第1話
新連載始めました。よろしくお願いいたします。
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「ミハーリア、こちらがお前の婚約者のルハロ殿下だよ。ご挨拶なさい」
父のビューラルヘン公爵にそう言われて、俯いていた私は顔を上げた。
その瞬間、雷が体に直撃したかのような衝撃を受けた。
王家の正統な後継者である証の艶やかな橙の髪とルビーのような赤い瞳を併せ持ち、穏やかな微笑みを浮かべた御尊顔は芸術作品さながらに美しかった。
この瞬間、私、ミハーリア・ビューラルヘンは恋に落ちた。
初恋だった。
それが歪んでしまうことになるとは知らずに。
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───5年後
私は齢15歳にして、状況を俯瞰する能力がどうやら備わったらしい。
「神秘のバラ」と呼ばれる美しい赤いバラが、しっかり手入れされた状態でたくさん植わっている王宮のバラ園には、二人の男女がいた。
男は、王家の血を引く橙の髪にルビーの瞳を併せ持ち、その姿は芸術作品のように美しい。
女は、空色の髪と、エメラルドの瞳を持った、華奢な体格の少女だ。
二人は親しげな様子で話していた。正直、男の方に関しては本当に婚約者がいるのか疑わしいふるまいをしている。これが王太子というのだから、王国の未来はいささか恐ろしいものになるのではと他人事のように思っていた。
まあ、そんなことはしていられない。仮にも婚約者なのだ、その身の振り方はワタシが注意するべきだろう。
そんなことを注意したところで何と言われるか、結果は目に見えている。これだから婚約者は嫌なのだ。
──────────でも、そんな彼が初恋で、それをずっと引きずっている私の方がもっと醜くて鬱陶しい。
本当に大嫌いだ。
嘆息をつきながら水やりでぬかるんだ地面を踏み、その二人のところまで向かっていく。
「ルナは可愛いね。今すぐボクのお嫁さんにしたい」
「まあ、ルー。そんな風なご冗談を言っては、ミハーリア様が悲しまれますわよ。‥‥ああでも、あのお方は"地味令嬢"ですものね。‥‥‥‥ルーの隣には釣り合わないかしら」
「そうさ、あんな地味で不気味な女よりも君の方が遥かに美しいし、何よりルナはボクの隣が一番似合う。ボクは叶うならば本当にルナと結婚したいよ」
「ありがとう、ルー、愛してるわ」
「ボクもだよ、ルナ」
笑い合いながらそんなことを話す二人に、私は軽くめまいがした。
でも、ここで引き返すわけにはいかない。今日こそは婚約者として、私との交流の時間を作っていただかないといけないのだから。
そんなことを決意しながら、軽く息を整えて話しかけた。
「ルハロ殿下、少々よろしいでしょうか」
こちらを振り返って一瞬怪訝な顔をした彼は、さもめんどくさそうに対応した。
「ああ、君かい、ビューラルヘン嬢。申し訳ないが、今は忙しくてね。また後日にしてくれないか」
「っ!」
このお方は、私をどこまで傷つければ気が済むのだろう。
「‥‥‥‥分かりました。では後日伺います」
「ああ。ねえ、ルナ‥‥」
いつからだろう、こんなことになってしまったのは。
***
ルハロ殿下に出会ったあの頃は、確かに幸せだった。
当時、殿下はとても優しくて、辛くて苦しい妃教育の後には必ずこちらに来て一緒に遊んだり、ティータイムを楽しんだりしていた。
あの頃、私は殿下に愛されている、とまでは言わずとも、確かに好意を向けられていたし、私も多大なる好意を向けていた。
──────あの女が現れるまでは。
王立学院に入学して一か月ほど経った頃、殿下の態度がどこか素っ気なくなっていった。
嫌われるようなことをしたのか不安に思って、最近の殿下に関する話を聞きまわっていた。
すると、一部の人の間で、ある噂が広がっていた。
殿下が最近他の令嬢──それも、新興貴族である、ほとんど庶民に近しいとうわさされる令嬢(別に庶民ということが悪いわけではないのだが、貴族社会のマナーなどが気になる者が一定数この国にはいる)ととても仲良くしていて、婚約者を捨ててその令嬢と結ばれるのではないかというものだ。
私は寝る間も惜しんでその令嬢のことを調べた。
そして、何とか頑張って基本情報は手に入れた。
名前はノスタルナ・エヴォベアン。新興貴族エヴォベアン男爵の一人娘で、母譲りの空色の髪と、父譲りのエメラルドの瞳を併せ持つ、美しい見た目で、華奢な体格の少女だ。
