白い結婚 毎日一度は「愛している」と伝える条件付きで
レイとフィアは政略結婚により結ばれた。そこには白い結婚であることにお互い問題ないという内容の契約が盛り込まれていた。
他に愛人がいるだとか、憎しみ合っているだとか、負の感情があるわけではない。ただただそれぞれにやりたいことがあり、そして人間関係にドライだというだけ。
ある意味似た者夫婦である。
レイは銀色に近いグレーの髪を持ち、淡白な顔立ち。背は高く、侯爵家なので一見モテそうなのだが、無愛想で人の気持ちに鈍感な研究者肌。所属している研究所での研究に傾倒しており、その他の事柄に割く時間などないと考えている。
両親が事業を行う上でフィアの実家との結びつきが必要となり、この結婚の話が出てきた。
フィアは豊かな黒髪と意思の強い眼差しを持つ、活発な女性だ。この時代この地域の貴族女性に珍しく、フィールドワークを生業としている。巨鳥など珍しい生き物の生態を追い求めるのを生き甲斐としていた。レイも研究者肌だが彼はインドア。フィアは完全にアウトドア。
生態が完全に把握できていない生物相手なので、いついかなる時も外に飛び出せるようにしておきたい。そのため、出産などしている暇はないというのが持論。
いつまでも未婚の娘を家においておくのは外聞が……と言い始めた親を手っ取り早く黙らせるために、兄の持ってきた婚約話に同意した。
この婚約話を用意したのは、フィアの実兄でレイの昔馴染みであるルイス。フィアと同じく黒髪だが、妹のフィアよりも髪も物腰も表情も柔らかだ。そして、悪ノリで「毎日愛していると伝えること」という条文を契約書に追記した人物でもある。放っておくと人相手よりも鉱石やら野獣やらに愛を語りだしそうな、妹と親友へ向けた彼なりの愛情表現でもある。
二人は婚約にあたっていろいろな条約を結んだ。主に事業について。そして二人の生活様式について。その中にそんな一言が紛れているのに気が付かずにサインをしたフィアだったが、「まあ、いっか」とあっけらかんとしていた。細かい性格のレイはしっかり読み込んで、その契約に気がついていたが、朴念仁なのであまり気にしていなかった。
初めての契約遂行日は新婚初夜。この日は簡単であった。なにせ、教会で既に「愛している」と宣言して(させられ)ているため、ノルマクリア、である。
二人とも満足気な顔で結婚式を果たして新居に行き、それぞれ身支度をして、早々に就寝した。
ドライなだけで真面目な二人は、夫婦の常識とやらに準じて寝室は一緒である。一人寝より二人寝は狭いかと思っていたが、その分を考慮して余りあるキングサイズのベッドに、やや寝相の悪いフィアも満足であった。そもそもフィールドワークで雑魚寝もザラにある彼女にとっては隣に誰がいようと関係ない。ちなみに熟睡型のレイも隣に誰がいようと関係ない。
二回目の遂行も滞りなく終わった。朝日とともに目が覚める健全な二人は、寝ぼけ眼のままキングサイズのベッドの上で正座をして、「愛しております」とお互い宣言した後、さっさとお互いの身支度を開始した。やるべきこと(愛の宣言)も終え、親からの小言もなくなった自分(達)の家で生活できるのだ。心なしか無表情が常のレイの顔も、晴れやかだ。
翌日も、その翌日も、問題なく「愛しています」と宣言し、それぞれの生活を送る。そんな日が1週間ほど続いたあたりで、第一の関門があった。それは、フィアが家に帰れない場所に遠征に行ったことで起きた。『会えない日』というのが発生したわけだ。
まあ、伝わればいいか、という精神で、フィアは手紙をしたためる。内容も簡潔で、宛名と差出人名の他は『愛しています』とだけ。それを見たレイの同僚たちはむしろなんて熱烈なんだと驚いたものだが、フィアにとっては義務を淡々と遂行しているに過ぎない。
レイも同様で、送り先不明だが手紙は書き続ける。あちこちを移動して野生動物を追い求めているフィアに毎日手紙を届けるのは至難の業なので、とりあえず義務を果たしたといえるように手紙を書く。宛先はひとまずフィアの職場。内容はフィアと変わらず。
