マーメンの役割
マモンの突然の介入に、月光は苛立ちを隠せず怒鳴り声を上げた。「何事もなかったみたいに済ませるつもりですか?!」
海棠は六日を、さらに強く抱きしめる。
「何事もなかったふりができないからこそ、病院に連れて行くんだ。」マモンは鼻で笑うように答えた。
彼は近づき、海棠の腕の中から六日を抱き取ると、月光の耳元で低く囁いた。「もうこの子に関わるな。こいつの“核”は、もうとっくに壊れてる。」
満の険しい表情を横目に、月光はマモンの言葉を反芻する。
深い衝撃を受け、思考を止めてしまった六日がマモンに連れ去られていくのを見ながら、海棠は不安そうに問いかけた。
「……ひ、ひどいことは、もうしませんよね?」マモンは嘲るような笑みを浮かべる。
「少なくとも、ここにいるよりはマシだ。」海棠と星児は、ただ黙って六日が連れて行かれるのを見送るしかなかった。
満と月光は睨み合う。
月光は歯を食いしばり、低く唸るように言った。「あの“ミーなんとか”に復讐する前に、まずは貴方を――」
「怖い目だね。」満は再び嘲笑を浮かべた。「でも、それでも……貴方の“父親”らしき男には及ばない。」吊り上がった口角は刃物のようで、まるで自分の頬も、相手の頬も切り裂きそうだった。
月光の高速で回転する思考は、一気に結論へと辿り着く。「……今、なんて言ったんですか?私の父親が、どうしたって言うんですか?」
立ち去るつもりだった満は、ふと足を止めて振り返った。「みんなは彼を尊敬しているようだけどね。
私の目には、ただの横暴で独りよがりな、鼻につく男にしか映らない。」
「……なんだか、聞き覚えのある言い回しだね。」星児はそこに違和感を覚えた。
「貴方たちの嫌なところは、驚くほどそっくりだ。奇跡と言っていい。」満は相変わらず冷笑を浮かべる。「まあ、どちらにせよ、もう私には関係ない。今の貴方は、ただ私の嫌悪する“影”をまとった敵にすぎないから。」
最後に、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。「……あの日から、私は腐る運命だったんだ。」
まるで何一つ悪いことをしていないかのように、満は軽やかにその場を去っていった。行き場のない怒りを抱えたままの月光は、壁を思い切り殴りつける。その衝撃で、病室がわずかに揺れた。
海棠と星児は顔を見合わせる。「純粋なクズ男から、腐った死体に進化したってところかな。」海棠が吐き捨てるように言った。
「……今のウリクスは、間違いなく俺たちの敵だ。」星児の瞳にも怒りの炎が宿っていた。六日に対して行われた、満のあまりに身勝手な行為を、彼も決して許すつもりはなかった。
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一方その頃――
大暑とリッツたちは、他の小隊への対策について話し合っていた。雰囲気は拍子抜けするほど軽く、まるで雑談のようだ。
「冬森さんは、立夏月光のことだけ気にしてちゃダメだと思うんですよ。他のチームにも目を向けないと。」リッツは退屈そうに首を振る。
「そうだな……。冬森のやつ、優勝を狙ってるとは言ってるが、視線は完全にあいぼに向いてる。」大暑は年長者に対しても、特に敬語を使わなかった。
「他の連中を眼中に入れてないのかもしれませんね。彼にとっては、立夏月光こそが――自分を壊しかねない“不確定要素”なんでしょう。」そう言いながら、リッツは落ち着きなく椅子を揺らす。まるでそれをロッキングチェアのように扱う、いたずら好きな子どものように。
「つまりさ、貴方は立春満のあの能力について知ってるのかって話だよ。同じ“色欲”の悪魔として見ても、彼はどうにも普通の色欲悪魔とは違う気がしてさ。一応、貴方は情報通だろ?普通なら何か知っていそうなものだけど。」
「残念だけど、おれも知らない。というか、何でも知ってるわけじゃないからな。」大暑はそう言いながら、脇に置いてあった小さなスナック菓子を開け、口に放り込んだ。「分かってるのは、彼が今年“初出場”だってことくらいだ。それまでは、どうやら裏方の仕事に没頭してたらしい。」
「へえ、それは確かに意外だね。あれだけ自尊心が強そうなのに、勝ち負けにはあまり執着しないタイプなんだ。」リッツは少しだけ興味を示した。
