黒髪の男性
話し合いが終わった後、私は考える時間が欲しくて湖に向かうことにした。
一旦落ち着くために着替えることにした。
今日は流石に皇太子殿下と湖では出会わないだろうと、いつもよりはシンプルなドレスと、メイク直しは薄めにしてもらった。
馬で10分程度の距離(歩くと遠いけど)だから、私はお茶の時間をそこで過ごすために、いつものようにタンブラー2本と、パウンドケーキとサンドイッチを詰めてもらった。
遠乗りをした馬は疲れているので、いつもとは違う馬で湖に向かった。
いつものように湖が見渡せる場所に来ると、シートを広げて、日焼けをしないためにマントを羽織った。
湖を眺めながら、騎士として何が足りなかったのか、どうする事が最善策なのかを考えていた。
すると、また誰かがゆっくりと近づいてくる気配と共に、あの犬が飛び出してきた!
そして、前回同様、ランチボックスの周りを尻尾を振りながらウロウロとしている。
ランチボックスの中を確認すると、サンドイッチは今日も蒸し鶏だった。
「相変わらず可愛いわね、伏せ」
犬が伏せをしたので、蒸し鶏をあげた。
ちょうどその時、あの黒髪の男性が草むらから歩いて出てきた。
「この前のお嬢様だ。いつもうちの犬に優しくしてくれてありがとう」
私が前回と同じマントを着てフードを被っているから分かったのだろう。
今日の犬はブラッシングもされており、綺麗だった。
「洗ってもらったの?いい子にできたかしら?」
「今回は暴れなかったよ。なんとか洗わせて貰えたよ」
男性は私の向かいに少し離れて座り、クスクス思い出し笑いをしながら教えてくれた。
相変わらず長い髪でメガネをかけた目元が隠れて見えない。
真っ黒な髪は光に当たって、オニキスのように光り輝いた。
「…何か悩みでも?」
男性が質問をしてきた。
「ええちょっと。実は無謀な行動をとる方がいるの。だから『自分を大切にするために護衛をつけてほしい』ってお願いしたいんだけど。ただ、私は当事者ではないからどうしようも出来ないの。そんな時はどうしたらいいと思う?」
皇太子殿下が一人でフラフラと出歩いたり、護衛を減らして生活している事が問題なのだ。
皇太子殿下は国民にとって大切な人だから、そこを自覚してもらわないといけない。
「そうだね。それは…君が護衛もつけずに出歩いている事を指しているの?」
私は自分の事を言われて慌てた。
「違うわ!私の護衛は近くにいるわ」
本当はいないけど…。
「君の保護者は、君が一人で出歩く事をどう思っているの?」
男性は私の顔を覗き込むように聞いてきたので、顔が見えないように更に下を向いてフードを引っ張った。
「私の保護者(ビアンカ様?)は、私が田舎育ちで(騎士としての実力があるから)心配していないわ。荘園からここまで近いしね」
「わかった。では、私ができる事をするよ。君は危なっかしい」
焼き魚の件で怒られているのかな。
「君が危険な事をやめるまで僕はそばにいるよ」
男性の優しい声の中に、決意が感じられて私は申し訳なく思った。
「ありがとう。そんなに貴方に心配をかけるなら、なるべく森へは来ないわ」
男性が私の周りにいたら計画は遂行できない。
「じゃあどうするつもり?」
「どうするのかしら…」
どうすれば皇太子殿下に近づけるかもう一度考えないと…。
「例えば…一人で街を歩くとか?」
黙っている私に男性は質問をしてきた。
「そんな事もあるかもしれないわ」
任務となればそれも行うだろう。
「君に危険な事はさせないから。今後は必ず。」
どうするつもりなのかしら?もしかしたら自分の雇い主に私の事を話すつもりなのかもしれない。
「今日はもう帰った方がいい。雲行きが怪しいから強風が吹くとここは危険だ」
空を見上げると確かに雲が出てきていた。
「わかったわ。貴方に従ってすぐに帰るわ。」
私は立ち上がって、座っていたシートを片付けようとすると、風でひらりと飛ばされそうになった。
シートを追いかけたが、シートは運悪く湖に落ちてしまった。
「あれは僕が拾っておくから、早く帰ったほうがいいよ」
「ありがとう。お言葉に甘えるわ」
木に繋いでいた馬の所に行き、縄を解いた。
そして馬に乗ろうとしたけど、いつもの馬と違って落ち着きがないためタイミングが合わずに転びそうになった。
その拍子にフードが捲れて顔が露わになってしまった。
顔がバレちゃう!
バランスを崩して転びそうになった事より、顔を見られたことに動揺して受身を取れなかった。
派手には転ばない…けど…まだ馬は動こうとしている!
咄嗟に男性は左腕で私を抱き止めて、指笛を吹くと、馬は動きを止めた。
後ろから抱きしめられるような形で抱き止められたため、薄いシャツ一枚の男性の胸板が一瞬当たった。
おっとりした話し方にも関わらず、素早い動きで私を抱き止めた。その腕は筋肉質で逞しい。
…それに、見かけよりも随分と安定感がある。
「ほら。君は危なっかしいな」
男性は尚もゆったりした口調で私を論した。
腕の体温が私の体よりも心なしか熱くて、腕が当たっている部分が熱くなっていく気がした。
それに伴って鼓動も早くなっていく気がする。
恥ずかしさを隠すために反論しようと体を反転させると、目の前に、猫背気味で立つ男性の形のいい唇と顎があった。
思ったより近くて、びっくりして男性の腕をのがれ一歩下がった。
男性も驚いたようで、後退りした。
「ごめんなさい」
私は恥ずかしくて謝ると、男性は笑った。
目の前にあった唇と顎を見て、心臓が爆発しそうになっている。
「君の素顔を見れてよかったよ。君の瞳はアクアマリン色で綺麗だね」
私はどうしていいかわからない。
ただでさえ早い心臓が抑えきれなくなって爆発してしまうかも…。
私は何も答えられなかった。
男性はそう言った後、私が馬に乗るのを手伝ってくれて、見送ってくれた。
私は何も答えずに男性に手を振った。
帰り道、男性に抱き止められた所が熱くて鼓動が収まらないのと、森へはもう来ないと決意した事と、先ほどの男性が雇い主(前回の考察から考えるに多分エンリケ公爵様)に私の事を話すであろう事と、今後はどうやって皇太子殿下に近づこうか考えようとして頭がぐちゃぐちゃになった。
荘園に戻って、男性と出会った事と、多分エンリケ公爵様に私が森で一人でいる事を報告されると説明した。
「そうですか。エンリケ公爵に報告されるとなると、シェリルはもう森へは行けませんね。あの方、女性の一人歩きとか一切認めない方だから」
ビアンカ様はため息をついた。




