契約
彼女は目を開けると、目を刺すような白い光が彼女を迎えた。
しばらく朦朧としていたが、やがて意識がはっきりしてきた。彼女は勢いよく起き上がり、目の前の光景に愕然とした。薬品の匂いが立ち込める中、病院独特の白が空間を覆っていた。なぜ自分がこんな場所にいるのか理解できず、彼女はベッドから降りようとした。だが足が床に触れた瞬間、身体のだるさと痛みに襲われ、思わずうめき声を漏らした。
周囲を見渡すと、広い病室には自分と同じ性別の患者たちが横たわっていた。皆、昏睡状態でまったく動く気配がない。彼女もまた、体を動かそうと試みるが、思うようにいかなかった。六日は仕方なく再びベッドに倒れ込み、さっきの出来事を思い出そうとした。
傲慢の首席に連れ戻されるはずだった。だが、彼らは殺された。その先の記憶は白く塗りつぶされている。頭が痛み出し、彼女は苦しげにそれを押さえ、不安を隠そうとした。
そんな時、病室の扉が開いた。
ぞっとするような足音が近づいてくる。それを察した六日は恐怖に震えながら目を閉じ、眠ったふりをした。足音はベッドの前で止まり、彼女の震える体が露わになってしまう。雨水は迷いもなく布団をめくり、無慈悲に彼女を見下ろして言った。「状況を報告する。ついて来い。」
六日は立ち上がれずにいると、雨水は彼女に薬を飲ませた。すると、たちまち身体の痛みは消え、力がみなぎる。彼女が数歩歩いてみると、まるで何事もなかったかのように普通に歩けるではないか。
驚いて薬の効果に思いを巡らせていると、雨水は無言で先を歩き出した。慌てて六日もその後を追う。雨水の歩調は早く、追いつくのがやっとだった。
「まずはこの施設について説明する。ここは悪魔のための治療・看護病棟だ。怪我や病気の悪魔が運ばれてくる。あの赤い跡は血痕だ。忠告を聞かない奴も多いからな。でも、基本的には清潔にしている。中にはどうしても落ちない汚れもあるが。」
「最奥の、あの一番暗くて不気味な部屋が手術室だ。そこには数名の熱心な悪魔から提供された内臓が保管されている。近づかない方がいい。お前も“提供者”に見なされるぞ。ああ、あそこが暗いのは電球が切れてるせいだ。交換するように言ってるが、誰も近づきたがらない。私は平気だが、調子の悪い悪魔はあそこで倒れる。車椅子は用意してない、自力で歩かせてる。」
雨水は六日を連れてエレベーターに乗った。エレベーターの様式はクラシックで、まるで古い西洋映画に登場するエレベーターガールが案内するような作りだった。格子状のドアからは各階の様子が見える。エレベーターは古びており、動き出すとガタガタと音を立て、まるで老人がため息をついているようだった。
エレベーターの始動音だけではない。どこからともなく、悲痛な叫び声が次々と聞こえてきた。雨水は「いつものことだ。気にしなくていい」と言った。
「ここは全部で36階ある。地上と地下、それぞれ18階ずつ。地下18階はルールを破った悪魔たちを拘束し、教育する場所で、我々にはふさわしくない。そこは人間ではいられない場所だ。地上1階は、見ての通り、受付と相談窓口がある。宿泊の手続きや相談ごとはすべてここで行う。」
銀色のロビーには、古代ギリシャ風の柱が7本立っており、柱には七つの大罪を象徴する動物が描かれていた。おぞましい血痕を無視すれば、ロビー全体は非常に清潔で、塵一つなかった。六日はカウンターの職員が気楽に居眠りしているのを見かけた。雨水が指を鳴らすと、どこからか電磁フロートが飛んできて、職員の頭にぶつかって目を覚まさせた。ぶつけられた職員は何が起きたのか分からず呆然としていた。その電磁フロートは「まだご飯食べてたのに~!」と文句を言っていた。
雨水と六日はロビーの右奥に向かった。そこはジムだった。ジムは設備が充実していて、非常に本格的な印象を受けた。ここにも少し血痕が残っていた。雨水はやや興ざめした様子で説明した。