フィアからの手紙は面白い。毎日同じ文にもかかわらず、彼女のいる環境が垣間見える。フィールドワーク初日は丁寧に。翌日は走り書き。次の日は土がついて少量の砂交じり。とある日には、レイにはよく分からぬ小石が入っていたこともあった。
数日間のフィールドワークから帰ってきたフィア。玄関扉を自ら開け、荷解きもせぬまま第一声が「愛しています」。これを聞いて新人の使用人などは「なんと熱烈な方たちなのだろう」と驚いたものだが、古くからの使用人たちは「主人は相変わらずだ」と、あきれ半分感心半分。義務をただただ遂行しているだけということを理解していた。
迎え入れるレイも同じく。一日のノルマを終わらせるべく、フィアの馬が屋敷の庭に乗り入れる騒がしい音を聞くなり足早に玄関に向かい、お帰りの挨拶もなく「愛しています」。珍しく口元には微笑みが浮かんでいる。それを見たレイ付きの使用人は驚いたが、「やはり口頭で告げるというのは簡潔でいい」と続いてこぼしたレイの言葉に納得してひとり頷いた。
フィアが帰ってきたかと思ったら、次はレイが研究所に籠ることに。研究発表が間に合わないと次の予算に大きく響くとあり、連日連夜研究所に泊まり込んでの作業となった。レイは手紙ではなく、最近貴族達に導入されはじめた電話を使った。研究所の壁に据え付けられた電話から交換所に繋ぎ、フィアの居る自宅へ据え付けられた電話に繋がるという仕組みのものだ。
レイは何の衒いもなく、「愛しています」とフィアにむけ電話口から伝える。研究室の面々は普通の感性を持っている者も多いため、これには面食らってしまう。「鉄面皮のレイが愛を告げている!」と驚きの声を上げる者もいた。
受けるフィアの方は、レイからの定型文ではなく電話に興味津々で、音が鳴るのを楽しみにしていた。好奇心が旺盛なのだ。電話口から聞こえる「愛している」は、ブリキ製のベルの振動のせいか、耳がくすぐったかった。
レイの研究も一段落し、フィアの研究も一旦落ち着いたところでまた穏やかな日常が戻る。お互い朝一番にベッドに正座し、寝ぼけ眼で「愛しています」のノルマを終える。
朝食は共に取る。通いの使用人の仕事が効率よく済むようにだ。食卓につくものの、会話はない。お互いに自分の分野の新聞や研究論文や雑誌やらを読むのに忙しい。このマナー違反、実家では『食事中にすることではない!』と怒られたものだが、ここでは怒る者がいない。ふたりとも悠々自適を心ゆくまま楽しんでいた。そのために結婚してよかったとも毎朝思っていた。
そんな日々のなか、ある時レイがふと告げる。「あなたからの手紙に小石のようなものが入っていました。あれは何ですか?」レイの研究対象には鉱石も含まれている。自分の知らない小石について、興味を惹かれたのだ。「あれは大鷹の足の爪です」フィアはそう答える。時間にして約数十秒。これが2人の初めての朝食時の会話だった。
第二の関門は、病気。まずレイが風邪を引いた。二人の屋敷にいる使用人は、基本的に通いの勤務体系にしている。自分のことに集中したいレイとフィアの希望でそうなっている。そのため、風邪を引いたレイの夜間の看病はフィアがおこなうことになった。
高熱で意識が朦朧とする中、レイはうっすらと開けた目にフィアを捉え、「あ、愛しています」とだけ告げ、発熱初日はそのまま意識を失うように眠りについた。
翌日、まだ続く熱と、食欲不振。使用人たちが作り置きしたものは口には合わず、のどに通らないというレイ。「何か食べたいものはありますか?」結婚して半年。フィアは初めてレイの食事的趣向を尋ねた。「温かい、レモネード……」レイの回答は風邪を引いているからこそのものだったが、この先フィアにはレイはホットレモネードを好むとして記憶されたのだった。
結局レモンは見当たらず、「それなら蜂蜜だけ食べる」というレイ。手が震えてベッドにこぼしそうになるので、フィアは手ずから食べさせることにした。ぼんやりとした顔で小さく口を開けるレイに、スプーンに乗せた少量のハチミツを食べさせているのは、なんだか鳥の餌付けににていた。先週あたりに拾ってきて職場で世話を始めた怪鳥の雛に餌付けしているのと似て、フィアもこの看病を思いのほか楽しんでいた。
