15.ワルツを踊ってほしかった
ボネ夫人から誕生会の依頼を受けて、二日後、メリルは作業台に頭をのせて、突っ伏していた。
近くの椅子にはロジェが座ったまま放心している。目が点になっていて、ぽかーんとしている。魂が抜けたかのようだ。
作業台の上には、二人が考えた生地のデザイン案が散乱していた。
そこへ、モニークが顔をだす。あちゃあ、という顔をして二人の悲惨な光景を見た。
「デザイン案……決まらないのね……」
メリルは机におでこをつけたまま、モニークの方を見る。ろくに寝ていないので、メリルの目の下にはくっきりと隈ができていた。
「いくつか候補はあるんだけどね……納得できないのよ……」
「……子供たちのデザインじゃいけないの? マダムも気に入っていたじゃない……」
「……そうなんだけどね。このデザインは二色塗りだから、印象は控えめなのよね……」
メリルはこめかみを指で揉みながら、ぼやく。モニークは「いいデザインだけどね……」と、呟いた。
「この生地でドレスを作ったら、映えるのに」
「そう。そこ。ドレス向きなのよ。わたしが悩んでいるのは、カーテンのデザイン」
「カーテン?」
「会場に足を踏み入れた瞬間、目の前に大きな窓が三つあるわ。来賓がまず目にするのは、カーテンよ。そこで、わっと思わせるものを作れたら、わたしたちの勝ち!」
「勝ち……」
「あの美しいカーテンは誰が作ったのですか?とマダムに尋ねる人が出てくるはずよ。そこでモニークの名前を出せば、腰を抜かすはずよ!」
メリルは拳を作り、息巻いた。
モニークはメリルの気持ちがくすぐったくて、はにかむ。
しかし、メリルはまた作業台に突っ伏した。
「あっと思わせるようなものを作りたいのに、アイデアが降りてこないのよ!」
「誕生会かぁ……ドレスは今までに作ったことあるけど……カーテンにできそうなものは……」
モニークも考え込む。メリルも苦悶している。放心していたロジェが「誕生日会……」と呟いた。
「なあ、自分の誕生日って、誰に祝ってほしいと思う?」
「え? それは……家族かしら……?」
「恋人でもいいかも」
「……そうだよな。自分にとって特別な相手だよな……ボネ夫人は誰に祝ってほしいんだろうな……ボネ夫人は一人身だし、学校の子供たちか?」
ロジェの呟きに、メリルが勢いよく体を起こす。ボネ夫人のつけぼくろを思い出し、メリルは声を出した。
「違うわ。……マダムが本当に祝ってほしいのは、亡き旦那様よ……」
「え?……それは、難しいだろ。亡き相手をどうやって……肖像画を描くんじゃ、なんかおかしいし……」
「童話になぞるならどうかしら?」
「童話?」
「マダムはロジェが描いてくれた手紙の絵を気に入ってくれていたわ。――昔を思い出したって愛しげに見つめていた……あの演出をカーテンで再現するのよ」
メリルは確信をもって、言う。
「三つある窓に、違うデザインのカーテンをかけるわ。カーテンで物語を作るのよ」
それは、カーテンは同じデザインで統一するもの、という概念をくつがえすアイディアだった。
*
誕生会の三日前、ボネ夫人はメリルから準備が整ったとの知らせを受けて、ホールに向かった。
今の今まで、メリルたちが何を準備したのか知らない。見に行こうともしなかった。
「あの子たちは、何をしてくれたのかしらね」
プレゼントを楽しみにする子供のように、ボネ夫人は心を弾ませてホールに足を踏み入れた。
ホールの扉が開いた瞬間、ボネ夫人はひゅっと息を飲んだ。笑顔は消え去り、食い入るようにカーテンを見つめた。
「これは……」
ボネ夫人が見たのは、灰かぶり姫という題名の童話をモチーフにしたタペストリーだった。
束ねて窓を飾るものではなく、窓に一枚の布が垂れ下がっていた。
三つのタペストリーには、灰かぶり姫のワンシーンがそれぞれ描かれていた。
右の窓のタペストリーには、家族から虐げられ、灰をかぶった服を着た少女が、魔法の使いのおかげで初めてドレスを着るシーン。
宝石がちりばめられたドレスを着た少女は、まあ、と言いたげな表情だ。
真ん中の窓のタペストリーには、ドレスアップした少女と王子様が優雅にワルツを踊るシーンが描かれている。
少女はうっとりとした表情で、王子様は少女を愛しげに見ていた。
左の窓のタペストリーには、童話のクライマックス。
魔法がとけて、元の灰がかぶった服を着た少女に、王子様がガラスの靴を差し出している。
元の姿に戻っても少女を探して、王子様が少女に求婚している姿が描かれていた。
タペストリーに使われた生地は、透ける素材。日の光を浴びたタペストリーは、きらきらと輝き、ステンドグラスを見ているような美しさがあった。
ボネ夫人はしばし言葉を失い、タペストリーに魅入っていた。
夫人の視界に入らないよう、ドアの近くで控えていたメリルが、そっと前に出る。
ボネ夫人はメリルを見ずに、声を出した。
「見事なタペストリーだわ」
「ありがとうございます」
「灰かぶり姫を選んだのは、なぜかしら……?」
ボネ夫人は扇子を広げ、口元をかくし、射ぬくような眼差しでメリルを見た。メリルは目を細め、微笑みながら言う。
「昔、マダムが話してくださったボネ侯爵の話からです。おふたりの関係は、灰かぶり姫の物語のようだと感じました――」
――メリルがボネ夫人から亡き夫の話を聞いたのは、お酒の席だった。
ボネ夫人は酔っぱらいながら「私ね。家族に疎まれて、夫に買われて結婚したのよ」と、語っていた。
ボネ夫人は伯爵家の出自だ。しかし、生まれながら、顔に醜い痣があることから、家族に疎まれ、使用人として扱われていた。
傷を隠すために、頭からベールを被っていた。
妹たちの付き添いで、夜会に参加した時、外で待っていたボネ夫人は暴漢に襲われそうになった。
ボネ夫人は恐ろしくなり、無我夢中でベールをとって、顔を男に見せた。
――おまえは、こんな顔をした女でいいのか!