「ここの設備はすべて無料ではない。使用には金が必要で、金額が多いほど、より良い器具が使えるし、環境も良くなる。その金は、地獄で任務を達成したり、大会で得たポイントと交換して得られる。優秀な者ほど高層に住むことができる。」
ジムの奥には運動センターがあり、設備も申し分なかった。さらに雨水はサウナ室も紹介した。ジムを出たときには、すでに夜になっており、数え切れないほどの星が夜空に輝いていた。
外観は高級ホテルのようだった。暖かい黄色のライトがまるで星を模した朝顔のようにホテルの外壁に絡まり、その豪華で古典的なデザインを際立たせていた。見る者の目を引かずにはいられない輝きだった。六日はその景観に驚き、どこかで見たことがあるような既視感を覚えたが、どこだったか思い出せなかった。
ホテルの前庭は南国風で、青々とした熱帯植物、豪華な噴水、整えられた芝生と花壇が目を楽しませた。まるで家族旅行にぴったりの小さな公園のようだった。そこには大きなプールもあり、パーティー用に作られたようだった。明るい白いライトが常に点灯しており、水への転落を防いでいた。
雨水は六日を呼び、今度はロビー左奥に向かった。そこには多種多様なレストランが立ち並んでいた。高級なフランス料理店から庶民的な食堂まで揃っていた。雨水は説明を続けた。
「奥に行くほどレストランのランクが上がり、価格も高くなる。ここは最も人気のある食堂街だ。レストランは自由に選べるし、メニューは厨房スタッフが決めている。当然、住人が自ら料理することも可能だが、材料は自分で用意する必要がある。ここでは自発的に働いている悪魔もいて、給料は適切だ。」
ホテルの豪華さとは対照的に、この食堂街は非常に家庭的な雰囲気を持っていた。木製の壁と床がまるで家に帰ったかのような安心感を与えてくれた。辺りには家庭の香りが漂っていた。大きな窓からは星空が一望でき、絶妙な空調が身も心も快適にしてくれた。六日は多くの人がここに集まる理由をすぐに理解した。
彼女はワクワクしながら中に入ったが、食事を配っていた小犬が非常に凶暴な様子で、六日は思わず引き下がってしまった。雨水は小声で言った。「今日は客が多くて、忙しさで機嫌が悪いんだ。」
彼らは食堂街を一通り歩いたあと、先ほどのジムに戻った。次は2階を案内するためだった。2階は広々としたショッピングモールで、あらゆる商品が揃っていた。ファッション、雑貨、日用品、何でも見つかる場所だった。
「何か足りない物があったら、ここで買えばいい。」さらに雨水は、ここのミニ映画館や劇場も案内した。
「三階から十五階まではホテルの客室だ。安い空き部屋を見せてやるよ。」雨水は手元のカードで適当に部屋を開けた。部屋はこぢんまりとしていたが、必要な設備はすべて整っていた。室内は塵ひとつなく清潔で、今回は血の跡も見当たらなかった。おそらく、ここは実際に人が暮らしているからだろう。ただし、どこからともなく泣き声のような奇妙な音がずっと聞こえていた。
バスルームの扉を開けると、そこも非常に清潔だった。なぜか浴槽はやたらと大きい。いくつかのボタンを適当に押してみると、水面が波紋を広げ、泡も浮かんできた。
雨水は説明した。「下層階の部屋はどれも同じような作りだけど、上層階に行けばいろんなデザインがある。電車の形をした部屋もあるぞ。」
六日はその意図がよく分からなかった。きっと鉄道マニア向けなのだろう。バスルームの窓を開けると、広々とした庭が目に飛び込んできて、その緑が目に優しく映った。
ふと遠くに大きな屋敷が見え、六日は思わず指を差した。「――あれ、私の家じゃない!?」
「そう、その屋敷はおまえの家だよ。このホテルは、ずっとおまえの家の近くにあったんだ。」雨水は意味ありげに言った。六日は眉をひそめた。
