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京都百梅路地恋路  作者: 八谷紬
春まけて記憶のカレー
12/12

-12-

「だいじょうぶ、お皿とスプーンはきれいにしてある」

 千景の前にカレーを置く。

「それに最近ずっとひとりでご飯食べてたからさ。たまには誰かと一緒に食べたいし。これも仲良し協定の一部だと思って」

 はい、とスプーンを渡した。

 千景はしばしカレーと灯子を交互に見やり、やがて諦めたようにため息をついた。抵抗するより食べてしまったほうが楽だと思ったのかもしれない。

「僕以外に食事に誘う人いないんですか」

 ただし嫌味は忘れていなかった。

「うん、いない」

 とはいえ、それぐらいでへこたれるような灯子でもない。

「親友には忙しいって断られてばっかりだし、友だちはみんな結婚して子どももいて……それは悪くもなにもないんだけど、やっぱり世界というか話題が違っちゃうし、恋人はもうしばらくいないし」

 同情したのか呆れたのか、みょうな表情を見せてから千景は「いただきます」と手を合わせた。

「孤独と孤立は違うしね。私は孤独を愛せるけれど、孤立はしたくない。だからひとりでもいれるし、誰かとたまには一緒にごはんが食べたい」

 灯子のことばに返事はなかった。ただ黙々とカレーを食べる千景を見て、灯子もスプーンを口に運ぶ。

 彼にとってこれはおばあちゃんのカレーだったのだろうか。表情からはわからない。

 それでも丁寧に皿の端からカレーとご飯を半分ずつすくい、口いっぱいに頬張る姿は悪くなかった。もっとお行儀よくすこしの量をしずかに食べるのかと思っていたけれど、大口を開けて食べる様子は灯子が見ていても気持ちのよいものだった。高級なフレンチや料亭で食べるご飯ではない。ここは家で、食べてるものは家庭料理だ。

 黙々と頬張る千景の目にほんのすこしだけ涙が浮かんだことを、灯子は気づかないままにしておく。

 その姿を眺めていて、ああ、とひとつ思い出した。

 あの日、やるせない感情を全身で発しながら柴漬けチャーハンを食べたのは自分だった。なにがあったのかは覚えていない。でも大盛りにされたチャーハンを食べて、飲み込んで……清宮のおばちゃんも一緒に食べて。

 なにも話さなかったのに、お腹においしくてあたたかいものを入れていくだけで、気持ちが落ち着いていったのだ。

『食べることは、受け入れることなんよ』

 あのとき受け入れたのは、なんだっただろう。

 そして今彼が受け入れているのはなんだろう。

 聞く気はないけれど、なにかそういうものがあるといいなと灯子は心の底から思う。

 祖母の味を再現し、食べることで受け入れるものがあるのかもしれない。

 でもそれはひとりでは無理で、誰かと食べることでできたものかもしれない。

 もしそうなら、自分もそれなりに役に立てただろうか。あのときの清宮のおばちゃんのように。

「ほんとおいしい。ありがとう」

 灯子が改めて言うと、すでに半分以上食べ終わっていた千景がほんのすこし頬をゆるめてくれた気がした。

 答えはわからない。でもその顔だけで充分だ。

 そう思いながら、灯子も残りのカレーをめいっぱい味わった。

 そのカレーは間違いなく清宮のおばちゃんのカレーで。

 また食べれたしあわせとともに、彼女が大切に想っていた孫と共有できたうれしさがあることに、灯子はわずかながらも気づいていた。


   ◇


 あれから数日経ち、灯子の家は随分ときれいに片づいていた。

 といっても自分のもの以外が多くて処分もむずかしい。どう考えてもいらんだろ、というものは写真付きで連絡して処分の許可をもらった。捨てられないけれど必要のない物は、二階の一部屋を物置代わりにすることでなんとか片づけた。その際、急勾配の階段で二度ほど、灯子は足を滑らせ痛い思いもした。

 まだ無職のままではある。

 それでもぼーっとしていたときの何倍も、気持ちはおだやかだった。

 片づいていく部屋を見るとすっきりするし、窓や板間を磨いてきれいになってゆくのは気持ちがいい。

 千景の家ほどさっぱりしてないし、珠紀の家ほど格式も高くない。

 それでもこれが我が家だなと思う。

 早起きし、トーストと目玉焼きとコーヒーの朝食を済ませ、玄関前を掃除しておこうと外に出た。

 狭い路地といえど、周りに高い建物がないおかげで朝日がまぶしい。まだ五月だというに、すでに夏の気配が近づいてきていた。

 箒を持って、家の前、路地の半分まで掃き清める。

 そろそろ打ち水をしたほうがいいのだろうか、と考えていると隣の家の玄関戸がしずかに開いた。

「おはようございます」

 大きな鞄を持った千景が灯子の持つ箒を確認してから頭を下げた。

「おはよう。はやいね」

 大学に行くのか、千景が「はい」とだけ頷き返す。

 この間のカレーのお礼にはやはり花を選んだ。黄色とピンクのスイートピー。かわいらしいものが好きだった千代にはよく似合うと、麗の店で包んでもらった。

 千景はそれを大事そうに受け取ってくれたものの、やっぱり愛想はなかった。ほんとに接客業できてるんだろうか、と疑いたくもなるものの、灯子に対しては仕事や義務と思っていないということの現れかとも思えば、悪い気もしない。

 それに愛想はなくても何事にも丁寧なのは知っている。

 いってらっしゃい。

 そう言おうとして、灯子は千代の姿をそこに見る。

 小学生のときも、中学生のときも高校生になっても、千代は灯子たちきょうだいが玄関を出る時間帯に路地の掃き掃除をしていた。

 そして毎朝言ってくれるのだ。

「千景君、おはようおかえり」

 ほんのすこしでも、千代の代わりになれるだろうか。

 そう思いながら灯子がそう言うと、千景の目がはたと止まった。

 長い前髪をさあっと風がさらい、朝日がその瞳に反射する。

「……いってきます、灯子さん」

 かすかな返事だった。やっぱり細い。そして表情は無に近い。

 それでも灯子は、うれしいようなはがゆいような気持ちになって、ごまかすように笑って見せる。

 背筋を伸ばしてモデルのように歩いていく千景の後ろ姿を見送りながら、灯子はひとつ、深呼吸をした。

 路地にはお味噌汁の香りと、春のにおいが漂っている。

 仕事をやめ、めんどくさいこととさよならして戻ってきた路地。昔とは違うこともたくさんあるけれど、それが当たり前だ。

 だけどきっと、変わらないこともある。

 それにあらたに作り出せるものもある。

 今はまだ、やりたいことが見つからなくても、まずは丁寧に暮らしてみようか。

 灯子は箒を握りなおし、どこからかやってきた花びらをそっと掃いた。


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