「本当に後方支援が好きだったみたいだ。今回は、ウリクスの会長交代が近いからな。自分の地位を正当化するために、参戦したって話だ。」それは周知の事実だった。
「……今まで出なかったのも、切り札を温存するためだったりして?」リッツはそんな推測を口にする。
「さあな。それより、六月ちゃん、戻るの遅くないか?」
大暑が立ち上がって探しに行こうとした、その時――立秋が部屋に入ってきた。「さっき、新しい情報が入った。それでな、今ちょっとお前たちに頼みたいことがある。」
リッツは面白そうに、片方の眉をわずかに上げた。読心能力を使い、なおかつ相手が遮断していなければ――悪魔に知らないことなど、ほとんどない。
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マモンは高級車を走らせながら、口笛を吹いていた。街路を疾走するその名車はあまりに目立ち、通行人たちは思わず足を止めて振り返る。
まだ動悸の収まらない六日は、終始落ち着かなかった。なにしろ、今乗っているのはオープンカーだ。自分の姿が、誰の目にもさらされてしまう。
彼女は決して、目立つのが好きなタイプではない。ホテルを出る際、六日はすでに普段着に着替えていた。まるで、すべてを“日常”へ戻そうとするかのように。
信号の手前で、車は急ブレーキをかけて停止した。シートベルトをしていなければ、外に投げ出されていただろう。
もともと力の抜け切っていた六日は、さらに消耗し、かすれた声で言った。「……今の、危ないよ……」
だがマモンは気にも留めず、「無事だろ?オーケー、オーケー。」と、軽く言い放った。
「法律と人の命を何だと思ってるの……」叔父は昔からそうだった。すべてを自分の気分で決めてしまうのに、不思議と結果だけはいつも良い方向へ転ぶ。まるで幸運に愛されているかのような、羨ましい悪魔だ。
「酔ってないよな? 私、運転はいつも安定してるから。」
「安定してるって、減速しなくていい理由にはならないでしょ……」六日は本気で吐きそうだった。
「六日、今流れてるこの安っぽい曲、嫌じゃないか? ニュースにする? それとも別の局? ポッドキャストでもいいけど。『百靈果ニュース』でも聴く?」
……疲れた。
マモンは行動が自由奔放すぎて、六日は正直ついていけなかった。顔色はどんどん青白くなり、空に浮かぶあの不吉な白い月のようだった。
「さっき、医者は何て言ってた?」ようやく本題に入り、車はカーブを切る。
話題がやっと普通になったことに、六日は小さく息をついた。「過度のショックだから、少し休むことにする、って。」
「ふぅん……本当にあの病院でよかったのか? もっと腕のいい医者を知ってる。高いは高いけど、健康のためなら払う価値はあると思うが。」
六日はまた疲労を覚えた。「二十年以上この仕事をしてる人だよ。専門性を疑う理由はないでしょ。」
「……まあ。じゃあ、しっかり休むなら、家事は当分やらなくていい。時間制のメイドを何人か手配する。しばらくはベッドで好きなことだけしてろ。昼まで寝てもいいし、食べたいものは何でも頼め。――全部、私が払う。」
「えっ……でも、私、公会戦に参加しないと……」
車が郊外へと入ったころ、マモンの淡々としてどこか作り物めいた口調が、次第に本音を滲ませて高ぶっていった。「まだ公会戦に出るつもりかよ。お前、もう危険な連中に目ぇ付けられてんだぞ。大人しく家に引きこもってるのが一番安全だ。」
その声音には苛立ちが混じっていて、六日は思わず身をすくめた。猫の鳴き声のような小さな声で、必死に言い訳をする。「でも……約束しちゃったから。約束を違えるわけには……」
「……その件は私が処理する。私が全部やる。だからしばらくは家から出るな。ね?」マモンの声には明確な不耐があった。譲る気はない。六日はそれ以上何も言えず、叔父を本気で怒らせてしまわないよう、口をつぐんだ。
道の両脇に広がる見慣れた緑が、もうすぐ家に着くことを知らせてくる。
そして家の前に着いた瞬間、マモンはまた急ブレーキを踏み、六日は今度こそ外に放り出されそうになった。「いやぁ、名車ってのはこういう止まり方をするもんなんだよ。」
「……私、一応病人なんだけど……」
マモンは自らドアを開けた。数日手入れされていない庭には落ち葉と枯れた花が散らばり、ドアノブもうっすらと埃をかぶっている。それを見て六日は思わず小さく息を吐いた。それでも――自分の家に帰ってきたという事実だけで、心は少し落ち着いた。