「上に行こう。上の階には展望台ともっと大きなプールがある。上層の住人用だから、よりプライベートだ。」
「上の階にも下の階と同じ設備が揃ってるけど、もっと豪華で、移動も少なくて済む。もちろん、カプセルホテルみたいな部屋もあるけど、そこには行かない。十五階から十八階まではVIP用の悪魔クラブがある。未成年には不適切な場所だから、そこにも行かない。十八歳になったら、バーで初めての一杯を飲んで、ホストでも指名してみたらどうだ?下層の住人たちは『距離が遠い』って文句を言うけど、ここでは成績で待遇が決まるから、文句を言っても仕方ない。あそこにある設備はほとんどが個人用だけど、宴会場と展望台だけは共用。宴会場は普段鍵がかかってるから、外から眺めるだけにしよう。展望台は自由に見学できる。もちろん、見たくないなら下に戻ってもいいけど、それで案内は終わりだ。その後、おまえの現在の状況について説明するからな。」雨水は一気にそう言った。
六日はようやく現実を理解し始め、口を開いた。「もっと早く教えてくれればよかったのに……」
雨水は意味深な笑みを浮かべて言った。「将来の顧客を増やすためだよ。」
そう言って、二人は再びエレベーターに乗り、展望台と宴会場の見学へと向かった。
窓越しに見る宴会場は暗闇に包まれていたが、その中でも豪華で高貴なデザインがうっすらと見えた。天井にぶら下がるシャンデリアはコウモリの形をしており、派手で傲慢な美しさを放っていた。
展望台はとても広く、大きな窓の前には望遠鏡が設置されていた。古びた屋敷を観察できるだけでなく、遠くのきらびやかな景色までも眺めることができた。辺りは緑に囲まれた郊外で、見えるのは古めかしい小さな家々ばかり。遠くのネオンが都市の存在を主張していた。
六日はまたもや感嘆し、「本当にすごいところだね。」と賞賛した。
「そうだね、何しろ莫大なお金をかけたからな。」雨水は淡々と、容赦のない口調で答えた。
「さて、本題に入ろう。六月六日——おまえの協力者が必要なんだ。」
六日は驚きの表情を浮かべながら聞いた。「どうして私の協力者が必要なの?」
「彼の力に目をつけたんだ。将来、彼が必要になる。」雨水は隠すことなく説明した。「彼だけじゃない。他にも多くの力を集めるつもりだ。もちろん、おまえと立夏月光の契約関係を壊すつもりはない。悪魔同士の契約はそう簡単に破れるものではないし、もし破ったなら、重い代償を払うことになる。何のためかは……今はまだ言えない。」
「月光は絶対に応じないわ。」六日はもじもじしながら、気まずそうに続けた。「月光は……めちゃ私のことをとても気に入っていて、今は私以外のことに興味を持たないと思うの。」
「そう思ってるんだな。」雨水は少し驚いたように言い、それから真剣な表情になって言った。「これは強制だ。おまえには断る権利はない。」
蛇のように血を求める目が六日の心に寒気をもたらした。それは「お願い」などではなく、「命令」だった。
六日はますますおびえ、声を震わせながら言った。「わ、私はただ事実を言っただけで……」
「確かにそれは事実だが、立夏月光が戦いを好むドラゴンであることも事実だ。」雨水は近くの棚からリモコンを取ると、壁の高い位置にあるテレビをつけた。
画面には血の海のような光景が映し出され、六日は思わず目を見開いて恐怖に顔を歪めた。
テレビの中では人々が互いに殺し合っていた。血と暴力が支配する、子供には到底見せられない光景だった。血や歯が画面に叩きつけられるたびに、現実味を帯びて視聴者に迫る。
カメラがズームした先には立夏月光がいた。月光は狂ったように拳を振るい、その周囲には肉片と敗者の山。狂乱の中、時間が過ぎ、最後には立っていたのは彼一人。
勝利の光が彼に降り注ぐ中、月光は屍を踏みつけて高らかに笑い声を上げていた。まるで世界を支配する魔王のようだった。
六日は呆然とし、恐れおののいた。
雨水はその様子を無表情で見つめていた。
