継母、姉、弟
満の新しい家族は、最初は父、母、姉、そして弟で構成されていた。しかし、その家庭はどこか幸福とは言い難いものだった。家の内情を知るようになった満は、「どうしてこんな家が自分を引き取ったのだろう」と疑問に思うことが増えていった。それでも満は、数年間そこで平穏に暮らしていた。再び災厄が訪れるまでは。
養母の慈悲深そうな姿は、最初からただの表向きだった。彼女は迷信深く、暇さえあれば線香を焚き、仏を拝み、経を唱え、精進料理を口にしていた。まるでありとあらゆる神仏に縋っているようだった。
満を養子に迎えたのも、胡散臭い霊能者の言葉を信じ、「孤児を引き取る善行をすれば業が消える」と本気で思い込んでいたからだ。もっとも満からすれば、彼女の普段の言動そのものが、その善行を相殺しているようにしか見えなかった。
養母は実の娘である美紀子に対して辛辣な言葉ばかり浴びせ、一方で次男ばかりを露骨に可愛がっていた。そんな家に耐えきれなかった美紀子は、「学校が忙しい」という名目で外にいることが増え、ほとんど家に帰らなくなった。
最初の頃、満は家の中で唯一親しくしてくれる存在がいなくなったことに戸惑っていたが、やがてそれにも慣れていった。後にそのことに気づいた美紀子は、せめてもの埋め合わせのように頻繁に満へ電話をかけ、無事を伝えるようになった。二人の関係は穏やかで、自然なものだった。
この家の次男は満と同い年だったが、二人の間に共通の話題は何一つなかった。彼はいつもゲーム機を抱え込み、部屋の隅で黙々と遊んでいた。まるで現実ではなく、ゲームの世界こそが彼の居場所であるかのように。
満は時折、そのゲーム画面を横目で見ていた。そこにはドット絵で描かれた、それでも可憐で愛らしい二次元の少女たちが映っていた。わがままな少女、高飛車な少女、優しく包容力のある少女、様々な性格のキャラクターが存在していた。普段は無表情な彼も、ゲームをしている時だけは頬を緩め、早口で画面の向こうの少女へ話しかけていた。彼のコミュニケーション能力は、どうやらその世界にだけ向けられているらしかった。
実の母親との会話ですら十言に満たない。食卓で交わされる会話は、いつだって母親の独壇場だった。母親が小学生に言い聞かせるように次々と注意や世話を焼き、彼はそれを適当に頷きながら飯を口へ放り込む。そして食事を終えると、逃げるように自室へ戻ってゲームを再開するのだった。
やがて満は、彼が勉強についていけず学校へ行かなくなったことを知った。今では一日中部屋に引きこもり、画面の中の美少女とだけ会話をしている。食事の時だけ、不精髭を生やし、だらしなく太った姿を見せるのだった。
満はこの家の父親ともほとんど顔を合わせなかった。男主人はいつも「仕事」を理由に家族団欒を避けていた。しかし満は、その男の醜悪な一面を知っていた。それを見せたのは美紀子だった。
二人は淫靡なネオンが虹色に瞬く歓楽街を歩き、香水と煙草の匂いが入り混じる空気の中を進んだ。周囲から向けられる下卑た視線や軽薄な呼びかけを避けながら、やがて父親の姿を見つけた。濃い化粧をした女の肩を抱き寄せ、親しげにホテルへ入っていくその姿を。
そんな場面を、二人は何度も目撃した。母親が狂ったように神仏へ縋るようになったのも、恐らくは同じものを見続けてしまったからなのだろう。
父親がもうどうしようもない存在だと悟った時、いつも強気で、まるで小さな唐辛子のように気丈だった美紀子は、ついに耐えきれなくなった。「どうして……? どうしてお父さん、あんなことするの……?」
人気のない片隅で、美紀子は声を震わせながら泣き崩れた。
美紀子が必死に築き上げてきた「家族」という幻想は、その瞬間に崩れ去った。
満は何も言わなかった。ただ静かに彼女を抱きしめた。周囲から向けられる好奇や嘲笑の視線を受けながらも、美紀子を離さなかった。美紀子もまた、満へしがみつくように抱き返し、彼の胸の中で声を上げて泣いた。
その日を境に、二人の絆はより強いものへと変わっていった。互いにとっての「革命の同志」となった二人は、離れて暮らすようになってからも、変わらず良好な関係を築いていた。
満の人生において最も重要な女性の一人――それが立春美紀子だった。
立春美紀子は学校でも有名な清純派の美少女であり、周囲には常に多くの男子が群がっていた。外見だけ見れば素朴で清楚な少女。しかし、その内面は驚くほど辛辣だった。彼女を妬む女子も多ければ、逆に憧れる女子も少なくなかった。
満は、その辛辣さがどこから来ているのかを知っていた。
否応なく認めざるを得ないことだが、美紀子は母親によく似ていたのだ。
