46.ウィル視点①
鷹の知らせを受けて、一人陸に上がった帰り道。
情報を書きつけた紙を懐に忍ばせ、海に向かう途中で貴族向けの馬車とすれ違った。
車輪の回る音の軽さからして、中は空っぽなのだろう。
こんな場所になんの用があったのか。
誰も通りかからないような場所だ。
馬車の通り道にしてもあまり適しているとは思えない。
警戒して森を抜けると、崖の縁に佇む人影が見えた。
何者だ。
得物に手を掛け慎重に近付く。
追手がいるとは思えないが、その先には船に戻るためのボートを停めてある。
邪魔にならないならいいが、騒ぐようならどうにかする必要があった。
ゆっくり近付いていくと、それは若い娘だった。
豪奢なドレスに身を包み、途方に暮れたように海を眺めている。
どこぞの金持ちの娘が家出でもしたか。
気が抜けて警戒心を解く。
その瞬間、その女が素早く振り返った。
気配を絶つのをやめた瞬間にこちらに気付いたのか、と再び警戒心をわずかに強める。
やはりただの小娘ではないのだろうか。
暗い中、顔の造作が分かるくらいまで近付くと、目つきを鋭くした少女と目が合った。
その視線の強さに既視感を覚える。
けれどそれは一瞬のことで、ただの気のせいだと思えた。
軽薄なフリで話しかけると、素気無い返事が返ってきた。
金持ちの箱入り娘にしては隙を見せない素振りに興味が沸く。
何故だろうか。
知らない女なのにやけに気になる。
ナンパに見せかけて情報を探っていく。
彼女は巧みにそれをかわそうとするが、表情や視線からわかるものもある。
連れはいない。宿も取っていない。帰る場所も、たぶんない。
どういう状況なのかは分からないが、ここで今俺が何をしたとしてもこの女を助けに来る者はいないだろうということは理解できた。
だというのにこの女の度胸の据わり方はなんなのだろう。
おそらくなんらかの武器を持っていて、それで俺に立ち向かうつもりであることもわかった。
もともと死ぬ気でここにいて、どうせ死ぬならとヤケクソな気持ちでいるだけなのか。
それとも護身術を習っていて、ナンパ男一人くらいなら撃退する自信があるのか。
どちらにせよ、ただの金持ちのお嬢さんではなさそうだ。
そう理解してますます興味を惹かれた。
こんな時間に海辺に一人立っていた理由はなんだ。
崖っぷちに立って、思いつめたように海を眺めていたのはなぜか。
もし何かに絶望して死にに来たなら。
俺が持って帰っても問題ないのではないか。
そう思い至った。
だからそうすることにした。
行動は早いに越したことはない。
「おまえを攫っていくことにした」
そう宣言すると、彼女は泡を食ったように反論してきた。
だがそれに構うつもりはない。
とりあえず船まで連れ帰ろう。
人生がつまらなくて死にたいなら、海賊船に乗れば解決できる。
底抜けに明るいうちの連中とつるんでいれば、きっと死ぬのが馬鹿らしくなるに違いない。
逃げられないように抱き寄せる。
間近で目が合った。
その瞬間、月明かりが差し込んで少女の容姿が明らかになる。
鋼色の髪とエメラルドの瞳。
俺を見上げる強い視線。
また正体の分からない既視感があった。
なぜかはわからない。
だけどやけに嬉しかった。
だから笑う。
「これでおまえは俺のモノだ」
有無を言わせない言葉に腕の中の彼女はわずかに息を呑み、俺の正体を問うてきた。
声は震えていない。
この状況になってもそれを聞く根性に感服した。
それにしても、この髪と目の色に赤を着せたくなる気持ちは分かるが、少女の大人びた顔つきに明るい色のドレスは似合わない。
着せるならもっと深い色だ。
そんなどうでもいいことを思いながら自分の正体を明かしてやる。
そうして拒絶の言葉を聞くよりも前に、問答無用で彼女を担ぎ上げた。
* * *
船に乗せてしまえばおいそれとは逃げ出せない。
常に誰かの目があるから、簡単には命を捨てるようなこともできないだろう。
もちろんレーナが本気で嫌がるならば解放してやるつもりだ。
けれどせっかく拾った命だ、みすみす捨てさせる気はない。
なんでも金で手に入って、なんでも思い通りになるつまらない人生はおしまいだ。
仕事を与え、規則正しい生活をさせ、金を使うのではない贅沢を教えてやろう。
