9.その反応、可愛すぎんだろ
メリルはロジェに支えられ、ベッドに戻った。ロジェはすぐにメリルにシーツをかける。
「もう、起きられるわよ」
立ち直ったメリルは、ロジェに言うが、彼は首をふった。
「ダメダメ。安静にしてろ。そこを動くなよ。着替えは自分で、できるか?」
ロジェは汗で濡れた寝間着を見て、口角を持ち上げる。
「宜しければ、わたくしめがお手伝いいたしましょうか?」
からかいを含んだ笑顔を見せられ、メリルはむっと顔をしかめる。
「自分でできるわ」
「じゃあ、朝食、作ってくるから待ってろよ」
ロジェはくつくつ喉を震わせて、扉に向かって歩きだした。
扉を開くと、ニヤリと笑いながら振り返る。
「メリルって、すげえ、えろい足してんだな」
「は?」
「メリルが寝込んでいる間に、何度か着替えさせた。まあ、……そういうことだ」
ロジェはメリルが高熱でうなされている間に下着をとり、ご丁寧に全身を乾いた布で拭き、新しい夜間着に着替えさせていた。
これは、医者に言われたからなのだが、ロジェは針子をしている女性に声をかけずに自分の手でメリルを介抱した。下心はあった。
さすがに病人相手に手を出そうとは思わないが、惚れた相手の体を見て、いろいろと、たくさんのことを思っていた。その一つが、ついついこぼれてしまっていた。
メリルはロジェから衝撃的なことを聞かされて、固まっていた。
足を見せるのは、夫のみ。というのが、ごくごく一般的だ。靴の履きかえるところすら、恋人にも見せない。
貴族の上級のお遊びとして、一夜のランデブーを楽しむ趣向もあるが、メリルにそんな趣味はない。
つまり、こうなるわけである。
「ろ、ロロロロ、ロジェの、えっち!……え、……えっち!! えっちよ! え、えっちだわ!!」
メリルは羞恥心から顔を真っ赤にして、シーツの中に潜り込んだ。体を丸めて、身を隠し、ロジェを罵倒する。これでも語彙力をかきあつめて、精一杯、罵っていた。
(うわぁ……その反応、可愛すぎんだろ)
メリルの姿を見て、ロジェは真顔になった。いつまでもキャンキャン吠えるメリルを見ていたかったが。
(元気そうだな。よかった……)
儚げな雰囲気がなくなったことに安堵して、ロジェは部屋の扉をしめた。
着替えで一悶着あったのがよかったのか、メリルに活力が戻ってきた。
自分で身支度を整えると、ロジェが作った玉ねぎたっぷりのスープを食べきれた。
ツンとすました態度のメリルが自分の作った手料理を食べるのを見て、ロジェはニヤニヤが止まらない。
メリルは背中を丸めて「ごちそうさまでした」と小声でいった。
ロジェは皿をさげながら、メリルに声をかける。
「捺染職人たちをここに連れてくる。会いたいだろ?」
「え……歩けるわよ」
「まだ寝てろって」
ロジェは食べ終わった皿をさげると、ご機嫌な顔で部屋から出ていってしまった。
メリルは大きく息を吐いた。
(……みっともないところばっか、ロジェに、見せているわよね……)
ロジェは何でも話せる友人であったはずだ。今も、そうだ。なんでも話せ、気を使うこともない。
なのに、そわそわとしてしまい、落ち着かなくなるのは、なぜか。
(ロジェに出会って、もう七年よ……今さらすぎない?)
