いよいよ任務が始まります
帰りの馬車の中でオリアーナが、
「騎士団の試験の時、『婚約者はいますか?』と聞かれたでしょ?あれは任務で誰かにお近づきにならないといけない事があるから婚約者が居てはトラブルの元なのよ。だから、諸先輩方は恋愛結婚なの」
と教えてくれた。
「…実は疑問に思っていたんですけど。過去の広域課だった方々は、高位貴族と婚約していたのに、この課に配属になったのかと思いました。それって身分を偽っての活動は難しいですよね。だから恋愛結婚なんですか」
と先ほどの話を聞いて思った事を口にした。
「そう。貴方もこの任務が上手くいけば、また次の名前と身分が与えられるから、次々とお近づきになる対象が変わっていくわ。相手が女性だったり、子供だったり様々よ」
皇太子殿下にお近づきになるだけが任務ではないと聞いて、すごく楽しみになってきた。
「他に広域課の方はいるんですか?」
「ええ。広域課は20名いるらしいけど、私も他の広域課の方の事を知らないの。お互いに顔を知っていると、いらぬリスクが発生するからという事らしいわ」
確かに広域課はいわばスパイ活動だものね。
「他国に行く事もあるんですか?」
「ええ。でもそれは命の危険が伴うから、私は他国に派遣されたことはないわ」
カッコいい!騎士団の制服は着ないけど、この任務は誰にでも出来るわけではないんだ。
自分の置かれている状況が理解出来てきて、やる気が出てきた。
そこから『シェリル』と呼ばれてもちゃんと返事が出来るように頑張った。
そして、1週間後、滞在先が変わると言われて、馬車に乗せられた。
「シェリル、いよいよ実戦に移ります。今日からシモンズ侯爵家の別荘に移ります。
貴方はシモンズ侯爵家に行儀見習いとしてやってきた、グラファント夫人の遠縁の娘です」
ビアンカ様の言葉に少し混乱した。
つまり、私の立場はグラファント夫人の遠縁の娘。
よし。覚えた。
「あなたは、別荘で、一人暇な時間を持て余しているご令嬢を演じてもらいます」
「わかりました」
それが実践ってどういう事だろう?
私はビアンカ様の次の言葉を待った。
「シモンズ侯爵家の荘園の奥にある森は一部国有林で、境界線が曖昧です。そしてこの森沿いに複数の貴族が別荘を持っています。当然ですが、王家もです」
ビアンカ様の言葉に、
「森は誰のものでもないので、土地が隣接している貴族は出入り自由なのですよ」
と、グラファント夫人が補足してくれた。
「皇太子殿下は本日まで友好国へ外遊に出られていますが、明日からは休暇で別荘に滞在されます。そこで偶然を装って出会ってください」
偶然を装って?なんとか頑張らないと……。
「わかりました。期間はどれくらいですか?」
「皇太子殿下は二週間の滞在予定ですから、頑張ってくださいね!広大な敷地で偶然出会うのは結構至難のワザですけど、騎士の訓練の時、敵の気配を探る訓練をしてたから大丈夫よね?」
グラファント夫人がそう言って笑った。
大丈夫かな……?
