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45.返り討ち

あっという間の出来事だった。


ベッドに転がされた身体は小さくバウンドし、体勢を整えるより早く反転させられベッドに仰向けに押し倒される。

私の身体を跨ぐようにウィルが膝立ちで上に乗って、まるで敵を見るような目で私を見下ろした。


「な、なに、どうし、」


何が起こったのかわからなくて、訳を聞きたかったがウィルの視線に制されて口を噤んだ。

無言のまま、ウィルの指先が喉元にそっと触れた。


野生の獣のような獰猛な目つきをしている。

心臓が大きく脈打って、喉がこくりと鳴った。


ウィルは何も言ってくれない。

喉に触れたままの指が、鎖骨まで辿るように動いてウィルが身を屈めた。


食べられる、と思った。


思って、思考に空白が生まれる。

無意識に顎を少し上げ、自ら差し出すように喉元を晒す。

導かれるようにウィルの唇が首筋に近付く。


触れられた瞬間、肩がぴくりと跳ねた。


目を閉じて、犬歯が喉笛に刺さり、噛み千切られる想像をした。

それはなんだかとても幸福なことのように思えた。

けれど、そうはならなかった。


「あっ!……ッぅ、」


突然の感覚に目を見開く。

ぬるりとした感触が喉を這ったのだ。

後頭部に微かなしびれが走る。

その動きは止まらずに、首筋やうなじ、鎖骨を容赦なく辿っていく。


「っ、あッ、」


そのたびに小さな声が勝手に自分の口から飛び出して、堪えることが出来なかった。


初めての感覚に翻弄されていると、服の裾から武骨な手が侵入して身体が強張る。

するすると這い上がってくる熱い手の平が、肋骨のすぐ下で止まった。


何が起きてるの。

何が起こるの。


混乱に涙がにじむ。

手が再び動き出す。


「やっ、ま、待って、ダメ!」


なんとか静止の声を振り絞っても、ウィルは待ってくれなかった。

手の位置が少しずつ上がっていく。

自分で望んだとおりになっているというのに、好きな人が相手だというのに、恐怖を感じるのを止められなかった。


だってさっきからウィルが何もしゃべってくれない。

せめて一言、まぁ今日はお前で我慢してやるとか、貧相な身体でやる気になるかなとか、そんなデリカシーのない言葉でもあれば違ったのに。

ほんの少しでも欲情してくれているのがわかれば、この身をゆだねることができるのに。


でもそうじゃない。


ただ怒りに任せてこの身体を荒らそうとしているのだ。

そんなの、怖くないはずがなかった。


知らず、涙がボロボロと流れ始めた。

せめて終わるまで泣き声は出さないでいよう、と歯を食いしばって必死に耐えていると、はーっ、と深いため息が聞こえてきた。


「……クソ馬鹿アバズレ処女ビッチ」


やけに疲れた声でひどいことを言われて涙が引っ込んだ。

そのままどさっと大きな身体が私の上に倒れ込む。


「そんなブルブル震えて鼻水垂れ流しで泣くやつ相手に勃つヤロウがいるかよ」

「はっ、はなみず、でてないしっ」


ず、と鼻を啜りながら反論する。

覆いかぶさるような体勢のままだったが、雰囲気がいつものウィルに戻っているのに気付いてホッと息を吐きだした。


「……悪かったよ。脅かしすぎた」


決まり悪そうに言って、くしゃくしゃと私の頭を掻き回す。

その手の優しさに、がちがちに強張っていた身体から力を抜くと、引っ込んだはずの涙がまたひとつこぼれ落ちた。


ギッ、とベッドを軋ませてウィルが私の上からどく。


「ったく……好きだのなんだのほざいてる男相手でさえそんなんで、他の男とやれんのかよ」


ベッドの縁に座りながら、ことさら馬鹿にするような口調で言う。

さっきまでの空気なんかなかったみたいにいつも通りだ。

仰向けのまま涙を拭いて、ウィルに言われたことを考えてみる。


どうだろう。

出来るだろうか。

グズグズしゃくり上げながら考える。

出来る気がする。

だって好きでもなんでもないのだ。

モノのように扱われようとどこも傷つかない。


ウィルはそう、私を傷つけたかったのだと思う。

不用意なことを言う馬鹿女を、懲らしめるために。


「たぶん出来るわ。なんなら今からしてきましょうか」


捨て鉢の気分で言う。

気まずさや恥ずかしさ、それに恐怖や後悔で頭がぐちゃぐちゃだ。

頭の中には、理不尽と分かっていてもウィルへの愚痴や文句でいっぱいだった。


そんなに嫌だったら口で言えばいいのに。

いや、何回も遠回しに言っているのに私が引き下がらないから仕方なくなのだろうけど。

それにしてもひどい。

ちょっと泣いたくらいであっさりやめられるし、どれだけ私の身体に興味ないんだ。

そもそも押し倒されたのだって、ただ脅すためだけだったなんて。


我ながらどこに文句を言いたいのかわからない支離滅裂なことを考えながら、それでも余計なことを言う口は止まらなかった。


