
「やめろ」
小声の制止。
だが、彼は行った。
隊列を乱し、
氷陣の外へ。
森の中。
静寂。
「……何もねぇじゃねえか」
鼻で笑う。
その瞬間。
足元の影が、わずかに揺れる。
背後。
黒い裂け目が開く。
影の空間。
そこに立つのはユウ。
「……あれ?」
首をかしげる。
「お前、氷の親玉じゃないじゃん」
カイルは、気づかない。
背後に立つ存在に。
影が、濃くなる。
空気が、冷えるのではない。
沈む。
ユウは、大鎌を肩に担ぐ。
黒い刃。
光を吸う。
「間違えたか」
ため息。
一瞬。
刃が、振られる。
音は、なかった。
空間が、裂ける。
カイルの体が、二つに分かれる。
血は、ほとんど出ない。
影が、飲む。
「……まぁいいか」
ユウが呟く。
切断された体を、蹴る。
影が巻きつく。
「返却」
影が膨張する。
空間が、歪む。
次の瞬間。
野営地中央。
氷陣の内側。
“それ”が、降ってきた。
ドンッ。焚火が弾ける。
騎士たちが立ち上がる。
地面に転がる、カイルの死体。
上下に分断されて。
目は、見開かれたまま。
静寂。
副官が、声を失う。
「……結界の、内側だぞ……」
氷陣は破られていない。
侵入も、感知もない。
レオンが歩み出る。
膝をつく。
断面を見る。
凍っていない。
焼けてもいない。
ただ、滑らかに、断たれている。
「……空間切断」
低く呟く。
周囲の温度が下がる。
怒りではない。
だが冷気が鋭い。
「隊列違反か」
副官が言う。
レオンは答えない。
ただ、森を見る。
暗い。
静か。
何もない。
だが確かに見られている。
影の空間。
ユウが座っている。
大鎌を回しながら。
「氷の親玉、出てこないな」
つまらなそうに。
「まぁいい」
影がざわめく。
「ちゃんと来いよ」
野営地。
レオンが立ち上がる。
「全員、氷陣を二重展開」
「単独行動は、死と同義と知れ」
声は冷たい。
だが目は、燃えている。
初の直接的挑発。
氷の結界内に、死体を返された。
それはつまり
いつでも殺せる、という証明。
森が、沈黙する。
氷が、軋む。
戦は、まだ始まっていない。
だが。
確実に。
削られている。




