51.これで最後に
ノックをすると返事はすぐにあった。
少しためらってからドアノブを回す。
部屋の中でウィルは剣の手入れをしていたらしく、ちょうど鞘に納めるところだった。
「今、いい?」
「ん? ああ」
いつもより素っ気ない態度に戸惑いつつ、ベッドの横にある椅子に腰掛ける。
ウィルは剣を脇に置いて、私から少し離れてベッドの縁に座った。
「……で、話って」
「どういうつもりなの」
単刀直入に切り出すと、ウィルが訝し気に片眉を上げた。
「何がだよ」
「わかってるでしょ。アルになんであんなこと言うの」
「あんなことって?」
「とぼけないで。余計なことしないでよ」
誤魔化しに乗ってあげるつもりはない。
ウィルは不貞腐れたように目を逸らし、小さくため息をついた。
「……別に悪いこたしてねぇだろ」
「してる。少なくともウィルにはしてほしくなかった」
「心配してるだけだ」
「心配されるようなことしてない」
「どこがだ。傷だらけじゃねーか」
「こんなの大したことないわ」
「今までは奇跡的にな。けどそんな闘い方してたらいつか大怪我すんぞ」
「それとアルがなんの関係があるのよ」
睨みつけながら言うと、ウィルがわずかに怯んだ。
このまま私を心配しているなんて話題にすり替えられたらたまったものじゃない。
「……ヤケになってるように見えんだよ」
思わずため息が出る。
やっぱり気にしているのはそこか。
分かってはいたが、そんなの関係ないのに馬鹿みたいだ。
「別に男に振られたくらいで死なないわ」
挑発するように言うと、ウィルの眉間に思い切りシワが寄った。
「男に振られて死ななくても、誰かに大事にされれば自分の身体も大事に思えるだろう」
「だから他の人をあてがうつもりだったの」
「誰でもいいわけじゃねぇ」
「アルが私を好きだから?」
「それだけじゃねぇ。あいつはいいやつだ」
「そんなことあなたに言われなくても知ってる」
言い返すと、ウィルの言葉が止まった。
一度目を逸らしたあとで、わざとらしい笑みを作って私を見る。
「……うまくいったみたいで良かったじゃねぇか」
「なんのこと」
「おまえのものになるんだろ」
そのセリフに目を瞠る。
「……聞いてたの」
「聞こえたんだ。外の空気吸いに行こうとしたら大好きだなんだと」
口許は笑っているくせに、不愉快そうに言われて眉を顰める。
少し誤解があるようだが、何故それで機嫌が悪くなるのかわからない。
たぶん、ハグをした最後の辺りだけ聞いていたのだろう。
最初から聞いていたなら、あれは彼が告白して振られるまでの会話だったとわかるはずだ。
確かにそこだけ切り取って聞けばうまくいったように見えるかもしれない。
だけどそれこそがウィルの望んだ結果じゃないのか。
けど、私はその望み通りにはなってあげられない。
だって。
「……私が好きなのはあなたよ」
これで本当に最後、と思いながら告げる。
アルが背中を押してくれたから。
私が勝手に好きなだけだから、私の怪我のことなんか気にしないでいいのだと伝えるために。
「よくそんなことが言えたな」
それなのにどうしてそんなに怒っているの。
嫌な気持ちにさせたくないのに。全部裏目に出てしまっている気がする。
やはり伝えるべきではなかったのかもしれない。
何もかもうまくいかない。今更ながら、私に恋愛は向いていないのが良く分かった。
「あいつに失礼だろうが。決めたんならフラフラしてんじゃねぇ」
「なにか勘違いしてるみたいだけど、私断ったよ」
「……は? なんでだよ」
「ウィルが好きだから」
何度も繰り返した言葉をまた重ねる。
ウィルは思い切り顔を顰めて、私から視線を外した。
「そんなの、すぐ忘れる」
何度言っても本気にすらしてもらえない。
それほどまでに私に興味がないのか。
「もう半年も経つのに忘れてない」
「じゃあもう半年経てば忘れる。すぐに別の奴を好きになって俺のことなんてどうでもよくなる」
「それは経験談?」
「そうだ。おまえもそうだろう」
「私にはまだわからない。だって人を好きになったのが初めてだから」
「……初めて? お前、婚約者がいただろう」
ウィルが怪訝な顔をする。
唐突な問いに私も怪訝な顔をしてしまった。
「婚約者? ああ、いたわねそういえば」
「そういえばって……好きで婚約したんだろ。それでそいつに捨てられたから代わりに俺なんだろ」
見当違いのことを言われて笑う。
クリストフの代わりなんて、考えもしなかった。
「そうね。彼のことは好きだった。けどあれは親愛の情だわ。生まれた時からずっと一緒だったから」
大切だった。支えてあげたいと思った。それは嘘ではない。彼のために勉強を頑張り、彼のために剣技を鍛えた。だけどそれらはすべて、ひいては国のためになると思っていたからだ。
裏切られ捨てられても、憎む気持ちは湧いてこなかった。
思うのはただ国の先行きが暗いということだけ。
いずれ跡継ぎを産むためにそういう行為をしただろうという予測はしていたし、抵抗はなかったけれど、抱いてほしいと思ったことは一度もなかった。
そんなのは恋とは言えない。
こんな焦がれるような想いを、クリストフに感じたことは一度もなかった。
「こんなにふうに好きになったのは初めてだったから。どうしていいのかわからなかったの。嫌な思いをさせてしまってごめんなさい。もうしない。……けど、」
こみ上げてくる感情が制御しきれなくなって一旦口を閉じる。
「ウィルじゃないなら他の人はいらないの。だから……だからもう、他の人を宛がうような真似はやめて」
言った瞬間涙があふれる。
泣くつもりなんてなかったのに、ボタボタと水滴が落ちていく。
泣けば許されると思っている女だと思われたくなかった。だけど止めることができない。
ウィルがまた困ったような顔で私を見ている。
いつだってこうなってしまう。強く生きたかったはずなのに、ウィルの前では上手く出来ない。
無様で哀れな女で居るのがたまらなく嫌だった。
「ごめん、見ないで」
同情を引くような真似はしたくなかった。
自分の腕で視線から逃れるように顔を隠す。
ウィルの手が、私の肩に触れた。
その瞬間。
船に大きな轟音とともに衝撃が走る。
これが何によるものかはもう知っている。
砲弾による爆撃だ。
「武器を持て」
険しい顔でウィルが言う。
何者かの襲撃を受けているのは明白だ。
すぐにウィルの部屋を飛び出て、自分の愛刀を回収して甲板へ出た。
立ち尽くして息を呑む。
黒々とした海に、海軍の船が待ち構えていた。