養母は普段こそ、何事にも逆らわず、慈悲深い人間を演じていた。しかし娘に向ける言葉だけは別だった。彼女は自分の内にある毒を、余すことなく美紀子へぶつけていた。その様子はまるでハバネロのようで、ほんの少し触れただけでも皮膚が焼けるように痛んだ。
「そんな薄着して、外で男に襲われたいわけ?」
「毎日ふらふら出歩いて、男と寝てるんじゃないでしょうね?」
「自分が本当に可愛いと思ってるの? 周りはお世辞言ってるだけよ!」
「最初は反抗もできなくて、どうしてお母さんはこんなこと言うんだろう、って毎日考えてた。」後になって、美紀子はどこか沈んだ声でそう語った。しかし次の瞬間には、まるで吹っ切れたように笑って続けた。「でも途中から、同じ言葉でそのまま言い返して、中指立てるようになった。」
養母がそこまで美紀子へ執着し、攻撃的だった理由は理解し難かった。無理に説明するなら、「同性嫌悪」に近いものだったのかもしれない。だが、その敵を作り出したのは他ならぬ養母自身だった。
美紀子によれば、まだ幼かった頃、父親へ少しでも甘えたり懐いたりすると、その後で母親から激しい人格否定を受けたという。まるで恋愛に溺れた少女のように、養母はこう言った。「お父さんは私のものなんだから、あんまり近づかないで。」
その言葉によって、美紀子は幼い頃から「両親に甘える権利」を奪われていた。
結果として、一家の完全な分裂は、美紀子にとってある意味では救いでもあった。
父親を狂信的に崇拝し、裏切られた瞬間に精神を壊しかけた母親。次男だけを異常なほど溺愛し、美紀子の存在を透明人間のように扱っていた母親。まるで「母親と父親と弟だけが家族」であり、美紀子だけがそこから切り離されているかのようだった。そして、過剰に甘やかされた弟もまた、やがて自室へ閉じこもり、社会へ出られなくなっていった。
母親からの露骨な偏愛と冷遇を受け続けた結果、美紀子は弟に対しても辛辣だった。暴言を吐き、必要以上に刺々しく接していた。父親も母親も見ていない隙を狙っては、弟を叩いたり、からかったりすることもあった。
しかし弟は意外にも声が大きく、泣き声ですぐに発覚してしまう。そのたびに美紀子は両親から激しく叱責された。
そんなことが何度も続いた後、美紀子はしばらく大人しくなった。だが年齢を重ねるにつれ、彼女は家にいる時間を減らし、朝早く出て夜遅く帰る生活を送るようになる。そして暴力の代わりに、言葉による攻撃を使うようになった。
しかし弟は、感情のほとんどをゲームへ捧げてしまったような人間だった。何を言われても反応せず、まるで聞こえていないかのように無視する。その態度が逆に美紀子を苛立たせ、一時期は本気で怒り狂っていた。だが、どれだけ傷つけようとしても、弟の心には何一つ波紋が広がらない。その事実を悟ってから、美紀子はさらに家へ寄りつかなくなった。
人づてに、彼女はどこかでアルバイトをしているらしい、と満は聞いた。そして満は、今でも後悔している。あの頃、もっと美紀子を気にかけていればよかった、と。
「最近、とある教会へ行ったのよ。」養母の嬉しげな声音は、まるで墓穴から這い出てきた亡者の呻き声のように不気味だった。「そこで『導き』を授かったの……。あそこの『神様』が言ってくださったのよ。ちゃんと言われた通りにすれば、お父さんは戻ってくるって。あそこなら、あらゆる悩みを消せるんですって。」
満と弟は黙って俯き、飯を掻き込んでいた。母親へ反論する気にはなれない。以前、満が不用意に養母の信仰の矛盾を指摘したことがあった。その時は、頭から血を浴びせられるような勢いで罵倒されたのだ。だから今回は、自分から厄介事を招くつもりはなかった。
「あんたたちも一度行ってみなさいよ。あそこなら六根清浄になれて、業も悩みも全部消えるらしいわ。あんたたちにはちょうど必要でしょう?」
結局、満も弟も養母の魔の手から逃れられず、半ば無理やり教会へ連れて行かれることになった。
教会は山奥にあった。静寂に包まれた人里離れた場所で、鳥のさえずりや虫の音が絶え間なく響いている。視界いっぱいに広がる濃緑は、まるで信仰そのもののように人の心を癒していた。
しかし山道は険しく、非常に歩きづらかった。途中で母親は車を停め、二人の子供を連れて徒歩で山を登り始めた。運動靴しか履いていなかった満の足は、悪路のせいですぐに痛み始める。後ろを歩く弟はさらに酷く、息を切らし、少し進んでは立ち止まって休んでいた。まるで不機嫌さを露骨に態度へ出しているようだった。それに対し、母親だけは驚くほど軽快な足取りで山道を進んでいく。どうやらここへ来るのは初めてではないらしい。
そんなふうに時間をかけながら進み続け、三人はどうにか日没前に教会へ辿り着いた。
