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京都百梅路地恋路  作者: 八谷紬
春まけて記憶のカレー
6/12

-6-

「相談、ですか」

「仲のいいふりをしていただけませんか」

 身構える間もなく、千景が言う。

「……はい?」

「龍見さんのことは祖母や大家さんから聞いているので、それなりに信用していいと判断しています。なので協定を結んでいただけないかと」

「いやいやいや、ちょっと待て」

 つっこみどころの多さに灯子の頭が混乱していた。

 言われたことを反芻する。祖母や珠紀から聞いていた。信用できると判断。協定を結ぶ。

「まず、ひとを簡単に信用しない」

「ええ、ですがまあ、今すこし話しましたし」

「すこしで判断しない」

「確かに僕はまだ人生経験も浅いですが、隣家のひとだと身元もはっきりしていますし、いざとなれば大家さんがいますし」

 こんなにぺらぺらと喋るのか、と灯子は面食らった。先ほどまでのめんどくさそう、迷惑そうな無表情はどこにいったんだと訴えたい。

 しかし、と灯子は千景を見やる。

 灯子もまた、千景に抱いた印象は悪くないものになっていた。はじめこそ無だなあと思ったものの、他人を寄せつけたくないオーラが出ているだけで、内面は悪くなさそうだ。所作や姿勢もいい。見た目で判断してはいけないけれど(世の中にはサイコパスもいるわけで)案外性格や性質はそういうところに出たりもする。

「悪くないと思います。龍見さんも大家さんからなにか言われているんですよね」

「え……いやまあそうだけども」

「だったら互いに助け合えると思うんですが」

「……そんなに面倒なことが起こるのがいや?」

 ほぼ初対面の年上女にそんなことを言い出すぐらい、と灯子が思って尋ねると、

「ええ、絶対にいやです」

 即答された。

 そのきっぱりとした態度に、灯子はため息をついた。

 たしかに、灯子にとってもメリットはある。家賃半額だ。それは正直言って相当に大きかった。

 だからその提案は確かに悪くはない。

「申し訳ないけど」と灯子は口を開く。

「私はあなたと違って面倒なことは起こらず、家賃が半額になるだけです」

 悪くはないけれど、フェアな感じがしなかった。協定という表現もどうかと思うが、そういうのは利害が一致するなり目指すものが一緒だったりするときに結ぶものだろう。

 千景は仲良くしなければ面倒なことが起きる。

 灯子は仲良くすると家賃が半額になる。

 そこにどこか曖昧な気持ち悪さが生まれてしまう。

「……それはすごくいい条件ですよね」

 千景もやはり納得がいかないだろう。

 と灯子は思ったのだが。

「ならなおさら、協力したほうがよくないですか」

 至極真面目に、千景はそう言った。きれいな右手が顎に添えられている姿もスマートだ。

「え、そっち?」

「そっちって、ほかにどっちがあるんですか」

「いやほら、不公平感とかないのかなと」

「不公平……なのかもしれませんが、龍見さんは家賃半額という条件はとてもありがたいものなのではありませんか」

 え、と灯子は固まった。

 珠紀といえど、さすがに灯子のプライバシーまでは勝手に話してないと思いたい。ならば千景はどこまで気づいているのだろうか、とそわそわしてしまう。

 というよりも、そんなにお金がなさそうに見えるのかな……と心配になっていた。

 それが顔に出ていたのか、千景が「あ」と声を漏らした。

「失礼しました。別に龍見さんの財政事情や金銭感覚に口を出すつもりはありません」

 ただ、と続ける。

「大家さんは人を見る目がありそうですし、この条件なら動くと一番いいところをついてきてるのではないかなと思っただけです」

「ああ、そういうこと」

 ほっとすると、千景がくすりと笑った気がした。

 その顔を見て、いやどっちにしろ私の家計が苦しいことは筒抜けじゃねぇか、と灯子はうなだれる。

 でも自分で明かしたことなので、相手を責めるのはお門違い。灯子はため息をひとつついて腹をくくった。

「わかった。お願いを達成できなかったらまたなんや言われるし、協力しましょう」

 あれこれ悩んでもはじまらない。ためしてみてダメだったらまたそのとき考えればいい。

 ほんのすこしだけ男女という組み合わせであることに心配はあったものの、灯子自身は年下は恋愛対象外であったし、向こうも独りがいいと言っているのだからまあ大丈夫だろうと考えた。いざとなったら珠紀が近くにいるし、最悪の場合弟の然を呼び出してしばらくいてもらえばいい。然と千景ではタイプが違う。千景が実は武術の達人とか隠れスキルさえ持っていなければ、然が勝つだろうという自信はあった。

