41:終幕
「え…………。」
師匠の体が、掻き消えてしまう。
"今"の自身であれば転移の魔法陣によってどこかに飛ばされたこと、刻まれた呪文や発光具合から迷宮で生じたトラップの再利用であること、そしてその性質上長距離の転移が不可能であるということから、師匠はすぐに帰ってくることが推察できる。しかしながら、あの時の自身では全くそんなことは解らず、ただ恐怖に怯えるしかできなかった。
いなくなってからその大きさが理解できるとはよく言ったもので、当時の自身の心に現れたとてつもない恐怖は言葉にすることが難しい。自分を奴隷から救い出してくれて、生きる術の大半を叩き込んでくれた精神的な支え。そしてどうしようもなく大きな、自身の身の安全を保障してくれる人がいきなり目の前から消えたのだ。ある程度覚悟していた剣神祭の時と比べ、こちらは一瞬にして最初から誰もいなかったように消えてしまった。
自分の目がおかしくなったと信じてしまいたい状況だった。
だが、私がどんな気持ちであろうと、現実は襲い掛かってくる。
盗賊、いや兵士たちからすれば師匠が罠にかかるのは確定事項だったのだろう。あのタイプのトラップはその規模が小さくなる代わりに、露見する可能性を極端に下げた種類だ。どれだけ強く大きな存在である師であっても、それまで存在すら知らなかった罠に対処するのは難しい。いやまぁ普段のあの人であれば当時でも何とかしそうなものだが、当時の彼女は達成する目標を多く定めすぎて、焦ってしまっていた。
『すべての盗賊の殲滅』、『攫われた者たちの確保』、『背後を洗うための情報の入手』、そして『私を五体満足で連れて帰る』の4点だ。何年か後に酒の席で師から聞いたが、「少し欲張り過ぎちゃったから反省」、とのことらしい。と言っても結果をみれば全て達成しているので、この人の力量の大きさには驚かされるばかりだ。
さて、話を戻そう。
彼らの思惑通り、転移の罠によって師をどこかへと飛ばした彼らはゆっくりと洞窟の中から出てくる。
運の悪いことに、当時の私は防壁から顔を出してしまっていた。
師が敵を攻撃するために私を下げ、敵に向かっていったことは幼かった自身でも理解できていた。だからこそ自身もその補助のために防壁から身を乗り出し、一瞬たりとも隙を見逃さぬとパチンコの弦を引いていた。戦場の熱気にやられたのか、復讐という黒い感情にそそのかされたのかは覚えていないが、とにかく私は自身の身を相手から視認しやすい位置に置いた。
「ッ!」
目が、合ってしまう。
急いで盗賊たちが作った防壁。木の板などを重ねたものに身を隠そうとするが、明らかに遅かった。私の脳天に、矢が突き刺さらんとする。
「ひッ!」
だが、そうはならなかった。黄緑色の光が自身を守り、その矢の進む方向を逸らせる。脳天に突き刺さるはずだったソレは、私の頭の上を超えて盗賊たちの家の一つに突き刺さった。
死の恐怖から慌てて防壁に身を隠すが、それと同時に複数の矢が射出される。自身を守る頼りない木の防壁に矢が何本も突き刺さり、同時に私の逃げ道を塞ぐように防壁から少しずれた位置にも殺意が突き刺さる。
確実に自身を殺そうとする意志。盗賊などが持つ野蛮で鈍なものではなく、訓練され兵士として雇用された者が持つ鋭く研磨された殺意。師匠と比べればアリと太陽みたいな差だが、それが明らかに自身に向けられているのは、本気で私を殺そうとしている存在と出会うのは、初めてだった。
私の胸中を占めていたのは復讐の感情ではなく、単純な恐怖。すべての生命が持つ命への執着と、死という永遠への恐怖。生き残りたい、死にたくないという思いはあるのに、死への恐怖が大きすぎて何もできない。動くことすらできない。
そんな私を助けてくれたのは、やはり師匠だった。
私を包んでいた二つの魔法、その一つである愛のルーンが起動する。
桃色の光が私を包み込み、体の内側から暖かいものが溢れてくる。
当時の師のルーンはかなり杜撰で、刻んだ文字に複数の意味を込めてしまっていた。故に出力の低下が起こり、込められた魔力と比べると格段に低い効果を及ぼしていたのだが、あの時はそれが幸いした。"譲渡"の意味だけを込めたそのルーンは、原初の意味である"愛"の効能を多分に含んでいた。
親愛、家族愛というべきもの。それが私から恐怖を取り除き、脳を思考に回す余力を与えた。
(まずいまずいまずいまずい!)
