河颜のベース
月光が汗を拭いながら休んでいると、冬森立秋が近づいてきて、わざとらしく言った。 「まあ、一応おめでとうと言っておこう。」
しかし、月光は気にも留めずに言い返した。 「魔闘会はまだ終わってないんでしょ。何を祝うってすが?」
立秋は作り笑いを浮かべながら、上を見上げた。そこでは水晶の棺に閉じ込められた海棠が、のんびりと焼肉を楽しんでいた。
「ここ、換気が悪いなぁ。髪に匂いがついちゃったよ。」
「あんた、酸欠が怖くないのか?」
すると、立秋はふと話を変えた。 「そういえば、あいつはリリスの転生だって話があるらしいけど、お前はどう思う?」
「私に聞かれてもなです。そもそもリリスって女を知らねえですなぁ。」
「私は聞いたことがある。リリスはルシファーの恋人だったとか。」
それを聞いた月光は、思わず口に入れたソフトキャンディを吹き出しそうになった。
「なんでそんな嫌そうな顔するんだよ……? 別にお前のことを言ってるわけじゃないし。」
「勘弁してくなさいよ。私があいつの隠し子かもしれないなんて噂、もう何百回も聞かされてるんですよ。」 月光は口を拭いながら、まだ信じられないといった表情を浮かべた。
「じゃあ、率直に聞くが——もし本当にお前がルシファーの息子だったとしたら、どう思う?」
「まずやるべきことは……殴ることですがな。」月光は顎に手を当てて考え込んだ。
「捨てられたことを恨んでるのか?」
「いや、ただ私のほうが強いって証明するだけです。」
「……問題なさそうで良かったよ。」立秋は本気で心配していたようだ。
「おい、あいぼ!そこの屋台で焼きとうもろこし売ってるぞ! 食うか!?」
「特大のやつを頼むです。」
「気楽に生きてて何よりだな。」
そして、立秋はまた話を元に戻した。 「本題に戻るけどな……もしお前がリリスの子供だったとしても、そんなに喜ぶことじゃないぞ。」
「リリスは力を受け継がせるために、いろんな野生の悪魔と子を成してきた。その子供たちの中にはナイトメアやサキュバスもいるが、本当にリリスの力を受け継いでいるかは定かじゃない。」
「……へえ?」月光は興味なさそうに聞いていた。
「でも、ひとつ特別な例があるんだよ。」
「?」
「色欲の魔王アスモデウスとリリスの第三の娘——彼女はサキュバスなのに、性欲にはほとんど興味がないらしい。そして、リリスの最大の力を受け継いでいるとか。」
「貴方、やけに詳しいな。」月光は疑いの目を向けた。
「ある悪魔がそう言っていたよ。でも、私が知っているのはそこまでだ。それ以上のことは分からない。」立秋は口元を拭いながら言った。
「もし本当に彼女がリリスと同等の力を持っているのなら……間違いなく悪魔の勢力図を変えることになるだろう。」そう言って、もう一度、焼肉を頬張る海棠を見上げた。
「どういう意味ですが?」
「ほんとに何も知らないな。リリスはただのサキュバスではない。彼女は圧倒的な魔力を持っていた。後方支援も前線での攻撃も、一級品の実力だった。悪魔の戦争における勝利の女神とでも言うべき存在だ。何より、彼女は“あのお方”に最初に反逆した者でもある。」
「“あのお方”って……?」月光は怪訝そうに尋ねた。
しかし、立秋は話題を変えた。 「それより、もうすぐ大暑紅葉の番だな。」
「おい……」月光は不満げだったが、立秋は鋭い視線を向け、それ以上は話すなと暗に伝えた。
月光はそれを察し、話を切り替える。彼の視線は、屋台の店主を手伝って焼きとうもろこしを売っている大暑に向けられた。 「まぁ……そうですがな?」
「ま、私は順当に勝ち進むけどですな。」立秋は使い終えた串を投げ捨て、背を向けた。「決勝で会おうぜ。」
そう言い残し、彼は颯爽と去っていった。
月光は立秋の背中を見送りつつ、再び上方の海棠に目を向け、何か考え込むような表情を浮かべた。
すると、突然——
「立夏月光選手! 連勝おめでとうございます! ぜひ、今のお気持ちを聞かせてください!」
魔闘会のボランティア記者たちが現れた。彼女たちは人混みを掻き分けながら、今大会で最も輝くスターの最新情報を求めて詰め寄ってきた。
月光は不意を突かれ、思わず肩を跳ね上げた。
「立夏月光選手! ここまでの戦いを振り返って、どう思われますか?」
「立夏月光選手! 勝因は何だと思いますか?」
彼女たちは興奮気味に矢継ぎ早に質問を投げかけた。
月光は自信満々に、こう答えた——
