2. 恥さらしじゃない
別の新聞にメリルは目を通す。
この新聞は痛烈な王政批判が特徴だ。
王太子とカーラ男爵令嬢の卑猥な風刺画が描かれ、どこで聞きつけたのか、メリルや友人たちのことも書かれていた。
――ウェディングドレスの作成を請け負った仕立て屋はアラフォレだ。オーナーは、モニーク・アラフォレという女だ。
ドレスに使われた生地は、ティシュー・アーベルというブランドのもので、都市の北部にある染色工場で作られたもの。
工場長はメリル・ジェーンという女。
モニーク・アラフォレは、マリー公爵令嬢の気持ちを考えず、ガブリエル王太子とカーラ男爵令嬢に協力した愚かな仕立て屋だ。
約300万リベラルをかけたウェディングドレスは、国民の平均年収、三万人分の金と同額。
その莫大な金で、偽花嫁のドレスを作ったのだから、金を汚物に捨てるようなものである。
しかも、ティシュー・アーベルの工場長、メリル・ジェーンはモニーク・アラフォレと懇意にしていたらしい。
友人関係ならば、メリル・ジェーンはモニーク・アラフォレを諭さなかったのか。
進んでドレス作りに協力したのならば、メリル・ジェーンもまた、国家を揺るがす罪に加担したと言えるだろう。
他にもガブリエル王子は、カーラ男爵令嬢のために、肖像画を描かせている。画家の名前は、ロジェ・バーグマン。彼も実に愚かな画家で――
そこまで新聞を読んで、メリルは憤慨した。
「……この新聞は、なにを言っているの? わたしとモニーク、ロジェが国家反逆罪を犯したとでもいいたいの?
王族に依頼されたら、断れるわけないじゃない」
王太子が婚約破棄なんて言い出したばっかりに、なぜ、自分達まで悪いように言われなくてはならないのか。
新聞を皺ができるほど握りしめていると、メリルの父が神妙な顔で言った。
「仕立て屋アラフォレが……潰れたそうだ」
メリルはひゅっと息を飲んだ。
「……モニークは……どうなったのですか……?」
「夜逃げしたらしい。店が酷い有り様でな……」
父の言葉を最後まで聞かずに、メリルは駆け出した。
「メリル!」
兄の呼ぶ声に、メリルは立ち止まる。
「アラフォレが閉店したのは、二日も前のことだ。……メリルが短期留学している間に、店は閉まったんだ。アラフォレに行っても……誰もいない」
兄の言葉を聞いても、メリルは振り返らない。
「……それでも、行ってきます」
メリルはそのまま部屋から出て、コートを着て家を出た。乗り合い馬車を捕まえてお金を払い、モニークの店があった場所へ向かう。
悪路を行く馬車に揺られながら、メリルはモニークのことを考えていた。
モニークはメリルが染色工場の経営者になってからの知り合いだ。
祖父母が始めた工場を、父が受け継ぎ、メリルは二十一歳で工場長となった。
駆け出しの頃、ボネ夫人という資産家の未亡人の紹介で、モニークと一緒に仕事をした。
三年前の話だ。メリルは現在、二十四歳である。
それから毎年、ボネ夫人の依頼で、二人は一緒に仕事をする仲である。
出会ったばかりの頃のモニークは、老舗の仕立て屋に務める針子で、店を持っていなかった。
ボネ夫人から援助を受けて、独立して二年目。
モニークは王太子妃のウェディングドレスを作る一流の仕立て屋となった。
モニークが一流へステップアップしていくのを、羨ましい気持ちでメリルは見ていた。
友人として応援していたが、負けていられないと思ったのも事実。
メリルはここ二ヶ月ほど、叔父がいる国へ短期留学し、異国のデザインを学んでいた。
国が違うと、デザインも違う。
一皮剥けたかったメリルにとって、異国のデザインは目にも鮮やかに映った。
叔父の紹介で、友好国の王子にも挨拶ができ、メリルはよい刺激を受けていた。
――帰ってきたら、また一緒に仕事をしましょう。わたしが作った生地を、モニークがドレスにするの。きっと、素晴らしいものができるわよ!
そんな手紙を書いて、モニークに送った。
――楽しみだわ。帰ってきたら、会おうね!