私を包み込んでくれた桃色の光のおかげで、師匠のおかげで何とか意識を立て直すことができたけど、それでも現実は変わらない。脳内で悲鳴を上げちゃうぐらい状況は悪い。しかも私は恐怖に呑まれて大事な初動を失った。
(な、なんとかしないと! まずは現状把握!)
師の教えを胸に、自身の装備や残弾数を確認しながら思考を回す。さきほど一瞬奴らの姿を目に収めたが、明らかに30近くいて、武装も整っている。絶え間なく矢が打ち込まれているし、その威力が徐々に上がっている。つまり距離が近づいているということ。
いくら師匠に剣の扱い方を叩き込まれているといっても、自身の背丈はまだ子供。この国の頂点に限りなく近い師に戦い方を教わっていても、実戦の経験は少なく、そのすべてが遠距離でのもの。その上もし自身が発揮できる力のすべてを出し切ったとしても、勝てるビジョンが全く浮かばない。基本的なスペック差に、絶対的な数の差。何をしても、殺される。
師がどうなってしまったかの不安が、自身の死という恐怖によって増幅され、頭がおかしくなりそうになる。
だが、あの人が簡単に死ぬはずがない。すぐに戻って来てくれるはずだと信じ、生き残ることだけに思考をシフトした。
その方法しか、自身が恐怖に負け死を受け入れてしまう未来を回避する方法が思いつかなかったからだ。師匠の魔法のおかげで立て直すことができたとしても、私を蝕む死の恐怖は依然として存在している。だから考えて、道を見つけるしかない。
(矢で移動を封じて、近接戦闘に持ち込み数で潰そうとしてる。どうすれば……。)
じりじりと迫る死の足音に怯えながらも、活路を探すために全力で頭を回す。私は、師に生きる剣を教えてもらって、その理由も作ってもらった。何も返せていないまま、死んでいくなんて虫が良すぎる。死ねるわけがない。それに、ママにもう一度顔を見せに行くって約束したんだ。
奴らに私は父を奪われた、姉や妹は連れていかれてしまい、外の基地にいないってことは洞窟の中で囚われてしまっているということに他ならない。絶対に、取り返す、これ以上奪わせない。だから、生き残らないと。
(何か、何か方法は……!)
より強く突き刺さる矢の音を背に感じながら、より思考を加速していく。私が不利になっている理由の最たるものは、圧倒的な数の差。一対一ならまだ隙を突いて勝てるかもしれないが、囲まれた瞬間に抜け出す術を持たない私は終わる。数を、数を減らさないと。でも、どうやって……。
何かのヒントを得るために、自身の持つ記憶のすべてを遡っていく。走馬灯のように流れたそれは、ほんの数日前の情景を浮かばせる。師と初めてした野宿で、彼女が指の先に灯した明るい光。小さな、火。
(……魔法。)
火だ、火を使えば。魔法によって奴らの数を減らすことができれば、ずっと私の勝率は上げれる。それにより大きな、派手なものを発生させることができれば、身を隠す時間を作りだすこともできる。もう一度身を隠し、奴らの隙を突いて背後から攻撃を仕掛けられる。仕切り直せる。
(炎のルーン、ᚲ(カノ)。今の状況に一番合っていて、私の適性でもある火の魔法。)
この世に魔法を発現させるために、体内の魔力を回す。もう、足音が聞こえる位置まで近づかれている。時間はない、これまで成功したことはないけれど、これ以外私が生き残る術はない。
宙にルーンを刻む。
失敗。
足音が大きくなる。
もう一度、ルーンを刻む。
失敗。
矢が防壁を貫き、ちょうど自身の頭のすぐ横に矢じりが出現する。
ルーンを、刻む。
失敗。
頼みの綱であった防壁が、割れる。
刻む。
作動しない。
奴らの、影が、視界を覆う。
ルーンを、ルーンを!
