3.天使ちゃんが、天使ちゃんすぎる
「……また取引中止だ」
生地を卸していた仕立て屋から帰宅した父の声を聞いて、兄は深く大きいため息を吐いた。
「……これで、都市の仕立て屋はすべて断られましたね……輸出先まで断られたら、僕らは……」
「商店を畳むしかないな……」
経理の兄は沈痛な顔をした。
メリルの父は、商店の社長をしていた。メリルの工場で作った生地を販売をしている。ジェーン商会といえば、有名だった。
主な取引先は、富裕層のドレスを作っている仕立て屋だ。
その他に、針子を雇い、ハンカチやブックカバーやなどの小物を作り、海外向けにメリルの工場で作った製品を輸出していた。
モニークの店と同じ目に会いたくないのか、生地を扱わないと言い出す仕立て屋が相次いだ。
そのせいで、メリルの工場はストップしてしまった。これでは、従業員に賃金を払えない。しばらくは持つ蓄えはあるが、いずれ底がつく。
しかし、五十人いた従業員の多くは「金のことは、気にするな」と言ってくれた。
「お嬢はちっとも悪くないじゃないですかあ。儂らは都市で日雇いの仕事でもしてきますわあ!」
祖父母の代から一緒に仕事をしてくれた職人たちは、明るくそう言って、メリルを励ましてくれた。
メリルは頭を下げた。
「ありがとう……みんな、ありがとう……必ず工場にみんなを呼び戻すわ」
メリルは止まった染色機に、ほこりがつかないよう白い布をかけながら、考える。
(今のままじゃダメよ……今までのデザインを越えるものを作らないと……)
頭をよぎったのは、短期留学のときに思いついたアイディアだ。だが、それはメリルの不得意なデザインだった。
(ロジェだったら……わたしの理想のデザインを描けるかも……)
考えている余裕はない。
やれることを全てやるしかない。
(ロジェを尋ねよう。顔も見たいし)
メリルはさっそく、ロジェのアトリエへと向かった。
*
宮廷画家、ロジェ・バーグマンとの出会いは、メリルが女学校に通っていた頃だった。
十六歳の時。今から七年前の話だ。
当時、メリルの頭の中は、生地をどう染色するか。デザイン案でいっぱいだった。
流行りを知ろうと、町に行っては生地屋を巡る。屋台や路上に広げられた無数の生地は、かたおちした中古のもの。
最新のデザインは、貴婦人のドレスにある。カフェのオープンテラスに居座って、貴婦人の服を観察するのが、メリルの日課だった。
紅茶一杯でねばるメリルを見ても、カフェの女性オーナーは何も言わず見守ってくれていた。
とある日。カフェでデザインのスケッチをしていたら、ロジェにナンパされた。
――君のような美しい人に出会えるなんて、今日は人生最良の日だ。
甘い顔立ちをした男が、歯の浮くような台詞を言っている。
(この人、初対面のわたしに向かって、何を言っているんだろう)
メリルは真顔でそう思い、ロジェを無視した。ロジェに対して、まるで興味がわかなかったのだ。
ロジェは長い金髪の髪をかきあげて、しつこく口説いてきたが、メリルは無視してスケッチを続けた。
幾度かカフェで出会ううちにロジェはナンパをやめて、画家を目指していると話し出した。
「あら、あなたも絵が好きなの? わたしも好きよ」
「見れば分かる。いつも熱心に描いてるもんな」
軽口を叩かれたが、ロジェはメリルと同じ年だったので、気にならなかった。それから、カフェで好きな画家やデザインの話をするようになった。
メリルにとってロジェは、何でも遠慮なく言える相手だった。
メリルは学校を出た後、染色工場で三年修行をして、職人に現場を任せ、経営だけしていた父から工場を引き継いだ。
結婚適齢期はとうに過ぎたが、それよりも仕事が楽しかった。
ロジェは貴族夫人のスポンサーを見つけ、宮廷入りを果たすようになる。ロジェもまた、今回の婚約破棄騒動に巻き込まれていた。
都市の大通りの沿いには、三階建てのアパートが隙間なく並んでいた。その一室に、ロジェのアトリエがある。
メリルが呼び鈴を鳴らすと、しばらくして鉄製のドアが開かれた。ぬっと出てきたロジェは、メリルの想像以上にうらぶれた姿だった。
それでも、顔が見られただけで、ほっとする。
モニークがひどいめ目にあったから、余計に。
メリルはいつもの調子で話しかけた。
「ロジェ、久しぶり。髪がボサボサね。それに酷く匂うわよ? 香水、付けていないの?」
「出会って早々、母親みたいなことを言うなよ」
「ふふ。口は達者のようね。ほら、お土産」