高熱の中、なんとかノルマをこなせたレイ。彼が回復すると、次には順調にフィアに移った風邪。フィアは繊細なレイとはことなり、風邪を引いても食べられるという強靭な胃を持っていた。いつにも増して食事を取り、熱い湯に浸かり、そして早々に寝た。が、深い眠りに落ちる前にギリギリ目覚め、隣で寝ようとしていたレイの顔を引き寄せ、「愛しています」と力強く告げた後、また眠る。
いつもより(物理的に)熱のこもった瞳に見つめられ、(ああ、この人の瞳は少し朱の混じった黒なのだな)と感想を持ったレイ。エネルギーを蓄えて早々に回復に努める野生動物のような妻に少し興味がわく。寝かけた自身の体をおこし、妻の側に椅子を引き寄せ、組んだ両手にあごを乗せながら妻の寝顔を観察する。
観察するのが好きなレイは、友人知人の顔を観察しては気味悪がられ、注意され、『人の顔は勝手に観察してはいけない』と学んでいる。しかし妻となったフィアはレイが見つめても普段も特段気にしている様子もない。が、いかんせん活発なので、じっとしていることが少ない。
今日は珍しくフィアがおとなしくしており、レイもまだ眠くない時間。妻の横顔は研究対象の結晶よりも綺麗だとは思っている。そんな妻の横顔を心ゆくままに観察するレイだった。
ある時珍しく訪問客がいた。この状況を作った張本人、フィアの実兄にしてレイの数少ない友人のルイス。
「どうだ? 毎日言ってるのか? 愛してるって」
本日の訪問の目的は二人を茶化すこと。
それにも動じず、二人して、「はい」と簡潔に答える。「じゃあ目の前で言ってみてくれよ」と悪ふざけが加速するが、「本日のタスクは終わりました」と、淡々と返事。
幼い頃から二人が好きすぎて構って欲しくて仕方ないお兄ちゃんなのだが、昔から二人ともいくらからかわれても飄々としており、だいたい最後には兄が泣き出すと言う結果だった。ちなみに彼はふざけた人間ではあるが、二人以外にはここまでひどくはない。
「それで。手を握ったりはしたのか?」
二人が白い結婚であることは知っていたが、仲良くやってほしいというのも兄心。そして慌てふためく友人をみてみたいとも思っているのだが、今回も失敗。レイは慌てることなく、「それは契約に入っていませんでした」と答えた。
「ずっと二人で過ごすのに、ドライだな。」ルイスは妹に話を振る。
「もし崖から落ちそうなことがあったら、助けるために手を握ることはあると思います」妹から聞けた答えはこれ。普通に聞けば、死の間際まで手なんか握りませんと言っているようなものだったが、フィアとしては助けるべき、気にかけるべき仲間である意識があっての発言である。長年フィアの兄をやっているのでそれを分かっていた兄にとっては十分な答えだった。満足して頷き、晩ご飯をご馳走になって楽しげに帰っていった。
第三の関門は、喧嘩である。淡白な二人にも、一緒に過ごすうちにやはり普通の夫婦のような喧嘩がおきた。
ある日フィアが珍しい動物を連れて職場から帰ってきて、数日の間家で預かることとなったのだとレイに伝えた。その夜レイはとても静かに怒っていた。動物を家で預かることについてではない。
「なにか怒っているのですか?」と聞いたフィアに対して「家の庭を掘り返すときには一言言ってほしかった」と答えた。動物のために小屋を設置したのだが、確かにその際に庭の土を一部掘り返した。
景観を損ねたことについて怒っているのかとも思ったが、そうではないらしい。土を捨てないでほしかったのだそうだ。「あそこには珍しい石が結構埋まっていた。少しずつ掘り返すのが楽しみだったのに」そういったきり、俯いて無言になってしまったレイ。
まったく悪気はなかったフィアであるが、自分の大切なものを大切にされない辛さはよくわかっている。なにせ、彼女の大切なものも他の人にはなかなか理解してもらえなかったものが多いから。誠心誠意、何度も謝った。
