8.みんな、消えない
メリルは昔の夢を見た。
まだ祖父母が生きていた頃の夢だ。
幼いメリルは、工場の外で布を乾かす光景が好きだった。
染色された布は蒸した後に洗い、色を定着させる。二十五メートルの布が、太陽の下で広げられるのは、圧巻の光景だった。
(草原にお花畑ができたわ!)
幼いメリルは目をキラキラさせて、布に魅入った。
草原の上で、色彩豊かな布がひらめく。それが、工場の近くでいくつもいくつもあるのだ。
「キレイだなぁ……」
思わず呟くと、祖父が微笑みながら、声をかけてくれた。
「メリル、今度のデザインはどうだい?」
「すっごくキレイ! お花の模様がたくさんあって、虹みたいね!」
「そうかい。そうかい。虹なんて、最高に嬉しい言葉だよ」
「おじいさまの手は、魔法使いの手ね! 白い布をこんなにキレイにしちゃうんだもん!」
「ありがとう。メリルも木で絵を描いているんだろ? 見せてごらん」
「えっ……嫌よ。恥ずかしいもの」
「そんなこと言わないでおくれ。おじいちゃん、見たいんだ」
「うー……しょうがないな……これだよ」
メリルは木で掘った花模様を祖父に見せた。木の型は色をのせると、版画のようになり、紙や布に花柄がつく。
「これは、すごい。メリルは才能があるね」
「えっっ! ほんとう?!」
「本当だよ。私がメリルぐらいの年には、こんな上手に掘れなかった」
メリルは目を爛々と輝かせた。
「わたしね! おじいさまの工場で働きたいの! おじいさまみたいに魔法使いになりたい!」
「メリルなら、きっとなれる。私を越える生地を作れるよ」
祖父は微笑んでメリルの頭をなでた。こそばゆくて、メリルはころころ笑った。
そのあたたかい手がふっ、と消える。
メリルは驚いて目を開いた。
祖父の笑顔が薄闇に隠れ、遠ざかっていく。
「待って! おじいさま! ――おばあさま!」
声を出しても、ふたりの思い出は闇に飲まれていく。メリルは小さな手を伸ばした。足がもつれて、メリルは転んだ。
「わたしを置いていかないで………!」
メリルは小さな体を震わせて、瞳から涙をこぼした。遠くで、不運な事故だったわね――と誰かが呟く声が聞こえた。
「はっ、……」
息を吐き出して、目を開く。
額に置いてあった布が、ずるりと落ちて頬に張りつく。メリルは手を伸ばしたまま、見慣れた自室の天井を呆然と見た。
(……夢、だったのね……)
手を下げて、息を吐き出す。
体を起こすと、汗でぐっしょり濡れていることがわかった。服が体に張りついて、気持ち悪い。
メリルが嘆息すると、部屋の扉が開かれた。
入ってきたのは、ロジェだ。顎に無精髭があり、やつれている。手には水の張った桶を持っていた。
ロジェはメリルと目が合うと、桶を落としそうなほど動揺した。慌てて桶を持ち直し、大股でメリルの元に歩み寄る。
「メリル、目を覚ましたのか? 熱は?」
琥珀の瞳を揺らしながら、片手でべたべたとメリルを触る。メリルはびっくりして、思わず身を引いた。その様子を見て、ロジェの顔がふにゃっと緩む。
「……熱、下がったんだな……よかった」
ほっとした表情をされたが、メリルはそれどころではなかった。
「ロジェ……わたし、長いこと寝ていたの……?」
「あぁ、そうだな。三日間、熱が下がらなくて、医者を呼んだ」
「三日……そんなに……大変、生地を作らないとっ、」
メリルは瞠目し、ベッドから降りようとした。
膝に力が入らず、足を踏ん張れない。ふらりと体が傾き、ロジェが慌ててメリルを抱きとめた。
「バカッ! 病みあがりだぞ! まだ寝てろって!」
ロジェの言葉にメリルは耳をかさない。ロジェの胸を押して、尚も立ち上がろうとする。
「……早く生地を完成させないと。また、大切なものが無くなるわ……」
「は? 何を言って……」
夢を見たメリルは興奮して、正気を無くしていた。ロジェの手から逃れようと、暴れる。
「あの時だって、そう。……ガブリエル殿下を転ばせた貴族が罰せられるって……それで、公開処刑になって……それで、それで、お祖父様とお婆様は……っ」
メリルは祖父母が亡くなった時のことを思い出し、唇をかみしめた。
「無理して、生地を作っていたわ……」
――祖父母が亡くなる前、とある貴族が公開処刑されることになった。
百年ぶりの残虐な処刑法が告げられ、都市は異様な熱気に包まれていた。
死神のような、美しい顔の処刑人の残酷で華麗なショーを見ようと、人が集まっていた。
処刑がよく見える宿は高値で売られ、富裕層は着飾って舞台を見ようとする。
新しいドレスが作られ、仕立て屋は大忙しだ。
すでに富裕層の間で評判だった祖父母の生地は飛ぶように売れ、染色工場は夜になっても稼働していた。
祖父母は寝るのを惜しんで働き、生地を仕立て屋に納品しようと荷馬車で走っていた。
路地を曲がろうとしたところで、別の馬車が突っ込んできた。
打ち所が悪く、祖父母は天国へ旅立っていった。馬車で突っ込んできた相手も同じだった。
信号も交通整備もされていない都市では、こうした事故は多かった。
馬車の衝突や巻き込みで亡くす命は、数えられないほど。祖父母のことも、不運な事故、と言われた。
だが、十一歳だったメリルは突然の訃報を受け入れがたかった。
――なぜ? どうして? こんなことが起きるの?
