6.メリルさんが、イケメン、連れてきた!!!
ロジェが家に転がりこんできて、メリルは染色工場を案内した。
染色工場は、都市から五キロほど離れた場所にある。
王宮を中心に、家が密集している都市に比べると、工場がある場所はのどかだ。
切り崩した山が見える平原に、綺麗な水の川がある。
工場と針子の作業場が、ぽつん、ぽつんとあり、メリルの家も工場の横に、ちょこんとあった。
従業員たちが寝泊まりする簡易住居もぽつぽつあるが、ほとんどの人は他の土地に家があるので、夜になると静寂に包まれ、星の煌めきがきれいな場所だった。
ロジェは初めてくる染色工場を物珍しそうに見ていた。メリルは作業着に着替えて、工場を案内する。
工場は天井が高い大空間だった。
染料の匂いがこもらないように、大きな窓がいくつもある。斜光がふりそそぐ工場は、ランタンの火を灯さなくても明るい。
二十五メートル――一般的な小学校に併設されているプールと同じ長さ――の木製の台が、二つ、並んでいた。これは、染色機だ。長い板に布をピンと張って、型紙をおき、職人数名が手作業で布に色をつけていた。
「今は受注がないから稼働していないけど、過渡期は、職人たちでごった返していたのよ」
ふふっと笑ったメリルが見る先には、誰もいない工場。染色機には、布がかけられているが、メリルの脳裏には賑やかな光景がありありと浮かんでいた。
「……職人たちはどうしているんだ?」
「日雇いの仕事をしているって言ってたわ。……また工場が稼働するときは、呼んでって言われているの……」
「……そっか」
「今までの給料出せなくなるって言ったら、都市で仕事をしてくるから構わないって言うのよ。……みんな、わたしを見捨てないの。お祖父様の時代から働いてくれている優しい人たちよ……」
メリルは背筋を伸ばした。
「また工場を稼働して、みんなと仕事がしたい。ロジェ、手伝ってね」
ロジェはもちろんと、大きくうなずいた。
メリルは次に、針子の作業所へ案内した。
「都市に生地を卸せなくなったけど、自社製品として、ハンカチやブックカバーを作って友好国へ売っているの」
「海外に販売してんのか? 知らなかった」
「まだまだ始まったばかりの事業よ。叔父が友好国にいるから、そのつてを頼っているの」
「そうなんだ」
「刺繍が得意な子。縫製が得意な子。みんな得意なものが違うから、やりたい仕事を都合がいい時間にやってもらっているわ」
「ほぉ。労働時間は決まっていないんだ」
「決まってないわ。若い子が多いのよ。みんな、とても元気で気持ちが明るくなるわよ」
メリルは微笑して、作業所の扉をノックした。
「みんな、作業中にごめんなさい。新しいデザインに協力してくれる人を紹介しにきたわ」
メリルが話をして、ロジェが前に進むと、三人いた針子たちは一斉に騒ぎ出した。
「メリルさんが、イケメン、連れてきた!!!」
「あら、いい男。あの服、都市で流行っているジャケットよね。センスいいじゃない」
「いやぁ、あの佇まいは、女からお金をすいとるチャラ男の雰囲気があるわよ」
「えっっ! イケメンで、ちゃらいの?! ゲスいの?! ……やだ。いい!!!」
「……あんた。ダメ男好きだったわね……」
好き勝手に騒ぎ出す針子たちに、ロジェは真顔になる。メリルは、みんな今日も元気だわ、と特に気にしなかった。適度におしゃべりをする方が、作業効率が上がるのを知っていたからだ。
メリルは話が途切れたところで、ロジェを紹介した。
「彼はロジェ・バーグマン。わたしの古くからの知り合いで画家よ。わたしの家に住むことになったから、宜しくね」
メリルの一言に、針子たちは騒然とする。
「メリルさんが、家に男を連れ込んだ!!!」
「え? 例のちゃらい画家?」
「えっっ! その話、詳しく聞きたい!!!」
「ほらあ。メリルさんが酔っ払った時に言ってたじゃない。学生時代にナンパしてきた男が、いたってやつ」