無意識のまま鍵を差し込むと、「カチャリ」と音を立ててすぐに開く。家の中も、外と同じく埃をまとってはいたが、それ以外は何も変わっていなかった。
中へ入るや否や、マモンはさっそく電話をかけ、家政婦を数名手配し始めた。畳みかけるような早口が、彼の行動力を雄弁に物語っている。
眠気が吹き飛んだ六日はソファに腰を下ろし、息を整えながら壁のカレンダーを見た。――夏休み、もう半分くらい過ぎてる。
幸い、課題はすでに終わっている。しばらく休める時間はある。
……そうだ、ビンビンはどうしてるだろう。そろそろ迎えに行かなきゃ。表姨の家の前で、黙って自分を待ち続けている写真ばかりが送られてきて、胸が痛む。でも、マモンはきっと外出を許してくれない。
「家政婦は明日からだ。今日は大人しく休め。あとで面白そうなもんも持ってきてやる。腹減ってないか? パスタでも作ってやる――」
「.....あなた、料理は得意じゃないでしょ.....」
「何とかなる。いいからそこで大人しくしてろ。」半ば強引に六日をリビングに残し、マモンはキッチンへ向かった。
「そこまでこだわらなくても……」
ほどなくして、キッチンから「ガチャガチャ」「バンバン」と、まるで戦争でも始まったかのような音が響き始める。続いて男の太い悲鳴が飛び出した。「熱っ! 塩と砂糖間違えた……! うわ、これ賞味期限切れてる……! あっ、切った! フランスの高級店で買った皿どこだっけ……!? あっ、熱っ!!」次々と響く叫び声に、六日はただただ肝を冷やした。
やがてマモンがキッチンから姿を現した。あまりの惨状に、六日は中の光景を想像するのをやめた。
彼の手には、盛り付けも何もあったものじゃないパスタの皿。ソースがかかっていない部分もあれば、芯が残って固い麺もある。フォークで持ち上げた肉は、明らかに火が通っていなかった。
それでも六日はマモンの顔を立て、席について恐る恐る口に運ぶ。
……食べられなくはない。でも、美味しいとも言えない。
それでも、これで上出来だと思った、そのとき。
マモンの手が目に入った。赤く腫れ、絆創膏だらけの両手。
六日は思わず鼻をすする。――叔父さんなりの、不器用な優しさ。
「どうだ? 味、悪くないだろ?」自分の料理の壊滅的な出来に気づいていないのか、マモンはいつも通り軽薄で気楽な口調だった。
六日は答えなかった。声を出せば、泣いていることがばれてしまう。そうなったら、きっともっと面倒なことになる。
幸い、マモンは気づかず、何とか食事を終えたあと言った。「片付けはいい。明日来る家政婦に任せりゃいい。」
その言葉が終わるより早く、六日は彼に抱きついた。感謝が詰まった、精一杯の抱擁だった。
何か言おうとしたマモンは、そっと六日の頭を撫で、低く優しい声で言う。「よく頑張ったな。もう無理しなくていい。」
六日は、ほんの少しの涙を、叔父の高級な服に染み込ませた。
彼女は強い泣き声を帯びた声で言った。「……ありがとう……」
「大したことじゃないよ。」マモンは優しく応じた。
六日は、幼い頃のことをおぼろげに思い出していた。マモン叔父は昔から、いつも自分に親切で、穏やかで、優しかった。その点だけは、今も昔も何ひとつ変わっていない。
――けれど、六日はそこまで感情に流される人間ではなかった。
マモンは柔らかな声で彼女を慰め、寝室へ連れて行った。子どもの頃と同じようにあやし、彼女が静かに眠りにつくのを見届けると、足音を殺して部屋を出ていった。ほどなくして、玄関の扉が閉まる音がし、鍵をかけるかすかな音まで聞こえてきた。
六日は胸騒ぎを覚え、彼が自分専用の鍵を持ち去っていないか確かめに行った。幸いにも、猫のキーホルダーについた金属の鈴が反射する光が、すぐに目に入った。――外に出て庭の草花をいじることくらいは、まだ許されているらしい。
「……最悪。何もかも、めちゃくちゃだ……」
ルシファー会のメンバーたちは、全員が落ち着かない様子で控室に集まり、隊長の帰りを待っていた。
どうしていいかわからず言葉を失っている海棠、表情の読めない沈黙を保つ星児、そして苛立ちを抑えきれず、ぶつぶつと不満を漏らし続ける月光。
耳障りな月光の独り言だけが響く中、ついに彼は堪えきれず、横の壁を殴りつけた。凄まじい衝撃で、壁はへこみ、ひびが入る。「さっきから一言も喋らないじゃないですか! 何か言いなさいよ!」
