第四十四話 聖女は、拳を選んだ
影の軍団の奥へ、
一人の少女が歩いていく。
白い法衣。
汚れも破れもない。
だが、足取りは荒く、
息は浅い。
リアナだった。
影兵が、反射的に前へ出る。
次の瞬間、影が裂け、道が開いた。
命令は、なかった。
影王ユウが、そう望んだからだ。
リアナは、歩く。
震えている。
だが、止まらない。
数万の影の兵。その中心。
影の玉座に、ユウが立っていた。
「……来ると思ってた」
ユウが、静かに言う。
声に、驚きはない。
リアナは、答えない。
ただ、
ユウの前まで来る。
距離、
ほんの一歩。
次の瞬間。
パァン――ッ
乾いた音が、影の世界に響いた。
リアナの手が、ユウの頬を打っていた。
力は、強くない。
だが、迷いがなかった。
影が、ざわめく。
影兵が、一斉に動こうとする。
ユウが、手を上げる。
それだけで、すべてが止まった。
ユウは、ゆっくりと顔を戻す。
頬に、赤い跡。
「……痛いな」
ユウは、そう言った。
それは、事実確認の声だった。
リアナの目から、
涙が溢れる。
「……当たり前です……!」
声が、割れる。
「何してるんですか……!」
「王を……!」
「街を……!」
「人を……!」
言葉が、次々に溢れる。
「あなたは……苦しんでた……!」
「だから……
分かるって……
思ったのに……!」
ユウは、黙って聞いている。
遮らない。
否定しない。
リアナは、
拳を握りしめる。
「私は……
あなたを……
救いたかった……!」
「影になんて……
なってほしくなかった……!」
ユウの視線が、
わずかに、揺れた。
ほんの一瞬。
「……それでも」
ユウが、言う。
「俺は、選んだ」
リアナは、
もう一度、
ユウを叩こうとする。
だが――
その手は、途中で止まる。
ユウが、
受け止めた。
力は、使っていない。
ただ、
止めただけ。
「……もう一度叩いたら」
ユウは、静かに言う。
「戻れなくなる」
リアナの手が、
震える。
「……何が……ですか……」
「お前が」
その言葉に、
リアナの息が止まる。
「俺の“敵”になる」
沈黙。
影が、息を潜める。
リアナは、
ゆっくりと手を引いた。
涙を拭い、
顔を上げる。
「……いいです」
声は、震えているが、
逃げていない。
「敵でも……
構いません……」
ユウの目が、
大きく開く。
「それでも私は……」
リアナは、
まっすぐ言う。
「あなたが……
間違っているって……
言い続けます」
しばらく、ユウは何も言わなかった。
影が、静かに揺れる。
やがて、
ユウは、笑った。
ほんの、かすかに。
「……厄介だな」
「でも……」
ユウは、リアナを見たまま、言う。
「それでこそ……聖女だ」
リアナは、一歩、下がる。
背を向ける前に、最後に言った。
「……アレン様は……泣いてました」
その一言で、ユウの影が、
わずかに揺れた。
リアナは、振り返らずに歩き出す。
影の道を、人として。
ユウは、頬に触れる。
そこに、まだ、熱が残っていた。




