第二十一話 片鱗
内部は湿り、空気が濁っていた。
暗闇はユウを呑み込むように広がっているが、影魔法を使う彼にはむしろ心地よかった。
「ここなら……僕を拒む者はいない」
影が足元からゆっくりと湧き上がり、ユウの手の甲にまとわりつく。
影兵たちが、ひざまずいた。
彼らだけは裏切らない。
ユウの命令だけを絶対とする存在——それが今のユウにとって唯一の救いだった。
第一層の最奥。
石扉を押し開くと、巨大な甲殻を持つ魔獣が姿を現した。
**〈黒殻のミノタロス〉
•身長3m
•斧の一撃で石床が砕ける
•魔力耐性:高
•物理防御:異常な硬さ**
魔獣が咆哮した瞬間、ユウの背後から影が一斉に伸びる。
「……行け」
影兵十体が駆け出し、斧を振り下ろす巨体へ突撃する。
だが、ミノタロスの腕が横に薙がれると、影兵が二体、霧散した。
「くっ……!」
ユウは臨場感ある恐怖を覚えながらも、影兵を増やした。
—〈深層影化〉—
影兵の体が濃くなり、輪郭が曖昧になる。
闇が凝縮し、濃密で重たい質感に変わっていく。
「……壊されるな。お前たちは僕の唯一の仲間だ」
影兵がミノタロスの足を拘束し、数名が背後へ回る。
ユウは大鎌を一振りし、跳躍した。
「消えろ——〈影断〉!」
黒い閃光が一直線にミノタロスの首元を切り裂いた。
巨体が揺れ、床へ崩れ落ちる。
静寂——。やがて影兵たちがユウの前で跪く。
「……君たちだけだ。僕を見捨てないのは」
その呟きは、暗い喜びを帯びていた。
フロアボス〈黒殻のミノタロス〉が石床に崩れた。
巨体が沈黙するのを確認すると、ユウはゆっくりと歩み寄った。
「……お前も、僕を拒絶しないだろう?」
指先をかざすと、影が静かに漏れ出し、ミノタロスの亡骸の周囲に黒い波紋が広がっていく。
「出てこい」
ミノタロスの影が震え、形を失いながらユウの足元へ吸い寄せられた。
輪郭が再び膨らみ——
黒い煙からゆっくりと姿が生まれる。
〈影ミノタロス〉が跪いた。
本体より一回り小さく、黒い霧をまとった怪物。
しかし、その力は倒した個体よりもさらに凝縮された密度を持つ。
「……良い。僕の影として生きるなら、裏切られることも、捨てられることもない」
影ミノタロスは深く頭を垂れ、ユウの忠実な眷属となった。
ボス部屋の扉が音を立てて閉じた。
その瞬間、ユウは自分の周囲に漂う“濃い闇”の存在に気付く。
その闇は、まるでユウの感情に呼応するように脈動していた。
怒り、失望、裏切り、孤独。
全てが影に変換され、軍勢の力となっていく。
影兵たちは先ほどよりも濃く、形も明確で、ひとつひとつが個性を持ち始めていた。
武器を持つ影、爪を伸ばす影、盾のように膨らむ影。
影ミノタロスは他の影兵より頭一つ抜けた巨体で、重厚な闇をまとっている。
「これで……もう怖くない」
その言葉はまるで呪いのようだが、ユウは安堵すら感じていた。
ユウはミノタロスの部屋を出て、次の階層へ進む。
そこには無数の魔獣——牙を剥く狼、天井に張り付く爬虫類、狂暴な虫の群れ。
だがユウの足取りは静かで、迷いがない。
「全部……俺の影にする」
影兵と影ミノタロスが一斉に走り出す。
戦いは数分で終わった。
倒れた魔獣の影が次々と吸い上げられ、ユウの周りに集う。
影の軍団はフロアごとに勢力を倍増し、
その数は——
三十、五十、百万……
数えることに意味がなくなった。
影の海の中心に立つユウは、もはや人間という枠に収まらなかった。
影を吸い上げるたび、自身の魔力が冷たく、濃く、静かに膨れ上がっていく。
影魔法の深度が増し、心拍すら規則正しく落ち着いていく。
感情が薄れる代わりに、思考は研ぎ澄まされていった。
「……人間は弱い。心も、信念も、言葉も。影だけが……僕を裏切らない」
影の軍団が、ユウのその呟きに呼応するように揺らめいた。
その瞬間、影の王の片鱗が生まれた。
ユウは深層への階段の前で立ち止まる。
何百万もの影兵が背後に並び、影ミノタロスが静かに武器を構える。
「もっと強くなろう。誰よりも深い闇を手に入れ……もう誰にも俺を裁かせない」
ダンジョンの深淵から風が吹く。
ユウは微笑んだ。
その表情には、かつての優しさも、迷いも、戸惑いも——
一切残っていなかった。