泣くことを忘れて、メリルは祖父母の墓標を見ていた。
数年後、メリルが工場長になり、噂話好きな社交の場に出たとき、ガブリエル王太子の横柄な態度を耳にした。
王太子は甘やかしてくれる人しか側に置かない。問題児とされていた。
――シャルル殿下が生きていれば、よかったんだけどね……
王太子の上の兄シャルルは、神童と呼ばれ、優秀だった。
王を期待されていたが、十二歳の頃に流行り病でなくなっている。
――幼い頃のガブリエル殿下は、手をつけられないほどの癇癪持ちだったそうよ。気に入らない人は妃殿下に告げ口して、処刑させたとか。
その話は噂の域を出ないもの。人と人の間で伝わって真偽のあいまいになったものだ。
しかし、メリルの心を揺らすには充分だった。
――処刑が、なければよかったのに……
メリルは誰にも言えない思いを胸にしまいこんでいた。
「あの時も……ガブリエル殿下がきっかけだったわ……今回も、あの方のせいで……」
夢を見たせいで、メリルの心は恨みに囚われていく。
王太子は直接、メリルに何かしたわけではない。王太子はメリルの名前すら、知らないだろう。冷静に考えれば分かることだ。
しかし、王太子が何かをするたびに大事なものが奪われるという恐怖がつきまとう。メリルはひどく怯えていた。
「早く、早く……生地を作らないと……みんな、消えちゃう……」
体を震わせて呟くメリルを見て、ロジェは叫んだ。
「メリル!!!」
メリルの後頭部に手を回し、隙間なく抱き寄せてくる。メリルは大きく震え、目を開いた。
「……メリル……」
ロジェは一度、強く抱擁した後、ゆるく抱きしめた。メリル、メリル、と優しく呼んでくれる。
ロジェはメリルを安心させるように背中をさすった。手つきが優しい。強ばっていたメリルの肩から力が抜けていく。
「大丈夫だ。……みんな、いる」
ロジェの言葉に、メリルはひゅっと息を飲み込んだ。
ゆるゆると顔をあげると、ロジェの穏やかな笑顔が見える。
「捺染職人が工場に来てくれた。メリルのデザインを染色してくれたよ」
「え……?」
「みんなメリルの手紙を見て、すっとんで来てくれたんだ。外、見てみるか?」
こくり、と頷くと、ロジェは無垢な子供みたいなくしゃくしゃの笑顔になる。
ロジェはベッドにかけてあったガウンをメリルの肩にかけると、手を差しのべ、腰を支えてくれた。
自力では立ち上がらなかった腰がすっと持ち上がった。
ロジェはメリルを支えながら窓へ向かう。カーテンを開き、見えた光景にメリルの鼓動が大きく鳴った。
工場の煙突から、煙がのぼっている。誰かが工場にいる。
ロジェは鍵をあけ、両開きの窓の片側を開いた。
「うおーい! おやっさん!! 布はこっちに広げるのかー!!!」
「ばっかやろう! もっと、こっちだ!!!」
懐かしい声が聞こえて、メリルは窓枠に手をついて身を乗り出す。
「ガストン……?」
捺染職人、赤鼻のガストンが洗った布を干していた。五十名いた従業員は、全員来てくれた。
布は染色されたのだろう。青空の下、メリルの描いたデザインが広げられていく。その出来は、メリルの想像を遥かに越えていた。
染色は、白と若草色の二色のみ。多色で塗られていない分、ロジェの描いた美しい線が映えた。
「……あぁ、キレイ……」
メリルは感嘆の息をもらす。失った光景が目の前に広がっていて、泣きそうだ。
「……ロジェがみんなに……どう染色するか指示を出したの……?」
「指示ってほどのものでもないけど……メリルが何を考え、どうしたかったのかは伝えたよ。そしたら、ガストンさんが全部、やってくれた」
ロジェは破顔して、メリルの腰を引き寄せる。
「みんな、いる。メリルが大事にしているもんは、消えたりしねえよ!」
ロジェの明るい声に、ツンと鼻の奥が痛くなる。
「ありがとう……」
涙声でそう言うのが、精一杯だった。
16時にもう一話、更新します。
明日から朝、八時に更新を変更します。
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