35:なってはいけないもの
強い不安に押しつぶされそうになりながら、それから逃げるように村の中を走る。この道も、この通りも、全てがあの時のままなのに。少し目を閉じれば、全部浮かび上がってくるのに。眼前に広がる景色は、何も変わらない。
血の跡、戦いの痕、師匠が戦っていたあの闘技場で見たものよりも。しんどくて、眼を背けたくて、元に戻って欲しくて。すごくよくしてもらったおばさんの家は跡形もなく燃えていて、一緒に遊んだ友達がいた家の壁は赤黒く染まってしまっている。死んだ人たちはどこにもいないけど、そこで誰かが死んだことは解ってしまう。
平和な、平和な場所のはずだった。ここには、みんながいて、私がいて、家族がいて。小さい村だからこそ、全員が顔見知りで、知り合いで、この小さな世界を生きていくための大きな家族の一員だった。
それが、何故こんなことに。
血の跡を、死の跡を見るたびに、心が悲鳴を上げ、罅が入っていく。
私は、奴隷として売られた。でもそれは家族を守る為で、生きるためで、自分の意思で出ていった。そこに、恨みなんてあるわけがない。そして、師匠と出会って、大切な時間を、楽しい時間を過ごさせてもらった。……私が師匠と日々を楽しんでいる時に、家族はどんな目に遭っていた?
色々な考えが頭の中を駆け巡り、少しずつ罅は大きくなっていく。不安が不安を呼び、自身の両親が、家族が。その最悪をずっと考えてしまう。地面を踏みしめる足は重い、けど確認しないといけない。藁にも縋る思いで、みんなが生き残っているというありもしない希望を支えにして、私の家の前まで、走る。
走ってしまう。
そして……。
「…………ぁ」
ない。
なにも、なにも。のこってない。
あるのは、真っ黒に焼けた地面と、焼け残った何か。
「あぁ、ぁぁ…………。」
全身から、力が抜けていく。けど、それに抗う気力は私に残っていない。その場に倒れ込んでしまう。頼りにしていた支えも、やっと固まってきた心も、未来への思いも、全部が全部根元から崩れていく。私の土台が、生まれて、育ってきた場所が、何一つ。家族すらも、何も、何も残っていない。
さっきまで、私の中には何かがあったはずなのに、誰かのおかげで、何かがあったはずなのに。何も、何も残っていない。ただの、空っぽな入れ物。そこに、何かが、注がれていく。湧き上がって来てしまう。強い、強い、真っ黒な、消えようもない感情が。普段なら感じるはずの恐怖も、何もない。ただ、何かあった場所を埋め尽くすように、塗り替えていくように。生まれて、満たして、溢れて……。
「……アル?」
「…………ぇ。」
それが、止まる。
その声がする方に、顔を向ける。だって、忘れるわけがない。私はその声をずっと聴いて、過ごして来た。育ってきた、忘れるはずがない。
「マ、……マ。」
私の視界に収まるのは、死んでしまったと思っていた母親と、その両腕に抱えられた双子。一番下の弟と、妹だ。自身の何かを塗り替えようとしていた感情が、鳴りを潜め。もっと奥底から違う感情たちが溢れ出てくる。安堵か、喜びか、この想いを言葉にすることはできなかったが、とにかく安心したことを、覚えている。
「パパが……。」
「えぇ。私と、この子たちを逃がすために……。」
母に抱き着き、抱えていた不安を吐き出すように泣いた後。彼女に連れられて私は父が眠る場所まで歩いた。
墓、と言ってもただ、土が盛り上がっているだけ。それがたった一つ。
生き残った人間も先に逃がされた子供や、女性が中心。まともな男手なんて残っていない。そんな状況で、死んでしまった人たちの葬儀を執り行うにはどう考えても人が足りなすぎる。故に、その遺体を火で燃やし、埋葬する。燃やすための燃料だって貴重だし、そもそも自分たちの村を焼かれたばかりだ。火を見る事すら嫌なはずだ。……だけど、放置すれば病を呼び寄せ、最悪不死者。アンデッドとして帰ってきてしまう。そんなの、誰も望んでいない。
だから、こんな質素な。知らなければ墓だと解らないようなものでも、仕方ない。仕方ないんだ。……でも、頭では理解できても感情がそれを否定する。なんで、なんでこんなことに。
「アルねぇね?」
「……ぁあ、うん。ごめんね。」
