50.ひどい男の話
記憶の中の彼は無感動で無表情。
誰にも興味がなく、言われたことを淡々とこなすだけの、どこか機械染みた印象だった。
冷たいアイスブルーの瞳は何者も映さず、陶器のような白い肌は傷一つなく、本当に血の通った人間なのかと子供心に不安だった。
髪ももっと、濃厚なハチミツのようなブロンドだったように思う。
「まぁ何年も海にいれば髪も肌も焼けちゃうよねぇ」
「それにしてもその、いろいろ変わりすぎだと思う……」
「あはは俺もそう思う」
隣に座りなおしながら、おどけたようにアルが言う。
衝撃が抜けきらないまま、過去の彼との共通点を探すようにマジマジと見る私に、アルが照れて目を逸らした。
「そんなに見つめられると恥ずかしいんだけど……」
こんな顔も彼はしなかった。
印象が違いすぎて、正体を明かされた今も半信半疑だ。
けれどさっきの会話はよく覚えている。
同じ侯爵家同士、何度か顔を合わせることがあったのに、まともに話したのはその時だけ。
そしてそれが彼との最後の会話だった。
「『私が私であるために。強くならなきゃいけないの』。キミはそう言った」
「……子供の言ったことをよく覚えているのね」
「十歳のキミはもう立派な大人だった。子供だったのは俺の方だ」
懐かしむように言って微笑む。
「俺はずっと親の言いなりで。ずっと頭を押さえつけられてもう反抗する気力もなかった。なのにレジーナは同じような環境にいるはずなのに、いつも前を向いて自分の足でしっかり立ってた。誰になんて言われてもへこたれなかった。自分を曲げなかった。なんで俺ばっかりって思ったよ。なんでレジーナはあんなにって。羨ましかったんだ。嫉妬してた。だから少しでも狼狽える姿が見たくてあんな馬鹿なことを聞いた」
「……全然そんな風に見えなかったわ」
「嫌な奴だろう」
自嘲気味に笑う。
そんな表情も、あの頃のアルフレッドはしなかっただろう。
「でもその答えに救われた。俺はちっとも俺じゃなかった。やりたいこともなりたいものもあったのに、闘うのをやめてしまったんだ」
「……なりたかったものが海軍兵だったの?」
その会話の後。
アルフレッドは侯爵家を出て、海軍の入隊試験に合格したのだと聞いた。
「うん。実はずっと憧れてた。ガキみたいでしょ」
「そんなことない」
どういう経緯で海賊になったのかは分からないが、今のアルフレッドは生き生きとしている。
ならば家を出たことは間違いではなく、彼はそれを何一つ後悔していないということだ。
あの頃の死んだ目をした少年はもうどこにもいない。
きっぱり否定すると、アルフレッドは嬉しそうに目を細めた。
「アルも海軍だったのね。もしかしてウィルと一緒に働いてたの?」
「船長、海軍だったことレーナに言ってたんだね……。そう。あの人の部下だった。入隊したときからずっと」
「……海賊になったのもウィルと一緒?」
「うん。勝手に追いかけたんだ。海軍を捨ててね」
アルの瞳に暗い光が宿る。
その表情は、過去を懐かしむようなものとはかけ離れていた。
海軍の話に触れた時のウィルみたいだ。きっと何があったか聞いても話してくれない。
彼らには私の立ち入れない領域があって、それが悲しかった。
「……本当はずっと言わないつもりだった。レジーナがあの場所を捨ててここにいるなら、それを思い出させてしまう俺はもう関わるべきじゃないって」
少し俯き、私から目を逸らして言う。
「けど、レーナ最近ずっと無茶してるだろう。見てられないんだ」
「そんな、無茶なんて」
「してるよ。いつも傷だらけだ」
泣きそうな顔で私の頬に触れる。そこは今日負ったばかりの傷の場所だ。
こんな小さな傷が、私の身体にはいくつもついている。
「大袈裟よ」
苦笑すると、アルの方が痛いみたいな顔をした。
「俺じゃレーナを変えられないのは知ってる。でも覚えておいて。キミが傷付くと悲しむ人がいるって」
「大丈夫だよ、ちゃんとわかってる」
わかってる。
私だって海賊団の誰が傷ついても悲しい。だからその傷全部、出来ることなら私がもらえればいいと思っている。
みんなが大事で、みんなを守りたいから、だから私の傷が少し増えるくらいなんてことないのに。
