全然知らなかった事
その時だった。
「アンネッテを指導したのは私です」
そう言って入ってきた女性がいた。
声の方を見ると、グラファント夫人が立っていた。
ビアンカ様はグラファント夫人を見ると驚いた顔をした。
「お姉様がアンネッテ嬢のマナー講師でしたの?」
「ええ。昨年、皇太子妃候補の警護ができるようにマナーを仕込んで欲しいと言われたので、騎士としての護衛のマナーと、変装して護衛する目立たず気配りができるようなマナー、その二つの勉強をしました」
2人が姉妹である事に驚いた。しかもその会話から、私の座学の授業が要人警護の任務ありきで進んでいた事を初めて知った。
確かに昨年1年間はマナーの勉強が中心だった。
「確かに始めはそのつもりでしたわ。
ボディーガード役のカップルには、皇太子妃候補と皇太子殿下2人と友人になってもらい、2人は警護されていることに気がつかれずに過ごしてもらう。
または、初めから皇太子妃候補に張り付いて警護できる制服組の女性護衛官を期待していました。」
ビアンカ様の言葉にまたびっくりしてしまい、私は目眩がしてきた。
この話だと、私は誰かとカップルを演じながら皇太子殿下とその未来の奥様の友人になり、友達として常に側にいる事により結果的に警護する。
または、近衛兵のように制服を着て、要人警護のスペシャリストとして側にいるかの2択の予定だったと。
まだ制服を着ての警護はいいけど、誰かとカップルを演じながらの警護は難易度が高いから、そうならなくてよかった……。
でも、このプランなら、皇太子妃候補の方とお友達になればよかったから、その方が今の状況よりはマシなのかな?
「もしかして…入団試験の時の濃いメイクは要人警護に採用された時、私の素性や本当の顔を隠すための濃いメイクだったのですか?」
私の質問に、
「そうですわ。アンネッテは人に素顔を知られていない、貴重な諜報員ですからね」
とグラファント夫人が答えた。
「……そもそもこんな事になったのは、妃候補がことごとく、私達の仕掛けるトラップに引っかかって脱落していって、誰も残らなかったからなのです。
本当に予想外だったわ。
……皆、見目麗しい男性の誘いにことごとく乗ってしまいましたからね……。
『妃候補』の時点で、ぼっちゃまに忠誠を誓っていただかないと……。」
ビアンカ様は残念そうにそう言った。
「次の婚約者候補が見つかるまでは、アンネッテは自力で皇太子殿下にお近づきにならないといけないわけね?」
グラファント夫人がため息を吐きながら私を見た。
「そうよ。その路線変更については、副総長にお伝えしたはずです!」
ビアンカ様は語気を強めて副総長を見ると、副総長は聞いてないふりをするために書類に集中しているフリをしていた。
そんな様子にビアンカ様はイライラしたようで、勢いよく私を見た。
私はこのいたたまれない空気を何とかしようと、また作り笑いを浮かべた。
「アンネッテ嬢あらためシェリル嬢、笑って誤魔化しても無駄よ。こうなったら、皇太子殿下が恋するような乙女になりきってもらいますからね!」
グラファント夫人が私の右腕を掴んだ。
逃げられない!
「では始めますよ。副総長、邪魔ですからお帰りください。とりあえず、2週間で可愛らしい乙女に仕上げてみせますからね」
ビアンカ様は満面の笑みを浮かべて副総長を見た。
「路線変更の伝言を受け取ってなかったので、今からアンネッテあらためシェリルには任務内容や守秘義務もみっちり叩き込まなくてはね。だから、副総長は早く任務にお戻りなさい」
グラファント夫人が、畳み掛けるように副総長に向かって言った。
それを聞いて、副総長は罰が悪そうな顔をした後、
「では、よろしくお願いいたします」
と言って応接セットの外へと向かったが、出口のあたりで振り返ってオリアーナにも外に出るように促した。
副総長は気を利かせての発言だったようだが、それは火に油を注ぐ言葉だったようでビアンカ様の顔から表情が消えた。
「オリアーナは残りなさい。シェリル嬢に可愛らしい乙女になっていただくにあたり、オリアーナの役割も多少路線変更が必要です。時間はあまりありませんしね。そもそも、こちらの意向をちゃんと伝えてなかった副総長の責任ですからね」
ビアンカ様の静かな怒りに副総長はそそくさと逃げていった。
私も逃げたいけど、逃げられるはずもなく…。
私は応接セットに座らされた。後ろにはオリアーナが控えている。
「では、シェリル嬢。今から立ち居振る舞いのレッスンを始めます。私は皇太子殿下の乳母をしておりましたビアンカと申します。皇太子殿下からは『ばあや』と呼ばれております。」
そしてにっこり笑うと、
「ただし、私が『ばあや』だったのは皇太子殿下が20歳まで。そこで王室のお仕事は定年になりました。今は、迎賓館の総責任者です」
そう言いながら私の前に写真や雑誌、新聞を置いた。
新聞や雑誌は皇太子殿下の記事で、ほとんどが写真付きの記事だ。
私はレオン様のせいで異性に興味が持てない。
ましてや顔がいい人なんて、きっと性格が悪いに決まっている。
だってレオン様がそうだだから……。
だから顔がいい皇太子殿下もそうに決まっていると思って、雑誌や新聞の記事をちゃんと見た事が無かった。
私は目の前に置かれた週刊誌を手に取った。
週刊誌や新聞に写る公務中の写真と共に皇太子殿下の事が書かれている。
女性用のファッション誌などは、『麗しき皇太子殿下』という特集記事が載っており、沢山の写真が掲載されていた。
どの写真の皇太子殿下も、ハチミツ色の艶やかな金髪をオールバックにしており、意志の強そうな大きなサファイアのような瞳が印象的だ。
笑顔の写真は、その瞳が柔らかく垂れ目気味になっており、凛とした表情とは打って変わって愛らしい。
雑誌を一通り見た後は写真を手渡された。
プライベートな写真では髪をセットせずにぐしゃぐしゃにして、友人達と楽しそうに写っている。
セーリングをしていたり、馬に乗っていたり。
プライベートな写真でも、背筋をスッと伸ばして凛とした佇まいは崩していない。
その中の数枚のプライベートな写真にはユーベル副団長も写っていた。この方は、皇太子殿下の友人だからこそ、警備の手薄さを心配したんだ…。
皇太子殿下の友人達も全員整った顔をしている……。
今まで、客観的に見て、レオン様の事をかっこいい人だと思ってきた。
しかし、この写真を見ると、レオン様は大した事ない。
冷静に考えると、大した事ないレオン様の気を引くことが出来なかったのに、こんなに人気のある方の気を引く事なんて到底無理だと思えてきて、写真を見ているだけなのに落ち込んできた…。
私が項垂れている横では、ビアンカ様とグラファント夫人が楽しそうに雑誌や新聞の皇太子殿下を見て談笑している。
「ぼっちゃまの好みは、媚びを売ってこない可愛げのある女性よ。アンネッテ嬢の元婚約者のお取り巻きだったご令嬢達とは真逆だから、清楚な感じを作り上げないといけないわ」
「じゃあ。シェリルはピッタリだわ!騎士になるために一生懸命に勉強してたから、男性に媚を売った経験がないもの」
グラファント夫人はそう答えた。
確かに男性に媚を売ったことはないし、私と同世代か年上の男性は、お屋敷の使用人か、または、領地の領民しか知らない。