「助かります」

 千景はしずかに頭を下げた。

 礼儀も正しい、作法も知っている。それに灯子が大好きな千代の孫だ。

 珠紀は千代の願いを聞いて千景と仲良くしなさいと言った。

 それが偽りでも、この子のためになることならば、千代は笑って許してくれるのではないか。

 灯子はそう考えた。

「といっても、仲良くの具体案がなにも浮かばないんだけどね」

 自嘲気味に笑ってみせると、千景の顔がすっと無表情に戻った。

「……たしかに」

 無表情というよりも元の作りが整いすぎて、デフォルトが冷たく見えがちなのかなと、灯子は思った。愛嬌があるというより、どのパーツも繊細で涼しげだ。

「ご近所つきあいでは、珠紀さんは納得しないっぽいし」

「むしろ改まって仲良くと言われても、友人の定義すら曖昧なのに難しいです」

「ほんと。いっそ恋人と偽ったほうが楽そう……」

 そこまで言って、灯子は口を止めた。

 千景の顔が、無表情を通り越して冷たいものになっていたからだ。クールを通り越して少々怖い。

「いや、ごめんごめん冗談」

 事実、そんな気は灯子にもさらさらなかったのだが、相手もよく知らないうちに軽口叩くもんじゃなかったと反省する。

「あ、いえ……」

 灯子のことばに千景はデフォルトに戻ってくれた。

 この手の話題はアウトなんだなと早いうちに知れてよかったと思うことにする。

「しかしどうしようか」

 ほっとしたところで不意にカレーの匂いが灯子の鼻をついた。

 うえに、お腹が鳴った。

 よりによって鳥すら鳴いていない静かな部屋で。

 灯子はそっと、千景をうかがった。

 聞こえていないはずだ、と思いたかったがそれは無理だということが千景の顔でわかる。

 この家に入ったときからカレーの匂いはしていたのに、なんで今更、しかも昼ご飯食べたのに、と悲しみで灯子の身体が満たされていった。

「……すみません」

「あ」

 聞こえてないふりをさせるも悪かろうと灯子が謝るのと、千景がなにか思いついたような顔をするのとほぼ同時だった。

「よかったら、お裾分けしましょうか」

「え?」

「カレー。ご飯のお裾分けって、ご近所づきあいにしてもそれなりに仲良くないとしませんよね」

 予想外な提案だった。

 そして想像以上に、心弾む提案でもあった。

 外食もテイクアウトも誰かが作ったごはんには違いない。でもいわゆる“手料理”を食べるなんてこと、久しくなかった。

「あ、すみません。あの、衛生管理とかはしっかりしているつもりですし、味もそう、変なものではないと……」

 灯子がまじでいいんですかというはしゃぐ気持ちを大人なりに整理している時間をネガティブに受け取ってしまったのか、千景が慌てて口にした。

「いや大丈夫、美味しそうなのは匂いでわかるし、衛生管理云々は部屋を見たらわかる」

「さきほどのお言葉をそっくりお返ししてもいいですか」

「私はあなたより十年先輩です」

 さりげなく年の差をアピールしたが、千景はとくに驚きもしなかった。年相応に見えれば万々歳というスタンスゆえに、それぐらいに見られていたとわかってほっとする。

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― 新着の感想 ―
[一言] 実際に灯子さんみたいな女性と接したら、どう向き合えばいいのだろう?と見守っていたら、この章で答えが出た。人との距離を詰めたかったら胃袋から攻めよ。灯子さん可愛い…。
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