「とはいえ、おまえは彼に会うことができる。」雨水は淡々と続けた。「すでに他の者と話をつけてある。彼はしばらく中層の悪魔クラブに滞在する。その間に、俺が徹底的に鍛える。誰にも劣らぬ、真の怪物にしてやる。」
雨水は六日に近づき、耳元で囁くように言った。「これはおまえにとっても、悪くない取り引きだ。特別に強いタンクが欲しいんだろう?」
雨水は入館カードを六日の手に無理やり押し込みながら言った。「おまえはいつでもここに来て、立夏月光の様子を見に来ていい。予約なんて必要ないし、私にもすぐ会える。何かあれば、電話してくれ。」
雨水は六日にカードを裏返すよう促した。案の定、そこには黒羽雨水の電話番号が記されていた。
「それと、おまえがずっと気にしていた問題も解決してあげるよ。」雨水の言葉は六日の心の核心を突いた。「おまえだって、立夏月光に記憶を取り戻してほしいと思ってるだろう?」
六日の心臓は激しく高鳴り、次の瞬間には止まってしまいそうなほどだった。
「私は感じてる。立夏月光自身も記憶を取り戻したいという意思があるってことを。」雨水はひとつひとつ説明するように話した。「おまえと一緒にいることが悪いとは言わないが、たまには“コンフォートゾーン”を抜けることも必要だ。」
六日は混乱し、自分の服の裾をぎゅっと握りしめた。
今、自分は何をすべきなのか、何を信じればいいのか分からなくなっていた。
「大暑紅葉はおまえより先に目覚めた。彼にもここにいて、立夏月光のそばにいてもらっている。当然、私には彼の力も必要だ。」雨水は皮肉めいた笑みを浮かべながら続けた。「でもね、大暑紅葉は性格がいいから、おまえの許可を取るよう俺に言ってきたよ。……残念ながら、これは強制なんだ。だから私はおおまえ”知らせている”だけで、“意見を聞いている”わけじゃない。」
六日は冷や汗をかき、胃がぎゅっと押しつぶされるような不快感に襲われた。この場から早く離れなければ、吐いてしまいそうだった。
この清潔な場所を、自分の汚れで汚してしまうのではないかという恐怖と恥辱が、雨水の冷たい視線と共にのしかかってくる。
「契約書はここに置いておく。一週間以内にサインしてくれ。」雨水は突然契約書を出現させ、それを六日の手に乗せた。
「もし七日経ってもおまえが決心できなかったら、その時は私がおまえの手を無理やり掴んででもサインさせる。私の意志は、もう決まってるからな。」
「それともう一つ伝えておこう。おまえの友達には少し問題があって、しばらくここに留まってもらう必要がある。彼女やおまえの家族には、ちゃんとそれらしい理由を用意してあるから心配しなくていい。」
雨水の圧倒的な態度に、六日はただ押し潰されるような気持ちだった。「おまえはこの場所に一週間ほど滞在してもいいし、離れても構わない。もしここに滞在するなら、全ては無料だ。そのカードさえあれば、どこへでも自由に行ける。宿泊したいなら、フロントの職員に声をかけてくれればいい。すぐに手続きしてくれる。」
六日は呆然とその場に立ち尽くした。しばらくしてようやく頭が動き出し、彼女はつぶやいた。「いったいどうして……こんなことを?」
雨水はまたもや軽蔑したような表情で答えた。「前にも言っただろう、立夏月光の力が必要なんだよ。」
「でも、相手がどうしても月光じゃなきゃいけないの?まるで彼を狙っていたみたいに……」
「うん、まさに彼を狙ってたんだよ。」
耳に馴染みすぎて嫌になるような、軽薄な声が六日の耳に飛び込んできた。その瞬間、六日は氷の中に突き落とされたような感覚に襲われた。――まさか、彼がここにいるなんて。
アレックスが静かに扉を押し開け、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
暗闇の中で、彼の影ははっきりとは見えなかった。