レイは最初は腹が立っていた。自分のひそかな楽しみが突然失われたのだ。一人で過ごしていたならこんな思いをしなくてよかったのに。また、自分の大切なものが蔑ろにされている感じもした。そして、妻が自分の好きなものを理解していないのを残念に思い、同時に自身が妻に理解してほしいと思っていたことに驚き、庭の石のことを何も伝えていなかったのにもかかわらず理解を求めた自分に呆れてしまった。
つまり、レイは突然の出来事に混乱したのだ。今までにない自分の心の動きに混乱し、就寝時には怒りも収まっていたのだが、なんだか疲れてしまってさっさと寝てしまいたかった。
フィアには怒っていないと伝えたのだが、疲れたレイの様子をみて心配するフィア。他人に対する関心は薄いが、他人を不快にさせてそのままでいていいと思っているわけではないのだ。
「怒っているのですか?」「もう怒っていません」そんなやりとりを何度か繰り返し、「もう寝ます」と伝えるレイ。そんな日に限って朝は忙しく、まだ伝えることができていなかったことを思い出す。「愛していますよ」ベッドに入る前に、寝室でそう伝えたレイ。なんだか怒ったことが容易に思えて、気恥ずかしくてフィアの顔は見られなかった。
そんなレイの心情など知らないフィアは、少しシュンとしながら、「愛しています」と告げ、ともにベッドに入った。いつも活発なフィアの表情。それがこの日はずっとまゆの下がった困り顔。口には出さなかったが、レイにはなんだか新鮮に感じられていた。フィアはいろいろな表情をする。自分の態度でもそれが変わるのが興味深い。レイは横を向き、ベッドで隣にいる妻にもう一度「愛していますよ」と告げる。フィアはようやく納得したようで、一度頷き、おやすみなさいと告げて眠った。
フィアが怒ったときは苛烈だった。きっかけはささいなことだった。そしてレイはなぜフィアが怒っているのか全く分からない。
「何に怒っているのですか?」
「私のピッケルを捨てると言った!」
「いえ、ピッケルを捨てるのならくださいと言ったのです」
「なんで私がこれを捨てるのだと思ったの?」
「いえ、もうボロボロなので……」
その言い分がさらに火を注ぎ、フィアの怒りは止まらない。このピッケル、フィアにとってはとても大切なものだった。フィールドワークにおいて、足元の危険な山岳地帯などを越えるときに何度も、フィアの命を救ってくれたのだ。見た目はボロボロだが、基礎部分は頑丈で、何度も装飾を作り直して使っているものだ。
「申し訳ない」「すみません」「ごめん」いろいろな言い方で謝っても、フィアの怒りは収まらない。そしてやはりこんな日に限って、朝にノルマを果たしておらず、夜に言うことに。
まだプンプンしているフィアは、ベットに飛び込み、頭まで布団をかぶってしまう。そろ〜っとシーツをめくり中に入ってきたレイ。布団からちょっと顔を出して、まだ若干目を怒らせながらも、睨みつけるようにレイを見つめて「愛してる!」と今までで一番大きな声で告げるフィア。怒りが爆発したものの、引っ込みがつかなくなり、どうしたらいいかわからなくなっているようだった。レイにはフィアのその様子がなんだかおかしかった。布団の隙間から覗いていた、意志の強いキラキラした瞳が鉱石のようできれいだとも思った。どうせならもう一度見たいと思い、また頭までかぶった布団の上からトントンと優しく叩く。先ほどと同じように、ちょっとだけ顔を出すフィアに、優しく「愛しています」と告げ、満足そうに眠りについた。
今までは、人との距離感がわからず、あまり深く関わってこなかった二人。怒っている相手と意見のすり合わせをするのは大変だ。そして完全に理解できないことも多い。それでも理解してあげようと歩み寄るし、自分の思いを理解してもらえないと悲しく思う。結婚して一年。まだ手もつないでいない二人だが、こうやって少しずつ成長していった。
レイはなんだかんだ、お互い二人でやっていけるこの環境を気に入っていた。なにせ好きなことをやっていても、怒る人間がいないのだ。願わくば、フィアも同じように快適さを感じてくれていればいい。こうして二人なりに幸せなこの生活がいつまでも続けばいいと思っていた矢先、事件は起きる。