「そりゃあ、私が強いからに決まってるでしょう?」
「そんなことないでしょ。戦場の地形や運も関係しているはずです。」記者は冷静に指摘した。
「そうですよ! 自分の勝利がすべて実力だと思い込むと、成長が止まってしまいますよ!」
「なんか、あなたって四肢発達・頭脳単純タイプですよね?」
最後の記者は純粋に悪口を言っているだけだった。
「……」月光は怒りを必死にこらえ、余裕のある態度を装った。
「さて、大暑紅葉選手にも、数試合を終えた感想をぜひお聞かせください!」
「詳しく教えてください!」
「あなたは自分の戦いをどう見ていますか?」
記者たちは月光を完全に無視し、隣にいた大暑に群がった。彼女たちの熱意を見るに、どうやら大暑の古参ファンらしい。
「うーん……感想わねぇ……」
大暑は眉をひそめて考え込んだ。しかし、彼は頭を使うのが得意ではなく、むしろ考えずに本能のまま突っ込むのが得意だった。そして、正直に答えた——
「何も考えてねぇ! 戦いが来たら、豪快にぶつかるだけだ!」
「は?」月光は即座にツッコミを入れた。
「めっちゃ正直……」記者たちは心を打たれ、感動したようにため息をついた。
「ふざけんですなよ?!」月光は、この世界が自分をからかっているように思えてならなかった。
——そんな中、スロットが再び回り、大暑の番が回ってきた。
司会者は嬉々として次の挑戦者を発表した。
大暑は自分の番が来たと知るやいなや、慌てて戦場へと向かった。
一方、月光はイライラしながら勝ち上がり表を睨み、大暑の対戦相手がどんな人物なのかを計算していた——
その頃、放送室では……
草地はのんびりと爪を磨いていたが、その凶悪な風貌に星儿は声を出すことすらためらっていた。
狼の刺青を彫った屈強な男が机を叩き、不満げに言った。 「くそっ……どうにも納得いかねぇ。」
そんな彼に対し、派手なメッシュを入れた若者が軽口を叩いた。 「納得いかないのは、きみが負けたからだろ? だからもっと戦略を考えろって言ったのに。」
その瞬間、屈強な男は立ち上がり、周囲に強い衝撃を与えた。彼は怒りに燃えた声で叫ぶ。 「何だと?!」
若者はふんぞり返って答えた。 「そのまんまの意味だよ! きみ、普段から脳みそ使ってないだろ? 戦いは力任せだけじゃ勝てないっての。」
二人の口論がさらに激化しようとしたその時、鋭い刃のような蜘蛛の糸が屈強な男の前に張られた。
「もやめよ。同じチームなんだから、内輪揉めしてたら敵につけ込まれるだけだ。」
そう言いながら、則保は鏡を見て髪を整えていた。その様子に、若者がすかさず挑発する。
「内輪揉め? お前が単に髪を乱したくないだけだろ。さすがは有名モデル、どんな時でも外見を気にするんだな。」
則保は不機嫌そうに彼を一瞥した。だが、若者はさらに口を滑らせる。
「そういえば、お前の事務所、最近かなりやられてるらしいな? 例の“360度死角なしの宇宙級イケメン”ってやつが出てきたせいで。」
則保はバタンと鏡を閉じた。立夏月光の顔を思い出し、思わず苛立つ。
あの男のせいで、事務所の基準が厳しくなり、自分への要求も増えた。そのせいでスキンケアを怠り、マネージャーに小言を言われたこともあった。それを思い出すと、余計に腹が立つ。
「まぁまぁ、後輩くんが見てるんだからさ。」 草地が星儿に視線を向けると、星儿は思わず姿勢を正した。気を抜くことなどできない。
全員が一斉に星儿に目を向けた。彼は息すら殺し、獲物を待ち伏せる野獣のように気配を消す。
屈強な男が鼻で笑った。 「それにしても、なんでお前が俺たちのチームに入れたんだ? 所詮はただの人間だろ? たまたま、あのブキミな人形野郎に目をつけられただけじゃねぇか?」
若者も便乗する。 「それな、それな。なぁ、きみ、相手の弱みでも握ってんの? よかったら教えてくれよ?」
星儿はゴクリと唾を飲んだ。二人の敵意を感じ、身動き一つ取れなくなる。まるで、捕食者に狙われたミーアキャットのように、神経を研ぎ澄ませていた。則保がチラリと彼を見るが、すぐに視線をそらした。
「まぁまぁ、おまえだち、そんなに威圧したら後輩くんが怯えるだろ? 彼もこれから戦わなきゃならないんだ。ビビらせたら実力を発揮できなくなるよ?」
草地がニヤリと笑いながら星儿に問いかけた。 「な、俺の言ってること、間違ってないだろ?」
星儿は何も考えられず、ただ曖昧に頷くしかなかった。
自分の対戦相手は誰なのか?
