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54.ヴィルヘルム・クローゼ

「……心配してくれたの?」

「…………そりゃ、」


ウィルが背を向けたまま不服そうに頷く。

まぁそれはそうか。自覚はないけど生死の境をさまよって一週間が経っているらしい。

私だって船員の誰かがそうなったら絶対に心配する。

そうは思うものの、泊まり込んでまで心配してくれた嬉しさをこっそりと噛みしめる。


「いちばん?」

「……みんなと同じくらい」

「ベッド、わざわざ借りたの?」


からかうように言うと、ウィルが無言で俯いた。


「どれくらいお金払ったらいいよって言ってくれたの」


追い打ちを掛けると、きまり悪そうにちらりとこちらに視線を向けて、観念したようにガシガシと頭を掻いた。

そして無言のまま椅子まで戻ってドカッと腰を下ろした。


「色街、残念だったね」


申し訳ないとは思いつつ、嬉しさを隠しきれずに浮かれた調子で言う。

どうやら性欲には勝てたらしい。

家族というのも案外悪くないかもしれない。


深いため息が聞こえて、調子に乗りすぎたかなと少しだけ反省した。


「……もう二度とあんなことすんなよ」

「えっ、それは約束できないわ」


同じ状況になったらたぶん間違いなく同じことをする。

だってウィルが目の前で死ぬなんて耐えられない。

自分の身が盾になるならば、何度だって喜んで敵の前に飛び出すだろう。


「おまえが命を捨てるほどの価値はねぇ」


価値なんて知らない。

世界中がウィルをいらないと言ったって、私にはウィルが必要なのだから。


「命を捨てるつもりはなかったけど、私の命全部であなたを守りたいと思ってるよ」


素直な気持ちで言うと、苦虫を噛み潰したような顔でウィルが舌打ちをした。

何を言っても曲がらないと悟ってくれたようだ。


「馬鹿で頑固な女だ」

「そのせいで婚約者にも捨てられるしね」


あっけらかんと笑いながら言うと、ウィルが再び深いため息をこぼした。


「んぶっ」


私を説得するのを諦めたのか、黙り込んだウィルが八つ当たりのように私の顔をべちんと叩いた。

今度はたいして痛くなかったが、言い返せないからって暴力に訴えるのはやめてほしい。

抗議の意を込めてジトっと睨むが、ウィルの目はもう穏やかだった。

どうやら怒りは収まったらしい。

そのまま伸び始めた私の髪の先に指を絡めて、遊び始める。

少しくすぐったかったけど、触れられるのが嬉しかったから何も言わなかった。


「……私の名前を呼んだのはあなた?」


曖昧に聞く。

気を失う寸前に聞こえた声。

アルしか知らないはずの私の本当の名前。

幻聴だったかもしれない。アルが呼んだのかもしれない。

だけどなぜかウィルが呼んだのだと確信めいたものがあった。


しばらく静かな時間が続いたが、何かを決意したようにウィルが口を開いた。


「……俺は海軍将校だった」


唐突に告げられ言葉を失う。

海軍将校。

元海軍ということはわかっていたが、将校だったとは。

海軍は完全実力社会だと聞いたことがある。年齢は関係なく、能力さえあれば若くとも出世できるのだと。

実際二十代でも大佐以上になった人はいたと聞く。だがそれは完全に異例なことで、歴代でも数えるほどしかいなかったはずだ。


それで思い出す。

海軍学校主席で卒業後鳴り物入りで入隊し、あっという間に出世街道を駆け上がっていった人物がいたと。

そうしてわずか数年で将校の末席に籍を置き、その半年後に重大な規律違反で死刑になった。

その青年の名は。


「大罪人、ヴィルヘルム・クローゼ准将……」

「よく知ってたな」


気恥ずかしそうに眉尻を下げて笑う。

そこには誇示も虚飾もなく、ただ事実を述べているのだとわかった。


ではやはりこの人がそのクローゼ准将なのだ。

子供のころ会いたいと思っていた人が、今目の前にいることに驚きを隠せなかった。


有能だと評判のその青年に、会って話をしてみたいと思っていた。

私はまだ幼かったけれど、もう国のために身を尽くす覚悟は出来ていたから、国の護りの要である海軍の人間と繋ぎを作っておきたかったというのもある。

けれどただ純粋に、私と十歳ほどしか違わないのに、内外問わず優秀と称される人間と話をしてみたかった。

一度パーティで会う機会があったのに、アーヴァイン家と顔を繋ごうと必死な貴族たちを捌ききれず断念したことがある。

結局、海軍の人間が一貴族の小娘なんかに挨拶に来ることもなく、顔を見ることさえ叶わなかった。

覚えているのは女性たちに囲まれた、背の高い男の後ろ姿だけ。


そのわずか半年後に彼は准将となり、その後たった半年でその栄光の道を閉ざした。


許されない大罪を犯したとされ、裁判にかけられることもなく、死刑囚の烙印を押された。

その大罪の内容も明らかにされず、明らかに異常な処遇を受けたにも関わらず、大したニュースにもならずひっそりと消されてしまった将来有望な若者。


死んでしまったのだと思っていた。

もう二度と会うことは叶わないのだと、そう諦めていた人が今目の前にいる。


「刑は執行されなかった、ということ?」

「ああ。逃がしてくれた人がいた」


淡々と言って、私の髪を梳くように撫でる。


「……なにをしたの」

「なにも」

「なにも?」

「上層部の不正を告発しようとしただけ」

「不正……?」

「海軍は腐りきってた。一部の海賊どもと癒着して、金を貰う代わりに見逃してやっていた。ついでに貴族連中とも繋がってて便宜を図ってやってた」

「そんな……」

「出世したら見えるものが増えた。不自然で汚い金の流れとか怪しい人間の出入りとかな」


無表情に語るが、なぜかとても痛々しく見える。

単純な昔話ではない。これは海軍に夢見て邁進した青年の、絶望の話だ。

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