モニークからも良い返事を手紙でもらっていた。
だから、なおさら。留学先から帰ってきたら、モニークがいないなんて、メリルは信じられなかった。
けれど、実際に店を見て、メリルは呆然とした。
『浮気者の協力者』
『逢い引き店』
『連れ込み小屋』
『恥知らず』『消えろ』
そう書かれた張り紙が空き店舗に、びっしりと貼られていた。どれも乱雑に書かれていて、悪意が文字からにじみでている。
鍵が破壊されていて、扉は開けっ放しになっていた。
キーコ。キーコ。
風が吹くと、少女の悲鳴のような音が、木製のドアから出ていた。
ショーウインドウに使われていたガラスは、割られている。盗人が入ったのか、店内は荒らされていた。
(このガラス……モニークへのプレゼントだったわね……)
自国のガラスでは、ここまで厚手で、透明度はだせない。ガラスは輸入してきたものだ。
商人の父に頼んで破格の値段で卸してもらった。
――お父様に無理いって、いいガラスを手に入れてもらったの! お金は、わたしに出させてね。モニークの出店祝いよ!
ショーウインドウは、メリルのアイディアだった。
お客がくるか不安がるモニークに、大きなガラスを壁にして、洋服を見せちゃえばいいのよ、とアドバイスした。
モニークはメリルのアイディアを素敵ねと褒め、店にガラスが届いた時には、泣いて喜んでくれた。
――私、お店を頑張るわ!
モニークの笑顔で始まったアラフォレは、大盛況だった。
トルソーに着せられた華やかなドレスをガラス越しに見て、店に人が集まった。
王太子妃のウェディングドレスを作ると決まった時、モニークはメリルに依頼し、メリルも期待に答えて、最高級の絹を染色して納品した。
メリルもウェディングドレスの完成を楽しみにしていた一人だった。
それなのに――
メリルは壊れたガラスを見て、悔しくて顔を歪める。
(モニーク……どうして、相談してくれなかったの……)
大変な目にあったのなら、教えてほしかった。
言わないのがモニークの優しさだとしても、メリルはモニークの助けになりたかった。
メリルは込み上げる怒りのままに張り紙を取っていく。
(モニークは恥じさらしじゃない。モニークは一流の針子よ。馬鹿にしないで……!)
ねばついたもので貼られた紙は、なかなか落ちない。それでも、メリルは諦めず店の真向かいにある花屋に向かった。
花屋の主人は、メリルを見て目を泳がせていた。愛想のよい人だったのに、よそよそしい態度をされた。
(この人は、モニークのことを見ていたのかもしれない……)
しかし、聞いたところで、どうなるのだろう。
もう、モニークはいないのだ。
メリルはモニークのことを何も聞かずに、掃除道具をかしてほしいと頭を下げた。
花屋の主人はメリルと目を合わせずに、モップやバケツ、雑巾などをかしてくれた。
「……モニークさんは、夜逃げしたよ……店の針子たちと一緒に、馬車に乗って逃げていくのを見た……」
「えっ……」
「……たぶん、ボネ夫人の馬車だよ。……メリルちゃん」
申し訳なさそうに呟かれた言葉に、メリルの肩から力が抜けていく。
(マダムが助けたのかしら……? マダムの所にいるなら安心だわ……)
「……そうですか。ありがとうございます。お借りします」
メリルは深々と頭を下げた。
(マダムに手紙を出そう……マダムなら、もっと詳しいことを知っているはずだわ)
掃除をしながら、メリルは腹に力を込めた。進む道が決めれば、動くだけだ。
丁寧に掃除をしていると、不意に警官に声をかけられた。
「おい、なにをしてるんだ!」
「掃除をしています」
メリルが警官を見ずに答えると、警官はメリルの肩を鷲掴みした。肩に指が食い込み、鈍い痛みが走る。
強引に掴まれ、腰まであるメリルの髪が乱れた。
「潰れた店を掃除する奴がいるか! 名前を言え!」
メリルは髪を乱しながら、警官を鋭い眼差しで睨んだ。
亡き母譲りのピンクブロンドの髪が、太陽の下で燃えるように輝く。
「メリル・ジェーンです。この店は、友人のものでした」
警官はメリルの名前を聞いて、ぎょっとした。
「友人の店が、泥棒に入られたまま放置されていたので、掃除していました。何か、問題が?」
冷たい声で言うと、警官は声に詰まった。そして、口ごもる警官から、目をそむける。
(どうして、見てみぬをふりをするのよ。これじゃあ、みせしめじゃない……!)
悔しくて、頭が沸騰したんじゃないかというぐらい熱い。
メリルが無言で掃除をしていると、いつの間にか警官はいなくなってしまった。
すっかり張り紙を取り終える頃には、日が暮れていた。
メリルは掃除道具を花屋に返し、また馬車に乗り込む。地平線に沈む太陽を見ながら、メリルは下唇を噛む。
(このままじゃ悔しいわ。……なんとか、しないと)
考えても、焦ってしまう。そうこうしているうちに、メリルにも婚約破棄の余波が襲いかかる。
アラフォレの閉店をきっかけに、メリルの工場で作った生地が売れなくなってしまったのだった。