8.いざ出陣
船内を少年の先導で歩き、食堂へと案内される。
「オレ、アランっていいます。一番年下だからすげーこき使われてんだ」
アランは私に気を遣っているのか、ただ単にお喋りなのか、絶えず何か話をしている。
その言葉は中途半端に丁寧で、普段から敬語を使い慣れていないのがすぐにわかった。
「あの、普通に喋ってくれていいんだけど」
対する私は前世の庶民人格にズルズルと引き摺られて、あっという間にお嬢言葉が抜けつつある。
服も庶民仕様になったことだし、宮廷内どころか国内ですらないと思われる場所で畏まった態度を取られると、なんだかむず痒い。
「でもお頭から、偉いとこのお嬢様だから失礼な口きくと踏まれるぞって」
「なっ、ふ、踏むわけないでしょう!」
あの男、なんてことを。
私だけでなく部下であるアランまで巻き込んでおちょくるなんて。
絶対性格悪いわあいつ。
「……踏まないの?」
「踏まないってば」
上目遣いに問われて力強く肯定する。あいつは踏みつけてやりたいが。
「そっか! じゃあ普通に話す!」
喋りにくくって! とアランが表情を崩す。
本当に、海賊船に乗ってさえいなければただの爽やか美少年だ。
「オレ、昨日お嬢さんが来たとき船の中にいたからさ。後から聞かされてびっくりしちゃった」
「……なんて聞いたの?」
「すっげー美人が船に来たって。実際会ったら本当に綺麗だったから驚いた! しかもなんかいい人だし」
にこーっと全開の笑顔をこちらに向ける。
屈託のない、本当にただ嬉しいだけの裏のない笑顔だった。
いささか大袈裟な誉め言葉ではあるが、昨夜あの男に散々馬鹿にされたばかりだったので、ありがたく受け取ることにする。
「あなた、私の扱いについて何か聞いていない?」
「何かって?」
少年がきょとんとした顔をする。どうやら何も知らないらしい。
年齢的に私より下だ。この船で一番若いということは、下っ端中の下っ端ということか。ならば何も聞かされていないのも納得だ。
食堂までの案内を押し付けられているあたり、普段から雑用ばかりやらされているのだろう。
探りを入れるだけ無駄らしい。
もはや開き直りの境地でグッと顔を上げる。
女は度胸だ。
覚悟を決めて、食堂の扉を開けたアランの後に続いた。
食堂に入ると、とたんに歓声が上がって面食らう。
だけどどうやら嫌な種類のものではない。
よく聞けば、冷やかしたり煽ったりするのではなく、べっぴんだの気品があるだの、私を過剰に褒めるようなものばかりだ。
前世で父の会社の同僚たちが家に遊びに来た時のことを思い出す。
なんとなく、船員たちに似通った雰囲気を感じた。
つまり、気のいいおっさん達、みたいな。
明るい食堂の中で見ると、昨夜甲板の上で感じた物々しさは払拭されてしまった。
総勢二十人ほどの男連中は、皆一様に明るい表情だ。日に焼けた精悍な顔つきをしているが、下卑たところのない気風の良さを感じさせた。
肩透かしを食らってぽかんとしてしまう。
アランに手を引かれて、狭い通路を進んで上座に近い席に座らされる。
正面には私を攫った男が座っていて、私を見るなり「船酔いは収まったか」なんてごく普通のことをごく普通の態度で聞いてくる。
周囲を見回しても、好奇の目に晒されてはいるが品定めをするような視線ではない。
戸惑いながら身を小さくして黙っていると、目の前に食事が運ばれてきた。
「食いな」
どうしていいのか分からず固まっていると、短く促されておずおずとフォークを掴んだ。
作りたてなのか、目の前の料理からは湯気が上がっている。
パンと芋と豆のスープ。肉が少し。あとはなんだかわからない魚の焼いたやつ。
王宮で出された食事とは、比べるまでもない粗末なものだ。
「こんなメシ、お嬢さまが食えるのかよ」
「食いもんて認識するかすら危ういだろ」
「残飯持ってくんなとか切れられたらどうする」
心配半分、茶化し半分といったざわめきが周りから聞こえる。
椅子から転げ落ちそうなほど身を乗り出して、私の様子を観察する目はどこか心配そうだ。
「いいからさっさと食え!」
「へぇい」
船長が威嚇するように男達に吼えて、彼らの食事が始まる。
どうやら私が席に着くのを待ってくれていたらしい。
「お前も早く食えって」
「……いただきます」
急かされて、フォークでふかした芋を割る。
割ろうとした。
割れなかった。
柔らかそうなのは見た目だけで、中まで火が通っていないのだ。
仕方なくフォークを突き刺して、行儀は悪いがそのまま噛り付く。
飾り気のない塩味に、シャリっとした食感。
なんとも言えなくて咀嚼を止める。
視線を感じてちらりと船長を見ると、妙に真面目腐った顔をして私のコメントを待っているようだった。
それをあえて無視して、今度はスープに手を付ける。
塩味だった。
ただの塩味。
びっくりするくらい塩味。
それだけ。
パンに手を伸ばす。
カチカチで、ちぎれも噛み切れもしない。
謎の肉にはフォークが刺さらなかった。
魚は一見まともに見えたが、嫌な予感がして裏返してみると真っ黒焦げで、それなのに中は生というギャグみたいな出来栄えだった。
それでも出された以上はとなんとか食事を進めるがどれも大味で、お世辞にも美味いとは言えず顔をしかめっぱなしだ。
けれどなんだか懐かしい。
目に涙が浮かぶ。
思い出すのは前世での父との二人暮らしの記憶だ。
前世では中学生の時に母が死に、父子家庭になった。
父は働きながら家事を頑張ったが、得手不得手はある。仕事は出来る人だったけれど、家事全般は全く向いていなかったらしい。急に男手一つで娘を育てなければならなくなったプレッシャーで、疲れているせいもあっただろう。
洗濯物はしわくちゃだったし、料理はまさにこんな感じだった。
焼いただけ茹でただけ。味付けは塩胡椒のみ。それさえも濃すぎたり薄すぎたり。
私が家事全般を進んで担当するようになるまで、時間はかからなかった。
再び視線を感じて顔を上げると、船長がじっとこちらを見ていた。
「……なんですか」
少し気恥ずかしくて、ズ、と鼻をすすって、泣きそうなのを誤魔化すように睨みつけると、船長が「別に」とつまらなそうに答えて自分の食事に戻った。
高級料理との違いに涙する高慢なお嬢様に見えて、機嫌を損ねさせてしまっただろうか。
また視線を感じて顔を上げると、再び目が合った。
今度こそ何か言われるのかと身構えるが、結局は何も言われずに逸らされる。
なんだか良くわからないが、どこか労りを感じる表情に見えて居心地が悪かった。