1. 婚約破棄しよう
父、兄が神妙な顔をしている中、メリル・ジェーンは怒っていた。
三人は丸いテーブルに置かれた新聞を見ている。新聞の見出しは目を疑うものだった。
――ガブリエル王太子が陛下の前で宣言!
「僕はカーラと真実の愛を育んでいます。マリー公爵令嬢との婚約を破棄し、カーラとの結婚を認めてください」
前々から良い噂を聞かない王太子が、とうとうやらかした。
あろうことか婚約者に着せるウェディングドレスを裏で仕立て直し、別の女性に着せて、国王の前に現れたのだ。
その日は、ウェディングドレスの御披露目を兼ねた王家と公爵家の懇親の席であった。
呼ばれていたのは、国王と公爵と、宰相と、ふたりの婚約式をした枢機卿と護衛のみ。他の貴族はいない。王太子の妹、ルイーズ姫の姿もなかった。
あと二ヶ月経てば、王太子とマリー公爵令嬢は結婚する。
一人娘の結婚を感慨深く思っていた公爵は、王太子の一言に絶句した。
公爵ばかりではない。宰相や枢機卿もポカンとしている。
水を打ったように静まり返る会場で、王太子はカーラを笑顔で紹介した。
カーラが身につけたドレスは、マリー公爵令嬢が着るはずだったウェディングドレス。
背丈が違うのに、仕立て屋の腕がよかったのだろう。継ぎ足された布の効果で、より豪華なドレスとなってしまっていた。
――婚約者であるマリー様より、私の方が似合うでしょ?
カーラは胸を張って、笑みを浮かべていた。
カーラは王太子とマリー公爵令嬢が、外遊旅行にでかけた時に拾った異国の家出娘。
外遊旅行は、長い戦争が終わり、これから国を支える二人が見聞を広められるようにと計画されたものだが、それが裏目に出た。
親の目がない間に、王太子はマリー公爵令嬢に公務を押しつけ、遊び呆けていた。
王太子は父親と同じで、政務よりも女性が好きであったのだ。
王太子がカーラを気に入り、無理やりマリー公爵令嬢の侍女にした。マリー公爵令嬢の付き人となったが、カーラは王太子に引っ付いてばかりで、何もしない。
帰国後は、王太子が国王に頼んで、書類上は男爵家の養女となった。
二年間、羽を伸ばした王太子だったが、帰国後、婚姻の準備を素直にしているように見えた。
いくら女性好きでも、次期、王になる人だ。
火遊びはしても、婚約者と結婚するだろう。
誰もが、そう思っていた。
婚約破棄など、予想外だ。
「真実の愛とは、どういうことかな?」
国王がゆったりとした声で尋ねた。
「僕はカーラに惹かれ、彼女をこの腕に抱きました。彼女の体には、僕の子供がいる可能性があります」
王太子はなんと、不貞行為をしたと暴露した。
宰相は天を仰ぎ、公爵は額に青筋を立てた。
その時、騒ぎを聞かされたマリー公爵令嬢が部屋に入ってきた。
来るはずの針子が来なくて、待ちぼうけをしていたマリー公爵令嬢は、王太子とカーラの姿を見て、言葉を失う。
父親のロワール公がマリー公爵令嬢のそばに寄って、沈痛な顔をした。
マリー公爵令嬢は父親が近づいても、呆然と王太子を見ている。言葉が出てこないのだ。
王太子はマリー公爵令嬢の姿を一目見るだけで、声をかけない。マリー公爵令嬢を無視して話を進めた。
「今のままでは、彼女との間にできた子は、王族としては認められず庶子になります。そんな事になっては、可哀想だ。カーラとの婚姻を認めてください」
見て見ぬふりをしてきた国王は、よわったなぁと呑気に微笑んだ。
長男、次男を流行り病で亡くし、残るのは、末王子のみだった。王位継承権が男性しかないこの国では、考えが足りぬ王子でも、国王になれてしまう。
亡き王妃に溺愛された王子だったので、王太子は甘やかされて育っていた。
王妃は王子が尻餅をついただけで、従者を処刑するような人だったのだ。
血の雨を降らせる王妃の苛烈さは、国王や貴族、市民を震え上がらせた。
国王は王妃亡き後、恐怖から解放されたかのように色事にのめり込んだ。
いや、王妃が存命中も、色事が好きな王で、性豪だった。
今も尚、ベッドの上では、思春期のような体力がある。誠に残念なことであるが、国王の頭の中には、おっぱいのことしかない。美男子なので、たちの悪い女たらしである。
国王は寵姫を離宮に住まわせ、夜に愛でたり、娼館に通いつめたりしている。寵姫が娼館の経営に口をだし、国王が心ゆくまで、満足させた。
国王は、賢く、胸の大きな寵姫を愛した。
国王の寵を妬んだ貴族に寵姫が、毒殺されそうになった時は、王は怒り狂い寵姫に権限を与えた。
寵姫の一声で、警察の介入なく、貴族を監獄送りにできるというものだ。
裁判は開かれずに、王がイエスと言えば、即監獄。
今は王妃がいないので、寵姫は王の次に権力があった。
寵姫は、王の愛人。公妾と呼ばれている。
王太子は、公妾の存在が嫌いであった。
「父上は、母上を嫌っていました。母上も同じです。
そんな愛のない結婚は、僕はしたくありません。僕は神の教え通り、真実の愛に身を捧げ、生涯、彼女への愛を貫きたいです。
僕はカーラを公妾にしたくはありません」