それに比べて私は、王家に連なる由緒正しき公爵家の娘だが、茶色でくすんだ髪と、遠目から見たら茶色に見える、濃い臙脂色の瞳の通常体形で無愛想な見た目だ。
普通の貴族令息ならば、私よりもエヴォベアン嬢を選ぶだろう。
でも、私は殿下の婚約者なのだ。彼は私のことをできる限り尊重してくれるはず。
エヴォベアン嬢に、殿下と少し距離を置いてほしいと言っても聞いてくれるだろう。
そう考えて、学院を探し回った。すると、中庭の噴水の近くに彼女がいた。
彼女の他には誰もいなかったからか、いつもの和やかな雰囲気ではなく、どこか不気味でおぞましい雰囲気だった。
私は意を決して話しかけた。
「ノスタルナ・エヴォベアン嬢ですよね。初めまして、ミハーリア・ビューラルヘンと申します。少しお話よろしいですか?」
「‥‥貴方が‥‥。分かりました、ミハーリア様」
彼女は、一瞬戸惑ったような表情を見せたが、何故かすぐにこちらを睨むようなまなざしを向けてきた。
私は少し驚いたが、話し出した。
「では、単刀直入に申し上げますと、ルハロ殿下からは少し距離を置いてくださいませんか?殿下は私の婚約者なのですが、最近あまり交流できていないものですので‥‥。話すなと言っているわけではありませんことをご理解いただけたら嬉しいのですが‥‥」
「‥‥‥‥そう」
すると、何故かまた彼女はきっとこちらを睨んできた。
「‥‥‥‥ねえ、変わりましょうよ、アタシとあなた」
「どういうことですの‥‥?」
訳が分からなかった。何を変えるんだろう?
「アタシね、ルハロ殿下が好きなの。愛しているの。殿下もアタシのことを愛してるって言ってくれた。だから、貴方が邪魔なのよ、アタシたちは。だから、立場を変えたらウィンウィンなのよ。貴方はめんどくさい交流なんてせずに自由にできるし、アタシは婚約者として堂々と彼の隣にいられる‥‥。いい提案だとは思わない?」
言葉が見つからなかった。
殿下がエヴォベアン嬢のことを愛していてエヴォベアン嬢も殿下のことを愛している‥‥つまり二人は相思相愛で、私は邪魔者なのか‥‥?
「出来ません、私は‥‥」
口が勝手に動いていた。
ああ、私は例えあの二人が相思相愛で私が邪魔者でも、やっぱりルハロ殿下のことを愛しているんだ。だから、この令嬢に彼を取られたくないんだ。
すると、場の空気が一気に凍り付いた。絶対零度の視線でエヴォベアン嬢がこちらを見てくる。
その眼差しは怒りと恨みと憎しみと‥‥様々な負の感情が混ざり合っていた。
「‥‥‥‥そう、それが貴方の答えなのね。残念だわ」
そういった途端、エヴォベアン嬢は不意に後ろに倒れこんだ。
バシャりと大きな水音がした。彼女は噴水の水でびしょぬれになっていた。
何をしているの、風邪を引くわよと言いかけたその時、耳をつんざくような悲鳴が響き渡った。エヴォベアン嬢が叫んだのだ。
すると、エヴォベアン嬢の悲鳴を聞いたルハロ殿下がこちらに向かって走ってきた。
そして、私と彼女の姿を見つけると目の色が変わった。狂気じみた殺気と、憤怒────それは間違いなく私に向けられていた。
「ビューラルヘン嬢、これは一体どういうことだ?君がエヴォベアン嬢を噴水に突き落としたのか?」
「違います、彼女が」と言いかけると「はい、そうですわ殿下!ミハーリア様が私のことを突き落としたのです。私が殿下とただ仲良くしているというだけの理由で!!」とエヴォベアン嬢が言った。
私は、なぜ彼女がこんな訳の分からないことを言うのか、理解できず困惑した。
「‥‥‥‥ビューラルヘン嬢、君がそんな人だったとはね。失望したよ。エヴォベアン嬢に謝るまでは私に会いに来ないでね、それと君が汚したんだから、その周りの水も拭いて綺麗にしておいて。私はエヴォベアン嬢を医務室まで連れて行くから。
─────さあ、ルナ。ボクと一緒に行こう」
「はい、殿下。ありがとうございます!とっても嬉しいです‥‥‥」
そんなことをあっさりと告げられ、驚きすぎて言葉が出なかった。
その言動や狂ったとも見える愛は未だに理解できない。
でも、一つだけ分かるのは─────────
殿下に関するあの噂は本当なのかもしれないということだ。
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時系列
冒頭の王宮の時:11月
入学して一か月:5月
となっております。
分かりづらくてすみません。