取り乱す月光を前に、海棠はどうしていいかわからず立ち尽くした。その横で、星児が苛立たしげに月光の襟元を掴み、同じく声を荒らげる。「じゃあ言ってみろよ、何を言えばいい?! 焦ってるのはお前だけだと思うな! 俺たちだって皆どうすればいいかわからないんだ! 自分だけが悩んでるみたいな顔するなよ、この自中心的な大馬鹿野郎!」
月光は反発し、星児の手を振りほどこうともみ合いになる。そのとき、雨水が入ってきて、静かに警告した。「……本気でやるつもりなら、私も容赦なく止めるよ。」
三人は同時に雨水を見た。
雨水は冷静に状況を報告する。「Urikus以外の全チームには、立春満に警戒するよう連絡を回した。――それじゃ、話を戻そう。今、私たちの最優先事項は何か。」
「私たちの目的は、最初から最後まで変わっていないだろう?――第一になること、そして“ルシファー会”のかつての栄光を取り戻すことだ。たとえ今はUrikusが首位に立っていようと、目標が増えるだけで、目的そのものは揺るがない。」
「今、何をすべきか分かるよな?沙樹海棠。おまえが言ってみてくれ。」
突然名指しされ、海棠は一瞬きょとんとしたが、すぐに我に返って答えた。「……倒すことです。Urikusに勝って、超えて、第一になること。」
どこか歯切れの悪い返答だったが、雨水は不満を示すどころか、むしろ満足そうに微笑んだ。「その通りだ。」
勢いに乗った海棠は、思い切って続けた。「その……冷たい言い方になってしまうかもしれませんが、
本当に、そこまで警戒する必要があるんでしょうか?」
三人の視線が一斉に海棠に突き刺さる。耐えきれず俯きながらも、海棠は言葉を絞り出した。「厄介な相手だとは思いますけど……でも、そこまで警戒するほどじゃない気もして。あの男は制御不能なだけで、明確な反則行為をしているわけでもないですよね……?」
一瞬、沈黙が落ちた後、雨水が口を開いた。「それは……悪魔を甘く見た発言だね。“絶対に術にかからない悪魔”なんて存在しない。ましてや、他の悪魔の助けを安易に当てにすることもできない。」
「もし立春満に、あの能力を使い続けさせれば……いつか必ず、再び“暴走”が起きる。」
「……暴走、って?」月光の声は、先ほどよりも落ち着いていた。
「過去にもあった。おまえたちの目には、悪魔は常に暴走しているように映るかもしれないが……本当の暴走は違う。」
「理性を失い、見境がなくなり、誰彼構わず襲う――人の形をした“怪物”になることだ。その時、魔王級の悪魔が止めに入らなければ、確実に惨事になる。」
「……そんな存在が、“生まれる”こともあるんですか?」海棠が息を呑んで問いかける。
「昔から、いくらでもある。ソロモン王の七十二魔神の多くも、元はそうだった。意志を保てなければ、誰であろうと、ああなる。」
「覚えておくといい。」照明の落ちた室内で、雨水の表情はいつになく陰っていた。水底に沈む金魚のように、静かで、重い。
その言葉は、海棠と月光の胸を確かに打ち抜いた。
――自分たちの未来が、どうなるのか。その輪郭が、ぼんやりと見えてしまったからだ。
その時、星児がふと、アレックスの顔を思い浮かべた。「……でも、まだ――」
雨水はむしろ嫌悪感をあらわにした。その瞬間、星児の言いたいことを察し、首を横に振る。「……いや、あの男は駄目だ。」
三人が困惑したままでいる中、雨水はすぐに指示を出した。「いいか、皆。時間はあまりないが、少し訓練をしよう。」そう言ってから、淡々と続ける。「これは“成功以外は許されない任務”だ。逃げるつもりがあるなら、今のうちだぞ。」
しばらく沈黙が流れたが、誰一人として足を引く者はいなかった。
雨水は小さく笑う。「……よし。来い。」
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「もしもし、私だよ。今、仕事忙しい?……ああ、休憩中か。」暗闇の中に、軽薄でどこか楽しげな声が響く。
「実はさ、私が今参戦してるチーム、ちょうど一人欠けててさ。手伝いに来てくれない?」
「そうか、助かる。じゃあ、ついでにいい知らせを一つ。」声は、愉快そうに少し弾んだ。
「リリアンを見つけた。……やっぱり、あの少女の中にいたよ。」
「ただし、まだ全部は思い出してない。まあ……もう少し待つとしようか。」