◇◆◇◆◇
「あは………、《b》最悪《/b》。」
人間、怒りでどうにかなってしまいそうなとき。いや正確に言うと怒りが一線を越えた時、怖いくらいに冷静になるときがあるらしい。まぁ今の私がソレだ。罠に嵌めた奴らへの怒り? まぁそれもないわけではないけど、一番は自分への怒りだよね。あの子の母親に身の安全を任されたのに、私はアルの身を危険にさらしてしまった。自身の傍から彼女を遠ざけてしまった。
本当に、腸が煮えくり返る。だが精神は驚くほどに冷えている。
「あ~、本当に。気分が悪い。」
怒りのせいで少しスキルというか、脳がどうにかなっていたみたいで。『加速』がブレーカーを落としたみたいにカチンと切れてしまっていたようだ。
スキルを切ったつもりはなかったが、目の前にいた男や魔物たちが次々と倒れていくことから、ようやくソレに気が付く。ついでに裏の時代に身に着け、表に出てから更に強化されてしまった殺気を全て解放していたことも。何体か意識を保っている魔物もいるが、明らかに怯えている。まぁ強めの魔物の気配はないし、そんなものなのだろう。
加速、十倍速を掛け直しながら同時に導きのルーンを宙に描く。一度確認したとは言え、アレは他に入口がないかの簡単な確認だった。今回行うのは出口までの最短ルートの調査。宙に描いたルーンを中心に風が巻き起こり、出口に向かって走り抜けていく。大体、等速時間で5秒もあればはっきりするだろう。あまりにも長すぎる時間だが、迷ってしまう可能性を考えれば許容するしかない。
「その間に、消し飛ばす。」
軽く踏み込み、転移させられた地点から男までの距離を0にする。おそらくはまぁショック死しているだろうが、簡単に死なすほど私は優しくはない。顔に近づいた羽虫を払う様に剣を振り、その肉体だったものを全て血の霧に変える。
貴重な情報源だったかもしれないが、そんなものは関係ない。
私がこの戦い、いや掃除に関して掲げた目標は四つ。人質の解放と、情報の取得、盗賊の処理、そしてアルを五体満足で母親の元に戻す、だ。私は、アルの願いもありこの四つを全て一時的に同価値とした。正確に言うとアルの命を最優先としていたが、他の目的の優先度も高めてしまった。
それが、間違いだったのだろう。その結果がコレだ。
はっきりとはわからないがおそらく転移の罠に引っかかり、アルをあの場に残してしまった。状況的に彼女の身は危険にさらされているだろう。本当ならばこのゴミどもなど放置してアルの元へ駆け付けたい、彼女に危害を加えようとする奴を殺しつくしたい。だが、状況がそれを許さない。
加速した世界において私が導き出した最速は、ルーン魔術によって最短ルートを発見した後その道でアルの場所に急行するというもの。さっきも言ったが、迷ってしまった場合のロスを考えるとそれが最速だ。すぐに駆けだしたいが、頭がそれを否定する。あぁ、本当にどうにかなってしまいそうだ。
「死ね。」
体中に駆け巡る感情を殺気として開放する。同時に周りながら空へと飛びあがり、洞窟の天井へと足を付ける。
そもそも、表に出てから封印していたはずの殺気も。尋問で使ったのが切っ掛けか、完全に漏れてしまっている。裏じゃ観客を殺気でショック死させても、観客の自己責任だったからよかったんだけど、表はそうじゃなかったからねぇ。頑張って抑えてたんだけど全部漏れちゃったや。あはー。
私が背負っている骸たちの殺気、私を含めて今を生きる者への嫉妬。数え切れない骸たちの声が私の殺気となって魔物たちの命を刈り取っていった。まぁほんとに雑魚にしか効かないし、私も完全に制御できるわけではないからねぇ。方向性を集めて、一点にぶつけるとかは不可能。私個人のみのものならまだ何とかなるんだけど、背負ってる子たちはそうでもないからね。