アルはどうしてだか辛そうな顔をしていた。
「……俺ね、運命だと思ったんだ。レーナがこの船に来た時。こんな場所で巡り合えるなんてって。でも違った。すぐ思い知ったよ。俺が海賊としてここにいる理由も、レーナをここに連れてきたのも、全部船長だ。全部あの人の運命だったんだ。俺はそれに勝手に巻き込まれただけ」
「アル……」
「ウィルが好きだろうレーナ。ずっと見てたからわかるよ。すごい人だよね。俺もずっと憧れてる。女だったら惚れてたかも」
冗談交じりでも、真摯な言葉に泣きそうになる。
私を見透かす青い瞳は、昔と違ってとても優しい。
「……でも、もう振られてるの」
「けど、だからって好きじゃなくなるわけじゃないだろう」
まるで振られたことも知っているみたいにアルが笑う。
同じだからわかるよ、と。
そう、好きな気持ちがなくなることなんかいない。この気持ちを捨てられるはずもない。
ただ好きだと言うのをやめただけ。困った顔を見たくないから、好きじゃないフリをしているだけ。
「うん。ウィルが好き。好きなままだよ。だからごめんなさい、アルの気持ちには応えられない」
「いいんだ、わかってたから。けど、振られても好きだよ」
「……私と一緒ね」
「ふふ。厄介だよね」
泣きそうになりながら言うと、アルが嬉しそうに笑った。
「俺も諦められないし、キミも諦められない」
「……うん」
「そんな簡単に気持ちを切り替えられたら苦労しないよね」
「うん」
頷くことしか出来ない私に、アルが優しく言って微笑む。
「でも、伝えたかったから」
「……好きになってくれてありがとう」
「もし船長に飽きたらさ、俺のこと思い出して乗り換えてくれる可能性がないとも言えないし」
おどけて言うアルに少し笑う。
「そうね。その時は私から告白するわ」
「ホント? じゃあさ、もう一回船長にチャレンジしてみて、やっぱダメだったーってなったら俺ととりあえず付き合ってみない?」
軽い調子の提案は、冗談みたいだったけどたぶん私の背中を押してくれているのだろう。
「でも、言ったらウィルが困るから」
「困らせればよくない? 俺はキミが今困ってるのが嬉しいし楽しい」
悪戯っぽく言われて苦笑する。
「ねえ。あの人俺になんて言ったと思う? レーナが無茶してるって。止められるのはお前だけだからどうにかしてこいって」
アルが意味深な笑みを浮かべながら言う言葉に顔が強張る。
そんなこと、ウィルにだけはしてほしくなかった。
「……ウィルがそう言ったの?」
「そう。ひどいよね。レーナが船長好きなの知ってて。俺がレーナを好きなの知ってて。まぁだいたい何を考えての発言かはわかるけど。あの人たまにすごいバカなんだよね」
アルは私の心情を汲み取ってくれたのか、慰めるように私の頭を撫でる。
長い付き合いみたいだからアルは呆れたように笑うが、ウィルが何を考えているかなんて私にはわからない。
私が鬱陶しくて、アルに押し付けようとしたようにしか思えなかった。
諦めきれていないことくらいお見通しだったのだろう。
だからってアルの気持ちも私の気持ちも無視して、こんなのってひどい。
「そんなひどい男に気を遣う必要なんてないでしょ。掻き回してしっちゃかめっちゃかにしちゃえば。それで早く愛想尽かして俺のところにおいで」
「でも、」
「ほら、行っといで」
微笑みながら優しく言われて、グッと唇を噛む。
アルの気持ちが痛いくらいに伝わって、泣きそうになるのを必死でこらえた。
言いたいことはたくさんあったのに、上手く言葉に出来ない。
「ありがとう。大好きよ」
結局はそれだけしか言えなくて、立ち上がってアルに抱き着く。
すぐに抱き返されて、苦笑交じりに背中をポンポンと叩かれる。
「ひどいな。悪魔のようだ。いいけどさ。こてんぱんに振られて気が済んだら俺のモノになってね」
「いやよ。あなたが私のモノになるの」
「いいね最高」
抱き合ったままで、馬鹿みたいな話をする。
二人して少し泣きそうで、誤魔化すようにそれからしばらくウィルの悪口を言い合った。
月が高く昇って、黒い海を白く照らしていた。




