55.海賊団の素性
「海軍は正義だなんて大昔の話だ。胸に正義を刻んだ連中は内側から根腐れ起こして、その腐敗臭を国中にまき散らしてたってわけだ」
自嘲するように言って、短く嘆息する。
「それに気付いて正そうとしたら抹殺された。そらそうなるわ」
「……あなたを助けたのは誰なの」
「とんでもねぇ狸爺がいてな。三人いる大将の一人だ。他二人と同じように自分も悪事に染まっているフリをしながら、そいつらの失脚を着々と狙ってる」
「実は良い人だったってこと?」
「そんな殊勝なタマかよ。俺を逃がしたのだって善意からじゃなく便利な手駒が増えるからってだけだろう」
死刑を免れても無罪になったわけではない。
事実世間ではクローゼ准将は刑を受けて死んだことになったままだ。
死人が街を闊歩するわけにもいかない。身を隠し、闇に紛れ、真っ当に生きることを放棄するしか選択肢がない。
戸籍を無くした彼は、確かに便利に使うことが出来るだろう。
何度も海賊に襲われるのも、不可思議な商船を襲ったのも、きっとその偉い人からの指示だったのだろう。
「それでウィルは海賊になって外側から海軍を正そうとしているの?」
「そんな大層なもんじゃねぇ。ただムカつくから全部ぶっ潰してってるだけだ」
そう言って笑う彼は確かに正義からはかけ離れた表情をしていた。
凄味のある笑みはどこまでも悪役染みていて、とても正義を貫こうとしている人間には見えなかった。
胸のタトゥーを思い出す。
消された正義の文字は焼け爛れ、火傷の跡を治そうとすらしていない。
彼の正義はきっと、海軍としての生を終えた時に死んでしまったのだ。
「アルはあなたの部下だと言っていたわ。一緒に逃げてきたの?」
「ああ。海賊団のほとんどは元海軍だ」
「そうなの!?」
「シャルロは俺の副官だったし、テオやワイアット達も俺の元部下だ。俺の処遇に納得がいかず、上層部に逆らった。不正の事実は知らせてなかったからな。そのせいでひどい扱いを受けたらしい。それに目を付けた狸がそそのかして、任務中に行方不明になったり死んだことにして俺のもとに送り込んだ。再会したときは愕然としてたよ。死んだと思ってた上官がピンピンしてんだもんな。みんなそんな反応してくるからめちゃくちゃ笑ったわ」
ウィルは思い出してケラケラ笑うが、テオ達に同情してしまう。
信頼してついていった上官が謂れのない罪で処刑されたのだ。上層部は取り合ってくれず、不遇な扱いに甘んじるしかなかったのに実は上官は生きていて、感動の再会を果たしたのに爆笑されて。
「みんなあなたの部下だったの?」
「ミゲルは俺の元上官だな。唯一信頼できる人だった。だから死刑が決まった後で不正の証拠を託してしまった。それでまだ小さかったアランごと巻き込んじまった」
一番の悪手だった、と悔しそうな顔で言う。
握りつぶされないように必死だったとはいえ、巻き込んでしまったことを後悔しているのだろう。
「あとは海軍時代は直接かかわったことないやつもいる。俺がいなくなったあとで同じく不正に気付いたやつとかな。海賊島で拾ったやつもいる。みんないいやつばっかだ。ほとんど狸爺の策略通りなのが癪だがな」
皮肉に唇を歪めながら、それでもそう悪くはなさそうに目を細める。
食えない人だとは思っていても、その狸と称される人物を嫌いではないのだろう。
海軍の上層部をさりげなく誘導して、彼らの手持ちの海賊たちにウィルの船を襲わせ、返り討ちにすることで戦力を削いでいく。
貴族の所得隠しに、財産の一部を乗せ商船に偽装した船の情報をウィルに流して財力を削いでいく。
そうやって今まで上手くやってきたのだとウィルが笑う。
海軍の執拗な攻撃に謎の商船。これまでの出来事がようやく繋がって、頭の中が少しずつ整理されていく。
「あなたを撃とうとした人は何者なの」
「おまえを殺しかけたクソ野郎か。あいつは何者でもない。俺の同期だったが嫉妬に狂って悪事に手を染めたつまらない男だ」
ウィルを殺すことに執念を燃やしていた男。神経質そうな顔に憎悪の表情を浮かべていた。
確かにこんな人が同期にいては、自分の立場と比較して腐ってしまったのか。
海軍が腐敗していなければ真っ直ぐに競うことも出来たのだろうが、嫉妬から楽な道に流れて堕落してしまったのだろう。
貴族の中にもそういう人は少なからずいたからよくわかる。
「……そういえば海軍はどうしたの!? 撃退できたの?」
今更ながらに思い至ってにわかに慌てる。
しゃべっているうちにだいぶ頭がはっきりしてきていたが、まだきちんと働いてはいないらしい。
よく見ればウィルの顔色が悪い。
頬もこけてやつれているし、目の下に濃い隈が出来ている。
まさかウィルも大怪我を負っているのではないか。
ワイアットは元気そうだったが、ほかの船員たちはどうなのだろう。
「落ち着け。みんな生きてる。海軍はクソ野郎も含めて皆殺しにしてやった」
冷徹な声でウィルが言う。
私が退場した時点で、まだそれなりに戦力差はあったはずだ。
それを覆すほどの体力はもう残っていなかったように思えるのに。
「おまえが殺されたと思ったから頭のネジがぶっ飛んだ。俺だけじゃなく全員がな」
まるで生きていることを確かめるみたいにウィルが私の首筋に触れる。
一週間も寝たきりだったせいか、話しているだけですでに疲労が蓄積されて呼吸が浅くなっていた。
未だ自覚は薄いが、死にかけたことは事実らしい。
「……おまえを失うかと思った」
優しく私の頬を撫でて静かに言う。
思いつめたような、くたびれた声だ。
「だから、もうやめる」
「……なにを?」
「――諦めるのを」
そう言って、力なくベッドに投げ出されたままの私の手を取った。