「まぁ、手間が減ったと思えばいいか。」
天井が崩れるほどに踏み込み、弾丸となって地面へと降りる。目標は、まだ生きている魔物数体。
サイズと骨格的にただの冒険者では荷が重く、上位のランクの者や軍で対処しなければならないような熊の魔物。明らかに5mを超える背丈に驚くべきか、それを複数体収めてもまだ余裕のある洞窟の大部屋に驚くべきかはわからないが、とにかく殺すべき対象には変わりない。
軽く腕を振るい、死体を量産する。熊以外の魔物もいるにはいるが、特段目に付くような奴はいない。全てに等しく死をもたらす。おそらく最初に殺した男がテイミングなりなんなりしていたのだろうが、最初にそれを殺してしまった。指揮系統を失った魔物たちが好き勝手に暴れ始めることもあるだろうが……、もう関係がない。
その全てが、死んだのだから。
「5秒経過。ルート選定完了。……無事でいてよ、アル。」
◇◆◇◆◇
奴らの、影が、視界を覆う。
防壁はすでに割れ、自身に向かって矢が射出されているのが視認できる。さらに私の数歩先には何人もの兵士がいて、全員が武器を手に持ち私を殺そうとしている。
ここでルーンが完成しなければ、私は確実に死ぬ。
その恐怖が、私を一つ上の段階へと上げてくれる。
「カノっ!」
叫びながらがむしゃらに刻んだそれが、光を帯びながら形を成す。
私の体内に存在していた魔力が、恐怖を糧に体中の経路を無茶苦茶にしながら駆け巡る。宿る魔力の大きさ故か、体を守る為に経路を塞いでいた弁を全て突き破り、自身の指先からすべての魔力がルーンに注がれる。
魔力を糧に、ルーンを符号とし、世界に一つの現象を生じさせる。
神によって人に与えられた力であり、全ての人間が根源的な恐怖を感じるもの。
"火"、だ。
「焼き尽くせぇ!」
絶叫と共に、奴らを殺すために放つ炎。たった一文字のルーンから視界いっぱいに生成された火球は、全てを無に帰すために放たれた。が、
「え」
だれも、死んでない。
炎は、確かに奴らを包み込んだ。私に飛来した矢が全て燃え尽きてしまっていることからもそれは事実。だが、誰一人数が減ってない、誰も倒せていない。状況は、全く変わっていない。何も、何も。
「魔法! 全員前へ!」
兵の一人から、声が上がる。そしてその腰に。いやすべての兵士の腰に、赤い光が輝いている。魔法を無力化する、魔道具。当時の自身には全く理解できていなかったが、師匠が盗賊から押収したものとは違う品。盗賊が持っていたものは広域に効果を及ぼすもので、彼らが持つのは個人に強い耐魔法の守りを与える品。
兵士たちが、距離を詰めてくる。魔法使いを相手にする場合、その鉄則は囲んで叩くこと。訓練を受けた彼らは、すぐにそれを選択し、行動を起こした。私にとって、詰みの状況を。
……もう、道はない。
魔力を注ぎ過ぎたのか、それとも恐怖が強くなり過ぎたのか。
全身から力が抜けてしまい、その場に座り込んでしまう。
このまま、私は死ぬ。
だが、そうはならなかった。
私を囲もうとした兵士たちが、一瞬にして血の霧へと化す。
「アルっ! 大丈夫!?」
普段の師匠とは思えないほどに血に汚れていて、纏う雰囲気は氷のように冷たい。まるで、すでに死んでいるように。それが、私の名を言うことで少しずつ消えていき、普段の師匠へと近くなっていく。だが、彼女が抱える骸たちの目はこちらに向いている。師を同じ場所へと連れて行こうと、私も同じ場所へ連れて行こうとしている。
あんなにも冷たく、生者のとは思えない目。隙あらば連れて行こうとする師匠が殺した者たちの骸。
あの時の師の顔を、あの時の師匠が纏っていたモノを。私は一生忘れることはできないだろう。
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