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京都百梅路地恋路  作者: 八谷紬
春まけて記憶のカレー
7/12

-7-

「いいんですか、カレー、いただいて」

 うれしさが勝ってしまうのか、ことばが辿々しくなってしまい千景に笑われた。

「たくさん作ってしまったので、助かります」

 十年後輩のほうが、スマートな対応を見せていた。しびれもないのか正座の姿勢からすっと立ち上がる。

 あ、と灯子は声をあげた。なにか、と千景がこちらを見る。

「……大変申し上げにくいのですが」

 改まった灯子に千景が眉をひそめた。

「ごはん、ありますか」

「……は」

 い? とおそらく聞き返そうとして止めたのだろう。千景は怪訝な表情を浮かべていた。

 灯子も自分が情けないのは重々承知している。

「すみません、ごはん、炊いてなくて」

「今から炊けば」

「いや、米がなくて」

「そんなに」

 そんなにお金ないんですか、と思われたんだなと灯子はますます身を縮める。

「料理、しないもので。ご飯も炊かないからお米も買わず仕舞い……」

 食うに困らないぐらいの金はある。ただほんとうに料理をしないだけなのだ。お米ぐらいと思わなくもないが、お弁当を買えばご飯は入っているし、麺類やパンを食べれば米は不要だ。

 信じてもらえたのか否か、千景の大きなため息が聞こえてきた。

「そういえば、コンビニのお弁当買ってましたね」

 その表情から、見かけられたのが一度や二度じゃないことがわかる。

「すいません。料理だけはもうほんと苦手で」

 米を炊くのと簡単なものぐらいならできなくはなかった。けれど過去に恋人たちに振る舞った手料理は二度とリクエストされることもなかった。

「わかりました。すこし待っていてください」

 なにか小言を言われるかなと身構えていたが、千景はそれ以上なにも言わず、座敷を出ていった。

『女のくせに料理もできないのかよ』と言っていたやつらとは違った。

 料理ができないことを責められるのはわかる。ひとには得手不得手があるとしても、食事は生きていく上で必要だし、米ぐらい炊けよと思われるのも灯子はしかたないと理解している。

 でもそこに『女のくせに』はいらない。

 まあそもそも『~のくせに』という言い方が灯子は嫌いだった。だから自分でも言わないようにしようとは気をつけている。

 千景のことも大学生のくせにとか年下のくせにとか言わないように気をつけよう、と身を引き締めていると大きなお皿を持った千景が戻ってきた。

「どうぞ」と出されたカレーを見て、灯子は胸がきゅうっと締めつけられた。

 ラップがかけられたお皿は、千代が使っていた青い花柄のものだった。ご飯の上にたっぷりかけられたカレーの具材はしめじと大根。これも、千代がよく作ってくれたものだ。

「大根としめじ」

「すみません、そんな組み合わせで」

「ううん。というかめちゃめちゃ懐かしくて。千代さんのカレーと一緒」

 うれしかった。自然と顔がほころんでしまう。

「祖母のカレー、知ってるんですか」

 対して千景はきょとんとしていた。

「そう。うちはシングルマザーでさ、母が仕事で忙しくって、よく千代さんに晩ご飯ごちそうになってたから」

「そうだったんですか」

「カレーってそれこそ多種多様じゃない? いろんなカレーを食べてきたけど、やっぱり一番食べたくなるのがこのカレーで。だから……今すごくうれしい」

 作ったのは千代ではない。千代の使っていた器で、同じ具材のカレーなだけだ。それはわかっている。

 それでもやっぱり、懐かしさがこみあげてしまう。

 ふっ、と千景の口元がやわらかくなった気がした。

「僕も、このカレーが一番好きです。でも」

 千景がなにか言いかけてやめてしまう。

 どうした、と思って視線をあげるも、続きは言いそうになかった。

「ありがとう。おいしくいただきます」

 灯子はそう言って、千景の家から辞することにした。


 まだ夕方でもないけれど、カレーの誘惑には勝てなかった。しかも久しぶりの手料理だ。

 灯子は自宅に戻ってそのまま、スプーンを取り出し茶の間にしている中の間に座った。三畳の部屋は広くはないものの、一人暮らしの食事スペースには十分だ。それに戸を開ければすぐキッチンがある通り庭で便利でもある。

「いただきます」と手を合わせ、湯気が水滴となってついていたラップを剥がす。

 美味しそうなスパイスと甘い香りが部屋に広がった。

 それだけで幸せな気持ちになる。インド料理レストランでも、洋食屋でも専門店でもコンビニでもカレーは何度も食べてきた。なのにこの香りだけは違う。

 スプーンめいっぱいにご飯とカレーをすくう。

 大きな口で頬張ると、あつあつのご飯とまろやかなカレーの甘みが一気に押し寄せてきた。

 おいしい。

 千代の作っていたカレーとはやはり違う。それでも十分、いやとてもおいしいカレーで灯子はぱくぱくとたいらげてゆく。

 カレーに大根って。と言われたことがあった。和食じゃないんだからと。

 そういうやつに食わせてやりたいとしみじみ思う。拍子木切りされた大根のおいしさはじゃがいもとはやっぱり違う。やわらかくてジューシーでカレーの染み具合もとてもよい。

 しめじと合い挽きの挽き肉の組み合わせもやはりおいしい。タマネギは半分ぐらい溶けていて、たまに存在感のあるやつが出てくるのもいい。どこか和食の雰囲気もあって、さらさらで、すべてが懐かしく、おいしかった。

 これを千景が作ったのか、と思うと灯子は感心するばかりだった。男子なのにとかまだ若いのにとは思わない。おいしい料理が作れるというだけで尊敬に値する。

 あっというまに一人前を食べ終わって、灯子は満足の息を吐いた。

 行儀が悪いと思いつつも、幸せな感情に満たされてそのまま畳に大の字に寝転がってしまう。

 おいしかった。心もお腹も満たされることがこんなにも気持ちいいのかと思う。同時にこういうことが普段からあればもっと適度にゆるく生きてこれたのかもしれないと思わなくもながいが、今さらそんなことを言ってもしかたがない。

 満腹になると眠気もやってくるのか、あくびが出た。

 天井からぶらさがっている、安物の電灯が目に入る。

 昔からずっと使っているせいか、さすがに古びた印象が否めない。畳は新しいものに交換した雰囲気があったが、小さなちゃぶ台や棚、テレビ台も家電もどれも年季が入っている。

 全体的に、ごちゃついた部屋だった。

 最低限の掃除はしているけれど、片づけはあまりできていない。元々家族で住んでいたせいもあって物も多い。統一性もないし、きっと不要なものもたくさんあるのだろう。

 でも、これが灯子の暮らしてきた実家だった。

 寝転がったまま、横を向く。

 千景の家は、なにもないに等しかった。生活するうえで最低限のものだけが揃った部屋。

 彼は、千代の部屋をひとりで片づけたのだろうか。

 あのたくさんの物たちはどうなったのだろうか。

 胸がぎゅうっとして、灯子は目を瞑る。

 それでも、彼はあの家で生活しているのだ。

 祖母のカレーを作って。

 ゆっくりと息を吸う。

 ひとりでも平気だと思って生きてきているけれど、こういうときの独りはすこしさみしかった。ただそれもわかって選択している。

 独りがいいと言った千景と、灯子のスタンスは微妙に違う。しかしそれも彼が選択したものだ。

 せめてこういう孤独感だけは、誰かと共有できてるといいなと思いながら、灯子はうとうととし始めていた。


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