47.ウィル視点②
船員達が後片付けや祝勝会の準備をしている中、ようやくアルフレッドを見つけ出して捕まえる。
「お前、レーナを知っているな」
「やっと思い出しました?」
胸倉をつかんで壁に押し付け凄んでも、アルはヘラリと笑ってそんなことを言った。
それで俺の確信は正しかったのだと思い知る。
そう、思い出した。
忘れるはずがない。
強い瞳の少女。
あの日の記憶が脳裏に甦る。
王城のパーティに、海軍の人間として招待された時のことだ。
溜まっていた書類仕事を片付けたかったのに、これも仕事だと上司に強制参加させられた。
経費で仕立てた上等な夜会服に身を包み、髪を撫でつけ、部下のアルフレッドに仕込まれた貴族社会のマナーや暗黙のルール、それにダンスをこなさなくてはならずに辟易していた。
たった一週間の突貫工事で、完全に付け焼き刃だったが、アルの指導のおかげでなんとか格好はついたと思う。
堅苦しさに息が詰まって、終始帰って仕事をしたいと思っていた。
食事もすっぱかったり甘ったるかったり複雑で、ちっとも食べた気にならなかった。
上司に連れ回されて一通り偉いさん方に挨拶をして、一時間もする頃にはすっかり疲れ切っていた。
トイレに行くふりで、物珍しさに寄ってくる貴族の化粧臭い女性たちの輪から抜け出し、会場の隅っこで休憩していた時だ。
なんとはなしに眺めていただだっ広い会場内で、やけに目を引く存在があった。
それは十歳ほどの少女だった。
ふんわり女性らしいシルエットの赤いドレスに、少年のような未発達の身体。
それに潔いほどに短い髪が、妙にチグハグな印象を与えている。
シャープな頬のラインに子供特有のまるみや愛らしさはなく、棒切れのように細くて小さな身体なのに、やけに大人びて見えた。
とくに目を引くのは、強い光を宿した瞳だ。
高価な貴金属で飾り立てられているというのに、その鋭いエメラルドの瞳が何よりも美しく見えた。
「……あれは誰だ」
同じように貴族連中から逃げてきたアルフレッドに問う。
視線だけで誰のことを言っているか理解したのか、アルが嬉しそうに目元を緩めた。
「レジーナですよ」
答えに目を瞠る。
その名には聞き覚えがあった。
「未来の、王妃……」
この国の第一王子の幼馴染にして婚約者最有力候補の少女。
レジーナ・アーヴァイン。
「ええ。そして俺を導いてくれた人です」
自慢げに言われて苦笑する。
酔っぱらったアルに散々聞かされた。
「地獄の海軍生活に?」
「そう。悪名高い海軍生活に」
皮肉を言ってもアルは嬉しそうに笑うばかりだ。
酔っ払いのたわごとだと、話半分に聞いていたから詳細は覚えていない。
けれどもともと非常に優秀だということと、年は十四、五だということだけ知っていた。
「思ってたよりガキだな」
「これから成長期なんですよ」
ケチをつける俺にアルがムッとした顔で反論する。
アルの中でレジーナという少女はかなり神格化されているようだ。
レジーナと同じく侯爵家の嫡男だったアルは、爵位継承者として抑圧された日々を送っていたらしい。
その鬱屈とした息苦しい毎日が、レジーナとの出会いをきっかけに変わったのだという。
でしゃばる女が嫌われる風潮のこの国で、それでも自分を貫く彼女を見て変わろうと思ったらしい。
それで何を思ったか、継承権を放り出して海軍に入ったのだと言っていた。
俺からしてみれば血迷ったとしか思えないが、規律の厳しい海軍の中でアルは毎日楽しそうだ。
酔ったアルの語るレジーナは、まるでおとぎ話のような存在だった。
正直、思い出補正が多分に入っているのだろうな、と思っていた。
けれど、実際に目にするとそれは思い違いだったのだとわかる。
アルと喋っている間中、大人たちに囲まれているレジーナから目を離すことが出来なかった。
彼女は毅然と顔を上げ、おもねるような態度の大人たちに臆せず受け答えをしている。
近くに似通った顔立ちの、母親と思われる女性がいた。
彼女は苦虫を噛み潰したような顔でレジーナを見下ろし、レジーナに話しかけられても冷たい態度を取るばかりだ。
それなのに少女は堪えた様子もなく淡々と会話をこなす。
内容までは聞こえないが、その冷静な表情を見るに大人顔負けの弁舌を振るっているのだろう。彼女をやり込めてやろうといやらしい顔をしている貴族たちが、言い負かされてすごすごと離れていくのを何人も見た。
どんな声をしているのだろう。
どんなふうに喋るのか。
あの真っ直ぐな視線を正面から受け止めたらどんな気分になるのか。
やたら気になったが、たかが海軍兵ごときが王妃候補に近づく理由も見つからず、ただ一方的に眺めるだけに終始した。
「隊長、そろそろ戻らないと」
「ああ。もうちょっとしたらな」
「……そんなにレジーナが気になりますか」
何か言いたげな声が聞こえたが、自分でも何がそんなに気になるのか理解できず、答える気にはなれなかった。
こっちを向け。
俺を見ろ。
じっと見つめながら念じたが、叶うことはなかった。
仕方なく立ち上がり、お貴族様たちと顔を繋ぐために仕事に戻る。
レジーナと目が合うことは一度もなく、正面からその顔を見ることさえできなかった。
パーティが終わって数日も経てば、どんな横顔だったかも曖昧になった。
けれど、チグハグな格好と強い瞳。
それだけがずっと印象に残っていた。