今の自分で、本当に戦えるのか?
大暑紅葉は堂々と競技場へ向かって歩いていった。そこに立っていたのは、重金属パンク風のベーシスト。彼こそが 河顔意太朗だった。しかし、先の対戦相手よりはずっとフレンドリーな雰囲気を持っているようだ。ただし、話し方は少し変だった。
「『お前』が『大暑紅葉』か……?『いいね』……! さあ、『サハラ砂漠の熱波』のように『狂熱の宴』を始めよう……!」
彼はそう言うと、唐突に舌を出し、まさにヘヴィメタルパンクのノリを見せつけた。
「助けて……」 月光は頭を抱えた。人間から悪魔へと変貌した者たちの考えは、彼には理解しがたい。
「『そうだ』……『俺』が『大暑紅葉』……『俺』が『お前』を『倒す』……!」
「だからなんでそんな話し方なんだよ!?」ついに海棠もツッコミを入れずにはいられなかった。
――ゴォォォン!!
戦いの合図が鳴り響くと、次の瞬間、目の前の競技場が熱狂的なライブステージへと変貌した。
「レッツ・ロック!!!」河顔意太朗は興奮したようにベースをかき鳴らし始めた。その音が競技場全体に溶け込み、まるで煙のように姿を消してしまった。
「えっ?」大暑は困惑する。しかし、次の瞬間、彼の姿も消えた。観客たちは驚きの声を上げた。
「何ですが、この現象……!?」月光は信じられないものを見るような目つきで大暑を探した。しかし、大暑はすでに "見えない攻撃" を受けていた。
海棠は戸惑いの表情を浮かべる。彼女はなんとなく河顔の技の仕組みを理解しかけていたが、確信を持てずに口を開けなかった。
大暑は防御のしようがなく、どこから来るかわからない攻撃を受け続けた。
河顔はときおり姿を現し、さらにステージのボルテージを上げるようにベースをかき鳴らした。すると、そのたびに会場の熱気が増し、彼の姿は再び水の幻影のように消えてしまう。そして、大暑へと不可視の拳が飛んできた。
「なんですが、これ……!? なんでベース弾くだけで消えるんだ!?」月光は舌打ちしながら、不可解な戦闘スタイルに混乱していた。
大暑は警戒しながら相手の一挙手一投足を注視していた。すると、不意に顔の一部が 異様な痒み に襲われた。攻撃を避けながらも、反射的にその部分を掻く。
――この感覚……?
