4.つけぼくろ夫人なんて言うのは、失礼よ
「つけぼくろ夫人に手紙を書くのか?」
ロジェが尋ねると、メリルは目を据わらせた。
「つけぼくろ夫人なんて言うのは、失礼よ」
「だって、ボネ夫人は顔中、つけぼくろだらけだろ。★とか●とか♡とかの形をした黒子を顔につけるのは、昔の化粧だぜ?」
「マダムは顔の傷を、つけぼくろで隠しているのよ。外見で判断するのは、ダメよ」
「わり。口が滑った」
バツが悪そうにするロジェにメリルは嘆息して、話を進める。
「ボネ夫人は、わたしが駆け出しの頃から贔屓にしてくれた方よ。あなた、才能があるんだから、頑張りなさいって声をかけてくれたわ――嬉しかったな……」
思い出してメリルは微笑する。ワイングラスを傾けて、思い出に浸るメリルの表情は、色香が漂っていた。ロジェはわざとらしい咳払いをして、目をそらす。
「そりゃ、余計に悪かった」
「あら、珍しく素直なのね」
「……たまにはな。それで? ボネ夫人に手紙を書くのに、なんで生地を作るんだ?」
「ボネ夫人はお得意様でね。新しいデザインの生地を作った時は、毎回、布封筒を作って、送っているの」
「布封筒?」
「新作生地の紹介をかねた挨拶状よ」
「ほぉぉ……じゃあ、封筒が作りたいから、新しいデザインを俺に描けっていうことか」
「話が早くて助かるわ。そうなの。なんとしてでも、ボネ夫人に手紙を送りたいの」
メリルはモニークがボネ夫人の所にいるかもしれないと話した。
「モニークのことを聞きたい。そして、新作生地を売り出す協力がほしい。そのためには、新しいデザインが必要なの。お願い、ロジェ。手伝って。ロジェが描いたデザインを生地にしたいの」
メリルは真剣な顔でいった。酔っぱらっているので、瞳は潤んでおり、頬も赤らんでいる。声はかすれぎみで、弱々しい。
そんなメリルを見たら、ロジェは断れない。
「ボネ夫人の好みの絵を描けばいいんだな。どんなのだ」
ロジェは画家の顔になり、近くにあった紙と石墨を手に持つ。メリルはパッと瞳を輝かせて、笑顔になった。
「ありがとう。小鳥とか、愛らしい少年少女とかがいいわ。田園で遊んでいるような」
「ふーん」
「ボネ夫人は早くにご主人を亡くされていて、子供がいらっしゃらないの。莫大な資産を孤児院や、庶子の子供達に使っているの。子供の笑顔が好きだっておっしゃっていたわ……」
メリルの話を聞いたロジェの顔つきが変わる。軽い気持ちで描いていた絵に熱がこもり、瞳は真剣になった。
紙に石墨がこすれる音を聞きながら、メリルはぐびぐびワインを飲んでいった。
「こんな感じか?」
ロジェが書き終わったのを見て、メリルは目を細くする。
そこには、白黒ながら、生き生きとした表情の少年と少女がいた。
少年はシルクハットを被り正装して、薔薇の花束を少女に差し出している。少女はまぁと言っていそうなほど嬉しそうなポーズだ。
ふたりの周りは蔦や母国の花で飾られていて、小さな結婚式のような雰囲気。
メリルはじっとそれを見た後、一言。
「絵が大きいわ。もっと小さく描いて。生地にしにくいじゃない」
「絵の大きさは指定されなかっただろうがっ。最初に言えよ、最初に!」
がくっと項垂れたロジェを見ながら、メリルは冷たく言う。
「今、言ったじゃない」
「……メリル。……すげえ酔っぱらってんな? 目が据わっているぞ……」
「これっぽっちのワインで酔わないわよ。ひっく」
「……酔っているな」
「酔ってないわ。それよりも、もっと小さく描いて。他の子も。水辺で遊んでいるのとかが、いいわね」
「へいへい」
ロジェは嘆息して、他の紙にデザインを描いていく。それを見たメリルは暇なので、ぐびぐびワインを飲んだ。
「あら、もうないわ」
ワインの瓶は空っぽになってしまった。メリルは立ち上がり、ふらつきながら、キッチンへと向かう。
「ねぇ、ワインないの?」
「まだ飲むのか……ねぇよ」
「あ、そ。じゃあ、買ってくるわ。その間に描いておいてね」
メリルの一言に、ロジェは慌てた。