レイの職場の研究が横取りされたのだ。それだけならまだいい。相手はなんと、レイたちこそ研究の盗用者だと訴えてきた。レイも含め、研究方面においては優秀な面々だが、政治に疎い。思うように反論の方法も思いつかない。レイたちはいつも以上に研究室にこもりっきりになり、この不測の事態に対策することになった。
そんなときでも、生真面目なレイは約束を守る。電話で相手の名前を告げ、愛を告げ、フィアの返事をもらって直ぐに仕事に戻る。同僚たちもそんな短時間の行動に文句は言わない。
ある日、煮詰まったレイは電話口にこう告げた。「愛しているよ。まだ帰れそうにない。……フィア、君の手を握りたい気分だ」珍しく弱音を吐くレイ。電話はすぐに切れ、席に戻って作業を始める。
レイの実家は力があり、レイ自身も数々の研究成果で財を成せていたため、研究が一つ取られたくらいではどうにかなるわけではなかった。しかし、技術の盗用者と訴えられ、さらにそれが最悪確定して犯罪者となってしまってはさすがに研究を続けられない。貴族は名誉を重んじる。フィアとの暮らしもこのまま続けられるかわからない。家同士の利益重視のつながりだから。
ただただ居心地のいい関係だと思っていたが、なくなると思うと途端にこわくなる。手が震えてくる。今日は電話で愛を告げた。このまま事態が悪化し、投獄され、そのまま別れる可能性もある。どうせなら、フィアの宝石のような目を見ながらあの言葉を伝えたかった。そう思っていた矢先、同僚が突然騒ぎ始める。
場違いに、なぜかレイは(そういえば、フィアからの返事は聞けていなかった)そんなことを思いながら、騒ぐ同僚が指さす窓の外をみた。
そこには、大きな鷹がいた。明らかに常識的なサイズではない。そして、その上に、妻が。フィアがいた。
「レイ、あなた崖っぷちにいるの?」
レイが駆け寄り、窓を開けるなりそう声をかけられる。そして器用に片手で鷹に着けられた手綱をつかみ、もう片方の手を礼に差し伸べるフィア。
「手をつなぎたいって言ってたから」
だから、駆けつけてくれたのだ。
できる限り窓から手を伸ばし、フィアの手を握り、レイは頷く。「もう、多分、大丈夫」なんの根拠もない。でも、そう思った。
「フィア、愛しているよ」せっかくなので、フィアの目を見つめながら告げる。
「レイ、私もよ。愛しているわ。早く帰ってきて」
そしてさっそうと帰っていった。
大鷹に乗って現れる女性など、同僚たちの目には珍事にしか思えなかったが、レイの目には女神のように映っていた。毎日愛を伝えている相手を見て、『自分たちにできることをやるしかない。』そう腹を決めた。
そんな珍事があったからといって、身の潔白を証明できるわけではない。何の解決にもならなさそうだったが、結論、このことをきっかけに事態は収束した。
大鷹に乗った女性という前代未聞の情報は人々の興味を引き、その向かった先である研究室にも記者が訪れた。そして日の目を見なかった研究内容も含め根掘り葉掘り聞かれて、広報不足でいままで知られていなかった実績が周知され、研究室の実力が再評価されたのだ。
盗用問題は解決していないが、話題性のある研究室を相手に泥仕合を続けるのが損だと相手が思ったのか、訴えは自然消滅していった。
こうしてまた日常が戻る。
「素敵な奥様ですね」若手の同僚にそう言われたレイ。「あの人は、庭の石のような存在なんだ」と、常人には分からない感性でレイは答えた。
喧嘩をすることもある。フィアが怒ったとき、「どうしたら許してくれますか?」とレイが問うと、「餌付けをさせてくれたら許す」と答えるフィア。
二人は二人なりの感性で関係を築いていった。毎日愛の言葉を添えて。
余談だが、大鷹が産卵して抱卵期間に入ったことで、フィアも自宅待機となった。「このタイミングなら私も出産できるわ。どうする? 愛する人」満面の笑みでレイに問うたフィア。唐突な問いかけに目を白黒とさせたレイは、毎日の約束の言葉を告げて、答えとした。