教会は深い山林に幾重にも囲まれていた。まるで龍が秘宝を隠すかのように、人目につかぬ場所へひっそりと存在している。
満はもう帰りたかった。しかし外はすでに薄暗く、今から下山するほうが危険だった。
養母が呼び鈴を押す。その音は静かな山全体へ響き渡り、まるで何かの到来を告げる前触れのようだった。
やがて、月の女神を象ったような浮き彫りの大扉がゆっくりと開く。彼らを出迎えたのは、鼠のように小さな目をした男だった。終始、底意地の悪そうな笑みを浮かべている。
養母は鞄から分厚い書類袋を取り出した。満は不思議そうに、その男が袋を開く様子を見ていた。だが次の瞬間、彼の目は驚愕に見開かれる。
男が袋の中から、札束を大量に取り出したのだ。それを見た瞬間、満は足から力が抜けそうになった。男は札束を丁寧に数えた後、無遠慮に言い放った。「端数が足りませんねぇ。」
すると養母は、家で見せるヒステリックな姿とは別人のように、弱々しい女の顔になった。「来月にはちゃんと揃えますから……。今回はこれで受け取ってください……。」
男は退屈そうに書類袋を揺らし、しばらく眉を寄せて考え込んだ後、ようやく頷いた。「……まあ、いいでしょう。」
「ありがとうございます!」
その時、満はふと、部屋の隅に大勢の子供たちが座っていることへ気づいた。
その子供たちは皆、黄金のような金色の瞳をしていた。遠目には鬼火のように妖しく光り、同時に獣めいた危うさを漂わせている。金色の目をした子供など滅多にいない。
それなのに、どうしてこんな場所へ集められているのか.....?
彼らもまた、満の視線に気づいていた。
まるで獲物を見定める獣のように、じっと満を見つめ返してくる。
その異様さに、満は思わず身震いした。「母さん……あの子たちは……?」
そう尋ねた瞬間、養母は怪訝そうに眉をひそめた。「子供? ここに子供なんているわけないでしょう?」
満は慌てて再び視線を向ける。
だが、先ほどまでそこにいたはずの子供たちは、いつの間にか跡形もなく消えていた。
気づけば、あの受付の男がいやらしい目つきで満を見ていた。その瞳には下卑た欲望が滲んでいて、満は反射的に数歩後ずさる。
しかし男は、まるで満自身には興味がないかのような口調で、養母へ問いかけた。「……まさか、この子、女じゃないんですか?」
その言葉に、満の全身が硬直した。
養母は不思議そうに答えた。「ええ、そうだけど……それがどうかしました?」
すると受付の男は、急に揉み手をしながら養母へ顔を寄せ、何やら耳打ちを始めた。
満は呆然と、その様子を見つめていた。
男の話を聞き終えた養母は、意味深に微笑む。まるで相手がとても面白い冗談でも言ったかのようだった。そして、軽く笑いながらこう返した。「ふふっ、今の言葉、ちゃんと覚えておくからね?」
受付の男も媚びるように笑っていた。その視線はずっと満の身体へ貼り付いたままだった。目の奥には隠しきれない邪な欲望が滲んでいる。
満は知らず知らずのうちに拳を握り締めていた。
やがて満たちは礼拝堂へ案内された。
そこは他の教会と同じように、信徒たちが祈りを捧げるための広い空間だった。人々は床へ直接座り込み、頭を深く垂れながら祈っている。
まるで自らを極限まで低くして、前方にある神像へ敬意を示しているかのようだった。満も前方へ視線を向ける。そこには一人の女性の神像が立っていた。その背後には月を思わせる巨大な浮き彫りが浮かんでいる。
養母はまず弟を座らせ、その隣で熱心に祈り始めた。
満も腰を下ろそうとした、その時だった。受付の男が近づいてきて、薄笑いを浮かべながら言う。「満くん、ちょっとこちらへ。」満は黙って後をついていった。
連れて行かれたのは、明かりもない狭い部屋だった。
男が背後で鍵を掛ける音を聞いた瞬間、満は自分の予感が正しかったことを理解する。
次の瞬間、男は満を乱暴に床へ押し倒した。
痩せた少年の力では、大人の男に敵うはずもない。
暗闇の中、満の耳へ入ってくるのは、男の荒い息遣いだけだった。
そして布を裂く音。服が無理やり引き裂かれていく。
満は、こういうことにはもう慣れていた。それでも、不意に被害を受ける瞬間だけは、どうしても心がざわつく。
――これで、養母が払う金額は少し減るのだろうか。
――その代わり、自分の身体が働かされることになる。
――この男は扱いやすい相手だろうか。
――あとで少しくらい小遣いを貰えればいいのに。
――これから人数は増えるのだろうか。
そんなことばかりを、ぼんやりと考えていた。
――もし、このまま嬲り殺されるようなことになったら。
――歩美は、自分を許してくれるだろうか。
その瞬間、満の脳裏へ浮かんだのは、慈愛に満ちた女神像の顔だった。