一番下の妹に、声を掛けられてようやく意識がこっちに戻ってくる。ここにいるのは、母と、一番下の双子だけ。父は皆を逃がすために犠牲となり、上の姉と、下の妹は行方不明。遺体が見つからなかった、ということは連れていかれてしまったのだろう。……女が連れていかれて、どうなるかなんて言葉にしないでもわかる。
「レラ、ピノ。お母さん、アルお姉ちゃんとお話するから、お爺ちゃんのところに行って来てもらえる? それでママが『少しだけアルと話す時間を貰えますか?』って言ってたことを伝えて欲しいの。さっきのところにいると思うから、お願いできる?」
「うん!」「わかった!」
母がそう伝え、すぐに行動を始める二人。静かな子だったレラは私が知るよりも元気に振舞っていて、ワガママな子だったピノは嫌なほどに聞き訳が良くなってしまっている。その変化が、二人にとって大きすぎる環境の変化が理由じゃないことを、信じたいと思ってしまう。
「……アル。せっかく、帰って来てくれたのに、こんな状況でごめんなさい。」
「ううん、大丈夫。ママと、二人に会えただけで十分。」
何か、こみ上げるものを必死に抑えながら、母は私に語ってくれた。
師匠が冒険者組合で聞いてきてくれた魔物の移動、それはこの村でも把握自体はしていたらしい。麦畑の外にある森の中の動物が異様に少なかったり、出会う魔物が何かから逃げるような仕草をしていて。異常を確認した狩人の人たちが森の様子を調べに行った。私が売られた時よりは、村の財政も安定してたみたいで、常駐の冒険者を雇うことが出来ていたが故の調査。
結果は、誰も帰って来なかった。
そのため、森で何かが起きていると判断した村長は、ララクラの冒険者組合とこの村の領主である男爵様に便りを送った。どちらかが私たちの声に応えてくれれば、何とかなる。これまでの経験ではそうだったから、今回も、そうしてしまった。
使いを出したその翌日に、奴らは現れた。便りを持った村人の死体と一緒に。
そこからはもう、想像したくない内容だった。火矢を投じた盗賊たちは村の人たちを狩りのように追い立てながら、殺して回ったらしい。村を守る冒険者も数には勝てず、すぐに死に。父を始めとした男たちが時間を稼ごうとしたが、戦う術なんて持たない人たちだ。結果がどうなったなんか語られずとも解ってしまう。母を始めとして何人かを逃がすことはできたが、盗賊たちが村の防壁の外にある麦畑すら焼いてしまったため、その火に呑まれてしまった人や、逃げ遅れてしまった人がたくさんいたそうだ。私の、姉と、妹もそうらしい。
逃げ延びることができた人たちは、真っ暗な森の中で息を潜めながら夜を明かし。その次の日に村の様子を見に行った。……残っていたのは、何もない。焼けた家屋と、何も残っていない煤けた家。そして昨日まで生きていたはずの身内たち。
「だからアル、貴方に会えて本当に良かった。もう、二度と会えないと思っていたから。」
私は奴隷となり、父は死に、長女と三女はもう帰って来ない。失ったことを嘆く時間すらない。一人で、あの双子を育てないといけない。そんな時に、奴隷となった私が帰ってきた。そんな中で、母親として振舞い、私に心配をかけないよう振舞うママに。私はなんて声を掛ければいいか、解らなかった。
そんな時、下の子たちの声が聞こえてくる。
「「騎士さまだ~!!!」」
「あ、あはは~。だから一般人って言ってるんだけどなぁ?」
◇◆◇◆◇
「騎士さま?」
「騎士さまだ! 助けにきてくれた!」
「ほほ、二人とも。ご迷惑をおかけするんじゃないですぞ。」
いや~、うん。
大人のお姉様、お兄様相手のお仕事ばっかりだからさ。子供相手にキャッキャされるのは新鮮で嬉しいんだけど、ビクトリア様は騎士様じゃなんだよなぁ~。ただの一般人なんですよ私。確かに騎士というか、帝国の親衛隊が身に着けてるような全身ミスリル鎧だけど、剣闘士上がりの一般人なんです。でも、まん丸な目をキラキラさせながらこうも慕ってくれると強く否定しにくいと言いますか……。
というかお爺さんも私のこと『騎士爵持ちだけど、それを明かしたら私どもに迷惑が掛かるとお考えになられて、身分を隠していらっしゃる。』みたいな感じに思ってるでしょ! 話し方の態度とか全然変わらないじゃん! 見た目はそうかもしれんけど、マジで違うんだって!
