第四十一話 選択
アレンが入室したとき、
彼はすでに異変を察していた。
城内の沈黙。
兵の目。
窓の外を覆う影。
「……陛下。お呼びでしょうか」
跪くアレンに、王は言った。
「使者を、立てる」
短い言葉だった。
「影王ユウへ――余の言葉を、届けよ」
一瞬、アレンの呼吸が止まった。
「……私が、ですか」
「ああ」
王は、目を逸らさなかった。
「お前しか、いない」
理由は、語られなかった。
だが、アレンには分かった。
影王ユウは、誰でも斬る。
だが――自分だけは、斬られないかもしれない。
それが、どれほど残酷な期待か。
「……内容は」
アレンの声は、かすれていた。
王は、玉座から立ち上がる。
「降伏の意思」
その言葉に、玉座の間がざわめく。
「王都を、開く」
「軍を、下げる」
「教会の裁定記録、すべてを差し出す」
一つ一つ、国の骨を抜く言葉。
だが、最後に――王は、言った。
「そして……余の首を、差し出す」
沈黙。
アレンは、拳を、強く握った。
「陛下……!」
王は、首を振る。
「これは、王の仕事だ」
アレンは、深く、深く頭を下げた。
「……必ず、生きて戻ります」
王は、静かに答えた。
「頼んだぞ」
城門が、開く。
一人、光を背負った男が歩く。
背には翼。
その奥に、羊のような角。
人と天使の境。
影の海が、道を開く。
二万、三万の影兵が、
一斉に、彼を見る。だが、誰も動かない。
中央に、影王ユウが立っていた。
変わらない。
あの日、背中を追いかけたときと。
「……久しぶりだな、アレン」
声は、静かだった。
懐かしさも、怒りもない。
それが、一番、胸に刺さった。
「……ユウ」
アレンは、目を逸らさずに言う。
「王の使者として来た」
ユウは、頷く。
「聞こう」
アレンは、
一歩、前に出る。
影が、足元まで迫る。
「王は……降伏を申し出る」
ユウの表情は、変わらない。
「条件は」
アレンは、言葉を、噛み締める。
「王都の開放」
「軍の解体」
「教会裁定の全記録提出」
影が、ざわめいた。
だが、ユウは、黙って聞いている。
最後に、アレンは言った。
「……そして」
喉が、焼ける。
「王は……自らの首を……差し出す」
沈黙。
長い、長い沈黙。
影の軍団が、一切、動かない。
ユウは、ゆっくりと目を閉じ、
そして――開いた。
「……妥当だ」
その一言に、アレンの胸が、締め付けられる。
「だが」
ユウは、続けた。
「一つ、確認する」
視線が、まっすぐ、アレンを射抜く。
「……お前は」
「それで……納得しているのか」
アレンは、答えられなかった。
英雄としての正義。
友としての情。
使者としての責務。
すべてが、喉の奥で、絡み合う。
それでも、アレンは言った。
「……これは……私たちが、選んだ結果だ」
ユウは、小さく、息を吐いた。
「……そうか」
影が、静かに揺れる。
「では――返答を、持ち帰れ」
アレンは、目を見開く。
「……殺さないのか?」
ユウは、首を振る。
「使者だから、ではない」
「……お前だからだ」
アレンの胸が、強く、痛んだ。
ユウは、背を向ける。
「三日だ」
「三日後、王都に入る」
「そのとき――条件が、一つでも違えば」
影が、一段、濃くなる。
「……全て、影にする」
アレンは、深く、頷いた。
「……必ず、伝える」
影王ユウは、影の王座に立ち、静かに、王都を見ていた。
光は、もう彼を照らしていなかった。
影の軍団の中心。
黒い大地の上で、ユウは立っている。
二人の間には、かつて肩を並べた日々と、もう戻れない時間が横たわっていた。
「……条件は、伝えた」
アレンが言う。
「三日後、王は首を差し出す」
「王都は開く。教会も、裁定記録も――」
ユウは、黙って聞いていた。影は、静かに揺れている。
「だが」
ユウが、言葉を継ぐ。
「それは、国の話だ」
アレンの眉が、わずかに動く。
「……どういう意味だ」
ユウは、ゆっくりと一歩、近づいた。
影が道を開く。
二人の距離が、縮まる。
「俺が聞きたいのは――お前の話だ、アレン」
アレンは、息を呑む。
「……俺の?」
「そうだ」
ユウの声は、低いが穏やかだった。
「お前は、この国に何を返してもらった?」
アレンは、答えない。
英雄。叙爵。称賛。婚約。
だが同時に――ユウを、救えなかった。
「……光を持って生まれた」
ユウは続ける。
「希少で、尊くて、誰もが跪いた。一方で、俺は影を持って生まれた。
同じ戦場に立って、同じ血を流して」
「結果は、これだ」
影の軍団が、背後で静止している。
「……だから、誘う」
ユウは、はっきりと、そう言った。
「アレン」
「一緒にやろう」
風が、止まる。
アレンは、
言葉を失った。
「……何を……」
ユウは、鎌を地面に立て、
それを支えにする。
「壊すんだ」
「この仕組みを、
国も、教会も、正義と呼ばれた裁定も、
生まれ持った力で価値を決める世界も、
選ばれなかった者が切り捨てられる構造も」
ユウは、アレンをまっすぐ見る。
「お前は、中から変えられる側だ。だが、変えられなかった」
アレンの胸が、強く締め付けられる。
反論が、浮かばない。
「俺は、外から壊す」
ユウは、静かに言う。
「だから――選べ」
影が、足元から伸び、
アレンの影と重なる。
だが、拘束しない。触れるだけだ。
「俺の隣に立て、光を捨てろとは言わない
光の王でいろそのままでいい」
アレンは、震える声で言う。
「……それは……世界を敵に回すということだ」
ユウは、即答した。
「もう、回している」
沈黙。長い、長い沈黙。
影の軍団も、動かない。
待っている。
アレンは、自分の手を見る。
光が、まだ、そこにある。
「……リアナは」
絞り出すような声。
ユウの視線が、
一瞬だけ、揺れる。
「……彼女は」
「選ばせる。俺は、強制しない。
それは、俺が一番、嫌ったことだからな」
アレンは、目を閉じた。
救えなかった友。差し出された王の首。
三日後に来る、破滅。
目を開く。
「……答えは、すぐには出せない」
ユウは、頷いた。
「いい、三日ある」
背を向ける前に、
ユウは一言、残す。
「……アレン」
「お前が、こちらに来ても、来なくても」
影が、わずかに脈打つ。
「俺は、進む」
影の軍団の奥で、
ユウは思っていた。
(来い、とは言わない)
(だが――来るなら、歓迎する)