王太子は宗教上、厳守しなければならない一夫一妻制を無視して、父が浮気していたのが気に入らなかったのだ。
だからと言って、婚約者をほっぽりだして、自分も浮気していい道理にはならないのだが。
王子は「父上は、ずるい、卑怯だ」と繰り返した。
「ずるいと言われてもね……」
煮え切らない国王に、王太子は不満げだ。口を挟んだのは、宰相であった。
「マリー公爵令嬢は、聖女様の血を引くお方。ロワール公も、先の戦争の英雄です。この婚約は会議で決められたもの。陛下も承認しております」
「それが、どうした?」
王太子は宰相の言葉を一蹴した。
「僕が言いたいのは、愛のない結婚がしたくないということだけだ」
宰相は「そういうことではない」と、心の中で叫びたかった。
なぜなら、マリー公爵令嬢は国民から人気があったのだ。
戦場には立たないが、聖女のような人と、言われていた。
――わたくしは銃を撃てませんが、それでも、できることはあると思うのです。
マリー公爵令嬢は最前で戦う父や、フォローする亡き母の姿を見て、自分も戦争孤児や、戦争で傷ついた人の助けになりたいと願った。
医療や教育、争いで四肢が不自由になった人への職業指南などに積極的に携わっていた。
「マリー様が王妃様になれば、国がよくなるねえ」と言われていた。
ハッキリ言ってしまえば、マリー公爵令嬢の人気で国民から王家への支持を得られている状況であった。
人気だけを計るのであれば、末姫ルイーズの方が、王太子よりある。
戦争が終わったばかりで、国庫は空っぽに近い。疲弊した国を立て直したい宰相は、真実の愛なんぞより、マリー公爵令嬢を国母にする方が大事である。
宰相は男爵令嬢では身分が釣り合わないと諭しにかかったが、王子は首をひねるばかりだ。
「それは法で定められたものではないだろう? 神は清らかな結婚をせよ、と言っている」
王太子の一言に枢機卿は感激したように頷いた。
「ガブリエル殿下のおっしゃることは一理あります」
宰相は顔をひきつらせた。黙れタヌキじじいと言いたいが、ぐっと堪える。
王太子はマリー公爵令嬢のそばに近づくと、にっこりと微笑んだ。
「賢いマリーなら、僕の気持ちをわかってくれるよね? 婚約破棄しよう」
爽やかに無責任なことを言われ、マリー公爵令嬢は小声で言った。
「わたくしには、殿下の気持ちがわかりません……わかり……ません……」
マリー公爵令嬢が声を震わせて言うと、王子は目を開いた。
沈黙を貫いていたロワール公は、ついに激怒した。
「殿下のお気持ちは分かりました。これは、今まで忠義を尽くした我がロワール公爵家を切り捨てるということでございますね。失礼する!」
娘を連れて、義足でありながら颯爽と歩きだしたロワール公に、宰相はひぇっと青ざめた。
戦場の英雄が、このまま黙っているわけはない。最悪、兵を挙げて、城に攻めこむことも考えられる。
そうしたら、王家VS公爵家で、国が真っ二つに割れて、内乱だ。今、国内で争ったら、弱った隙を狙って、他国に攻め込まれる可能性がある。
先の戦争でも、停戦条約は結ばれているが、一方的に破棄される歴史を繰り返していた。
宰相は蒼白して、法廷で決めましょう!と叫んだ。
「この場で、全てを決めることはできません。神の身許で、公平に裁判をいたしましょう」
その一言に、ロワール公は足を止めた。
「どうして、裁判するの?」
カーラは不思議そうにしていたが、あっさり無視された。宮廷医師が呼ばれて、カーラの体を検査したが、懐妊はしていなかった。しかし、乙女ではないことは証明された。
医師の結果をうけて、王と公爵の間で、婚約破棄をめぐり裁判することが決まった。
マリー公爵令嬢は心労のあまり、臥せってしまった。
王家と公爵家の対立が生まれたことにより、それぞれの派閥に入っていた二組の婚約が破談となった。そのひとりは、全て見聞きしていた護衛の息子だった。
という事実が淡々と書かれた新聞を見て、一般市民は嘆いた。
――駄目だ……この国、終わった……
――ルイーズ殿下を女王にした方がいいんじゃないか?
――マリー様……おかわいそうに……
メリルも同じ気持ちだ。
もしも、自分が巻き込まれていなければ、ワインをぐびぐび飲みながら、こんな風に毒づいたことだろう。
(これは王子が全面的に悪いでしょう。
パパが愛のない結婚したから、ぼくちゃん、浮気しました、ですって? ふざけているの?
婚約者に愛情の欠片もなかったってことじゃない。
婚約したんだから、マリー様を大事にしなさいって。
神様は真実の愛を~とか、さも自分が正しい風に言っているけど、あなた、パパと同じで浮気したんでしょ? 最低ね。
しかも、結婚、二ヶ月前になって、今さら破談したいとか、はぁぁああ?よ。なめてんのかしら。同情の余地のない屑ね)
王族のお家騒動など、一般市民のメリルにとって、雲の上の話。
せいぜい、酒のつまみに不満を口にするだけで、自分ではどうにもできないものと思っていた。
だが、この婚約破棄騒動、メリルにとって他人事ではなかった。
メリルの名前が新聞に載っていたからだった。