いや確かに"貴族の私兵"って意味の方の騎士だったら、実質ヘンリエッタ様の私兵みたいなとこがあるから否定できないけど、この小さい子たちはともかくおじいちゃんの方は貴族のひとりとして見てるでしょあなた! 騎士とか貴族位を偽装したら即極刑だから勘弁してくださいな……。
「この子たちは……。アルに少し似ているけど、妹と弟?」
「はい、そうですじゃ。」
「そっか。なら……、しょっと!」
遊びたい盛りだろうし、両腕で抱えて肩に乗せてあげる。正確な年齢は解らないが、幼稚園児程度だろう。……アルの妹と弟なら、ちょっとぐらいは、ね? キャッキャと喜んでくれる二人の背を落とさぬように支えながら、二人が走ってきた方向をたどる。
「たかーい!」
「ピカピカしてる! すごい!」
「アルが磨いてくれたんだよ。」
妹ちゃんと弟ちゃんをあやしながら、二人の気が現実に帰らぬように姉の話を出す。故郷に帰るってことで近くの川で水浴びとか鎧の手入れとかしておいてよかったよ……。野宿してたらどうしても汚れは溜まるからね。匂うなんて言われればもう、心が死んでしまう。いくら元男と言えどもそこら辺はね、気にしますとも。
興奮のせいか話が四方八方に飛ぶ会話に付き合いながら歩いていると、ようやくアルの姿が見えてきた。少し開けた場所で、何かを焼いた跡と少しだけ膨らんだ地面が見える。アルの隣にいた彼女似の女性、おそらく母親だろう。彼女が祈るような動作をしていることから、アレが墓か……。
「レラ! ピノ!」
アルと何か会話しているみたいだったし、邪魔になるなら引き返そうと思ったが、アルの母親と目が合う。その瞬間思いっきり顔色が悪くなり、おそらくこの子たちの名前を叫び、こちらに向かって走ってくる。……ぁあ、まぁ武装してる相手の近くに自分の子がいれば気分はよくないよね。盗賊らしき奴らの襲撃があった後なわけだし。
駆け寄ってくるお母さんを刺激しないように、ゆっくりと二人を下ろす。さっきまでは楽しそうにしていた双子だったが、母親の慌てて、何かを恐れるような声のせいか、そんな空気は一瞬にして消えてしまった。
駆け寄ってきたお母さんは二人を思いっきり抱きしめた後。……地面に頭を擦り付けるほど下げ、私に向かってこう叫んだ。
「我が子が、我が子が申し訳ございませんッ! どうか、どうかご容赦をッ!」
「…………へ? いやいやいや、そんな謝ることなんか。」
「ですが騎士様にご迷惑を……、どうかッ! 私はどうしていただいても構いません、ですが我が子だけは……。」
……鎧脱いできた方が良かったかも。
「こ、これ! レイン! 騎士様が困っていらっしゃる!」
「ですが……。」
「そ、そうそう。私全然気にしてないよ? むしろ遊んでくれてありがとうね、レラちゃんピノくん。だから、ね? 早く頭を上げて……。」
お爺ちゃんの援護に合わせるように。地面に膝を突き、できる限り優しい声を出しながら不安にさせぬように声をかける。こちらを窺う様に、震えながらゆっくりと顔を上げる彼女。そんなお母さんに笑いかけながら、『大丈夫』、『怒っていない』ことを伝え続ける。ほら子供たちにこんなの見せるのもアレだしさ。早く立ちましょう?