「テオとかどうかな。やり方実践で教えてって頼んだら応じてくれそう。器用だから上手いだろうし、きっと優しくしてくれるよね」


誰かさんと違って、と当てつけのように言いながら起き上がる。

恨みがましい目で睨むと、似たような視線が返ってきて睨み合う形になった。

完全に嫌な女だ。一番なりたくなかった無様で面倒な女に、今まさになっている。


「おまえは、ほんっとに……!」


ガシッと両頬を摘ままれてぶにゅっと潰される。

痛くはないが簡単には外れない、絶妙な力加減だ。


「あによべつにいいれひょ」


構わず睨みながらふがふが言い返す。

それで気勢を削がれたのか、ウィルの手が離れていった。


「……そんなにヤりてぇのかよ」

「ウィルとね」

「じゃあなんで他の男とやる必要がある」

「だって処女いやなんでしょ」

「んなこと言ってねぇ」

「あれ? そうだっけ?」

「おまえが勝手に決めつけたんだろ」

「そっか。えっ、じゃあ処女でもいいんだ? なら抱いてよ、いたっ」


ここぞとばかりに畳み掛けようとすると、スコンと手刀をお見舞いされた。

結構本気で痛くて、頭をさすりながら涙目でまた睨む。


「とにかく。他の男と軽率にやるんじゃねぇ」

「なんで」

「処女でも処女じゃなくても関係なくおまえとはやらないからだ」


ばっさり斬り捨てられて、結構深く傷つく。

思わずベッドに突っ伏しそうになるのを、なんとか項垂れるだけでこらえた。


「……そんなに魅力ない?」


散々言われてもうわかっているつもりではいたけれど。

ここまではっきり言われるとさすがにつらい。


ふくよかではない。

筋肉ばかりで柔らかくもない。

その上可愛げもない。


自分が望んでそうなったのだから後悔はないが、そのせいで歯牙にもかけてもらえないのかと思うと切ない。

好きになってもらえないどころか、性欲解消相手にさえ選んでもらえないのだ。


「あー、そうじゃなくてだな……」


あからさまに気落ちしていると、困ったようにウィルが頭を掻いた。

私が悪いことをすればきっちり報復をしてくるくせに、その後のフォローはきっちりしてくれる。


そういうところも好きなんだけどな。

でも絶対叶わないんだろうな。


「魅力は、ある。ちゃんと。だから落ち込むな」

「…………例えば?」

「うっ、えー、っとだな、たとえば……」


その場しのぎだっただろうに、意地悪く聞き返す私の質問にたじろぎ、しばし視線をさまよわせてからウィルが沈黙する。


どれだけ考えるのよ、と心の中でツッコミを入れて、項垂れたまま続く言葉を待った。


「うーん……。まぁ、いろいろだ」


それで結局出てこないのか。


今度こそベッドに突っ伏すハメになった。

まったく嫌になる。


「それで、それをいいってやつはいっぱいいる。だからそういうやつを好きになれ」


慰めにもならないようなことを言って、ポンと優しく頭に手を置く。

まるで父親みたいだ。


ちらりと見上げると、困ったような申し訳ないような顔をしている。

けれど強く断れないのは、私を家族みたいに思っているからなのだろう。


「……好きになってくれなくても好きでいたいだけなの」


布団に埋もれ、くぐもった声で泣きそうになりながら言う。

我ながらひどいわがままだ。

相手の気持ちなんてこれっぽっちも考えていない。


「でも、もうやめる。もう、言わない」


言うだけなら自由だと思った。

笑ってくれるから。


愛はいらないから身体だけでもと望んでも許してくれると思った。

誰も傷つかないから。


でも違ったんだ。

私のすることは、ウィルを困らせるばかり。

ウィルの中で、私はもう家族になってしまったのだ。

娘みたいだから抱こうと思わない。

娘みたいだからどこの馬の骨ともわからない男と寝ようとすると怒る。


つまりはそういうことなのだろう。


前世の父親もそうだった。

親愛の情で優しくしてくれて、帰りが遅くなれば叱られた。

ふと思い出して懐かしくなる。

確かにそんな娘に抱いてくれなんて言われたら、困るし何より気持ち悪いに違いない。


「最後にぎゅってしてくれる? それで終わりにするから」


恋心はどうしたってなくならないけど、消えてしまったフリをするのは簡単だ。

もうウィルに甘えて迷惑をかけるのはやめよう。


起き上がり、両手を広げて明るい笑みをウィルに向ける。

彼は少し迷うように私から視線を逸らした。


でも、抱きしめてくれるのを知っている。


家族だから。

大事だから。

諦めさせたいから。


ほら、あんなに怒ってたのに、結局は優しい。


緩く抱きしめられて胸元に顔をうずめる。

海軍の証、消えた正義の文字に、シャツの上からひっそり口づけた。


家族の優しさはくれるのに何も教えてくれないのね、なんて図々しい恨み言を胸で呟きながら。

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