メリルは火照った頬に手をそえて冷やそうとした。
しばらくぼうっとそのままでいると、足音が近づいてきた。
「おじょおおぉお!」
必死で自分を呼ぶ声もする。
ぎょっとして、ドアの方を見ると、バアァアンと音が聞こえそうなくらい勢いよく扉が開かれた。
「おじょう! 大丈夫ですかぁあ!」
捺染職人のひとり、赤鼻のガストンが、前歯の抜けた口を大きく開いて、メリルの部屋に転がりこんできた。
赤鼻の異名らしく、ガストンの鼻はぶつぶつができて真っ赤だ。
「ガストン……久しぶりね……」
「久しぶりですわあ。そんなことより、お嬢! 体は平気なのですか?! そこのキンキラ小僧にお嬢がぶっ倒れたと聞いたときは、驚きました……」
ガストンはロジェを指差して、早口でまくし立てる。キンキラ小僧に笑いそうになりながら、メリルは微笑む。
「もう、大丈夫。……ロジェが……介抱してくれたから」
「そうですか。無駄にキンキラしていないですな!」
ガストンの背後で、ロジェが苦笑いをしている。それを視界に入れつつも、メリルはガストンに話しかける。
「……来てくれてありがとう。外から見たけど、すばらしい出来上がりよ」
「ははは! 腕はなまっちゃいません! 肥溜めを運ぶ仕事をしてましたからね! ほうれ、この通り! 筋力はつきました!」
ガストンは笑顔で腕を見せてくる。メリルの胸はちくりと傷んだ。
肥溜めを運ぶ仕事は、都市の衛生を保つためには大事な作業だが、所詮、肥溜め運び、という言葉があるくらい馬鹿にされた仕事だった。
ガストンが偏見にさらされたかもしれないと思うと、メリルの心は苦しくなる。
メリルは老いてもたくましい手を見つめ、呟くように言った。
「……ガストンの手は、いつだって頼もしいわ。生地に命をふきこむ魔法使いの手よ」
ガストンは照れくさそうに笑い、ふたりは再会を心より喜んだ。
ガストンたちが染めてくれた生地は、針子たちが丁寧にアイロンをかけてくれ、布封筒の作成が始まった。
出来上がった布を切り、裁縫を始めたメリルを見て、ロジェが尋ねた。
「布封筒って、宛先はどうするんだ? 布に書くのか?」
「わたしが刺繍するわ」
ロジェはぎょっとした。
メリルは手慣れた様子で布封筒を作り、手紙の届け先、ボネ夫人の名前を別の布に刺繍していく。
「わたしが工場長になったときから、お得意様には布封筒を出すことにしたのよ。
夫人たちの元にはたくさんパーティーの招待状がくるらしいから、存在をアピールするためにね」
メリルのしていることは、広告カタログの郵送に似ていた。
まだこの国では、電話もスマホもない。情報は手紙のやりとりが主流。郵送という仕事も雑なものが多く、確実に相手に届けるには、誰かを雇うか、自分で届けるしかない。
その手紙も、数ある招待状に埋もれてしまっては話にならない。まず、手紙を読んでもらうことが大切だ。
そうメリルが思うのは、過去の苦い経験があるから。
メリルが工場長になったとき、同じように夫人や仕立て屋に挨拶をさせてほしいと紙の手紙を送ったが、返事はほとんどなかった。ボネ夫人もだ。
祖父が作った生地だから取引していた人々は、代替わりしたメリルの生地には関心がなかった。
これでは、まずい。
どうにか手紙の返事をもらおうと考えたのが、布封筒だった。
新作を封筒に使うことで、会う前に生地の紹介ができる。デザインを気に入れば、話はトントン拍子で進むのだ。
布封筒は、珍しく目を惹いた。メリルが手縫いした宛名は特別なものに見えて、返事がくるようになったのだった。
「ボネ夫人に、この手紙を届けるのが、最初の一歩。きっと、モニークのことも聞けるわ」
メリルは出来上がった布封筒に目を細める。
「ロジェのデザインを、ガストンたちが染色してくれた。この生地は、ボネ夫人の目に止まるはずよ」
愛しげに布封筒を指でなぞり、メリルは端まで美しく整えるため、アイロンをかけた。
そして手紙を綴る。白く飾り気のない便箋を見て、ロジェが話しかけた。
「手紙に絵を描くよ」
「え?」
「布封筒に合う装飾をする。任せておけ」
ロジェはメリルから便箋をもらうと、部屋に引き込もってしまった。
しばらくしてロジェがメリルに渡した便箋は、生地に描かれた物語の続きのようなイラストだった。
布封筒に描かれたデザインは、少年がぶかぶかのシルクハットをかぶって、少女に花を贈るものだ。
ロジェが手紙に描いたイラストは、ふたつ。
少女が花を受け取り、笑顔になっているシーンと、ふたりが笑顔で手をつなぐシーンだ。
ほほえましい恋のワンシーンが描かれ、メリルは興奮した。
「素敵な演出じゃない! ロジェは天才だわ!」
恋の話は、人気の題材。布封筒を開けた先に、物語の続きがあるのならば、それは特別なものになる。
(それ、俺たちのことなんだけどな……気づいちゃいねえな)
ロジェはご機嫌なメリルを見ながら、こっそりため息を吐く。頬を紅潮させたメリルはさっそく手紙をだすために、針子たちの作業所へ向かった。
操作をあやまったので、二話、更新しています。
明日から、朝八時に更新します。
よろしくお願いしますm(._.)m