メリルは籠から布に包まれたボトルを二本、取り出した。
ひとつは食前酒。スパークリングワインのロゼだ。もう一本は紫に近い色をした赤ワイン。ラベルをちらりと見たロジェは呟いた。
「……いい酒、持ってくるじゃん」
「安くていい酒よ。食事もしてないでしょ? ほら、バゲットサンドイッチを買ってきたわよ。それにドライフルーツとナッツ。あなた、りすみたいにナッツをポリポリ食べるわよね」
「うるせぇよ。……ったく、よく男の家にひとりで来たよなぁ」
「だって、ロジェだし」
メリルがこてんと首をひねると、ロジェは嘆息した。
「……あっそ。入って」
ロジェは顎をくいっと動かした。メリルは部屋に入っていく。
ワンルームの部屋は、画材道具がところ狭しとおかれていた。
飾られた絵はどれも動物や子供。まるで生きているような繊細なタッチで描かれた絵を見て、メリルは微笑する。
(ロジェは貴婦人を描くのもうまいけど、この子供の絵がいいのよね)
それらを横目にメリルはテーブルについた。ロジェはワイングラスを持ってきてくれる。輝くような薄桃色のロゼワインを注ぎ、メリルは笑った。
「まずは乾杯」
つまみを食べながら、おしゃべりをして二本目のワインを飲んでいる頃、ロジェは酔っぱらいながら、王太子にされた仕打ちを話しだした。
「ガブリエル殿下に呼び出されてさあ。僕の天使ちゃんを描いてほしいって言われたんだよぉ~」
「天使ちゃんって、例の男爵令嬢のこと?」
「そーそー。殿下は男爵令嬢のことを天使ちゃんなんて、キラッキラの笑顔で言ってたんだぜ!」
「婚約者がいるのに、天使ちゃんはないわ。ないわー」
「だよなぁぁー。断れねーから、その天使ちゃんの絵を描いたわけよ。 だがよぉ。天使ちゃんって、あんま教育受けてねーのか。貴族夫人みたいに凛としてポーズ決められないわけ!
デッサンしてーのに、そわそわそわそわしてんだよぉぉおおお!」
「……え? ご令嬢たちみたいに背筋を伸ばしたまま数時間とか無理だったの? 天使ちゃんだから?」
「天使ちゃんが天使ちゃんすぎて、無邪気にキョロキョロするんだよッ! それで、ガブリエル殿下に天使ちゃんが天使ちゃんすぎて絵が進みませんって、やんわり言ったわけよ。
そしたら、 君の腕が悪いだの、仕事しないなら王宮の出入りを禁止にするとか言い出したんだよ!
ぶぁあーーーーかっ! あんたの天使ちゃんが天使ちゃんすぎるせいだってーの!!!」
「最悪ね。殿下は、天使ちゃんがマリー様と同じ振る舞いをできるとでも思ったのかしらねえ」
「んだんだ。あったまにきてさ、天使ちゃんは才能だけで、描いてやったよ」
「……どういうこと? 本人を見ずに描いたの?」
「そうだ。そしたら、本人より美人になっちまった」
「うわぁ」
「……その絵が完成した後に、あの婚約破棄裁判だよ。俺のスポンサーだったマダムが、俺の描いた絵を新聞社に見せてさ!
悪女を美しく描いて、二人の恋を応援した愚かな画家と新聞に書かれたんだ」
「えっ……スポンサーだったのに、裏切ったの……?」
「そうだッ!
ロジェの絵はキレイなんだから、使わないともったいないでしょ?とか、言ってよお。
しれっと俺を売りやがったんだ」
「……きちんと仕事をしたのに、しっぺ返しをくらうなんて、最悪ね。そのスポンサーとはどうなったの?」
「粘着質に色々と言われたけど、永遠に、さよならしてきた」
「そんな人と一緒に仕事したくないものね。うんうん。正解よ。ロジェは頑張ったのね」
メリルがそう言うと、ロジェは照れくさそうに頬を指でかいた。メリルはワインを一気飲みすると、本題を切り出した。
「わたしも同じようなものよ。だから、ねぇ。ロジェ」
メリルはうっとりと微笑んだ。細められたグリーンアイには、怒りの焔が燃えている。
「わたしたちが奪われたものを取り戻してやりましょうよ。あなたのデザインをわたしが生地にするわ」
「……取引する相手はいるのかよ。メリルの所だって、新聞でボロクソに言われたんだろ?」
「まあね。でも、やれることは全部やるわ。このままだと悔しいじゃない」
メリルの言葉に、ロジェはひゅっと息を飲み干した。ロジェの中で、投げやりだった気持ちが変わっていく。そんな彼の変化に気づかずに、メリルはロジェを射ぬくように見た。
「ボネ夫人に手紙を書きたいの。ロジェ、手伝って」
お読みくださってありがとうございます!
明日から、夕方16時に一話ずつ、更新いたします。
どうぞ、よろしくお願いいます。