「ちょっと待て!……ふらふら外を出歩いたら、変なやつに絡まれるだろう!」
「夜に歩くのは慣れているわ。変な奴がきたら、股間を蹴りあげてやるわよ」
メリルは拳を前に出して、パンチするふりをした。やっていることと言っていることが合っていない。ダメな状態である。
「俺が買いに行く。待ってろ」
「あらそう? じゃあ、つまみもお願い。ナッツは飽きたわ」
「へいへい」
ロジェはぶつぶつ言いながらも、外に出ていった。扉に鍵がかかる音を聞きながら、メリルは椅子に座る。
テーブルの上に置きっぱなしになった紙を一枚とり、むっと顔をしかめた。
「ほんと、ムカつくぐらい人をうまく描くわよね……」
メリルが得意なデザインは花柄だ。瑞々しい花たちは女性の心を掴んだが、人物は得意ではない。
「いーな。いーな。わたしもロジェみたいに、うまく描きたいっ」
だだっ子のような口調になって、メリルは頬を膨らませた。メリルは絵をじっと見つめる。そのうち、モノクロの絵に色をのせるなら何がいいか考えだした。
(シルクハットは、そのまま黒がいいかしら? それとも……)
メリルがロジェの絵をどう生かそうか考えている頃、当の本人は風呂に入っていた。
メリルに臭いと言われたのを気にしたからだ。
時刻は朝方に近いが、大衆浴場には人がごった返していた。浴場から出たロジェは、仕事終わりの女性に声をかけられる。
舞台女優の彼女は、妖艶な雰囲気の人で、ロジェの知り合いだ。
「あら、ロジェ。久しぶりね。ご機嫌じゃない。本命ちゃんから、手紙でも来たの?」
ズバッと心を見透かされて、ロジェは真顔になった。
(なんでわかったんだ……? そんなに顔に出ているのか?)
自分の顔を触って確かめるが、よくわからない。そのしぐさがバレバレな訳であるが、残念ながらロジェは気づかなかった。
女性はふふっと笑いながら、ロジェに近づく。濃厚な麝香が鼻についたが、ロジェは笑顔を繕った。
「本命ちゃんは君だよ、マゼンタ」
女性は、ぶっと吹き出して笑った。
「やだあ! いつも以上に胡散臭い! やめてよお、もお。はははは!」
ロジェは再び真顔だ。
(そんなにバレバレか?)
残念ながらバレバレなのである。女性はおなかを震わせた後、ニヤニヤと笑った。
「どうしたのお? 本命ちゃんが会いに来たのかしら?」
「いや、別に。友達が来たんだよ。ワインを飲みたいって言うから買いに来た」
「ふーん。大事にしているのね」
お見通しよ。
そんなことを言いたげな顔をされて、ロジェは観念した。
「まぁ……俺のことは眼中にないけどな」
観念して肩を竦めるロジェに、女性はこそっと耳打ちする。
「……いい惚れ薬あるわよ」
「やめてくれ。あなたが言うと、しゃれにならない」
「まあ、ふふ。かわいいこと。ワインならあっちの店がいいわよ。若い女の子に人気みたい」
ロジェは女性が示す方向の店を見た。
「幸運の女神が、あなたにほほえみますように。じゃあね~」
女性は軽やかな足取りで手をふる。後ろ姿を見ながら、ロジェは嘆息した。
「幸運の女神ねえ。一度も振り向いたことねえんだけどな」
ロジェは呟くように言って、ワインを買いに歩きだした。
買い物をしてアトリエに戻ると、メリルはテーブルに突っ伏して寝ていた。
よだれまで垂らして、安心しきった顔で寝ている。
無防備な姿を見て、ロジェは頭を抱えたくなった。
「ふつう、男の部屋で爆睡するかぁあああ?」
気を許されているのを喜ぶべきか、嘆くべきか迷うところである。
ロジェはため息をつき、散らかった部屋から毛布を引っ張り出してきた。メリルの肩にかけ、寝顔をじっと見る。ツンと澄ました顔は、だらしなく緩んでいた。
「襲うぞ、こら」
ロジェはメリルの顔に自身の顔を近づけた。柔らかそうな頬を見ていたら、その先に自分が描いた下絵があった。絵の横には色のメモが書かれている。それを見て、ロジェの気が変わった。
「絵、描くか。……はじめて、メリルが俺を頼ったんだもんな」
ロジェは椅子に座った。メリルが起きるまで、何枚かのデッサンを書き上げていった。