頭の中で何かが閃く。彼はこの"奇妙な違和感"に覚えがあった。
「なるほど、そういうことか……!」
一方、河顔意太朗は陶酔しながらベースをかき鳴らしていた。観客の熱気は最高潮に達し、まるでライブ会場のような雰囲気に包まれる。しかし、大暑はようやく この戦闘のカラクリを理解し、反撃の準備を整えた。
「炎熔の爪!!」
大暑は手に灼熱の爪を生み出し、フィールド全体の温度を急上昇させた。灼熱の波が辺りを包み込み、周囲の悪魔や観客たちは暑さに悶え始める。
「あっつぅぅぅ!!」
「服脱ぐしかねえぇぇ!!」
月光ですら耐えきれず、無意識にシャツのボタンを外し始めた。観客席からは、興奮したような歓声と悲鳴が入り混じる。
会場は混乱し、運営側は即座に 人間観客を保護するための防壁を展開した。
――これで この灼熱地獄を味わうのは河顔ただ一人となった。
「さあ、どうする!?」
「ぐあああああ!!熱いぃぃ!!」
河顔はたまらず姿を現し、苦しげにのたうち回る。観客は 「大暑の勝利か!?」と息を呑んだ。しかし、次の瞬間――
「……なんちゃって~?」河顔は突然、平然とした様子で **舌をペロッと出し、ロックンロールな笑みを浮かべた。
「!?」 会場全体が驚愕に包まれる。
「実はな、大暑紅葉!」
「いつかお前と戦うことを予想して、特注の『耐熱スーツ』を仕立ててもらったんだぜ!!」
河顔は誇らしげに自分の服を引っ張り、見せつけるように語った。
「なるほどなぁ!!」大暑は驚きながらも、相手の策を素直に称賛した。
「お前、面白い発想するなぁ!まさかこんなにぶっ飛んだ作戦が通用するとは思わなかったぜ!」
「はははははっ!!」河顔は嬉しそうに笑う。
「お前こそ最高だぜ!こんなスタイルのある戦い、見たことねえ!!」
「はははははっ!!」
二人は意気投合し、豪快に笑い合う。
海棠は 「こんな短時間で友情を築くとは……?」と驚きを隠せなかった。
――そんな中、月光は 耳を塞ぎながら、目を虚ろにさせていた。「うるさい……脳が……溶ける……」
しかし、大暑は 突然、表情を引き締めた。「……でもな、俺が狙ったのはそこじゃねぇ!!」彼は鋭く指摘した。
「……何?」
河顔だけでなく、観客全員が驚愕に包まれた。
ようやく彼らは 地面に散らばる小さな黒い点に気がつく。じっくりと目を凝らすと、それが 死んだ蚊 であることが分かった。
「どうしてこんなに蚊の死骸が……?」
リリアンが小さくつぶやく。そして、彼女は 何かに気づいたように顔をしかめた。
その様子を見て、大暑は 確信を得た。
河顔の表情は驚愕に満ち、明らかに動揺している。 「やっぱりな!!」
大暑は 自信たっぷりに笑い、さらに強大な力を解放 した。
「炎熔の爪――進化形!!」
彼の爪は さらに豪華で荘厳な輝きを放ち、すべての熱エネルギーを凝縮 していく。 それは巨大な 灼熱の火球 へと変化し、まるで 黄昏の太陽 のように穏やかでありながら圧倒的な存在感を放つ。
月光はそれを見て呟いた。 「……ああ、新形態ですか。」
爪はもはやただの赤ではない。 黄金色に輝き、まるで降臨した英雄のように誇り高く燃え上がる。
競技場全体が 金色の光 に包まれる中、河顔は 冷や汗をかきながら、巨大な火球を見上げた。
「ぐ、ぐあああああああ!!!」
彼の悲鳴が響き渡る。
――直撃。
戦闘が終わり、倒れ込む河顔。
しかし、大暑はすぐに手を差し伸べる。
「大丈夫か?」
優しいな彼は 当然のように助け起こそうとした。
河顔は 痛みで顔を歪めながらも、その手を取る。「……お前、やっぱりすげぇな!負けたけど、また戦いたくなっちまったぜ!」
「はははっ!また今度、戦おうぜ!」
二人は豪快に笑い合った。
「蚊とベース……何の関係があるんだ?」月光は地面の 死んだ蚊 を見つめながら、ぼそっと呟いた。
「……あ。」何かが閃いたように、彼の目がわずかに見開かれる。
「そういうことですか.....ベースの存在感の低さを利用して、敵の注意をそらし、その間に蚊を操っていですたんだ。普通に見れば、彼の武器はベースに見えます。でも、本当に脅威だったのは、飛び回って気づかれにくい蚊です。さらに、聞こえないベースの波動が相手の感覚を狂わせ、混乱を生じさせる……なるほど、なかなか優れた戦術ですな。」
しかし、月光は ふと疑問に思った。「……でも、なぜ"ベース"なんだ?」いくら考えても、その選択の理由が分からなかった。
――その間、大暑と河顔はすでに意気投合していた。
「お前のベース、すっげぇ上手いな!どこのバンドの?」 陽気な大暑が興味津々に尋ねる。