休憩を挟みながら、夕方シモンズ侯爵家の別荘にたどり着いた。
そこは広大な牧草地帯で、羊がのんびりと草を食んでいた。
羊の脱走防止用の低い石垣の間を抜け、鉄で出来た門を馬車が通過するがまだ建物は見えない。
門の内側もまだまだ牧草地帯が続き、牧草地帯が終わると、少しずつ木が増えてきた。
そして、大きな荘園が見えてきた!荘園の奥には森が見える。
「我が家の使用人達も騙し通さないといけませんよ?こんな田舎では、すぐに噂になりますからね」
ビアンカ様の言葉に、私はシェリルとして練習した笑顔を見せた。
「オリアーナの顔は皇太子殿下に知られていますから、オリアーナは森には同行できませんから頑張ってくださいね」
グラファント夫人の言葉に私はゆっくりと、にこやかに頷いた。
到着した日は、夕食を食べるとすぐに部屋で休んだが、次の日からなんとかして皇太子殿下に出会うという任務が始まった。
朝起きると、シャンパンゴールドの髪を編み込んでもらい、オレンジ色の可愛らしいドレスを着てウエッジソール のヒールを履き、小さなバスケットにサンドイッチと、紅茶の入ったタンブラー、そして詩集を入れてもらった。
それを持って馬に乗るが、問題はここからだ。
通常、お嬢様が馬に乗る時は男性のように馬には跨らず、横座りで座る。
そして足を揃えたまま、上半身だけ前を向いて手綱を握るが、不安定なので馬にはゆっくり歩いてもらう。
これが、苦手なのだ。
アンネッテなら、乗馬用のズボンを履き、馬に跨ってすごいスピードで駆けていくが、今の私はシェリル。
可愛いドレスを汚さないように、ゆっくりと馬に腰掛けて王家の別荘地との境界線である湖へと向かった。
馬に腰掛けて新緑の森をゆっくりと進む。
途中、遠くに鹿の姿が見えた。
どこかから、鳥の歌声が聞こえる。
この道で思う存分馬を走らせたら楽しいだろうなぁ……。できないけど。
湖のほとりに出ると、私は馬を降りようとした。
が。
周りに誰もいない時の馬の乗り降りを習っていなかった!
レディのマナーってどうしたらいいのかな?
このまま飛び降りたらダメよね?
しばらく馬に乗ったまま考えたが結論が出ないので、周囲に人がいないか見回してから、私はそのまま飛び降りた。
しかし、スカートでの乗馬をしたことがない私は、飛び降りたというか、ずり落ちた形になってしまい、スカートの裾が鞍に引っ掛かり、スカートが捲れた状態で降りてしまった。
その上、馬が動き出した!
「ちょっと!今は止まってて!」
馬は私の言葉を聞かずに、水を飲むために湖の方に移動していく。
「ねぇ!止まって」
そう言いながらスカートを引っ張ると、ピリッと言う破れた音と共に、鞍からスカートが外れた。
私は破れたであろう裾を手に取り、どこが破れたか確認する。
入念に確認したが、裾はどこも破れていなかった。
ホッと一息ついて、我にかえると、スカートの裾を捲り上げている状態に気がついた!
もう一度周りを確認する。
誰もいない!
よかったー。
私は胸を撫で下ろして、馬を木に括り、バスケットから詩集を出し、ブランケットを地面に敷くと、その上に座って詩集を開いた。
詩集は読まずに、読むふりをしながら周囲を探った。
時折、周囲を歩き回ったりしたが、この日は近くには誰もいなかった。
日も暮れ始めたので、帰る事にして、次の難題、どうやって馬に乗るかを考えた。
鎧に足をかけて乗ろうとすると、どうしても跨ってしまう。
何度やろうとしても横乗りにはなれない。
鞍に両手をついて高い台に登るようにして乗ろうとしたけど、やはりスカートが邪魔で思うようにできない。
そういえば出かける時は踏み台から鞍に乗ったことを思い出して、踏み台代わりになるものを探したけど見つからない。
この日は諦めて、馬を引いて帰ることにした。
来る時は、馬で10分の距離は気にならなかったけど、馬を引いて帰るとなると地味に遠かった。
歩くのがちょっと辛い。
舗装されていない道をウエッジソール で歩くと靴擦れはできるし、大股で歩かないように気をつけないといけないし。
日中は何もしていないから元気が有り余っているのがせめてもの救いだった。
帰ってから、靴擦れの手当てをしてもらい、馬の乗り降りを練習するハメになった。
「シェリル様は、何度練習しても優雅乗り降り出来ませんね。颯爽と乗り降りすると可愛らしさのカケラも感じられませんしね」
オリアーナの言葉で、次の日の早朝、私が馬を乗り降りする場所に足場を作ってもらった。