「あー!!! あれねー! 顔がよくて、才能があるのに、キザで残念だって、言ってた人ね!!!」
ロジェをじっと見る針子たち。ロジェはぶすっとしながら、どういうことだとメリルに向かって、目で訴える。
メリルは考え込んだが、そんな話をした覚えがなかった。酔っぱらってロジェの話をしたのは間違いない。でも、記憶になかった。
(まあ、いっか。その通りの人だし)
じーっと見てくるロジェをあっさり無視して、メリルは言う。
「新作のためにロジェに手伝ってもらうから、みんな宜しくね」
「「「はーい」」」
針子たちはニヤニヤしながらも、声をそろえて返事をした。その表情が、ロジェを見て、すっと変わる。
「「「メリルさんを泣かしたら、ぶっ飛ばす」」」
低い声で一斉に言われ、ロジェは真顔になった。メリルはくすくす笑う。
「大丈夫よ。ロジェは、ほどほどに優しいわ」
「「「それなら、いーんですけどね!」」」
針子たちは納得していないのか、吼える寸前の犬のような顔でロジェを見ている。警戒心むきだしの表情をされ、ロジェは顔をひきつらせた。
作業部屋から出ると、ロジェは大きなため息をはいた。
「……ずいぶんと、慕われているんだな……」
「あら、そう? ロジェみたいな若い男性は珍しいから、みんなからかっているんでしょう?」
「そうかあ? メリルに手をだしたら、俺、刺されそう」
「まさか。ロジェがいい男だから、みんな浮かれているだけでしょ?」
「いい男って……顔がいいってことだろ?」
「もちろん」
「あぁ、そうかよ。……道化師に転職した気分だ」
「拗ねないで。好物のナッツ、あげるから」
「俺はげっし類かッ! ご褒美なら、他のものをくれ。それをさせてくれたら、何を言われても、愛想よくするから」
ロジェの言葉にメリルはぱちぱちとまばたきをする。ロジェはニヤリと笑った。
*
「ねぇ、これが、本当にご褒美なの?」
「俺にとってはな。離れて描くから、気にすんな」
「それなら、いいけど……」
メリルは困惑しながらも、作業机と向き合った。
ロジェのおねだりは、作業中のメリルを絵に描くことだった。
ロジェはご機嫌で、メリルから離れて椅子に座っていた。メリルは困惑しながら、作業机に向き合う。
(見られるの、恥ずかしいんだけど……)
小さく息をもらし、集中するために、作業机を見た。
これからメリルは、布を染色するための型紙を作る。ロジェの絵を銅板に模写するのだ。
銅板に薬品を塗り、銅を腐食させて、型を作る。
トレーシングペーパーはないので、メリルが目視で、絵を転写する。
コピー機並に正確に模写するのが、メリルの強みであった。
先の尖った棒で、銅板を削っていく。作業を始めると、ロジェに見られるのが気にならなくなった。心を空っぽにして、ただ、削る。
工場に人がいない悲しみも、怒りも、どこか遠くに消えて無心になる。メリルの心にあるのは、ロジェの絵のリスペクトのみ。
(……ロジェが描く世界を完璧に転写したい……この美しさを世の中に広めたい。多くの人に見てほしいわ)
メリルのグリーンアイに熱がこもる。陶酔した気持ちになりながら、メリルは無言で作業を進めた。
メリルが集中して作業をしている間、ロジェもまた石墨を紙に走らせていた。メリルの凛とした横顔を描ける、というだけでロジェの心は高揚した。
(最初に見たときのまんま。すげえキレイな横顔……)
初めて彼女を見たのは、オープンカフェだった。
宝石のような緑色の瞳は行き交う人々を射ぬくように見ていて、ゾクゾクしたものだ。その瞳の視界に入りたいと思って、声をかけたら、軟派男扱いされた。泣けてくる。
(本気だったんだけどなあ。……ちっとも伝わらない)
心で嘆息するが、すぐに気を取り直す。今、この瞬間、ロジェはこの世で一番美しいと思う人を描いているのだ。
「あぁ、キレイだな……」
うっとりとした表情で、描いたメリルを指でなぞる。熱のこもった作業所は、ふたりが奏でる音しかしなかった。