……うん、正直この世界の貴族制というか。身分制度を甘く見過ぎてたかも。私は職業柄相手が誰であろうとも"ビクトリア"を貫かなきゃならないし、この世界で生まれ育ったわけでもないから貴族に対する恐怖などの強い感情はかなり少ない。
(失敗したなぁ……。かといって身分証はヘンリエッタ様の奴と紐付きだし。出したら出したでもっとヤバいことになるからなぁ。)
貴族は、上位者であり、守護者であり、恐怖の対象である。魔法というわかりやすい力で民を治め、その力を使い外敵から民を守る。その力の行く先が民に向かったとしても、民は貴族の守護下でしか生きられない。だって外には魔物という死がそこにいるから。最初は一種の社会契約、食や経済を支えるが故に力ある者に守ってもらい、力ある者は食べていくために民を守るというものだったが、時間を経るごとに貴族という形へと変化していく。
レインと呼ばれたアルの母からすれば、自分の子がそんな特権階級の肩に尻を乗せているわけだ。まぁキレる貴族はいるだろうし、その矛先が村全体に及んだとしてもおかしくはないだろう。統治者に対して無礼な行いをしたものが、どういう末路をたどるのかは歴史が証明している。
まぁそんな現実逃避をしながらレインさんを宥めていると、ようやく心が落ち着いてきたようだ。
「も、もうしわけ。申し訳ございません……。」
「大丈夫大丈夫、ほら。私気にしてないから。スマイルスマイル~。ほらアル? 貴方もちょっと手伝ってよ。」
「す、すみません。ちょっと、驚いてしまって。」
お母さんに肩を貸し、ゆっくりと立たせながらアルにも助けを求める。若干声が堅いような気もしたが……。まぁ、自身の家族がすでに天に召されていた上に、自分の母親がガチ泣きしながら懇願してて、その対象が私だったりすれば困惑しても仕方ないか。私だってどうしたらいいか解んなかったし。……よくよく考えたらアルに助けを求めるのは大人として駄目だな。自分で何とかするべきだった。
(いいですよこれぐらい……。それに、みんないなくなったわけじゃありません。二度と会えなくなる前に会うことが出来て……、連れて来てくれた師匠には感謝していますから。……でも、色々と面倒なので村にいる間は騎士として振舞ってください!)
(えぇ……、騎士じゃないって言っちゃったんだけど。)
(その鎧に肌の質感とか見れば誰も信じませんよ。というか騎士どころじゃなくてもっと上に見られてもおかしくないです。……というか騎士じゃないって言って、ほんとのこと言えばもっとややこしくなるでしょうが! 元老院ですよ元老院! 心労でママもお爺ちゃんも召されます! 居心地悪いのは解りますけど、勘違いしてるだけなんで我慢してください!)
(……まぁ、うん。そうだね。否定できない。)
(そもそも師匠は、自身の立場が一般市民から見てヤバいのを自覚してくださいな! ヘンリエッタ様のみならず無茶苦茶多くの貴族様たちが師匠のファンなんですよ! ちょっと"お願い"したら村の一つや二つ消し飛ばしてもおかしくないような人たちが後ろにいるんですよ! ヤバいんです! ほんとに! ……とにかく、村にいる間は"従者"として接しますからね!)
彼女の母に聞こえないように、小声でそんなことを話す。
明らかに、アルの声や表情がどこか無理矢理で。心に抱えたものを隠すように、あえて気分を上げて話す様にしている。父は殺され、姉と妹が連れていかれたのはあのお爺ちゃんから聞いた。それに、故郷が焼かれ知り合いも多く殺されてしまったとなると、彼女の心に圧し掛かる物は想像がつかない。
……彼女の言う通り、『身分を隠した騎士』として振舞うか、それとも何も考えずに、その隠してしまったものを吐き出させるために抱きしめるか。抱きしめるにしてもそれは私ではなく、彼女の母親の役割なのではないか。
考えが、ぐるぐると回っていく。
そして、私の中で一つの答えが出た時に。
全てをぶち壊す知らせが届いてしまう。
「奴らだ! 奴らが戻って来たッ!」
アルの目が、据わる。
怒りや、恨みという感情は簡単に人を狂わす。それが、力を持つ人間。力を持ち始めた人間なら、なおさらだ。……私は、その命が散ることを防ぐことができる。だが……、心までは、解らない。
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