5.海賊船は野蛮なところ
「おし、行くか」
「ぷぁっ、」
接舷するなり前振りなく再び担がれ、黒い船から降ろされた縄梯子を器用に上っていく。
私を抱えたまま男が船に降り立つと、甲板がざわつくのが聞こえた。
「ちょ、なに拾ってきたんスか」
「女だ!」
「本物?」
「あ、結構美人」
口々に聞こえる声は、呆れ交じりではあるがやはり犯罪を咎める気配はない。
甲板に出ている男たちの数は十五人ほどか。
これで全部かは不明だが、船の規模的には妥当だろうか。
それら全員が武器を身に着け、動きやすい格好をしていた。
お世辞にも上品な人種とは言えない人間たちが、好奇心全開でゾロゾロと寄ってくる。
うん、これは間違いなく海賊船だ。
観念して素直に認めるしかない。
えらいところに連れてこられてしまった。
全体的に沈んだ色の服を着る男たちの中で、真っ赤なドレスを着て担ぎ上げられている私の存在は、夜の海の上ではひたすらに異質だ。
注目を集めるのも無理はない。
船員たちは私を担ぐ男に好き好きに呼びかけている。
親分だの旦那だの船長だの。
偉い人どころの騒ぎではない。この男はこの船の長なのだ。
そんな人間が、一体何の目的でこんな男だらけの船へ。
考えてゾッとする。
船員たちは、遠慮もなく物珍し気な視線を注いできた。
これは品定めをされているのだろうか。
「奴隷商人にでも売る気ですか?」
乗組員の一人が発した言葉に背筋が冷える。
奴隷売買は違法だ。それでも確かに存在しているのは、誰もが知っている。
そして国の管理の及ばぬ場所で、好き勝手に奴隷を痛めつけ、畜生以下の扱いを受けるというのは有名な話だ。
そんな場所に放り込まれるのかと思うと目の前が暗くなる。
「ばぁか違ぇよ」
躊躇のない答えにホッと胸を撫でおろす。
けれどまだ安心はできない。
「これは俺からの福利厚生だ」
「はぁ? ふくりなんちゃらの前にちゃんと給料払え」
「分け前平等にしろ」
「仕事減らせー」
あちこちからブーイングが巻き起こる。
どうやら船長と言っても畏れ敬われる存在ではないらしい。
とは言え、今はそんなことに構っている余裕はない。
「ふざけんな今でもメチャクチャ好待遇だっつうの」
「どこがだ!」
「横暴クソ船長!」
「あぁ? んなこと言っていいと思ってんのかてめぇ」
「ぐあぁっ」
クソ船長呼ばわりした船員の顔を鷲掴みにして、指先を思い切りめり込ませる。
余程痛いのか、掴まれた男が降参とばかりに必死で船長の手をタップしていた。
それを見て悶絶する男からパッと手を離すと、ホッとしたのもつかの間、今度は力一杯拳骨を叩き込んで黙らせた。
あまりの扱いに血の気が引くが、周囲はゲラゲラと笑うばかりだ。
ついていけない。
「で? 福利厚生がなんですって?」
その横にいた、この場で唯一眼鏡をかけた、少し頭の良さそうな見た目の男がため息交じりに聞く。
口調こそ丁寧だが、やはり船長に対しての畏怖があるようには見えなかった。
「むさ苦しい船だからな。華を添えてやろうと思って」
優しい船長だろ、とにやりと笑いながら発された言葉に絶望する。
ああやはり。
私はこれから海賊たちの慰み者になるのだ。
「とりあえずお前の部屋に案内する」
来い、と腕を掴まれ、視線の集中砲火を浴びるなか船内へと引っ張られる。
なんとか足は動いたが、頭の中はめちゃくちゃだった。
ぼんやりと、引かれるままに辿り着いた簡素なドアが開かれる。
広くはない船内だというのに、どんな道順でここに来たかもう分からない。
これから訪れる最悪な未来への絶望が、ひたすら思考を鈍らせていた。
「使ってない部屋だったからカビ臭くてすまんな。あとで箒とか持ってきてやるから自分でなんとかしてくれ」
私が一言も発さないままでいることを気にした様子もなく、男が淡々と言う。
ノロノロと視線を巡らせると、狭い船室には粗末なベッドと小さな丸窓がひとつあるきりだった。
チェストもクローゼットも、小さなテーブルさえもなかった。
まぁ「そういうこと」をするためだけの部屋ならベッド以外必要ないか。
どこか投げやりな気持ちで思う。
抵抗して逃げ出したい気持ちはもちろんある。
だけどここは海のど真ん中で、今私が持っている武器は護身用の短剣がひとつのみ。
この海賊団がどれほどの戦闘力を持っているのかは知らないが、さすがにちっぽけな小刀ひとつで十何人も相手にして無事で済むとは思えない。仮に全て倒せたとしても、陸地まで泳ぎ着けるとは到底思えなかった。
何より目の前のこの男だ。
小さな明かりの下でも、鍛え上げらえた身体だというのがよく分かる。
そのうえ全体的に雑な動きをしているようで、全く隙がない。
余裕綽々に見えて、その実、油断なく全身に神経を張り巡らせているのがわかる。
船長と呼ばれるのは伊達ではないのだ。
「よし、とりあえず脱げ」
ストレートに言われて血の気が引く。
なるほど、船長特権でまずはこいつの相手をしなきゃならないのか。
手が震える。
それでも逆らって殺されるよりはと、緩慢な動作でドレスを脱いでいく。
生きてさえいれば逃げ出す機会はいつか訪れる。その時まで息をひそめて従うしかないのだ。
男は焦れた様子もなく、腕組みをしながらそれを待った。
バサッと音を立ててドレスが床に落ちる。
掃除の行き届いていない床に埃が舞った。
なぜこんなところでストリップをしなければならないのか。
現世で嫌われ者だったにしても、ここまでひどい罰を受けるほどのものだろうか。
なんとか気持ちを奮い立たせて、コルセットに手を掛けたところで「ふむ」と短く言って男が近寄る。
ビクッと肩が跳ねた。
近い距離でじっくり身体を検分する、無遠慮な視線を感じる。
これから地獄が始まるのだ。
そう覚悟して、せめてもの抵抗でぎゅっと目を閉じた。
「ちょっと待ってろ」
言って男がくるりと反転して部屋を出ていった。
「……へ?」
扉の閉まった部屋で、一人呆然と立ち尽くす。
なんだろう。なんだかよくわからないが助かったのだろうか。
よくわからぬままに自分の身体を見下ろしてみる。
歳のわりに貧相な身体をしているから興覚めして出ていったのだろうか。
ふくよかな肢体をもつ女性がモテる世界だ。
さぞがっかりしたことだろう。
剣技を極めるために鍛えていたから、確かに男の求める豊満さとは掛け離れている。
なるほど、好みのスタイルではなかったのか。
さすがに犯罪者といえど、女ならばなんでもイケるというわけではないのだな。
安堵で気が抜けそうになる。
それにしてもこのまま放置はひどくないか。せめてやる気が失せたとかなんとか言って試合終了の合図をしてくれないか。
いやちょっと待てよ。あいつなんか待ってろとか言ってなかったか。
てことはもしやこれで終わりじゃなくて、私みたいな痩せっぽちでも興奮するとかいう奇特な趣味を持った部下を連れてくる気では……?
にわかに焦り始めた瞬間、ガチャっとドアが開いた。