河顔は少し恥ずかしそうに 「いや、俺……バンドには入ってないんだ。」 と答えた。
「え?趣味ってこと?」
「うん……ただの会社員だからさ。仕事の合間にちょっと弾いてるだけで。」彼の言葉は控えめだったが、どこか 申し訳なさそうな表情 をしていた。まるで、何か悪いことをしているかのように。
「嘘だろ!?あの演奏が"ただの趣味"って!?」大暑は 目を見開いて驚いた。
河顔は 肩をすくめ、さらに言葉を続ける。「……バンドを探してたけど、どこも俺を入れてくれなかったんだ。」その声には ほんの少し、寂しさが滲んでいた。
その瞬間――
「心配すんな!今からあるぞ!!!」
突然、大暑が 台下にいた二人の元対戦相手を引っ張り上げた。「ちょっ……」「えっ、何!?」
大暑は三人を強引に肩を組ませ、満面の笑みを浮かべながら宣言した。 「今から俺たちはバンドだ!!!」
「「「ええええええええええええ!?!?」」」三人の 絶叫 が会場に響き渡った。
「お前たち、やっぱり最高だろ?あいぼ、お前もそう思うよな?」
大暑は月光の方を振り返りながら、満面の笑みで言った。
「別に悪くはないですよ。もう二度と私に話しかけるなさいよ。」 月光は冷たく言い放った。
そんな中――
「失礼します!大暑紅葉、これにて ベスト4進出が決定しました!」
場内に響くアナウンス。しかし、その途中で、大暑がマイクを奪い取った。 「俺は決勝進出の権利を放棄する。」
その瞬間、会場の半分以上の観客が驚きのあまり飛び跳ねた。 「えええええ!?!?」
ざわめきが一気に広がる。涙を流す者、大声で不満を訴える者、騒然とする会場――
「静かに。」大暑の落ち着いた声が、それまでの熱気を一瞬で冷却する。
「俺が辞退するのは、俺よりも"この権利を必要としている人間"がいるからだ。」いつもは 情熱的な言葉を放つ彼が、この時だけは 冷たい空調のように穏やかに語る。
「彼の大切な人が、この場所に囚われている。彼は、どうしても彼女を助けなきゃならない。」大暑はちらっと月光を見やった。
「もし、俺がただの勝負欲で彼を邪魔することになったら、俺は一生後悔するだろう。」彼の 深く低い声 が、会場の隅々まで届いた。
「申し訳ない。でも、俺は友のためにこの決断を下した。」
そう言い、大暑は **深々と頭を下げた。その姿勢はまるで 謝罪の模範のように完璧で、観客たちは文句を言いながらも彼の誠意を受け入れるしかなかった。
「……大きな愛だな。」冬森立秋は驚いたように呟いた。
大暑が壇上を降りると、月光は少しの間無言でいたが、やがて短く言った。
「……惜しいな。」
「ああ。お前は俺の分まで頑張れよ。」
大暑は 豪快に笑い、月光の肩を力強く叩いた。
「さて!"ファイアボール"バンドのトレーニングを始めるぞ!!!」**
「結局、それが本命か!!!」
そして――
「次の試合を発表します!」
その声に、大暑と月光は 一瞬で警戒モードに入る。
「続いての対戦は……田春明星 VS 樱园浅行!!!」
「……知らない人ですな。」 月光が耳を動かしながらぼそっと呟く。 「でも……なんか聞き覚えがある名前ですな……?」
大暑も同じように耳をピクッと動かした。
その頃――
「出番だ。行ってこい。」
草地は、ちょうど 爪の手入れを終えたところだった。
星児は 静かに頷き、仮面をつけると、放送室を後にした。
その頃、六日は暗闇に包まれた**地下駐車場の牢獄**で、命がけの逃亡を続けていた。
光はない。
目の前に何があるのかも分からないまま、手探りで走るしかなかった。
彼女の身体は無数の傷で覆われ、荒い息遣いが闇に響く。
――走れ。
――走れ。
ただ、それだけを考えながら。
足元は不安定で、まともに走ることすらままならない。それでも彼女は闇の奥へと必死に駆ける。そして――
ガクンッ!突然、足がもつれた。 「ッ……!」 バランスを崩し、倒れ込む。
だが、そんな時間はない。 すぐに身を起こそうとしたその瞬間、
――ズルッ……ズルッ……ズルッ……
背後から、不吉な音が近づいてくる。 ゆっくりと、楽しむように。 それは、まるで笑い声のようだった。
(来る……!)
恐怖で喉が張りつき、声が出ない。 目の前には、異形の怪物。 その目は、まるで獲物を嬲り殺しにする捕食者のものだった。
口を裂くように大きく開き、蛇のように長い舌をうねらせる。
六日は体を動かそうとする。 しかし、やはり動かない。 まるで、地面に釘付けにされたかのように、身体が硬直していた。
恐怖が思考を奪う。 何も考えられない。
ただ、 本能のままに、両手を前に伸ばした。 無意味な、最後の抵抗だった。