男はひぇっと叫び、ボネ夫人から逃げていった。
ボネ夫人は一難去ったことに、安堵したが、惨めだった。顔をベールで覆い泣く夫人に杖をついて、声をかけた人がいた。
――ずいぶん、威勢のよいお嬢さんだ。不届きものが尻尾巻いて逃げ出す顔を私に見せてくれないか?
ボネ夫人に声をかけたのが、亡き夫であった。ボネ侯爵は、夫人よりも四十歳も年上。戦で足をケガした陸軍将校だった。
ボネ侯爵は夫人の顔を見ても驚かず「チャーミングな顔」だねと言って微笑んだ。
そして、ボネ夫人の境遇を知るやいなや、夫人に結婚を申し込んできた。親から夫人を買い取る、という形で。
ボネ夫人は、なぜ自分のような醜い顔の女を見初めたのか分からなかった。ボネ侯爵は、初婚だったからだ。
――戦ばかりしていて、私はもう長くはない身なんだ。最後の瞬間は、君のようなチャーミングな人と過ごしたいんだよ。
侯爵は朗らかに笑っていたが、ボネ夫人は首をひねるばかりだ。でも、ボネ夫人は家から出たい一心で、結婚を受け入れた。
夫との生活は、穏やかだった。
寒さに震えることも、罵りを聞くこともない。
侯爵は、優しい目でボネ夫人によりそい、彼女に知識を与えた。
侯爵夫人としての振るまいかたを教えられ、ボネ夫人は、今の公妾や宰相との縁を作れた。
ボネ夫人は戸惑いながらも、侯爵を敬愛して、彼の足の不自由さを介助しつづけた。
ふたりは同じ歩みで、ゆったりと時を過ごした。
ボネ夫人は懸命に学んだが、顔の痣は消えない。こんな顔では、社交はできないだろうと思っていた。
そんなボネ夫人に侯爵は、灰かぶり姫の話になぞって、こんなことを言った。
――君は灰かぶり姫みたいにドレスを着ても、嬉しそうじゃないね。じゃあ、とっておきの魔法をかけてあげようか。
侯爵はボネ夫人の顔につけぼくろを付けた。つけぼくろは当時、流行っていたお化粧だ。
ボネ侯爵は、夫人の顔を見て「ほら、君の顔がうんとチャーミングになったね」と、穏やかに微笑んだ。
――君は人一倍、自分に厳しい。それは、美徳だけど、私は君の笑顔が見たいよ。
侯爵の笑顔を見て、ボネ夫人はすんと鼻をすすりがら、初めて夫の前で口角を持ち上げた。
以来、夫人は今に至るまで、つけぼくろを人前で外していない。
――あの人はね。私にとって、魔法使いで、王子様だった。……あの人、足が悪かったから……灰かぶり姫のように、一緒にワルツを踊れなかったのが、心残りね。
そんな風に、ボネ夫人は夫との思い出を語っていた。メリルはそれを思い出して、カーテンを作ったのだった。
「誕生会に、マダムにもワルツを踊ってほしかったのです。お相手は、ボネ侯爵がよいだろうと考えました」
「……そう。だから、少し私たちに似ているのかしら? 私、こんなに美人だったかしら?」
くすくす笑うボネ夫人に、メリルは大きく頷く。
ロジェに下絵を描いてもらったが、ボネ夫人と侯爵の肖像画を見て、本人に似せて描いた。
「マダムは優しくて、厳しくて。チャーミングな方です」
ボネ夫人はタペストリーを見つめ、震える唇をそっと扇子で隠した。
「……そう……私は、あの人と一緒にワルツを踊っているのね……ありがとう、メリル……」