そうすればきっと生きるのが楽しくなる。
そんな目論見があった。
数日過ごすうちに、レーナは予想以上に船員達と馴染んだ。
彼女は料理の腕もいいし、なにより働き者だった。
下賤の者にコキ使われているということへの反発もなく、かといって自分の意思が全くないお人形というわけでもない。
海賊という犯罪者集団に囲まれているというのに怯える様子もない。
妙に肝が据わっていて華奢な少女が、人相の悪いガタイのいい男たちと対等に話すのを見ているのが痛快だった。
すっかり気に入って、船員達にも好かれ、船旅がますます楽しいものとなった。
時折アルが何か言いたそうにしていたが、女好きの血が騒いだだけかと深くは気にしなかった。
一応軽い気持ちで手を出すのは禁止と言ってあるし、いくら使えるとは言えこんなガキに本気になるとも思えないから放置していた。
それにしても、時折レーナに感じるこの既視感はなんなのだろう。
最初は気のせいだと思っていたが、だんだんとそれが強くなっていく。
どこかで会ったことがあるのだろうか。
考えても思い出せない。
だいたい、金持ちの娘と会う機会などそうそうない。
それに、レーナ自身も俺にはまったく覚えがなさそうだった。
やはり俺の気のせいなのだろうか。
なんとなく引っ掛かりを覚えながらも、日々は平穏に過ぎていった。
レーナと話をするのは楽しかった。
頭の回転が速いし、知識も豊富だ。
それに俺の話を楽しそうに聞いて、表情をコロコロ変える。
最初は確かにあった警戒心はあっという間に薄れて、それが気位の高い猫を懐かせたようで面白かった。
そんな中、レーナを乗せてから最初の襲撃があった。
さすがにただの小娘を巻き込むわけにもいかず、アランをつけて部屋から出ないよう厳命した。
なのにレーナはわざわざ甲板に出てきて、その場に立ち尽くした。
言わんこっちゃない。
呆れる俺に、レーナは強い視線を返してきた。
確かに惨状に衝撃を受けてはいたはずなのに、予想に反しすぐに彼女は立ち直って、あろうことか血塗れになるのもかまわず応急処置をやりだした。
その的確さや対処のスキルが、ただの豪商の娘にしては異常だった。
どんな人生を歩めばこんな人間に育つのか。
一介の海賊には想像もつかない。
入手した情報に従って商船を襲った時も、何故かレーナにバレた上に同行させるハメになった。
正義感を振りかざして説教されるのかとうんざりしたが、彼女は何も言わなかった。
動揺も反論もなく、かといって全く何も考えていないわけでもなさそうだ。
一体何を感じ、何を考えているのか。
その深い色の瞳からは、何も感じ取ることが出来なかった。
レーナは何者なのだろう。
その思いが日増しに膨れ上がっていく。
いくら肝が据わっているにしても限度というものがある。
海軍の回し者という可能性は低かったが、レーナの素性がやけに気になった。
情報屋に調べてもらうため、彼女の特徴を書いた紙をくくりつけて鷹を飛ばす。
戻ってきた鷹が持って帰ってきたのは、レーナの情報ではなく海軍の情報だった。
商船を襲ったせいで襲撃予定が早まったのだという。
すぐに戦闘の準備にとりかかる。今度こそレーナを巻き込めない。
そう、強く思ったのに。
踊るような軽やかな足取りで次々に敵を薙ぎ倒していく。
血に染まりながら迷いなく剣を振るう様は、昔物語で聞いた戦の女神のようだ。
戦いの最中だというのに愚かにも見惚れて立ち尽くす俺に、レーナが「油断しすぎ」と文句を言って戦いに戻っていく。
思わず笑いが漏れた。
負けてられるかと、仕切り直してから決着まで長くかかった。
海軍を追い払う頃には全員が疲れ切っていた。
ボロボロになった甲板にボロボロになった身体でへたり込み、肩で息をするのがやっとの中で。
全身に返り血を浴びて、綺麗な姿勢で空を見上げるレーナは神々しかった。
その存在の眩しさに、思わず目を細める。
白かったはずのワンピースが、赤黒く染まっている。
そう、彼女に似合う赤はこれだ。
場にそぐわないことを思ってゆっくりと立ち上がる。
強く抱きしめると、胸に強い喜びが湧き上がった。
俺は彼女を知っている。
赤い服と鋼色の短い髪。
その姿を見て、既視感がようやく確信へと変わった。